第3話 「復讐の方法」

 誰かに肩を揺すられる。

 絶妙な力加減で、途切れることなく継続的に。


 祖母の起こし方とは違う。

 誰だろう。

 もう少し寝たいのに。


「シオ、起きて」


 知らない声のような、

 最近聞いたことがある声のような……。


「シオ?」

「んん……っ」


 眉間にしわを寄せ、頭を働かせる。


 待って。

 もう少しで思い出せそう。


 あ、そうだ。

 思い出した。

 昨日は家出して、ユージさんとホテルで過ごしたんだ。


 で、彼がお風呂から出るのを待ってる間、すっぴん見られたくないなーどうやって隠そーって考えてて……。


「ほら、起きて」


 あれ?

 そのあと、どうしたんだっけ。

 記憶がない。

 もしかして、寝落ちした?


 今、ユージさんは私の肩を揺すってる。


 ってことは――


「すっぴん見た!?」


 跳ね起きる。


「え、すっぴん?」


 目を丸くしたユージさんと、顔を見合わせた。

 顔を、見合わせ……。


「今、見たけど」

「~~~~っ!」


 布団で顔を隠す。

 これじゃあ、自分から見せたのと一緒じゃん。

 まじ最悪。

 一生の不覚すぎる。


「すっぴん、可愛いよ。

 化粧した方も似合ってるけど、僕はそっちの方が好きだよ」

「……ほんと?」


 顔を上げると、優しい表情を浮かべたユージさんと目が合う。

 嘘を言ってる感じはしない。


 褒められるなんて、思ってなかった。

 だめ、にやけちゃう。


 そういえば、すっぴんを褒められるなんて初めてかも。


 ……あ、祖父母からの褒め言葉はカウントしてないよ。

 お世辞だろうし。


「あ、ごめん。これセクハラになるか……」


 そう言うと、ユージさんはあからさまに落ち込んだ。


「別に、いいよ」


 純粋に嬉しかったし。

 それに、仲が良い人から褒められてそんな風に思う人はいないはずだ。

 多分。


「ありがとう。シオは優しいね」


 でも次からは気をつけるね、とユージさんは苦笑した。

 私の気持ちは伝わってないみたい。


 セクハラ、か。

 そんなの、意識したことなかったな。

 大人は考えることが多くて大変そう。

 ……大人になるまで生きなくて、よかったな。



 ……。


 …………。


 ………………。



「い、いま何時?」


 沈黙に耐えられなくなって、話題を絞りだす。

 彼も気まずかったのか、すぐに腕時計を見て「10時だよ。起こすの遅かったかな?」と尋ねてきた。


 そっか、10時か。

 どうりで寝足りない感じがすると思った。


「いつもお昼に起きてるから、早いくらいだよ」


 けど、この時間に起こしてもらえて、よかったのかもしれない。

 もう少しで死ぬんだし、睡眠にばっかり時間を使ってちゃ、もったいない。


「そうだったのか。……ごめん、早く起こしちゃったね」


 気にしないで。と言おうとしたところで、思いとどまる。

 口、臭くないかな?


