第17話 決戦(2)

 次から次へと目の前に出現してくる大量の蜘蛛を蹴散らしながら地下通路を抜けて、少年たちがたどり着いたのは大広間。

 階段を下って洞窟のような地下通路を進んだ城の奥、最終地点である巨大空間には王のための玉座などなかった。

 あったのは白い糸で作られた蜘蛛の巣だ。

 我こそが領王として立っているのはナァドルドではなく、八つの赤い目を光らせたロンドウィルフェアリーイーターである。


「驚キダ。餌ノホウカラ自分ノ足デ歩イテクルトハナ」


 ついに土地精霊の本体と対面した少年たちと会話をするためなのか、小さな蜘蛛が寄り集まって領王の体が出現した。

 あれを攻撃しても意味はない。ナァドルドの体を模した人形なのだ。

 二人で並ぶようにして先頭に立っていた少年やカッシュではなく、ウルシュカが声を張り上げた。


「覚悟しろよ、土地精霊! ロンドウィルに住み着いた害虫を退治しに来たんだからな!」


 彼女一人の怒りではない。精霊を代表した気持ちで怒っているのだ。

 自らの野心のため人間を利用した土地精霊。

 ロンドウィルの領民を苦しめ、あげく、彼女にとって一番大切なフォズリまで殺されるところだった。

 人間のためにも、精霊のためにも、そして人間と精霊の絆のためにも、道を踏み外した土地精霊を放ってはおけない。


「単ナル精霊ゴトキガ。土地精霊ニ勝テルト思ッテイルノカ」


「思ってる! なぜならこっちは一人じゃないからだ! 何度だって言ってやる! 覚悟しろよ、土地精霊!」


「キシャシャシャシャ!」


 耳障りで不気味な笑い声を出したのは目の前に立っている領王だったが、同時に体を揺らしたのは後ろに控えている土地精霊である。

 その姿は大きい。あらゆるものをため込んで肥大化した巨大蜘蛛だ。

 異様に広い地下空間でさえ狭く感じるほどの巨体を持ち、壁や天井に阻まれて、自由に動くことはできそうにない。

 いつでも攻撃できるという意思を表明するためか、鋭いツメのついた八本の足だけを顔の前に出している。

 怒りのあまり今にも一人で駆けだしそうなウルシュカの肩に手を乗せ、領王越しに土地精霊をにらみつけるカッシュが不安がって声を漏らす。


「ただ……どこをどう倒せばいい。今までになく巨大で強い魔力を感じる。相手が機敏に動けそうにないからって、俺は油断をしないことにしたんだ」


「足を一本ずつ切り落として、八つの目を一つずつつぶしていく! そして弱り切ったところを少年の力で冥界に落として私たちの勝利だ!」


「ウルシュカちゃん、だけど相手は土地精霊なんだよ。それもさっきまでの子供とはわけが違うんだ。下手に近づくのだって危ない」


「僕も同感です。……ですが一人一本ずつじゃなくて、全員で一本ずつなら可能かもしれません。協力して挑みましょう」


「私も今回はしっかりと魔法で戦います。きっと最後の戦いですから」


「なら、ワシはお嬢ちゃんのサポートに徹しよう。眠りの魔法は蜘蛛には効かんのでな」


「よし、スクトゥルム! ユリカとじいさんの二人を重点的に守ってくれ!」


 ウルシュカの肩から手を放して精霊樹の種を取り出すと、カッシュはそれを思いきり床に叩きつけた。するとそれは発芽して二枚の盾となり、命令に従って空中を飛ぶとユリカと老人の周りをぐるぐると回転し始めた。

