第9話 「不器用な温かさ」

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 しばらく歌った後、ユージさんが「もう17時だって。まだ歌う?」と尋ねてきた。

 手には受話器が握られてる。

 いつの間にか電話が鳴ってたみたい。


 そんなに歌ってたんだ。

 実感ないな。


 これは流石に、延長しなくていいよね……。

 死ぬ前に声が枯れてたら締まり悪いし。


 首を振る。

 それを見たユージさんが、店員に延長しない旨を伝えてくれた。


「じゃあ、出よう。

 この後はどこかで夕飯を食べる?

 それとも、いつも通りコンビニで買う?」

「うーん、どこかで食べたいな」


 これが最後の晩餐になるんだし。

 せっかくなら、ちょっといいところで食べてみたい。

 あ、逆にファミレスとかの方がエモいかな?

 どうだろう……。


「分かった。そうしよう」


 伝票を持つと、ユージさんはドアを開けて私を見た。


「ありがと」

「いえいえ」


 短く言葉を交わして、部屋を出る。

 ユージさんのレディーファーストにも、随分と慣れてきた。

 分かり合えてきた証拠だ。

 短期間とはいえ、ずっと一緒に過ごしたから親交が深まったんだ。


 もっと早く会えていれば、もっと仲良くなれたのかな……。


「行くよ?」

「あ、うん」


 慌てて後をついていく。


 少し物足りない距離感。

 色んなユージさんを知りたいのに、時間がない。


 だけど、今の状態が1番いいんだ。

 私たちは、ちょっと物足りないなって思うくらいが、ちょうどいい。


 ねぇ、そうだよね?

 ユージさん__







 カラオケから出ると、空気がちょっと重くなった。

 お互いに口数が減って、緊張感が漂ってる。


 終わりが、近い。


 自然と手に力がこもる。

 もちろん、自分の望んだ結末に後悔はない。

 さっきまでの時間がいくら楽しかったとはいえ、私たちが目指すゴール幸せは、変わらないから。


 だけど、

 今日まで本当に楽しかったんだ。

 終わりが、こんなにも名残惜しくなるくらい。


 乾燥した冷たい風が、びゅうっと吹き抜ける。

 私もそれなりに汗をかいてたらしく、あっという間に体温が奪われていく。

 どこかで暖まりたい。


「どこで食べようか?」


 寒そうな顔をしながら、ユージさんは言った。

 奥歯がかちかち鳴ってる。

 私の何倍も汗かいてたし、当然か。

 唇も紫色だ。

 このままだと、風邪引いちゃうんじゃ……。


 そんなことを思った矢先、ユージさんが大きなくしゃみをした。

 一旦、お風呂にでも入った方がいいかもしれない。


「ごめん。夕飯の前に、風呂に入ってきてもいいかな?」


 どうやら、同じことを考えたらしい。

 もちろん賛成だ。


「温泉にする?」

「いや、ホテルでゆっくりしたいな」

「りょーかい」


 ユージさんの希望を聞いて、ホテルに向かって歩き始める。


「ごめんね、早く夕飯食べたいだろうに」

「大丈夫だよ」

「……優しいね」


 そう言うと、ユージさんは眉を下げた。

 どういう表情だろう。

 っていうか、私もお風呂に入ろうと思ってるから、全然いいんだけど……。


「手、貸して」

「え? うん」


 なんだろう。

 突然のことに戸惑いながらも、手を差し出す。

 すると、彼は私の手を握って、コートのポケットに入れた。

 ちょっと暖かい。


「あ、ありがと……」

「ん」


 頬を掻いて、ユージさんは目を逸らした。


 耳がじんわりと熱くなる。

 ユージさんの耳も、ちょっと赤い。

 寒いから、かな。


 ポケットの中が、じわじわと暖かくなっていく。

 手汗で、ちょっとべたついてるのが玉にきずだ。

 それに、もう片方の手は相変わらず冷たいまま。


(不器用な暖まり方……なんだか、ユージさん自身みたい)


 頬を緩める。

 なんだか、あったかいな。







--



 お風呂から出たユージさんの表情は、少し硬かった。


「お風呂、さっぱりした?」

「あ、うん。おかげさまで」


 事情を聞きたいけど……余計な刺激になっちゃわないか心配だ。

 もうすぐ決行だから、緊張してるのかな。

 このタイミングで強張る原因って、それくらいしかないよね?

