第18話 精霊契約
領王ナァドルドと土地精霊ロンドウィルフェアリーイーターが倒されたことで、ロンドウィルの領民には自由がもたらされた。
支配の象徴であったロンドウィル城は取り壊され、土地精霊が根城としていた地下の巣は魔術的に封印される予定だ。
それに伴って今後、ロンドウィルにおける政治の中心は一番の活気を見せていたファスタンとなり、一時的に領王はユリカの父であるファナン家のデリダ氏が務めることになった。
ナァドルドとの戦争が終わり、一つの役目を終えた少年はユリカやナヴィレア、どう呼ばれても振り返る男として知られる老人を連れて四人でロンヴェル村に戻ってきた。
そうして村に残っていたアクバルが作っていた墓を訪れたのは、少年とユリカの二人である。
「これが、兄さんの墓……」
「エナルド・ファナンさん、ですよね」
「はい」
二人とも、それ以上の言葉を続けられずにいる。
静かに目を閉じて、死者の安らかな眠りを祈る。
けれど、やはり少年の脳裏に思い浮かぶのは自ら腹を切ったエナルド・ファナンの凄絶な最期だ。
しかもそれは、少年とナヴィレアを守るための行為だった。
すでに亡くなってしまった彼に対して、まるで懺悔するように頭を下げる少年。
黙っているつもりが、思わず声に出た。
「僕は、もっと早くに行動するべきでした」
「そんな。あなたが責任を感じることではないですよ」
「いいえ。僕に勇気と行動力がもっとあればよかったんです。エナルドさんも、村のみんなも、誰も死なずに済んだかもしれないのに……」
「ですから、それは……」
声をかけようとしたユリカは思わず口を閉ざした。
横を向いたとき、少年が泣いていたからだ。
たった一人で領王に戦争を挑んだ少年。ずっと強い人だと思っていた。
けれど本当は人並みに弱さを抱えていて、不安で、孤独で、迷いや悩みだってあるに違いない。
彼に救われたのは自分だ。
嘘偽りなく、正直な気持ちでユリカはそう思った。
なら、今度は自分が彼を救えるだろうか。領王との戦争のために張りつめていたものが切れ、肩の荷が下り、涙を隠せなくなった彼の支えとなれるのだろうか。
不安や自信のなさもある。
けれどそれ以上に、なりたい、という熱い気持ちが湧き上がってくる。
より近く、すぐそばに寄って、驚かせないようにと穏やかに声をかける。
自分にできることが、一つでもあるなら。
「あなたを加護するあなたの名前を、私がつけてもいいですか?」
すぐには反応ができず、時間をかけて涙をぬぐった少年が顔を上げた。
「……いいんですか? 実はユリカさんにお願いしようと思っていたんです」
「よかった。……なら、今、ここで」
「はい。お願いします」
少年の人生に大きな影響を及ぼす大事な話なのだ。
気まぐれや同情でつけるのではない。
感謝と、願いと、愛情と、様々な思いが重なって名前を与えるのである。
それを両者とも知っているからか、神聖な儀式に挑むかのように真剣な表情をした二人は至近距離で向き合った。
ユリカが自分の胸に手を当て、少年の目を見つめながら宣言する。
「真名、ヒロイックリーダー。通称、ハロルド。愛称、ハル。それがあなたの名前です」
ヒロイックリーダー。
それは精霊言語で「英雄的な導き手」を意味する名前だ。
身に余るような名前を受け取ったような気恥しさを感じつつも、それ以上の嬉しさをかみしめた少年は笑顔を漏らす。
「ヒロイックリーダーか……。素敵な名前ですね」
「何があるかわかりませんから、念のために真名は隠してください。名乗るならハロルドかハルを。あなたさえよければ、私はハルと呼びます」
「わかりました。だったら僕はハルを名乗ります。ユリカさんに呼ばれているものを僕の名前にしたいから」
その返事を聞いて、今まで胸に当てていた手を外してから、少しだけ顔をうつむかせたユリカが反対側の腕の肘をつかむ。
ここまではよかった。
けれど次の提案は普通のものではなく、それを聞いた相手の反応が予測できなくて怖い。
恥ずかしさと緊張があって少年、ハルの顔を見ることができない。
それでもユリカは勇気を出して伝えた。
このタイミングを逃せば、いつまでも言えない気がして。
「それで、あの、ファミリーネームなんですけれど、よければファナンを」
「え? ファナン……というと、つまりユリカさんと同じものを?」
「はい。私と同じものを。実はここに来る前、ファスタンで父と話をしてきたんです。今後の私にかかわるたくさんの話を。その中で二つ、大事なことがありまして」
「二つ?」
「ええ。一つは、あなたが結成する新しい騎士団に私が入り、今後の行動を共にするということです。もしも旅に出るなら、団員の一人として世界のどこへでもついていきます」
「……それがあなたの決意なら、僕はそれをありがたく受け入れます」
「はい。そしてもう一つは、あなたと精霊契約を結びたい、というものです」