 敵の攻撃に反応して二人を守るため、周囲を警戒しているのである。

 それぞれに武器を持った少年、カッシュ、ウルシュカ、ナヴィレアの四人が横一列に並び、その少し後方にユリカと老人が並ぶ。

 これで布陣は整った。

 あとはきっかけさえあれば戦端が開かれる。

 先に動くべきか、相手の出方に応じて動くべきか。

 しびれを切らしそうになったのは血気にはやるウルシュカである。


「誰も行かないんなら私が行くぞ」


「待ってください」


 これに反応したのはウルシュカではなくカッシュだ。

 全員に目配せして両腕を広げる。


「よし、みんな待て! 少年の『待て』は俺のと違ってほんとに待て!」


「うるさいな、言われなくたって待つ! 少年が私たちのリーダーだ!」


「……で、少年。俺たちをなぜ待たせた?」


 みんなが待ったことを確認して冷静になったカッシュが問いかけ、目を凝らして周囲の様子をうかがっている少年の代わりに答えたのは土地精霊だ。


「ククク……臆病者メ。シカシ命拾イシタナ」


「何を言って……」


 その時、悪寒が走った。

 今まで黒い色をした壁や天井だと思っていたものが一斉にうごめき始める。

 彼らはすでに囲まれていた。数百どころか数千、小石ほどの大きさのものまでを含めるなら数万の蜘蛛たちに。

 ここは土地精霊の巣。その最奥。

 ロンドウィルの支配を盤石なものとするため、そしていつか世界を征服するため、兵士として使える大量の子供を産み育てていたのだ。


「全部を殺します。誰か異論は?」


 正式に結成されたわけでなくとも一時的な騎士団となった彼らの団長として、この場に集まった全員の命と運命を背負ったつもりでいる少年が方針を告げるとともに問いかけた。

 大変な戦いになる。生きて帰れる保証もない。

 それでも全員の覚悟は共通していた。


「やるぞ」


「ああ」


 一人残らず、うなずき返す。

 そして戦闘が始まった。


「殺セ」


 短く発した土地精霊の合図に伴って、大量の蜘蛛たちが動き出す。


火着フレイムタッチ!」


 まずは叫んだウルシュカの剣に炎がまとわりついた。魔力を燃料にした彼女が得意とする魔法の一つだが、油を塗りたくった後で火をつけたように、メラメラと激しく燃え盛っている。

 ただし、これでは長時間の戦闘には向いていない。

 巨大カマキリの注意を引き付けていた時と違って、今回の決戦に見た目の派手さは必要ない。剣の威力を高めると同時に、無駄に使っている魔力の消費を抑える必要がある。


「このまま次の魔法だ! 灼熱ヒートアップ!」


 燃え盛っていた炎が吸い込まれるように剣の内側へ消えると、熱によって温度が急上昇した結果、刀身が赤く染まった。

 ウルシュカの存在を隠して生きてきたフォズリの都合上、誰にも相談せず自己流で使い続けてきた彼女の魔法には無駄が多いと、ここに来るまでの間に魔法使いの老人から忠告を受けいていたのだ。

 具体的に助言をもらったわけではなかったものの、精霊であるウルシュカは人間よりも魔力の扱いにたけている。根が努力家でもあったので、何度か試しているうちに新しい魔法が使えるようになったのだ。


「ほら見ろ、魔法の熱で剣の切れ味が抜群になった! これで糸だって切れるぞ!」


 もともとの剣の切れ味だけでなく、溶けるような熱でも敵を切断する。これにウルシュカの身体能力まで加わるので、今まで以上に彼女は目を見張るほどの戦士となった。

 生まれたばかりの小さな蜘蛛はもちろん、自分より大きな蜘蛛にも苦戦することなく、続々と切り倒していく。

 その鮮やかな戦いぶりは同じ仲間としても見とれてしまうくらいだ。


「くそ、戦いぶりが気になって見ていたら糸にやられた! 他人の心配をしている場合じゃなかったな!」


「へっぽこ!」


「言われると思った! 俺も負けていられないな!」


 蜘蛛の糸に上半身をぐるぐる巻きにされたカッシュだったが、剣を使わず腕の力だけで糸を引きちぎった。

 急いで助けに行くつもりが立ち止まって、それを間近で見る結果となったウルシュカは驚きを隠せない。

 周囲に敵がいることも忘れて唖然とする。


「お前、そんなに力があったのか」


「骨のおかげでな」


「でも、訓練で私たちと戦ったときはそんな力……」


「お前たちに遠慮して力を抜いていたわけじゃないぞ。ただ、どんなに負けそうになったって仲間が相手なら殺しかねないほどの本気は出さん。けど今戦っているのは?」


「敵だ。間違って殺しても構わない」


「つまりそういうわけだ。他にも敵が残っていたら余力を残す必要があったろうが、これは最終決戦なんだ。体が壊れるぎりぎりのところまで本気を出す。半数は俺たち二人でやるぞ」


