第4話 「幸せな時間」
藤咲を助けた次の日、私の上靴はずたずたに引き裂かれ、これまで当たり障りのない関係を築いていたクラスメイトにも、無視されるようになった。
顔も知らなかった同学年の生徒からも、すれ違うだけで陰口を言われるようになった。
藤咲にも裏切られた。
あの3人に
やめてって叫んでも、手を止めることはなかった。
3人に脅されて、仕方なくやっているという風ではない。
彼女は、笑ってた。
心底嬉しそうに。
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うっと口元を抑える。
鮮明に思い出したからか、気分が悪い。
頭が、ぐらぐらする。
「シオ?」
ユージさんの声が聞こえてくる。
心配、してくれてる感じがする。
私のせいで、集中が途切れちゃったのかもしれない。
邪魔しちゃったんなら、申し訳ないな。
ユージさんだって、大なり小なり精神を削りながら書いてるのに……。
「大丈夫。ちょっと、嫌なこと思い出しただけだよ」
そうだ。
ちょっと、昔のことを思い出して、辛くなっただけ。
私が不登校になった原因を、最初から丁寧に書いてるんだ。
気分が悪くなるくらいのことは、覚悟してたじゃん。
「一旦、休憩にしようか?」
「ううん、大丈夫。大丈夫だから」
まだ終わってない。
ちゃんと気を引き締めて、続きを書くんだ。
あいつらに復讐してやるんでしょ。
だったら、こんなことでギブアップしちゃ駄目だ。
目をぎゅっと瞑る。
こんなことで怯むな。
負けちゃ駄目だ。負けちゃ駄目だ。
そして、脳内で「逃げちゃ駄目だ」と何度か繰り返そうと思った瞬間――
私の手から、スマホがするりと抜ける。
慌てて目を開けると、ユージさんが私のスマホを持っていた。
思わず、眉に力が入る。
冷やかされたような気分だ。
ふざけてる場合じゃないのに。
「なんで邪魔するの――」
「僕たちは今、幸せになるためにここにいる」
「そんなの当たり前……」
思わず言葉を詰まらせる。
分かってる。
そんなことは分かってた、つもりだった。
だけど、実際は違った。
復讐することに力を入れ過ぎて、自分の幸せを完全に忘れてた。
そうだ。
私は、疲れてるんだ。ずっと。
過去に囚われて前に進めず、祖父母に迷惑をかけながら、ただ
そんな日々に、うんざりしてたんだ。
せっかく解放されてるのに、自分から過去にどっぷり浸かるのはよくない。
「ちょっと、外の空気を吸いに行こうか」
「……うん」
そう答えると、彼は嬉しそうに「ありがとう」と微笑を浮かべた。
お礼を言うべきなのは、私の方なのに……。
彼はいつだってそうだ。
優しい言葉で、心の氷を溶かしてくれる。
それなのに、他人に感謝を求めない。
お人好しだ。
だからこそ、私は彼と幸せになりたいって思ったんだ。
楽しもう。
今日という日を。
--
都会に住んでいて、ステーバックスに行ったことがないという人は、どのくらいいるんだろう。
あくまで予想だけど、少ないんじゃないかな。
最近は小学生だってませてるし、おしゃれデビューのために来てるかもしれない。
インステでも、
だから、私と同い年……つまり、17歳くらいになる頃には、たくさんの人が1回は行ったことあると思うんだよね。
かくいう私も、ついに初めてのステーバックス――通称、ステバに足を踏み入れた。
これで華がある女子高生になれたかな?
なんてね。
「ステバって、やっぱ人気なんだね」
戸惑った様子で、ユージさんがきょろきょろと周囲を見渡す。
彼も初めてだと知った時はびっくりした。
顔もいいし優しいから、彼女と来てるものだと勝手に思ってた。
だけど、これまで1度も付き合ったことがないらしい。
意外だよね。
「そうだね。ちょっと甘く見てたかも」
2日前に新作が出たことも相まって、かなり人が多い。
ここに入った時も、2人で座れる席は1ヶ所しかなかった。
「僕が買ってくるから、シオはここで席を確保しておいてね」
「あ、ちょっと――」
……行ってしまった。
っていうか、まだ何にするか言ってない!
どれを注文する気なんだろ。
ここは無難に新作かな?
