第10話 「大人なスナックにて、マーメイドとイケメン」



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 スナックに入ると、ド派手なマーメイドワンピースに身を包んだ店員が1人でいた。

 店の看板を照らしてたネオンより、刺激が強い。


 そして多分、男性……だよね?

 いや、この時代、そういうのは色々デリケートな問題があるらしい。

 迂闊うかつに触れない方がいい。

 下手なこと言うと怒られるかもしれないし。


 なるべくトラブルは避けたい。

 まあ、人間だと思って接してれば問題ないでしょ。

 喉を潤しに来ただけだし。


 っていうか、1人ってことは店長かな。

 何て呼べばいいんだろう。


 マーメイドでいいか。

 この呼び方の場合、脳内限定になるけど。


「いらっしゃ~い!……あらっ、高校生かしら~ん」


 マーメイドは身体をくねくねさせた。

 思わず眉間に力が入る。

 生理的に受け付けない動きだ。


「大学1年生です」


 動揺が顔に出ないよう、愛想笑いを浮かべて平静を装う。


 ダメ元だけど、このメイクの濃さなら誤魔化せるかもしれない。

 初めてメイクを見せた時、祖母にも大人っぽいって言われたことあるし。


「そうなの? ……まあそうよね。

 もし高校生だったら、1人なんて危ないものねん。ま、大学生でも危ないのだけどっ!」


 くねくねした動きを止めることなく、マーメイドは言った。

 じろりと、舐めるような視線を送られた気がする……。


 もしかして、バレてる?

 今のはマーメイドからの警告だったのかもしれない。

 いや、年齢より私の状況が不味いのかも。

 びしょ濡れだし、膝は怪我してるし。

 どこからどうみても訳ありじゃん。

 これじゃ、自分から通報されに行ってるだけだ。

 自販機がないからって、近くのスナックに来たのが間違いだった。


 固唾を呑み、

 1歩、ゆっくりと後退る。


「ぷはっ。アナタ、可愛いのね~」

「え?」


 突然の褒め言葉(?)に、思わず目を丸くする。

 さっきまでの緊張感は、跡形もなく消えていた。


「ほら、そこ座んなさいな。

 見ての通り、今日はお客さんがいなくて退屈してたのよ」


 え、そうなの?

 言われてみれば、私とマーメイドの話し声しか響いてない。

 お洒落な店内BGMがあったから気にならなかった。

 周囲を見渡すと、本当に誰もいなかった。


 とりあえず、言われた通りカウンター席に腰かける。


「大学1年生ってことは、19歳かしら?」

「……はい」

「それじゃあ、お酒は飲めないわねぇ。オレンジジュースでもどう?」

「お願いします」


 よかった。

 なんとか誤魔化せたっぽい。

 スナックとか居酒屋って高校生が来ていいイメージないし、このままバレないように気をつけよう。


「寒いのに薄着ね~」

「あ、はい」


 気づかなかったけど、上着、忘れてきちゃったんだ。

 どうりでいつもより寒いと思った。

 まあ、そのまま飛び出してきちゃったし、仕方ないか。


「っていうか、もう20時よ。年越し前にこんなとこに居ていいの?」

「まあ」


 別に、関係ないし。

 みんなと違って、来年から頑張ろうとか、行事を楽しもうとか、そういうのないし。

 さっきは死ねなかったけど、落ち着いたら死ぬんだし。


 そんなことを思ってると、長いため息が聞こえてきた。


「……アナタ、全っ然喋らないのねぇ。私の退屈しのぎになるつもり、あるのかしら? そんなんじゃ彼氏できないわよ!」


 ドンっと音を出して、オレンジジュースの入ったコップが置かれる。

 衝撃でちょっと零れた。


「はあ」


 彼氏とか、余計なお世話だよ。

 それこそ、今は結婚しない幸せとかが主張されてる時代なのに。

 多様性ってやつを尊重しようよ、お互いにさ。

 まあ確かに……彼氏ほしいって思ったことは何回かあったけど。


 ああ、でも、違うのかもしれない。

 少女漫画のような恋がしたいわけじゃなかったから。

 ただ、自分を理解してくれる存在が、欲しかっただけだ。


 てか、思ったより話しかけてくるなぁ……。

 スナックってこんなにお客さんと店員の距離が近いものなの?

 だとしたら苦手かも。

 やっぱり、こういう場所はパリピか社交的な大人が来る所なんだ。


 思考を遮るようにして、カランコロンとドアのベルが鳴る。


「あんら~、天王寺てんのうじちゃん! いらっしゃい」


 大袈裟な黄色い声を出して、マーメイドは誰かを迎え入れた。

 もしかして太い常連さんでも来たのかな?