「待て待て、全部をやる気で行くぞ、カッシュ!」


 などと言い合って、先を争うように蜘蛛退治を続けるカッシュとウルシュカの二人である。


「土地精霊との戦いだからって緊張してたけど、おしりから吐き出す糸にさえ注意すれば敵じゃないね! 蜘蛛の攻撃には首を切断する力もなさそうだ! 毒を受けても死と復活を繰り返している私には効かないみたいだしね!」


 気合を入れる意味もあって、あえて声を弾ませるのはナヴィレアだ。

 なにしろ敵の数が異常なのだ。一体一体の攻撃力が高くないからと言って、限定的な不死能力を持つ自分は大丈夫だと油断していたら何があるかわからない。

 たとえ自分が大丈夫だとしても、他の誰かが死んでしまっては駄目なのだ。

 そう考えると手を抜いてもいられない。

 折れたり切れ味が悪くなったりしたときの予備のために下げてきた、もう一本の剣を利き手とは逆の手で引き抜く。

 右と左の二刀流だ。


「これで戦闘力は二倍だよ。いや、三倍でも四倍でも、もっともっと活躍しなきゃならないね! なんたって私は不死身なんだから!」


 右腕と左腕を交互に振りながら、負傷を恐れずに蜘蛛の群れに突っ込んでいく。


「村を、村人を、ロンドウィルの領民を、あんたたちは滅茶苦茶にしてくれたんだ! その代償を受けてもらうよ! 一匹残らずね!」


 どれだけ傷を受けようが、首さえ切り落とされなければ何度でも復活する彼女。蜘蛛の集団にもどんどん切り込んでいくので、退治するスピードは誰よりも早い。

 勇猛果敢と表現するにふさわしいほどの活躍ぶりだ。

 しかし彼女の体に糸がまとわりついた。両腕の動きを同時に封じられれば剣で切ることはできず、神性を帯びた骨により強化されていたカッシュと違って引きちぎれそうにはない。

 けれど彼女は自由を手に入れた。

 少年だ。


「ナヴィレアさん、気を付けてください! もし糸に捕まったら、僕に教えてくれれば何とかします!」


「……ありがとう! 土地精霊を倒したら早く名前を付けてもらいな! こんなときに呼べないんじゃ悲しいだろ!」


「はい!」


 答えた少年は魔力を込めているらしく、刀身が水色に澄んだ光を放っている。冥界で鍛えられた力のおかげか、土地精霊の出す蜘蛛の糸をいともたやすく切断できるようだ。

 実は戦闘経験がほとんどなかった少年。

 三人に比べれば頼りなくもあるが、恐れることなく剣を振り、一歩も引かず果敢に戦う。


 ――助けられているけど、もしもの時には私も助けてあげなきゃいけないね。


 友達というには距離があったとしても、同じ村の出身として、臆病なころの少年を知っているナヴィレアである。

 お互いを気にかけながら蜘蛛と戦う二人であった。


「私も頑張らないと……! 私も!」


 そんな四人とは少し離れたところで、ユリカと魔法使いの老人が精霊の盾スクトゥルムに守られながら戦っていた。

 カッシュの精霊術で動いている二枚のスクトゥルムは縦横無尽に飛び回り、大きな蜘蛛には体当たりして押し返し、飛んでくる糸は身を挺して防ぎ、小さな蜘蛛ならば上から叩きつけるように押しつぶしていた。

