第15話 合流

 ウルシュカとフォズリを二人と数えるなら、少年たち五人とナヴィレアと老人の二人、七人が合流して迎えた最初の夜。

 ある種の安全地帯ではあった境界封穴を出て、すぐ近くにあった森で見つけた山小屋を宿として借りることにした少年たち。

 長らく放置されていたと見える古くて粗末なベッドで眠るウルシュカまたはフォズリのそばに、どう呼ばれても振り返る男とユリカが肘掛けの折れた木製の椅子を並べて座っていた。


「よく眠っていますね」


「ここまで積もり積もった疲労もあるじゃろうが、もっとも優れた枕と布団になっておるのはワシの魔法の力じゃよ。一人くらいなら指の一本をくいっと動かすだけで簡単に眠らせることができる。ああいや、こやつらの場合は二人じゃったか」


 そう言って、世にも珍しいものを見るようにフォズリあるいはウルシュカを見る。

 外見上に変わったところはなく、目を閉じて黙っていると普通の少女だ。のんきで穏やかな表情にも見え、寝ている時でも油断せず張りつめているような表情にも見える。その内側に二つの精神が宿っていることを知っているからだろう。

 前のめりになった老人はじろじろと表現するのがふさわしいくらいだが、それを無礼だと非難する気持ちは起きなかった。

 全員に代わってユリカが改めて頭を下げる。


「ありがとうございます。あなたのおかげで彼女の手足を縛らずに休んでもらうことができます」


 縛るといっても、いじめや懲罰ではない。

 なにしろ領王の術によってフォズリは操られてしまうので、安心してウルシュカが寝るためには事前に彼女の体を拘束しておく必要があったのだ。地上の世界ではないおかげで領王の術が届かなかった境界封穴にいた間に軽く睡眠をとっていたとはいえ、ただでさえ気が休まらない空間にいては十分な休息になったとは言えない。

 使い込んだ魔力を回復するためにも彼女たちには安眠が必要だった。

 そんな時、たまたま出会った老人の魔法のおかげでウルシュカとフォズリの二人を同時に眠らせることができたのである。


「お安い御用じゃよ。魔法で役に立てぬのに魔法使いを名乗ることほど恥ずべきことはない。ようやく魔法を使い始めた未熟な魔法使いならともかく、ワシほどの熟練者にとってはな」


 感謝に対する謙遜や照れ隠しなどではなく、それが当然のことであるように淡々と語る。

 魔法使いは魔法で役に立たねばならない――と。

 ユリカにとっては魔法は使うだけでも勇気と体力がいる行為だ。目の前の老人のようにやすやすと使用できるものではない。

 だからそこに憧れを見た。


「私、みんなの役に立ちたくて。魔法がもっとうまく使えるようになりたいんです」


「こんな年寄りを頼ってくれるのは嬉しい。じゃが残念ながらワシには教えることはできん。魔法や精霊術は教えてどうこうなるものじゃないからの」


「……はい」


「ただ、そう願う気持ちは大事にしておくべきじゃ。向上心がなければ人間はいつまで経っても成長できん」


 向上心は、ある。

 だけど願うだけで本当に強くなれるだろうか。

 たとえ強くなれたとして、一人前になるまでに時間がかかりすぎるのではないだろうか。

 優秀な魔法使いになりたい。そのために努力する覚悟を固めようとするほど不安や重圧も強くなり、自然と視線が下がったユリカの表情は暗い。夜の闇に引きずり込まれていくようだ。