「精霊契約……。それなら僕に断る理由はありません。むしろ嬉しいくらいですよ。精霊との契約は、多くの場合において、絆や信頼の証なので」
「ち、違うんです」
「違うって、何がですか?」
生真面目で真剣な表情をしつつも、ユリカは顔をほんのちょっぴり赤くして説明する。
「私の
「婚約……えっと、婚約?」
「あ、はい……」
「つまり、ひょっとすると、ユリカさんとの精霊契約を結んだ瞬間に僕たちが夫婦になるということですか?」
「そ、そうなります。私とあなた……ハルさんで。すなわちこれは、あの、私からの結婚の申し込みにもなるわけですけど」
言った瞬間、無意識に魔法を発動してしまったのか二人の間に風が吹いた。
暖かく、やわらかく、優しくて、素敵な香りを運んできた風がハルの心を癒して満たす。
一人じゃない。
孤独なんかじゃない。
僕のことを大切に思ってくれる人がいる。
そう感じた少年はそれを嬉しく思い、その感情に答えたくなった。
「名乗ります」
「え?」
「ハル・ファナン。それが僕の名前です」
「あっ、あの、ありがとうございます……」
「お礼を言うのはおかしいですよ。嬉しく思っているのは僕なんですから」
「それでも、ありがとう、と。……では、よろしければ手を」
おずおずと右手を差し出すユリカ。その手を少年が優しい力でつかみ返す。
正面から向き合った二人が手を握ったその時、精霊契約が結ばれた。
――傷つけようとするなどの悪意を持った人間は二人の身体に触れることができない。ただしどちらかの愛や信頼が揺らぐと、その瞬間にユリカは身を焼かれて死ぬ。
「えっ、ユリカさんが死ぬ?」
あまりのことに思わず手を放そうとしたハルの手をユリカは反射的に強く握りしめる。
そして引っ張って、前のめりになって訴える。
「き、気にしないでください! 私の覚悟ですから!」
「で、でも!」
「違うんです! 私はあなたに嫌われて死ぬなら受け入れられるんです! でも、それだけじゃなくって、仲間に対する愛や信頼が簡単に揺らぐことがないとも信じられるんです! ハルさん、あなたは私だけじゃない、もっとたくさんの人を信じて、信じられて、いつか世界を救えるだけの英雄になれると私は確信しているんです!」
そこまで言われ、右手同士で握り合っていた手にハルは左手を添えた。
「ユリカさん、ありがとう。その信頼に、愛に、きちんと応えます。……僕は、あなたにふさわしくなりたい」
彼の覚悟を聞き届けて、ユリカも左手を添える。
「なってください。私もなります」
そうして二人は精霊契約を結び、お互いを信頼しあう大切なパートナーとなった。
少年とユリカが訪れている墓地を離れた村の広場では、幼馴染であるアクバルとナヴィレアの二人が丸太を置いただけのベンチに座って話をしていた。
「ごめんね……僕はあきらめていた。何をやったところで絶対に運命は変えられないって、自分の死を受け入れようとしていた。みんなは命を懸けて戦っていたのに」
「気にするんじゃないよ、アック。あんたが悪いわけじゃない」
「だけど僕は君の役にも立てず、名前のない少年の力にもなれず……情けない」
「何言ってんの。あんたが生きてた。それだけで私は嬉しい」
「ナヴィ……」
嬉しさや喜びだけでない様々な感情があって、その言葉を聞いたアクバルの目が潤んだ。
何かを言おうとしても言葉は出ず、唇をかみしめて我慢しているのに、今にも泣いてしまいそうだ。
どうせ泣くなら一人で存分に泣かせてあげようと、ナヴィレアはそろそろ話を終わらせることにした。
「今日は別れを告げに来たんだ。私はあの子と旅に出る。たぶん今頃、新しい名前を手に入れているであろうあの子とね」
「……そっか。僕はここに残るよ。そして村を再建する。いつまでかかるかわからないけどさ、いつか顔を見せに帰ってきてよ」
「ああ、もちろん。その日が楽しみだね」
そうしてアクバルのもとを去ったナヴィレアのそばに老人が来た。
向こうから何かを言われてしまう前に、いつになく落ち込んだ様子のナヴィレアが独り言のようにつぶやく。
「アックは泣いてた。自分の命が助かったってさ、大事な家族も友達も死んだんだから当たり前だよね。なのに私、村が滅ぼされてから涙の一滴さえ流した覚えがない」
「そのことなら気にするでない」
「どうして?」
「決着がつくまでは余計な心配をかけないようにと黙っておったが、現在、おぬしの心は一部が死んでおる。怒りと悲しみ、恨みや嫉妬といったものがな」
「悪口?」
「違う違う。心配しておるのじゃ。今は一部で済んでおるが、気に病み続ければ全部が死ぬ。たとえ肉体が不死身でも、心が死んでしまえば人は離れる」
「それは……そうかもしれない」
「おぬしと契約した精霊が気を働かせたのか、おぬしの心が防衛本能を働かせたのか、理屈はわからんが。大切な仲間に感じていた村人を一度に失い、ショックが大きすぎたのかもしれん。おぬしの心が、無意識に負の感情を抑え込むようになっておる」
「そうだったんだ……」