 なら、私でも励ますことができるかもしれない。

 よし、声を掛けよう。


 さっそく口を開こうとする。

 だけど、先にユージさんが言葉を発した。 


「やっぱり、やめよう」

「え?」


 不意をつかれて、思わず聞き返す。

 主語も、いまいち掴めなかった。


 やめるって、なんのことだろう。

 このタイミングでやめることと言えば……。


 ユージさんの口が、ゆっくりと開く。

 どうしてかな。

 嫌な予感がする。


 彼に続きを言わせてはいけないと、本能が警鐘を鳴らした。


「――ユージさんっ!」


 慌てて声をあげる。


「ど、どうしたの? シオ」


 私だって、よく分かんないんだけど……。

 でも、なんとか話題を逸らさなきゃいけない気がしてる。


「あーえっと、あれ。もうすぐ死ねるね。

 私、超楽しみだよ」

「……シオ、そのことなんだけど」

「電話する相手は決まってるの? こっちは4人くらいと話す予定だから、ユージさんも遠慮しないでね」

「あの、シオ?」

「もし電話にでてもらえなかったら、留守電に残そ! だから、短く要約したバージョンも考えておいてね」

「シオ、聞いてくれ」

「ほんっと、楽しみだね――」

「シオ!!」


 ユージさんの大声が部屋に響く。

 頑張って喋ってたのに、驚いて反射的に黙ってしまった。


「自殺、やめよう」


 重たい沈黙の中、彼は言った。


「…………は?」


 視界がぐらっと揺れる。


 え、なに。

 自殺をやめる……?


 意味が、分からない。

 分かってたまるか。

 なんで。

 どうしてこんな、直前で。


「……気づいたんだ。僕が死んだら、家族が悲しむって」

「ここにきて、家族自慢?」


 ここにきて、どういうつもりなの。

 頭にかっと血が昇るのが分かる。


 ふざけるな。

 私たちはもう、引き返せないところまで来てるのに。


「待ってくれ。そうじゃないんだ」

「何が違うの。優しい家族がいて恵まれてるんでしょ。なら、なんで誘いに乗ったわけ? 冷やかしのつもり? それとも、自殺を止めるでも演じたかったの?」

「ちがっ、そういうことじゃないんだ」


 ああ、そうか。

 彼は偽善者だったんだ。


 初めて会った時のあの暗い瞳は、嘘だったんだ。

 仲間だと思ってたのに。

 彼の気持ちは、空っぽだったんだ。


「私のこと、勝手に可哀そうな子どもだって同情して……! そういうの嫌だったけど、一緒に死んでくれるんだからって、満足してたのに」

「子ども……? っとにかく話を聞いてくれ、シオ。僕はただ――」

「聞きたくないっ!」


 叫ぶと、部屋が静まり返った。

 ユージさんが戸惑ったような顔で、私を見てる。

 まるで、私がなにか間違ったことを言ってるみたいに。

 そんな目をしたって、意味なんかないのに。


 ……どんな奇麗事を並べたって、私はなびかない。

 目の前の偽善者とは違って、私は、心から死ぬことを望んでるんだから。

 死ぬことだけが、人生最大の幸福なんだから。


 それは、ユージさんだって知ってたじゃん。

 知ってたよね……?

 まさか、そんなことも知らなかったなんて、言わないよね?


 足が震える。


 もしかして、最初から知らなかったの?

 これまでの会話は全部、適当に合わせてただけなの?


 この人は、最初から偽善者だった……?


「シオ」


 目を逸らす。

 何を言ったって無駄だ。

 もう、ユージさんという大人を信用できない。

 信用、したくない。


 偽善をきだしたその口で、今度は何を言うつもりなんだろう。

 偉そうに説教をする?

 それとも、生意気な態度をとり続ける子どもに、怒りの感情でもぶつける?