 っていうか、天王寺って。

 凄い苗字。


「おう」


 マーメイドに挨拶した客は、私の2つ隣に座った。


 どんな太い客なんだろう。

 絵に描いたようなセレブな人だったりするのかな。

 それとも、とんでもなくチャラい人だったり……。

 答えを求めてこっそり横目で見た瞬間、思わず息を呑んだ。


 奇麗に染まった銀髪。

 真っ赤な瞳のアクセントが効いてて、スタイルも抜群。

 なんていうか、全体的にお洒落。

 見たことないけど、モデルとか、芸能人なのかな?

 ……服装は若干ヤクザっぽいけど。


 センター分けがこんなに似合ってる人、初めて見た。

 っていうか、あんなに奇麗に発色する赤いコンタクトあるんだ。


「今日は何にする?」


 んふふと笑いながら、マーメイドはカウンターに頬杖をついた。

 いい男見つけた~って顔してる。

 それには私も同感。

 冗談抜きで、こんなにかっこいい人を生で見たのは初めてだ。


「いつもので」

「はいは~い」


 凄い。

 そんな風に注文する人、ほんとにいたんだ。


 不意に、天王寺と呼ばれた男の人と目が合う。

 やばっ、がっつり魅入ってた。

 慌てて会釈する。


「今日は先客がいんのか」

「そうなのよ~。可愛い子でしょん?

 大学1年生ですって」


 もう1度、頭を下げておく。


 どうしてだろう。

 マーメイドが私に言う“可愛い”は、素直に受け止められない。

 なんか、含みがあるっていうか……。


「別に普通だろ。餓鬼がきだし。

 ってか、びしょ濡れじゃねぇか! いいのか?」

「いいわよ~。乾かせばいいだけだしっ」


 うん、この男よりはマーメイドの方がマシかな。

 っていうか、もっと感謝しなくちゃいけない。

 濡れた私にマーメイドは嫌な顔することなく、カウンター席を勧めてくれたんだから。


「家出でもしてんのか?」

「…………まあ、そんなところです」


 厳密にはホテル出、なんだけど。

 いや、そもそもは家出中だから、それであってるのかな?


 ……説明するの面倒だし、ややこしいし、そういうことにしておこう。

 初対面の人に詳しく話す必要ないもんね。

 そう思い、オレンジジュースと共に言葉を飲み込む。


「ちっ、愛想のねぇ餓鬼だな。泊まる場所あんのかよ?」

「なんとかします」

「なんとかなんねぇだろ」


 まだ20時過ぎだし、探せばあると思うんだけどな……。

 ホテルはともかく、ネカフェとか……もしかして、私が思ってるよりネカフェって人気だったりする?

 だとしたら困った。

 今日は野宿するしかない、か。


(今日、ね……)


 明日を迎えることを考えてるなんて、なんか面白いな。

 ないはずだったのに。


「あー……泊まる場所がねぇなら、俺の家に来いよ」


 天王寺はがしがしと頭を掻いた。

 心底めんどくさそうに。


「……え、それは」


 嫌です。

 と言う前に、腕をぐいっと掴まれた。

 ちょ、何この人。

 視線でマーメイドに助けを求める。


「大丈夫よ~。天王寺ちゃんはね、こう見えても優しいから」


 初対面の女子大生(仮)の腕を、何の躊躇ちゅうちょもなく掴むこの男が!?

 絶対に嘘。


 もしかして、このマーメイドもグル?

 通報しなかったのも、この男に渡すため?


 そうこう考えているうちも、ずるずると引きられていく。


「釣りはいらねぇ」

「あら、太っ腹~♡」


 店から出る瞬間、マーメイドが「あ、ちょっと待ってちょうだい」と言って私たちを呼び止めた。

 良心が蘇ったのかな? なんてことを期待したけど、違ったみたい。


「勘違いしてるようだから教えてあげるけど。

 うちの店はね、未成年でも22時まではここにいていいのよん」


 なんだ、心配して損した。


 ってか、嘘バレてたんだ。

 私、そんなに幼かったかな。

 ちょっとショック。


「だから、いつでも来なさいな」


 えっ


「……もう行くぞ」


 再度、引き摺られる。


「は~い。引き止めちゃってごめんなさいね~」


 ひらひらと手を振るマーメイドが、遠ざかっていく。

 なんとも言い表せない感情が、私の心の底を温めていた。


(……返事くらい、すればよかった)