 寝起きは、誰だって多少は臭う。

 それは、私も例外じゃない。


「……歯磨きしてくる」

「あ、うん。じゃあ、僕は昼食を買ってくるね」


 ユージさんを見送った後、洗面台へと向かう。

 家と同じような場所に、歯磨き粉も歯ブラシも置いてある。

 探す必要がないのはありがたい。


 歯ブラシに歯磨き粉をたっぷりつける。

 ホテルなんだから、ケチる必要はない。


 歯ブラシを口に入れると、鏡に映る自分の顔が分かりやすく歪んだ。


「うげ、ミント味だ……」


 鼻の奥から、すーすーしてくる。

 このすーすー、小さい頃から苦手なんだよね。

 アメニティだし、我慢するしかないんだけど……。

 どうしてたっぷりつけちゃったかなぁ。

 数秒前の自分を恨む。

 何事も適度に、が1番いいに決まってるじゃん。

 なんで調子に乗っちゃうかな。


 それにしても、あと何回かはこのミントを堪能しなきゃいけないのか……。


 素早く歯を磨いて、これでもかというくらいに口をすすぐ。

 歯磨き粉の成分が落ちるからだめって聞いたことあるけど、そんなことはどうでもいい。

 口臭が解消されさえすれば、私の勝ちだ。


 右上の台から、メイク道具を取り出す。

 昨日もびっくりしたけど、ホテルのアメニティって、こんなに充実してるんだね。

 時代の最先端って感じ。


 すっぴんを褒められたって、私はメイクをした自分の方が好きだ。

 それは、この先ずっと変わらない。

 ブルべ冬を活かしたかっこいいメイクに、肩までかかった黒髪のウルフカット。

 強い女って感じがして、好きなんだ。



 メイクを終え、髪を整えて、ベッドに腰かける。

 広くない部屋だから、座る場所がここしかないんだよね。

 ちょっと慣れないや。


 最近流行ってる曲のサビを口ずさむ。

 今日は何をしようか。

 遺書を用意するのに、けっこう時間かかるよね。

 そのあとは……のんびりしようかな?

 ユージさんにも無理させたくないし。


 どこか、遊びに行くのもいいかも。

 思いっきり楽しめる場所がいいな。

 今まで行ったことのないような場所も捨て難い。

 うーん、悩むなぁ……。

 そんなことを考えていると、鳥のさえずりが聞こえてきた。


(なんか、穏やかな朝って感じ)


 不思議と笑みがこぼれる。

 朝なんて、憂鬱でしかなかったはずなのに。


 そうだ。

 もう、結末は決まったんだ。

 私とユージさんは、絶対に幸せになれる。

 という存在に、怯える必要がなくなったんだ。



--



 朝ご飯を食べ終えて、お互いにスマホを手に取る。


「じゃあ、今から書くね」

「うん。僕もそうするよ」


 そう言って、液晶画面と睨めっこを始めた。


 話し合った結果、遺書はメモアプリに残すことにした。

 物質として残すのは、“消えたい”と願うユージさんの意思に反してしまうからだ。

 せっかく2人で死ぬんだし、お互いの幸せ死に方を尊重したいじゃん?

 私はスマホでも、紙でもいい。

 伝えるべきことが、伝わるように書ければ、それでいいんだ。

 ……まあ、言葉で伝えられることなんて限られてるんだけどさ。


 肝心の内容なんだけど、大体は決まってるんだよね。

 祖父母に迷惑を掛けたくないから死にたいって思うのとは別の、もう1つの理由を掘り下げて書くだけだから。


 そう。

 死にたい理由は、1つじゃない。


 の顔を思い出して、奥歯を噛み締める。


 見せつけてやりたいんだ。

 裏切者に、いじめっ子に、先生に。


 お前らのせいで、私は不幸になった。

 こうして死ぬことになった。

 私の人生をぐちゃぐちゃにしたお前らは、犯罪者なんだ……って。


 思い知らせてやりたいんだ。


 それが、私なりの復讐。

 あいつらの人生を、今度は私が台無しにしてやるんだ。


 そのためには、ほら。

 遺書って大事じゃない?


