第5話 「小さな亀裂」

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 遺書を放置していたことに気づいたのは、髪を乾かし終えた時だった。


 入れ替わりでユージさんがシャワールームに行くのを、横目で確認。

 昨日の感じだと、1時間くらいは出てこないはず。

 心配をかけないためにも、今のうちに書き終えてしまおう。


 メモアプリを開いて、何回か深呼吸。

 藤咲が裏切ったこと、先生が何も対策を練ってくれなかったことを、なるべく詳細に書いていく。

 息抜きしたおかげか、不思議と気分が悪くなることはなかった。





 過去にあった出来事は書き終わった。

 思いつく限り、ぜんぶ。


 Witterで傷ついたことは、書かなかった。

 私が辛い時に、心ない言葉で追い詰めてきた顔も知らない人たち……。

 何度も深く傷つけられるたびに、理解してもらえない孤独感にもさいなまれたっけ。


 だけど、恨んではないんだ。

 言葉じゃ人の気持ちなんか分かんないだろうし、今は「仕方なかったんだ」って割り切ってる。

 復讐相手が多すぎるのも、困りものだしね。


「……慰謝料、請求したら貰えるかな」


 葬式代って、結構高いよね。

 保険でどのくらいまかなえるのかはよく分からないけど、年金とシ○バー人材センターだけの収入だけじゃ厳しいのは、なんとなく分かる。

 きっと、両親と同じところにお墓も建ててくれるだろうし……。

 ん?

 お墓は建てなくていいのかな。

 たしか、1の中に、家族でまとめられるんだっけ。

 だとしても仏壇は……いや、これも置かないかな?

 どっちも両親のがあるもんね。


 とにかく、貰えるなら、貰いたい。

 祖父母に金銭面で負担を掛けたくない。

 これまで私に使ってもらった金額くらいは、請求しておかないと。


 指を滑らせる。

 遺書に記された要求が、実際に通る自信はない。

 っていうか、通らないと思ってる。


 でも、祖父母が訴えた時には、必ず効力を発揮するはずだ。

 正当な権利として、認めてもらえるはず。

 それに加えて、お金を請求したとしても世間に「孫の望みを叶えたんだ」って、いいように思ってもらえる。

 批難される心配はない。


 よし、後は祖父母への感謝の言葉を添えて。

 ……一緒に死ぬユージさんのことについても、書いておこう。



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「んーっ! 終わったぁ」


 大きく伸びると、背中がぼきぼきと音を立てる。

 珍しくぶっ続けで書いてた。

 スマホやパソコンで何か作業するってなると、いつもはすぐに身体が痛くなって休憩を挟むのに……。

 かなり集中できたみたい。



 ふーっと、長い息を吐く。

 ……もう少しで、死ねるんだなぁ。



 死ぬ場所を決めた。

 遺書も用意した。

 あいつらの電話番号だって、手に入れてる。


 鼓動がどんどん大きくなっていく。

 復讐、やっとできるんだ。

 口角が吊り上がっていくのが分かる。

 私が死んだ後、あいつらがどうなるのか……想像しただけで、たまらない。


 電話で何を言おう。

 お前らのせいでーとか、これからは犯罪者として生きろーとかかな。

 なんか、ありきたりかも。

 ま、その場の感情のままに……って感じの方がいいか。

 要点だけ、まとめておこう。


「シオ、まだ起きてたの?」


 視線をやると、ユージさんが湯気を出しながら立っていた。

 パジャマはちゃんと着てる。


 ふと、裸でリビングまで歩いてた祖父を思い出す。

 気まずいから、いつも見ないように逃げてたっけ。

 祖父のこともあって、男性は裸で出てくるものだと思い込んでたけど……よくよく考えると、有り得ないよね。


 ……祖父、大丈夫だったのかな。

 あの時は衝動的に家を出たけど、祖父の容態が分かってからの方がよかったのかもしれない。

 入院とかになってないといいけど……。


 1回、様子だけ見に行く?