 精霊樹の盾とはいえ、実質的には二人の小さな戦士が守ってくれているようなものだ。

 その戦士が一人、凶暴な蜘蛛によって上から押さえつけられた。すぐさま糸を吐きつけられ、床に縛り付けられてしまう。

 このままでは動けそうにない。

 ところがスクトゥルムの上に乗っていた蜘蛛はズタズタに切り裂かれ、びっちりと張り付いていた糸もちぎれた。

 見えない剣となって切りつけたユリカの風魔法だ。


「よしよし、よくやっておる」


 励ます意味もあって両肩に手を乗せ、一生懸命に魔法を操るユリカを後ろから支える老人。

 魔法や精霊術は教えられるものではないと言いながら、実戦こそが一番の成長の機会だと彼女をサポートしているのだ。


「焦るでない。一つずつ、一つずつじゃ」


「はい。一つずつ、一つずつ」


「そう、ゆっくり、落ち着いて、冷静に」


 はじめのうちこそうまくいっていたものの、突如としてひとまわり大きな蜘蛛がとびかかってきた。

 驚いたユリカは思わず突風を吹かして、向こう側の壁に激突させるほどの威力で吹き飛ばす。

 敵を倒す攻撃魔法としては優秀だ。

 しかし魔力と体力の消費は激しい。

 ほんの一瞬で短距離を全力疾走したかのように呼吸が激しく乱れて、老人の手が乗っている肩が上下に揺れる。


「強すぎる。今のを繰り返していたら魔力なんてあっという間に尽きるぞ。怒りや恐怖に心を支配されるでない」


「……は、はい。すみません」


「謝るのは後じゃ。呼吸を整えて。反省は手短に、今はやるべきことに集中しよう」


「はい!」


 そして二人は二枚のスクトゥルムに守られながら蜘蛛退治を続けた。


「ナント野蛮ナ……。ヤハリ成長途中ノ蜘蛛タチデハ止メラレナイカ」


 わざわざ領王の姿を作って声を出したフェアリーイーターだったが、その声に誰も反応しなかった。よく聞こえなかったこともあるが、聞こえていても無視するに値した。

 もはや誰も土地精霊と会話をする意思がなかった。

 とどめを刺す。

 それだけを考えていたからだ。


「人間ドモガ……」


 毒で仮死状態にしたナァドルドに代わり、自分こそがロンドウィルの領王となったつもりで自尊心を高めていた土地精霊を刺激するには十分だった。

 人形でしかない領王の姿を消して、怒りをあらわにした土地精霊は子蜘蛛たちに魔力を通じて命令を出す。

 すると複数の蜘蛛が寄り集まって合体して、複数の手足を持つ怪物となっていく。

 一体だけでなく、複数の地点で、いくつもの怪物が誕生する。

 化け蜘蛛たちによる新しい軍隊だ。


「見てくれは不気味だが強くなったわけじゃない!」


「勝手に数が減ってくれてやりやすくなったな!」


 ただし、この数日で何度となく強敵と戦ってきた少年たちの敵ではなかった。

 領王の術によってロンドウィルを支配してきた土地精霊はその力があまりにも強すぎたので、術に抵抗して歯向かってくる者の存在を軽視していた。

 偉ぶっていれば領民はひれ伏し、術で命じれば敵対者は勝手に死んでくれるものだと考えていた。


 ――人間ドモガ。


 誰かに無視されるまでもなく、今度は声も出せなかった。

 異形の姿の怪物を大量に作ったものの次々と撃破され、数万はいた子蜘蛛たちの命が消えていくにしたがって、土地精霊にたくわえられていた魔力も消費されていく。

 もはや領王の姿を作るほどの余裕も残されていないのだ。

 邪魔をしていた無数の蜘蛛たちが減ってきたのを見たウルシュカが部屋の中央に立ち、ある程度の距離を置いて土地精霊と向き合った。


「やつの魔力が減ってきたのを感じる! これなら魔力による防壁も作れないはずだ! このタイミングで残ってるのも全部まとめて吹き飛ばす! ユリカ、あれをやるぞ!」


「はい、ウルシュカさん! 合図はお任せします!」


「じゃあ今だ! すぐ行くからな! 私の手の動きに合わせろ!」


 宣言したウルシュカは剣を投げ捨てて右手を振りかぶり、見えない壁を殴りつけるようにして勢いよく前に突き出す。

 直後、ウルシュカとユリカが声を合わせる。


「爆風!」


 地響きと熱風が前方に向かって吐き出され、これまでにない爆発が土地精霊を襲った。

 ウルシュカの火炎爆発とユリカの暴風が組み合わさって発動された魔法なのだ。

 残っていた蜘蛛の化け物たちが燃え、吹き飛ばされ、消滅する。

 しかし土地精霊本体への衝撃は限られたものだ。子蜘蛛たちが障壁となったのである。