あ、カスタムって分かるのかな。
注文する時に混乱しそう。
心配だな。
まあ、ユージさん大人だし、なんとかなるでしょ。
私もユージさんも、ホテルを出る前よりちょっとテンションが高い気がする。
初めてのステバっていうのもあるけど、1番の理由は、今の幸せをちゃんと嚙み締める努力をしてるから……かな。
周りの人たちに視線をやる。
店員も、客も、みんな笑顔だ。
客って言っても、色んな人がいる。
雑談ついでに飲みに来たっぽい人から、本を片手にリラックスしてる人、ちょっと緊張気味の男女に、孫に連れられて来たであろうお婆ちゃんまで。
幸せな空間が広がってる。
いつもは恨めしい気持ちでいっぱいになるのに、そんな暗い感情は微塵も湧いてこなかった。
私も、幸せ者の1人になったからかな。
凄いなぁ。
こんな空間があるなんて、知らなかったな。
最後に、知れてよかった。
--
「僕らの死に方について、そろそろ決めようか」
ユージさんが話を切り出す。
ホテルに戻って、コンビニ弁当を食べている時のことだった。
本来はデリケートな話題のはずなのに、彼に遠慮は感じられない。
きっと、彼にとってはそういう話題じゃないんだ。
自分の幸せのために、積極的に話したいこと。
それはもちろん、私にとってもだ。
だけど、いくらなんでも言い方ってものがある。
「そこはもう少し、ロマンチックな表現にしようよ……」
「ロマンチック?」
ユージさんが不思議そうに聞き返す。
「例えば……夢の話、とか」
言いながら俯く。
自分で提案しておいてなんだけど、恥ずかしいな。
だけど、こういう大切な話には空気感が必要だと思う。
暗い話をする時には、部屋の照明を落として、どんよりとしたムードに。
明るい話をする時には、笑顔を欠かさず、お互いの顔を見て話す……とか。
あれ?
大切な内容なら、たとえ暗い話でもお互いの顔を見て話すべきじゃ……。
「なるほど。幸せを夢だと言い換えるのか。
言葉遊びは苦手なんだけど、それはいいね。
好きだよ」
混乱する私の様子に気づいていないのか、ユージさんは納得したように頬を緩ませた。
“好きだよ”という言葉が、やけに耳に残る。
いや、待って。
「夢の話」って言葉が好きだって話をしただけだから!
私のことじゃないから!
「シオはどんな風に死にたい?」
「え、あ、うーん……」
さっきまでの茶番を頭の隅に置いて、思考を巡らせる。
その場で死ぬことばかり考えていたから、いざ
もちろん、ゴミ捨て場とか不衛生すぎるところはお断りだよ。
だけど、それはユージさんも同じだと思う。
わざわざ口にすることじゃない。
……自暴自棄の衝動のままに望むのなら、そういう場所を選んでも不自然じゃないけど。
幸せになるためにって大前提があるから、わざわざ眉間にしわの寄るところを選んだりはしないはず。
「特定の場所にこだわりはないかな。
死ぬ前に2人きりでゆっくり話せたり、復讐相手に電話する時間がとれるとこなら」
私の言葉を聞いて、ユージさんは顎に手を当てた。
箸を置いて、完全に考えることにシフトしてる。
この話が終わるまで、食事は中断するつもりなのかな。
空気を読んで、私も箸を置いておこう。
「ゆっくり時間が確保できるようにするなら、静かな場所の方がいいね。それなら僕とも条件が合いそうだ」
「じゃあ、いっそホテルで首でも吊って死ぬ?」
一応、自室で死ぬよりは特別感がある。
そう思って安易に提案してみたけど、ユージさんからは「それは……僕たちの幸せに相応しい場所、じゃない気がする」と苦笑された。
おっしゃる通りです。
自分で言っておいてなんだけど、私も気は進まない。
っていうか、ユージさんも一緒にこだわってくれてるんだ。
それとも、意外とロマンチックなところがあるのかな。
どちらにせよ、大人って感じがして魅力的だ。
ふと、舞踏会のバルコニーで、夜空をバックに
なんか、面白い。
その状況で、お姫様に告白してみてほしい。
でも、振られちゃうかな。
モテないらしいし。
あ。
死ぬ前に、夜空を見たい。
昨日、ユージさんと見た時の夜空は、本当に特別だった。
「夜空を見たい」
思いつきのままに提案すると、ユージさんが「屋上にする?」と尋ねてくる。
「いいね、そうしよう!」と勢いで賛成してしまいそうになって、慌てて深呼吸。
平静を取り戻して、口を開く。
「今どき、屋上に行ける建物なんてあるかな……。それに、見つかったら騒がしくなりそうじゃない?」
「…………そうだね」
人が近くにいるところより、自然があって人気のない場所の方がいいな。
自然と言えば、山。
山で首吊りは……ちょっと歩くのに苦労しそう。
冬だから虫はいないだろうけど。
じゃあ、川?
うーん、川って近くにあるのかな。
っていうか、あんまりロマンを感じない。
あとどこか……ロマンがあるところは……。
「海」
ぽつり、ユージさんが呟いた。
「近くに海があるんだ。
そこなら誰もいないから見つかる心配もないと思うし、ロマンもあるんじゃないかな」
「それだっ!」
こうして、私たちの最期の舞台は海に決定した。
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次回 2022年12月29日18:00
第5話 「小さな亀裂」
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