「眠れぬなら魔法をかけてやろうか? ワシのしわがれた声で歌う子守歌よりはぐっすり眠れるぞ」


「いえ、大丈夫です。自分でやると決めたことくらいはやっておかないと」


 首を振って顔を上げる。

 現在、ベッドのそばに座って起きている彼女たちがやっているのは寝ずの見張り番である。

 魔物、盗賊、そして領王に操られた人間。領王に戦いを挑んだ彼らの状況を考えれば、全員が気を緩めてぐっすり眠るには数多くの危険がある。

 いくら疲れていたとしても、自分が見張り番を担当すると約束した間は勝手に寝てしまうわけにはいかない。


 ――それまでは、みんなにもぐっすり休んでいてほしいから。


 ふいに襲ってきたあくびをこらえたユリカは部屋を見渡す。そこには彼女と老人に見張りを託した仲間たちの姿があった。

 ベッドの代わりにござなどを敷いた少年とナヴィレアは床で横になっているが、カッシュなどは大胆にもテーブルの上に横たわっていびきをかいている。

 安心してくれているのだ。


「なんだか不思議です。今までは閉ざされた部屋で寂しく一人で寝ていたのに、こうして大家族みたいに寄り集まって夜を過ごしているのは」


「おぬしは一番のしっかり者になりそうじゃな。ここに集まっている者たちを大家族とするなら、姉か、母親か、おばあちゃんでもよいが。とにかく、みんなに慕われそうじゃ」


「そんな。私なんてまだまだ末っ子です。みんなのほうがずっとしっかりしていて」


「いいや。おぬしには愛がある」


「愛?」


「無償の愛がな。まだそれはほんの小さな可能性のかけらでしかないが、いつかきっと大成するはずじゃ」


 どこまで本当のことを言い当てているのかはわからない。場を和ませるための彼なりの冗談かもしれない。

 けれどユリカには重い意味をもって響いた。

 愛。

 もしもそれが自分にあるのなら、大切にしたい。

 ある種の誇りと、喜びと、寂しさを表情ににじませながら彼女は打ち明けた。


「私の母は恋鳴草こいなりそうの妖精だったんです」


「ほほう? あのトワニチラズの花か。人里離れた野山によく咲いておってな。簡単には散らんので恋人たちを祝福するのによく使われる」


「はい。崖際に咲いて強い風にあおられても丈夫に育つので、むしろ花の側が恋風を吹かせているんじゃないかとも言われていて……それは迷信とかの一種ですけど。でも、母も風の魔法が得意だったんです」


 だから自分にも才能はあるはずだ。ならば、あとは努力次第である。

 そう思って膝の上に置いたこぶしを握りしめていたユリカに老人が声をかけた。


「精霊契約を結んではやらんのか? 半精霊とはいえ、おぬしにも精霊の力はあるんじゃろ?」


「えっ? 結ばないかって、誰と?」


「その少年と」


 ほれほれと老人があごの動きだけで指し示したのは眠っている少年だ。

 どこまで見抜かれているのやら、顔が熱くなったユリカは背筋を伸ばして否定する。


「で、できませんよ。私の精霊契約は少し特別なんです。ただの加護とは違って、すごく特別なんです。……だから、あの、自分ではやりたいと思っても、きちんと相手に受け入れてもらわないと契約はできません」


「でも恋をしておるんじゃろ? 精霊は見初めた相手に精霊契約を与えるものじゃ。一方的な契約でもおかしくはない」


「こ、恋ですかっ!」


 上ずった声を出してしまった後で、慌てて口を押さえるユリカ。

 びくびくと恐れるように首をすくめて周囲をうかがうが、誰も起きてはこない。老人の魔法のおかげもあり、よく眠っているのだろう。

 ほっと胸をなでおろしたユリカは口元から手を放し、生真面目な顔をしてうなずく。

 顔はまだほんのりと赤い。


「ひ、否定はしません。だけど秘密にしてください。初めてできた友達だったんです。たったそれだけって、理由を聞いたらみんな笑うでしょうけれど……」


「みんなが笑ってくれるのなら、誰かを悲しませるよりはいいじゃないか。馬鹿にされて笑われようが、人間や精霊が胸に抱く恋心なんてそんなものじゃよ。人を大切に思うのも、思われるのも、運命じみた大層な理由が必要なわけではあるまい」


「ですが、喜んでくれるでしょうか。私にとっては特別でも、彼にとっては子供のころに遊んでいた精霊たちの中の一人でしかないのに」


「おぬしの恋は相手にお返しを求めるものなのか? それとも相手に与えたいものなのか? もしも嫌がられるなら少年の度量がそこまでだったという話。じゃが、たとえ嫌がられても好きな相手の幸せを願う分にはよかろう」


「……そうですね。私、相手が喜んでくれないと恋もできないなんて。本当は結ばれなくてもいいんです。喜ばれなくたって。でも、私、名前を呼びたい。せめて、恋する人の名前くらいは……」


「……くしゅん!」


「えっ」


 くしゃみの音に反応したユリカが振り返ろうとした瞬間、それよりも早く老人が指をくいっと動かした。

 するとユリカは背もたれに体重を預けて目を閉じた。


「しばらく眠っておれ」


 今は二人きりだと思っていたからこその相談話。

 もし誰かに話を聞かれていたと知ったら彼女が気にするであろうと思い、瞬時に気を利かせた老人が魔法で眠らせたのである。

 しかも、その誰かとは少年であった。


「すみません。我慢できなくて。ほこりっぽいんです」


「今の話を?」


「すみません。おそらく僕の話をするようになってから。盗み聞きするつもりはなかったんですけど」


「ワシの魔法は?」


「これもすみません。間違いなく魔法は効いていたんです。ですが『近くで自分の話をされると、どんなに深く眠っていても目が覚める。ただし病気や呪いで眠っている場合は無効』という精霊契約があって」


「なら仕方ないの。ワシの魔法は呪いではない」


 謝るために上半身だけを起こして申し訳なさそうにする少年の口から事情を聞いて、こわばっていた肩の力を抜いた老人。こっそりと盗み聞きされて怒っていたわけではないが、完璧だと思っていた自分の魔法が破られたことに警戒心を覚えていたのだ。もしかしたら魔法の効力が弱くなったのかという不安だけでなく、少年への警戒も含めて。