 爆風の反動で後ずさりそうになったウルシュカは両足で踏ん張って耐えた。


「よし、効いてる! こっちも限界だが、もっと近づいてもう一発やる!」


「……は、はい! もう一発ですね……っ!」


「死にそうなら言え! 威力は落ちるが私一人でやる!」


「いえ、できます!」


 本当はぎりぎりだ。いつ倒れてもおかしくはない。

 高い威力の魔法を発動するために尋常ではない魔力を消費したウルシュカもユリカも、無事というには疲労の色が見えている。

 それでも気を確かに持ったウルシュカは数歩ほど大股で近づいて、今度は左手を前に突き出す。

 それを合図にして、再び二人が声を合わせて叫ぶ。


「爆風!」


 魔力の防壁はもちろん、数が少なくなった蜘蛛たちを壁にすることもできず、巨体ゆえに右にも左にも回避することもままならず、大火力の魔法の直撃を受けた土地精霊。

 先ほどは耐えた足が数本ちぎれて吹き飛んだ。

 熱風によって表皮はただれ、ダメージは隠しきれていない。

 しかし相手は強力な魔力を扱える土地精霊。

 一時的に魔力が減少していても、放っておいたら傷が回復してしまう。

 もう一発、もう一発だ。

 大量の魔力を消費したせいかウルシュカの視界が狭まり暗くなって、頭もくらくらし、鼻血さえも出てきた。


「ユリカ、最後の一発だ。やれるか」


 大声も出せない。

 それでもウルシュカの声が届いてユリカはうなずいたが、立っているのもやっとの状態で膝に手をつき、ぜえはあと息が荒れているため声が出せなかった。

 ふらふらと揺れる頭で土地精霊を見据えたまま、振り返ることもできないウルシュカは背後にいるユリカの返事を待っている。

 時間はない。

 老人が代わりに答える。


「最後の一発じゃ! お嬢ちゃんに意志はある!」


 よし、とうなずこうとしてバランスを崩したウルシュカは倒れそうになる。

 その背を左右から二人が支えた。


「支えてやる。全力でやれ」


「魔法を使った後のことは任せてください。僕たちが必ずとどめを刺します」


 少年とカッシュだ。

 安心したウルシュカは体重を背中に預けて両手を前に出した。


「いくぞ……爆風!」


 三回目の魔法が土地精霊を襲った。

 さすがに二回目までの魔法と比べると威力は弱くなっていたが、それでも土地精霊には大打撃を与えた。

 とはいえ今回ばかりは魔法を使った二人も無事ではない。

 ほとんどすべての魔力を使い果たしたウルシュカとユリカは気を失うように倒れた。このまま放置していれば、領王の術に操られたフォズリが目を覚ましてしまうかもしれない。

 そう判断した老人は二人を休ませるためにも魔法で眠らせることにした。


「よく頑張ったの、二人とも」


「そうだ、よくやってくれた」


 支えていたウルシュカをゆっくりと床に横たえながら、顔を上げたカッシュが叫びながら走り出す。


「ナヴィ、少年のための道を作る! そっちは任せた!」


「任せな!」


 三度の爆風でもちぎれることなく、わずかに残っていた土地精霊の足。瀕死の状態に見えても攻撃の意思はあるのか、依然として体の前方に向けられている。

 そのため、向かって右側の足をカッシュが、反対側である左側の足をナヴィレアが攻撃して相手をすることにした。

 残った少年が真正面から土地精霊に接近できるようにするためだ。

 命じられたわけでなくとも、二人の献身に感謝した少年は剣を手に中央を走る。


 ――馬鹿メ。貴様モ毒デ眠ラセテヤル。


 受けて立つ土地精霊は口を開け、向かってくる少年に対して毒針を発射した。

 ナァドルドを仮死状態にした強力な毒。それも一つではなく、一人の人間を相手にするには過剰とも思える本数の毒針だ。

 避けるのは難しく、盾すら貫通する速度と威力で発射された毒針は防ぐにも難しい。

 しかし、それらは一つとして少年の体を傷つけなかった。

 視界に収めている限り、自分に向かって飛んでくるものを精霊の力で弾き飛ばす。

 かつて契約した精霊によって彼の身は守られたのだ。

 一瞬たりとも目を閉じることなく、少年は剣を握る手に力を入れる。


冥月斬めいげつざん!」


 飛び上がって半円状の剣筋が水色の月を描き、土地精霊ロンドウィルフェアリーイーターの顔を傷つけた。


「続けて、冥雨衝めいうしょう!」