 言い逃れできないよう、

 お得意のずる賢さが通用しないよう、

 周囲の人間が、罪を誤魔化せてしまう環境を作らないよう、

 これまで受けてきた仕打ちを、事細かく伝えなくちゃならない。

 遺書という手段は、それにうってつけだ。


 だけど、報告書みたいに事実だけ伝えるんじゃ足りない。

 私の心の叫び――怒りや悲しみ、恨みつらみ。

 それらを、なるべく全部伝えなくちゃならない。


 直接会ってるユージさんにも、思ったように気持ちを伝えられてないんだけどね。

 だから、ちゃんと表現して分かってもらうことは難しいんだろうけど……。


 それでも、最低限。

 上っ面だけでもいい。

 感情を言葉で記すことだけは、しておきたいんだ。


 さて、どこから書こうか。

 頬杖を突く。

 やっぱり、ここは分かりやすく最初から書くのがセオリーかな。





---





 規模はそこそこの、なんでもない普通の中学校。

 だからこそ、私は過去最高に緊張していた。


「1-A……ここだ」


 教室の前で、足を止める。

 さっきまで歩いてたから誤魔化せてたけど、立ち止まると身体の震えが止まらない。

 冷や汗も凄いし、心臓がばっくんばっくんと音を立てて、今にも破裂しそうだ。


 昨日までは、不安より希望の方が強かったのに。

 中学生になったら部活が始まるし、勉強だってもっと難しくなる。

 だから、文武両道を目指して頑張ろうって、思ってたのに。

 3年生になる頃には素敵なお姉さんになってるんだって、胸を躍らせてたのに。


 小学生の時とは、全然違う。

 知らない先生が沢山いるし、同い年のはずなのに、みんなが少し大人びて見える。

 校舎も大きくて、すぐ迷子になっちゃいそう……。


「入らないのー?」

「んへぁ!?」


 後ろから誰かの声がして、反射的に変な声が出る。

 振り返ると、女の子がいた。

 真っ直ぐに伸びた黒髪がとても奇麗で、思わず目を奪われる。


「んへぁって、なに。面白いね」


 彼女は屈託なく笑いながら、言った。


「そ、そうかな」


 見惚れてたのが悟られないよう、慌てて目を逸らす。

 とりあえず道をあけて、先に教室に入ってもらおう。

 私は、一旦トイレかどこかで深呼吸でもしてから再挑戦だ。


 そう思って、1歩横に移動する。

 でも、女の子は微動だにせず私を見ていた。


 え、なんで?

 頭に疑問符が浮かぶ。

 もう1歩下がれってこと?

 通れないのかな。

 スペースは十分あるはずなんだけど……。

 それとも気に食わないから、ずっと見てることにしたの?

 いや、そういう目じゃないような……むしろ、好意的な気がするような。


 あ。

 これってもしかして。

 友達を作るチャンスなんじゃ……!


 よし、そうと決まったら話題を探さないと。

 えーっと、うーんっと。

 ここは王道に、「天気がいいですね」とか言ってみる?

 あ、でも今日は雨だった。

 じゃあ、「天気が悪いですね」にする?

 聞いたことない会話。

 絶対ぎこちなくなる。


「入らないの?」


 はっと我に返ると、女の子はもう教室の中にいた。

 私が来るのを待っているのか、ドアを押さえてくれてる。


「は、入るよ!」


 慌てて走る。

 不思議と、震えは収まっていた。



--


 彼女の名前は、“藤咲美玖みく”。

 この1年間で私の親友になる、クラスでNo.1を誇る美貌を持った女の子。


 カフェに行ったのも、

 カラオケに行ったのも、

 可愛いアクセサリーを見てはしゃいだのも、

 ぜんぶ、美玖ちゃん――藤咲が初めてだった。


 3年生の修学旅行も一緒に回ろうねって、約束してた。

 だけど、2年生の春から、歯車が狂っていった。

 

 ……藤咲とクラスが分かれて、3か月が経った頃だったかな。


--



 教室の窓から顔を出して、美玖ちゃんを探す。

 すると、いつも通り、窓側の席に座っているのが見えた。

 あ、こっち廊下側じゃないよ。

 グラウンド側の方の窓ね。


 よし、今日こそ! と意気込み、笑顔を作って彼女に呼びかける。


「美玖ちゃん、一緒に帰ろっ!」


 そう言うと、彼女は私に視線をやった。

 毎日のように繰り返したやり取りだからか、突然声をかけても驚いた素振りはない。


「あ、ごめん。今日も一緒に帰れないや」

「……そっか」


 ため息を吐いて、1人で歩を進める。


 残念なことに、このやり取りにも慣れてしまった。

 何度誘っても断られる。

 理由を聞いても答えてくれないし、かといって心当たりがあるわけでもない。


 最後に一緒に帰った時も、普通だったのに。

 分かれ道で手を振る寸前まで、お互い笑顔だったのに。

 美玖ちゃんの悪口も、言ったことはない。

 いったい何が気に食わないんだろう。


 私に対して怖い顔で話すようになったし、そもそも向こうから話しかけてくることがなくなったし。

 これでも、ちょっと前までは「親友だね!」って盛り上がった仲だったのに。

 ほんと、意味わかんない。


 この状況は、正直楽しくなかった。

 仲のいい友達が彼女しかいないから……というのもあるけど、こんな扱いされたら誰だって気分はよくないでしょ。



--


 そう。

 ある日を境にして、彼女からは笑顔がぱたりと消えた。

 それから、付き合いが悪くなった。


 この時の私は知らないけど、いじめが原因だ。

 藤咲は、自分がいじめを受けていることを教えてくれなかった。


 私がいじめに気づいたのは、その5か月くらい先のこと。

 放課後だったと思う。


--



 藤咲の教室の前を通った時、大きな物音が廊下まで響き渡った。

 机が倒れるような、そんな音。


 反射的に足を止める。

 男子がふざけてるんだろうな……と、直感的に思った。

 藤咲の教室には、やんちゃな男子が多いし。

 まあ、たいしたことはないと思う。


 だけど、もしものことがあったら困る。

 一応、確認だけしよう。

 危なそうだったら、先生を呼ぼう。

 そう決意して、そっと中を覗く。


「っ……!」


 目の前に広がる光景を見て、私は息を呑んだ。


 結論から言うと、私の予想とは全然違ってた。

 美玖ちゃんが倒れてた。

 3人の女子に囲まれてる。

 とてもじゃないけど、じゃれ合ってるようには見えない。

 表情からも、事故っぽい感じはしない。

 4人しかいない空間には、息が詰まるほどの悪意が充満していた。


 どうする?