 そんな考えが浮かび、慌ててかぶり振る。

 だめだめ。

 戻ったら、しばらくは外に出してもらえなくなる。

 それに、あの瞬間じゃなきゃ家出なんて出来なかった。

 あのタイミングしか、なかったんだ。


 祖父母のことは、あんまり考えないようにしよう……。


「シオ?」


 ユージさんの声で我に返る。

 いつの間にかぼーっとしてたみたい。

 慌てて口を開く。


「今23時だよ? まだまだ起きてる時間だって」

「……まあ、そうか」


 そう言うと、彼は缶コーヒーを開けた。

 ブラックだ。

 そういえば、甘い飲み物ばかりのステバでも、苦めのものを飲んでた気がする。


 お酒は苦いって聞くし、得意だったりするのかな。

 酒豪のユージさん……ちょっと想像できない。


「ユージさんってお酒得意なの?」


 疑問をそのまま口に出してみる。


「お酒は……飲んだことないな」


 そう言うと、ユージさんは苦笑した。

 私は別の意味で笑った。

 だって、突然の“お酒”呼びなんだもん。

 私の口調が移ったみたい。


 お酒を飲んだことがないなんて、意外だな。

 大人はみんな20歳になったら飲むのかと思ってた。


「どうして?」


 気になって理由を聞いてみる。

 すると、ユージさんは遠慮がちに答えた。


「酔うのが怖いから、かな。酔うと自分の本性がバレるって、聞いたことがあるからさ」

「そっか……」


 確かに、そう考えると怖いかも。

 泥酔して人にだる絡みしたり、大泣きしたりしてたら、最悪だし。


 かと言って、1人で飲むのも怖いよね。

 ふらふら歩いてて転んだりしたら、大変。


「大人なのに、情けないよね」

「そんなことないよ」


 私だって、少し想像しただけでも躊躇ちゅうちょしてしまった。

 20歳を迎えたとしても、きっと飲まないと思う。

 酔っ払うまで飲まなきゃいい話だけど……そもそも、自分がどこまで耐性があるのか分かんないし……。


 自分の本性にも、自信ない。

 その場で変なことを口走るかもしれないし、次の日、あいつらを殺してる可能性だってある。

 少しの油断もできない。


「気を遣ってくれてありがとう。シオは優しいね」

「……別に」


 そんなんじゃない。

 気なんか、遣ってないのに。


 っていうか、お酒が怖いっていいことじゃん。

 何かをやらかす可能性を考えて、自制してるってことなんだしさ。


「とにかく、最期の日に備えて、今日はもう横になろう」

「うん」


 ユージさんは背を向けて横になった。

 すっぴんを見ないための配慮、だったりするのかな?

 さっきまでガン見してたけど……あ、寝顔を見ないための配慮かも。

 分からないけど、きっと優しさなんだろう。


 私も横になって、目をつむる。

 明日を思いっきり満喫するためには、十分な睡眠が必要。

 それはこの17年で何度も学んだ。


 明日は、夜まで時間が空いてる。

 何をしようかな。

 ちょっと豪華なご飯を食べたり、

 ボウリングしに行ったりしてもいいかもしれない。

 あとは――


 5秒も経たないうちに、また目を開ける。

 なんか、そわそわして眠れない。

 遠足の前日みたいだ。

 懐かしい感覚。


 ユージさんも同じだったりしないかな。


「ねぇ、ユージさん」


 声を掛けてみる。

 寝てたら、それでもいい。

 疲れてるだろうし。


 でも、もし起きてたら。

 ちょっとだけ、話がしたい。


「ん。どうしたの」


 ユージさんは、私の呼びかけに応えてくれた。

 少し気怠そうに聞こえるのは、寝かけてたからかな?


「眠れなくて。……起こしちゃった?」

「いいや、僕も眠れなかったとこだよ」


 その割には呂律が怪しいけど……。


「明日、楽しみだね」

「……そうだね。楽しみだ」

「なにしよう」

「……シオの好きなことをしよう」

「え、ユージさんはしたいことないの?」

「……シオの喜ぶ顔が見れるだけで、十分だよ」


 私のことを、大切に考えてくれてるんだ。

 頬が緩む。


 彼にとっての私は、なんでもない存在じゃないんだ。

 喜ぶ顔を、見ていたいと思える存在なんだ。

 だんだんと鼓動が大きくなっていく。


 ユージさんにとっての特別に、なれてるってこと?

 確かめてみたい。


 ……いい、よね。


「ねえ、ユージさん」


 だって、最後なんだから。


「なんで、私と一緒に死んでくれるの?」


 そのくらいの我儘わがまま、許されるよね。


 ユージさんは、背を向けたまま「ん……」と声を出した。

 眠そう。

 さっきから会話もワンテンポ遅れてるし、いま答えるのは難しいかな。


「やっぱ、今度でいいや」


 子どもみたいにはしゃいじゃって、恥ずかしいな。

 ユージさんは疲れてるのに。

 迷惑、かけないようにしないと。


 ユージさんは、29日から休みって言ってた。

 それなのに、私が呼び出しちゃったせいで、まともに休めてないんだ。


 歳の差はあるとはいえ、一応男と女だし。

 気を張って、私よりずっと疲れてるはずだ。


 甘えてばかりはよくない。

 明日は、私がエスコートしなくちゃ。


 そう意気込んだ時だった。


「…………1人は……寂しそう、だったから……」


 消え入りそうな声で、ユージさんが呟いた。

 しばらくして、小さな寝息が聞こえてくる。


 寝てしまう直前に、頑張って答えてくれたんだろう。

 彼の良心が、無意識的にそうさせたんだ。

 だって、彼は優しいから。

 寂しそうな子どものために、一緒に死んであげたいって思うくらいに。


(……ああ、そうなんだ)


 ユージさんにとって、私は友達でもなんでもないんだ。

 さっきまで暖かかったベッドが、どんどん熱を失っていく。


 可哀そうな子ども、なんだ。

 私に同情して、優しくして、自分に酔ってるんだ。


 利用、されてるんだなぁ。


 涙が零れないよう、仰向けになって唇を噛む。

 こんなことでは泣かない。

 今更、こんなことで悲劇のヒロインぶったりなんてしない。


 私も同類なんだから。

 ユージさんを利用してる。


 ホテルの件もだけど、もっと前――初めて声を掛けた時からそうだった。

 孤独で苦しんでいる彼に、優しい言葉をかけた。


 ユージさんだからって理由で選んだわけじゃない。

 月に1回くらいの頻度で、無作為に誰かに優しくしてた。


 他人に優しくすると、自分が救われるから。

 ほら、完全に自己満足。

 自分に酔ってる。


 だからね、気にしない。

 たとえ、彼が私を利用していても。

 一緒に死ねれば、それでいい。


 それ以上、望むことはない。


 望んじゃいけない。



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次回 2022年12月30日18:00

第6話 「子ども扱い」



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