 マーメイドが見えなくなった時、なぜかそう思った。





 これ、いつ自由になれるのかな。

 コンクリートを見ながら、ぼんやりと考える。


 別に何されてもいいんだけど、明日には解放してもらいたい。

 暇ってわけじゃないし。


「明日には自由にしてくれます?」

「馬鹿か。今晩だけに決まってんだろ」


 え、ほんとに? 信じられない。

 だけど、あんまり刺激しない方がいいよね。

 大人しくしておこう。


 歩かなくても勝手に移動できるの、便利だなぁ。

 人類は、こういうのを開発していかなきゃね。

 目指せデブ活。


「おい、身ぃ任せてんじゃねぇよ。自分で歩け」

「……はい」


 軽く蹴られ、仕方なく歩く。

 膝、今になって痛みはじめたな……。



--



 少し歩いたところで、天王寺は立ち止まった。

 ボロいマンション。


「んだよ、その顔は。

 言っとくがな、ここは予備で借りてんだよ。

 普段はもっと立派なとこに住んでんだからな」

「はあ」


 別にどうでもいいけど……。


「2階だ。ついてこい」


 黙ってついていく。

 さっきから思ってたんだけど、この人、歩くの遅いな。

 身長が高いからかな。

 合わせるの、結構疲れる。


 ……早く横になりたい。

 今日は疲れた。

 何も考えたくない。


「風呂には入ったのか?」

「はい」


 嘘です。


「腹は?」

「大丈夫です」


 嘘です。


 そんな問答を繰り返しているうちに、階段を上り終わる。

 1番近くの部屋で立ち止まった。

 ここにみたい。


 このまま監禁されたりして。

 襲われたり、金品を奪われたりして。

 一瞬、そんな不安が脳を過ぎったが、別にそれでもいい。


 スマホを奪われて遺書を見せられなくなっても、最終的に死ねれば、もうそれでいいんだ。

 疲れた。

 色々準備したものを、台無しにしてもいいほどに。


「早く入れ」


 いつの間にか、ドアが開いていた。


「あ、はい」


 返事をして、部屋に入る。

 リビングの真ん中まで行くと、天王寺はどかっと勢いよく床に胡坐あぐらをかいた。

 口調や服装に沿った横柄な態度。

 マーメイド、人を見る目がないんじゃない?

 あ、マーメイドは商売だし、太い客なら誰にでもああいう感じなのかな。


「そこ座れ」


 指定されたソファーに腰かける。

 位置関係的に、天王寺と向き合う形になった。

 見下ろす感じになっちゃって気まずい。


「脚、出せ」


 え、汚れてるから嫌なんだけど。


「早くしろっ」


 強引に脚を引っ張られる。

 いつの間に用意したのか、天王寺の隣には救急箱が置かれていた。


「……んで、家出した理由は?」


 手当をしながら、天王寺が言う。


 え。

 なんでそんなことを?


「んだよ、その不思議そうな顔は。

 さっさとここで吐き出して、明日には帰れ」


 乱暴に綿を押し付けられる。

 もう少し優しくしてくれないかな……傷に染みて痛い。


「なんか辛いことがあったから、家出したんだろ?」


 辛いこと?

 そりゃまあ、そうだよ。


 辛いことがあって、それで苦しくなったから、ユージさんから離れた。

 ホテルを飛び出した。

 ……死のうとして、やめた。


 だけど、それを無関係の他人に言って、何の意味があるの?

 言葉の表面だけすくい取って、上から目線の説教するだけでしょ。

 っていうか、こいつも私を利用して気持ちよくなろうとしてる偽善者?