それがいいことなのか、悪いことなのか、彼女自身にも判断がつかない。
けれど、過剰な悲しみや怒りに心が支配されなかったおかげでロンドウィルを救えたのかもしれないと、彼女は前向きに考えることにした。
「あのさ、おじいちゃんは私たちと一緒に来ないんだっけ?」
「そうじゃな。ロンヴェル村までついてきたのはおぬしらの護衛のためであって、おぬしたちの用事が終わればワシはファスタンに残って、新しい領王のもとで魔法使いとしての役目を果たすつもりじゃ」
「そっか。じゃあ本当にお別れなんだね。……だったら、聞いておこうかな。ねえ、あなたの名前は?」
「自己紹介を聞いていると日が暮れるぞ」
「違う違う。あなたの本当の名前。もともとの名前だよ」
もともとの名か……。
そう言って、なつかしさに目を細めた老人が答える。
「アイン・レックストッド」
「だったら、最後はそれを呼んで別れよう。短い間だったけどさ、ありがとう、アイン・レックストッド」
「ファスタンまでは一緒に戻る。別れはそれまでお預けじゃ。……ただ、この際じゃからワシからも言っておこう。ナヴィレア・ノルディン、おぬしは勇敢なる戦士じゃよ」
そう言って笑った老人の目に、ナヴィレアの顔も笑顔で映った。
新しくロンドウィルの首都となったファスタンの南門を出たロマンピア街道の終着点にて、ロンヴェル村に向かった少年たちが戻ってくるのを待つ二人の人影があった。
フォズリとカッシュだ。
正式にファスタン騎士団から退団する手続きを終えた二人は私服で並んで立っている。
最初こそ雑談を交わしていたものの、気づけば沈黙が流れていた。
「あ、あの、ウルシュカに代わりましょうか?」
その提案を聞いた瞬間、何を言えばいいのかもわからず黙って隣にいたカッシュは見るからに肩を落とした。
「なあ、フォズリ。俺が怖いか? 二人でいると気まずいか?」
これに焦ったフォズリは慌てて手を振る。
「や! いや、別にそういうわけではなくってですね! ……ほらほら、ウルシュカはカッシュさんとしゃべってると嬉しそうだから!」
「そうか? ちっともそうは見えないが」
「いやいや、絶対そうですよ。ウルシュカはカッシュさんのことが気に入っているんです。初めてできた友達だから、ってだけじゃなくて……」
「ふーん、あのウルシュカがねえ……」
などと語り合っていると、突然フォズリが頭を抱えた。
「あーもう、ウルシュカうるさい! 自分で言えない気持ちを伝えてあげようとしてるんじゃん! 仲良くしてくれてありがとうって、そんなことも自分じゃ言えないくせに!」
「ウルシュカか?」
「はい。起きてるんですけど、今は私も起きてるから体は私に任せてくれているんです。……ああ、はいはい。もう余計なことは言わないってば。みんなで一緒の騎士団を作ることになって喜んでたくせに」
「フォズリは?」
「……え?」
「ウルシュカが喜んでるってのは言われなくてもわかる。けど、フォズリ、お前はどうなんだ? 俺たちの騎士団に入るっていうことは、今回みたいな危険な戦いがいくらでも待っているってことでもあるんだぞ」
「うーん……」
悩ましい表情で
「頑張ります!」
「頑張りますって、お前な……」
「いいじゃないですか。ウルシュカがやりたいことを私もやりたいんです。そりゃ安全で楽な生き方が一番幸せならそれでもいいんですけど、やっぱり、ほら、誰かのために頑張るってのもいい人生じゃないですか」
「いい人生、か……」
難しいことはともかくとして、確かにそれはそうかもしれないと感じたカッシュである。
自分だけのために生きていたころよりも、今のほうがずっと充実感がある。
たとえその先に危険で険しい運命が待ち構えていたとしても。
「お、ようやく少年たちが戻ってきたみたいだぞ」
「ファスタン騎士団から変わって、私たちの新しい居場所ですね。騎士団の名前は決まってるんでしたっけ? まだ決まってないならフォズリ騎士団とかはどうですか」
「却下。いくつかの案はあるが、今のところ第一候補になっているのは『神討ち騎士団』だな」
「神討ち騎士団?」
「ああ。魔物退治に護衛や警備、生活していくためにこなすべき騎士団としての仕事はいろいろあるんだろうが、俺たちの最終目標は少年と影を入れ替えることで地上の世界に脱したという一人の神、ヴェイスを討伐することだからな」
「ベイスですか……」
「ヴェイスな。……ほら、行くぞ。こっちからも出迎えてやろうじゃないか」
「あ、はい!」
ということで、この日、一つの騎士団が結成された。
新しく名前を手に入れた少年ハル・ファナンを団長として、ユリカ、カッシュ、フォズリとウルシュカ、そしてナヴィレアの六人が在籍する神討ち騎士団。
いかなる試練や敵が待ち構えているのやら、なんにせよ彼らの運命は始まったばかりである。
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