 飛び上がった先で重力にひかれて落下へと転じる瞬間、魔力を込めた剣を素早く突きつけ、八つの目を流れるように攻撃する。

 視界の大部分を奪われるとともに経験したことのない激痛が走り、たまらず土地精霊は顔を震わせながら上半身を持ち上げた。

 その下、ふくらんだ腹の下敷きになっていた糸の塊が見える。

 白い糸で作られた細長い袋だ。

 おそらくあの中に本物の領王が眠っている。

 着地と同時に足を踏み出し、土地精霊と地面の間に潜り込むように少年が剣を突き刺す。


冥封めいふう!」


 かろうじて届いて糸の塊に直撃した瞬間、沼が開いた。

 すでに人間としての魂が弱り切っていた領王に抵抗するすべはなく、土地精霊の糸にくるまれたままで冥界へと落ちていく。

 勝利を確信する一方で巨大な蜘蛛の下敷きになりかけていた少年だったが、つぶされる運命は避けられた。


「大丈夫か、少年!」


「引っ張ったげる! 自分の足でも頑張りな!」


 武器を捨てたカッシュが全力を駆使して蜘蛛の体を支えて小さな空間を作り、同じく武器を投げ捨てたナヴィレアが少年の体を引っ張って引きずり出そうとしているのだ。

 言われた通り、ナヴィレアに引っ張られながらも自分の手足を使って外に這い出ると、それを見て安心したカッシュも蜘蛛の下から逃げるように飛び出す。

 ダン!

 手足をもがれ、焼けただれ、口が裂け、目もつぶされた巨大蜘蛛の肥大化した体が地下空間の床に落ちてぶつかる音が響いた。

 動けるのに動かないのか、そもそも動けないのか、土地精霊に動きはない。

 少年がその姿を見つめながらつぶやく。


「領王は冥界に送りました」


 それは事実上の勝利宣言だ。

 よくやった! と歓喜の声を上げるよりも先にカッシュは問いかける。


「この巨体も冥界に送れるか?」


「やってみます」


 剣を手に、死んだようにおとなしくなっている土地精霊へ最後の一撃を加えようとした少年。

 ところが、突如としてその巨体が光に包まれ、無数の小さな蜘蛛に分裂し始めた。


「な、なにが……」


 すぐそばに立っていた三人はあまりのことに理解が追い付かない。

 スクトゥルムとともにウルシュカとユリカの二人を見守っていた老人が目を見開いた。


「大変じゃ! 蜘蛛の子を散らして逃げようとしておる!」


「逃げる? まさか走って逃げるつもりか!」


 少年たちという人間の目がある以上、ここでは精霊のための世界である精霊界へ入るための扉を開けない。ここで開くことができるのは、精霊界から出てくるための扉だけだ。

 そのためか、最後の力を振り絞った土地精霊は分裂することで追撃の手を逃れ、自分の足で走って地下通路を脱しようとしているのである。

 数匹ならともかく、数百、数千の群れだ。

 しかも一列に行儀よく並んでいるのではなく、無秩序に壁や天井まで駆使して広がるように走り去っていく。


「くそったれ、この数じゃさすがに全部は追えない!」


「逃げるのを優先して豆粒みたいにちっちゃくなっちまった! 一匹でも逃がすと面倒だよ!」


 焦る三人。

 けれど少年だけは落ち着いていた。

 落ち着き払っている、と言ってもいいほどに。


「全部を殺す、そう言った」


 一時的な騎士団となり、領王に戦争を挑んだのは少年を含めて七人。


「ロンドウィルを、世界を支配させない」


 ただし、名もない少年の友達はもっといてくれた。

 人間を愛し、ロンドウィルを愛し、世界の平穏を愛する尊き者たち。

 人格らしい人格を持たず、いつ消えてもおかしくない名前を持たない精霊だ。


「この光、精霊たちか……」


 どこからともなく呼び出されて出現したのは、無数に輝いた光の玉。

 それらは小さな蜘蛛に声もなく襲い掛かり、一つずつ確実につぶしていく。

 仮にも人間である領王が相手だったなら、人を殺すほどの力がない彼らには何もできなかったかもしれない。

 フェアリーイーターと呼ばれるほどなのだ。巨大なままの土地精霊であったなら手も足も出なかったことだろう。

 けど小さな蜘蛛が相手なら。


「ありがとう、みんな」


 戦争は終わった。

 小さな蜘蛛に分裂して地下空間を逃げ出そうとした土地精霊はすべて名もなき精霊たちにつかまり、存在を消され、ロンドウィルを支配するという悪しき野望は潰えたのである。

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