 怖い。

 彼が何をしようとして、何を言おうとしてるのか、まったく分からない。

 未知の存在みたい。

 同じ人間のはずなのに。


「僕らは、本当に死ななきゃならないのかな」


 頭を殴られたような衝撃が、私を襲う。


「死ぬ必要は、ないんじゃないのかな」


 唇を噛む。

 彼は、偽善者なんて生易しいものじゃない。


 裏切者だ。

 こいつは、私の幸福まで否定する裏切者だ。


 また、裏切られたんだ。

 私の信用を徹底的に自分の都合のいいように利用する、ゴミ同然の人間。

 あまつさえ、私の領域まで否定するくず


 こういう人間は、これまでに何度も見たことがある。

 画面の向こうでも、現実でも。


 彼は……ユージさんだけは、違うと思ってたのに。


「だいっきらい……!」

「っ、シオ!!」


 ユージさんが1歩踏み出したタイミングで、部屋を飛び出す。


 バッグ置いてきちゃったけど、そんなのどうでもいい。

 これ以上あの場にいたら、どうにかなっちゃいそうだ。


 ユージさんのことも、もうどうだっていい。

 あんな裏切り者のことなんか、知らない。


 無我夢中で走ってると、ホテルを出たところで足が滑って転んだ。

 涙が滲む。

 満足に走ることもできない自分が、情けない。

 だけど、ここで止まるわけにはいかない。

 目元を乱暴に拭い、今にも折れそうな心を引きずって、もう1度走りだした。


 外は相変わらず寒い。

 頬も手も、あっという間に痺れていく。


 この寒さが、心の傷をぜんぶ忘れさせてくれたらいいのに。

 ぜんぶ、なかったことにしてくれたら……。


 淡く叶わない願いを込めながら、ひたすら走り続ける。

 向かう場所は、決まっていた。





--





 もっと、静かな場所だと思ってたな。

 ロマンを求めて選んだはずなのに、海は荒れに荒れていた。


 頬の汗を拭う。

 冬なのに、身体が暖まるとすぐ暑くなる。

 冬は何しても寒いってイメージがあったけど、実はそんなこともないのかな。

 それとも、温暖化で今年だけ異様に暑いとかかな。

 ……しばらく外に出てないと、そんなことも忘れちゃうんだな。


 深呼吸を何度か繰り返して、酸素を肺に送り込む。

 すると、海のいそ臭い空気も一緒に入ってきた。


 視線を落とすと、靴が砂で汚れていた。

 思わず眉間にしわを寄せる。

 お気に入りだったのに。


 ああ、でも。

 汚れなんて、どうでもいいか。



 波の音はうるさいけど、他は静かだ。

 ホテルのある場所とは違って、ここには店も住宅もない。

 街頭もないから、人気もない。


 人の目がないと思うと、安心するな。

 最近は、ほとんどあの男と一緒にいたし。

 たまにはこうして1人でいたい。

 引きこもり体質がすっかり染み付いてるっぽいね。


 空を見上げてみる。

 明かりない分、奇麗に見えるはずなのに、なぜかそうは思えない。

 なんの変哲もない、ただの夜空だ。

 星もそこそこ見えるのにな……。

 あの男と一緒じゃないと、きれいな空は見れないんだ。


 あの男とは、本当に文字だけの付き合いだった。

 電話なんかしたことないし、ボイスメッセージを送り合ったこともない。

 もちろん、踏み込んだ話もしてない。

 初対面の人とでもできるような他愛のない雑談をしたり、時々励まし合う。

 そんな関係だった。


 だけど、誰よりも濃い関係を築いてると思ってたんだ。

 私の辛さも、苦しさも、孤独も、ある程度は理解してくれてると思ってたし。

 あの男の言葉は、いつも温かかったから。

 

 それなのに、裏切られた。


 しかも、家族自慢とか。

 ほんっと、信じらんない。

 私には……死んで悲しんでくれる人なんて、いないのに。


 挙句の果てには、死ぬ必要がないって、否定までして。

 私は、本当に死にたいのに。

 一緒に、死にたかったのに。


「ああ、やめやめ」


 ぎゅっと目を瞑る。

 今は、あの男のことを考えたくない。

 っていうか、考えてる場合じゃない。

 私は、今から1人で幸せになるんだから。


 もう、死ぬんだ。

 死んでやるんだ。


 死ぬ前に祖父母やあいつらに電話するのは、やめた。

 ただでさえ気分が悪いのに、どうしてもっと不快な声を聞かなきゃならないんだ。


 それに、あいつらと話したところで、私の恨みつらみが伝わるとは思えない。

 あの男にも、伝わってなかったんだから。

 何も。


 もう、言葉なんて、使わなくていい。

 言うだけ無駄だった。


 なら、行動で伝えるまでだ。


 手に力を込める。

 割れそうなほどに冷え切った指先が、手のひらの微かな熱を感じた。


 気持ちも伝えられて、幸せも手に入れられる。

 その2つが叶うのなら、夜空とかロマンとか、どうだっていい。


 こんなに簡単なことだったのに、どうしてずっと、してこなかったんだろう。

 言葉なんかに囚われてた私が、馬鹿みたい。


「なーんだ」


 何も、苦しむ必要はなかったんだ。


 歩を進めると、足首が海水に浸かった。

 さすが冬の海。

 寒いや。

 靴下が濡れていく。


 歩を進めると、膝まで海水に浸かった。

 足の感覚がなくなって、

 鉄の棒みたいになった。


 歩を進める脚が、水圧でだんだん重たくなっていく。

 心臓がきゅってなった。

 歯もかちかちいってる。

 ちょうどいいや。

 波の音だけじゃ、飽きちゃうしね。


 足を止める。

 もう少し歩けば、腰まで浸かる。

 押し寄せる波が、何度も上から覆い被さってきて、呼吸もままならなくなる。

 きっと、いよいよ死ぬんだーって感じになれる。


 更に歩けば、本当に死ねる。

 この場合、死因は何になるんだろう。

 溺死? 低体温症? 凍死?

 分かんないな。

 まあ、どうでもいっか。


 あーなんか、ちょっと暖かくなってきたかも。

 身体が慣れてきたのかな。

 それとも、海の方が温度が高いのかな。

 分かんない。

 まあ、どうでもいいや。


 どうでも。



「……」











 足は、進まなかった。

 代わりに、小さな咳を1つ落とす。


 この程度の雑音は、波の音にあっけなく掻き消されてしまうだろうと思った。

 だけど、私の予想に反して、その音はやけに鮮明な響きを持った。





 喉が、渇いた。



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次回 2023年1月3日18:00

第10話 「大人なバーにて、マーメイドとイケメン」



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