 助けに入る?

 いや……危険なことに、わざわざ自分から足を突っ込む必要はないんじゃ……。


 私は、正義感と本能の間で揺れていた。


 彼女はもう、私にとって大切な存在じゃないのだ。

 最近じゃ、まったく話さない。

 すれ違っても挨拶すらしない。

 損得勘定抜きに助けられるほどの情は、もうないんだ。

 それに、彼女を助けると、今度は私が標的にされるかもしれない。


 私は、彼女のことが嫌いだ。

 まったく私の誘いに応えてくれないから、必死に追いかけるのも馬鹿らしくなった。

 なにより、彼女は人間的な魅力を備えてるから、他に仲のいい子ができて、私は用済みにされたんだって思ったから。


 そうだよ。

 好きでもない相手のために、危険を冒す必要はない。

 首を突っ込むのは、やめておこう。

 そう思って、1歩後退りしようとした。

 だけど、すぐに思いとどまった。


 美玖ちゃんはいじめられてたんだ。

 そんな状況だから、私の相手をする余裕がなかっただけなんじゃないの。

 本当はまだ、私のことを友だちだと思ってくれてるんじゃないの。

 親友だと、思ってくれてるんじゃないの。


 そしたら、また、仲良くできるんじゃ……。


「美玖ちゃんに、なにしてるの!」


 職員室の先生にも聞こえるよう、大声を出して教室のドアを開ける。

 この前、男子がドアの窓を割って怒られたのを見てたから、勢いよくは開けなかった。

 これが先人の知恵ってやつかな?

 いやいや、今はそんなこと考えてる場合じゃない。

 とにかく、目の前のことに集中しなきゃ。


「あ? 誰だよお前」


 不機嫌を隠そうともせず、リーダー格っぽい女の子が、前髪を掻き揚げながら鋭く私を睨みつける。

 それに便乗するように、取り巻きの2人も「そうだそうだ!」と声をあげた。


「わ、私は……」


 うっ、と言葉に詰まる。

 開始早々、痛いところを突かれた。


 友だちって、言ってもいいのかな。

 まだ、確信があるわけじゃないのに。


 答えを求めて、美玖ちゃんの方に視線をやる。

 すると、何かを訴えるような瞳がこちらを見ていた。


 歯を食いしばる。

 そうだ。

 こんなところでビビッてちゃ、駄目だ。

 美玖ちゃんを助けに来た私が、胸を張らなくてどうする。


 手にぎゅっと力を込めて、めいっぱいに息を吸い込む。


「私は、美玖ちゃんの友だちだっ!!」


 ずかずかと近づいてって、美玖ちゃんの手を引く。

 勢いに驚いたのか、3人は唖然としていた。

 ちょうどいい。

 このまま退散させてもらおう。

 私には力がないから、ここで言い争っても意味ないし、取っ組み合いになったら返り討ちにされる可能性だってあるしね。


 明日から、一緒に対策を練らなきゃだ。

 とりあえず、今日は傷の手当てをしよう。

 服で隠れてるけど、痣が少し見えてる。

 きっと、凄く痛いに違いない。


「し、詩音? どうしてこんなことっ」

「大丈夫、私が守るから!」


 戸惑う美玖ちゃんを元気づける。

 もう、辛い思いなんかさせない。

 1人で抱え込ませない。

 だって、私たちはきっと、親友だから。



--


 そう。

 あの日、私は藤咲を助けたんだ。


 リーダー格の女子に歯向かって、

 藤咲の手を引いて、

 走った。


 保健室で手当てを終えて、分かれ道まで来た時、彼女からお礼を言われた。

 明日からはまた一緒に帰ろうって、約束もした。


 でも、その約束は呆気なく破られた。

 夢に見た明日は、地獄そのものだった。





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✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼



次回 2022年12月28日18:00

第4話 「幸せな時間」



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