 なんで私の周りにはそういう人が集まってくるの。


 あの男の顔が、脳裏を過ぎる。

 思い出したくないのに。


「おい、言葉にしなきゃ分かんねぇぞ」

「天王寺には関係ない」

「おーおー、急に呼び捨てでタメ口たぁいい度胸じゃねぇか。そんな度胸があるんなら、話せるだろ?」

「言ったって、どうせ伝わらないから」

「おう。それで?」


 にらんで突っぱねたつもりだった。

 これで話は終わり、そのつもりだった。

 タメ口も反抗の1つ。

 気に入らないなら、暴力でも振るえばいいって思って。


 なのに、天王寺は続きを促した。


 言っても分からないって言ってんのに。

 っていうか、言葉で伝えるのはやめたんだ。

 行動で示した方が早くて、より確実に伝えられるから。


 SNSで沢山の人に話してきた。

 自分の辛さも、苦しさも。

 ……孤独も。

 リアルの人にも、話したことはある。


 でも、どっちも変わらなかった。

 みんな同じ反応だった。


 気にし過ぎ、普通に恵まれてるじゃんって笑われた。

 馬鹿にされた。

 怒られた。

 聞かなかったことにされた。


 うんざりだ。

 だから、これ以上関わろうとしないでよ。

 そっとしておいてよ。

 行動で伝えるから。


「否定されんのが、怖ぇのか?」

「……嫌なの」


 この人なら受け入れてくれるんじゃないかって、何度も期待して。

 何度も、何度も何度も裏切られてきた。


 でも、それは相手のせいだけじゃないんだ。


 私たちが使ってる、言葉が悪いんだ。

 どれだけ具体的に伝えても、心は伝えられない。

 伝わるのは表面的なものだけ。


「頑張って言語化しても、全然分かってもらえない。言葉にすると、全部薄っぺらく見えるから、聞こえるから。しかも表面的な私の辛さなんてちっぽけだから、全然、分かってもらえない……」


 じわっと、涙が滲む。


 そう。

 話すと泣いちゃうのも、だいきらい。


 鼻は詰まるし、目は痛くなるし。

 なにより、

 自分がどうしようもないくらい、惨めに思えてくる。


「1番信用してた人にも、分かってもらえてなかった。理解してもらえてると思ってたのに」


 私の名前を叫んだ時の、彼の顔を思い出す。

 困惑してた。

 突然裏切られた私の気持ちなんか、微塵も理解してなかった。


 最初から本気じゃなかった彼にとって、私の反応は予想以上だったんだろう。

 だから、1度決めたことを覆したことの重大さが、分からないんだ。


 同じことを望んで集まってくれたはずなのに、全然、質量が違った。

 私の気持ちも、その程度なんだと思われてたんだ。


 私は本気で、本当だったのに。


「なんで、なんで誰にも分かってもらえないんだろう」


 声が震えた。

 涙がぽろぽろと床に落ちる。


 私は、頑張ったんだ。

 勇気を出して、涙を文字に変えて、伝えてきたんだ。


「言葉なんていらない。なくなってしまえばいい。それが無理なら、私から言葉を奪ってほしい。話せるから苦しくなるんだ。そうすれば、期待しなくて済む」


 言葉を失って、1人になっても構わない。

 両親は物心つく前に死んだ。

 いじめから助けてあげたのに、藤咲はあっさり裏切った。

 先生に相談しても相手にしてもらえない。

 なら、せめてSNSで慰めてもらおうって思っても、鼻で笑われて、馬鹿にされる。

 祖父母に至っては、私に抱いてたのは愛なんかじゃなくて、単純な責任感だった。


 誰にも伝わらなかった。

 助けてもらえなかった。

 愛されてなかった。

 最初から、独りだったんだ。


 なら、


「行動で……死んで、伝えるから」


 あー、鼻水出てきた。

 最悪。

 ほんと、だいきらいだ。


 不意に、優しい重みが頭に加わった。


「お前の言葉からは、痛てぇほど辛さが伝わってくる。勿論、全部じゃねぇんだろうけどよ。……少なくとも今、俺にはちゃんと伝わってんぞ」


 気づけば、天王寺は隣に座っていた。

 とん、とん、と心地の良いリズムが、私を慰める。



 涙が溢れた。

 それが悔しくて、何度も袖で拭うのに、全然止まらない。


 でも、いつもと違う。

 情けなくならない。

 むしろ、そんなことはどうでもいいくらいで。

 ……心の隙間が、埋まったみたいで。


 初対面の相手に慰められて、分かった気になられて、悔しいはずなのに、

 私はここにいていいんだ。こんなことで、苦しんでもいいんだ。……って、そういう安堵感の方が、ずっと強く私の心を包んでる。


「俺は今、お前を心配してる。それは分かるか?」


 分かってる。

 ちゃんと、伝わってる。


 彼の言葉は、温かい。

 これまで浴びてきた、無機質なものとは違う。

 単純な奇麗事でもない。


 心がある。

 優しさが、ちゃんと込められてる。


「お前の言葉は、きっと俺以外の誰かにも伝わってる。だから、諦めんな」



 ……そうだ。

 もう1人、いた気がする。

 私に寄り添ってくれた人が。

 温かい言葉で、心を伝えてくれる人が。


 誰だっけ。

 思い出せない。

 わかんない、

 なんにも、わかんないよ。



 …………上手く、頭が回らないな。


「疲れた」

「……ああ、今日はもう休め」


 このまま寝ようとしているのに、天王寺はとがめない。

 横になれって、お節介を言わない。

 冷えるからって、着替えさせようとしない。

 本当に伝わったんだ。

 私が、動けないくらい限界だって。


 優しい人なんだな……。

 天王寺の手の温もりを感じながら、私はゆっくりと意識を手放した。



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次回 2023年1月4日18:00

第11話 「心を通わせたい人」



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