 その必要はなさそうじゃの、との判断をひとまず下した老人。

 すうすうと心地よい寝息を立てて眠ってしまったユリカの代わりに起きてきた少年が寝ずの番のパートナーとなってくれることを期待して、別の椅子を横に置きながら笑顔で受け入れる。

 その椅子にゆっくりと座って、深い眠りに落ちてしまったユリカを少年が懐かしそうに眺める。


「ユリカさんは、やっぱり昔、僕と会っていたんですね」


「そうらしいの。妖精を母に持つ半精霊ということじゃから、体が人間として大人になる前の子供のころは精霊体となって精霊界にも入れたのじゃろう。ロンドウィルのどこへでも自由に行けたはずじゃ」


「土地精霊ファイゼルの繭に魂をくるまれて、名前を知られることもなく、ですよね」


「おぬしの名前を呼びたいと言っておったな」


「……僕も、すべてが終わったら呼んでほしいです。彼女には、彼女が考えてくれた僕の名前を」





 翌日、小屋の隣にある庭のような広場を訓練場にして三人が模擬戦闘に興じていた。

 カッシュ、ウルシュカ、ナヴィレアの三人である。


「くそ、フォズリとは似ても似つかんな! ちょこまかちょこまかと!」


「ほらほら、よそ見してると危ないよ!」


「こらナヴィ、腕をつかもうとするな! 回し蹴りもやめろ!」


「なんだい、なんだい! 上半身ばかり見てるから足への注意がおろそかになってるじゃないか!」


「よし、じゃあ私はがら空きの背中からだ!」


 ボルニスに与えられた神性を帯びた骨によって体格が変化したカッシュがどれほど強くなったのか、ウルシュカとナヴィレアがタッグを組んで試してみることになったのだ。敵を打ち倒すことを目指した本気の勝負ではないので、どちらも武器を所持していない徒手空拳。ひとまず相手を地面に倒したほうが勝ちの試合だ。

 すでに朝から何度か勝負を繰り返して、そのほとんどを負けて終えているのがカッシュである。

 最初こそ少女相手に手を出すことを遠慮していたカッシュだが、次第に訓練なりの本気を出すようになっても勝率は変わらない。二人対一人の数的不利があるとはいえ、ここまであっさり負けが続くと言い訳も難しくなる。

 もともと腕っぷしに自信があったことに加えて負傷を恐れる必要がなくなったナヴィレアと、精霊として魔力で身体能力を高めているウルシュカが個人として強いのもあるが、お互いにあけすけな性格の二人がすんなり息を合わせてしまっているのも原因だ。どちらかの相手をしようとすればどちらかが邪魔をしてくるので、いつまでたっても勝機が見えない。


「力は強いのに使い方がなってないんだよ。短剣を相手にえいっえいっと長剣をやみくもに振り回しているようなもんだから隙だらけになるんだ」


「なんなら次は武器ありでやってみるか? もっとひどい目に合いそうだけどな」


「く、くそ……っ!」


 またしても結果はカッシュの敗北。

 あっという間に二人の少女の下敷きとなり、手足を投げ出した格好で地べたに抑え込まれてしまう。これが勝負の結果である以上は不服を伝えるわけにもいかず、ペシペシと二人に背中を叩かれたって怒るに怒れずにいる。

 情けなさと悔しさを吹き飛ばす意味もあって、カッシュは地面に顔をうつぶせながら叫ぶ。


「なあ、教えてくれ! 俺が弱いか! 違うだろ、お前らが強いんだ!」


 背中にまたがっていたナヴィレアが前かがみになってカッシュの頭をガシガシとなでる。


「だから付き合ってあげてるんじゃないかい。泣くなって、カッシュ君」


 そんな彼女と背中合わせにして腰にまたがっていたウルシュカが立ち上がって、今度はナヴィレアと向かい合うようしてカッシュの顔の前で腰をかがめる。


「安心したよ。ちょっと眠っていた間に外見がすっかり別人みたいになってたから不安だったけど、お前の根っこの部分は変わってないんだな。相変わらずへっぽこだ」


 自分の顔を真正面からのぞき込んでいるウルシュカの気配に気づき、なおもナヴィレアを背中にまたがらせたままカッシュは首の動きだけで顔を上げた。

 目が合ったウルシュカは笑っている。馬鹿にしたような様子は一切ないのが救いかもしれない。


「不安がなくなったんなら喜ばしいが、へっぽこ呼ばわりを素直に喜んでいいもんなんだか。こんな状態だしな」


「悲しむなって。お前は絶対に強くなるから」


「そうそう、なんたって私たち二人が鍛えてあげてるんだからね」


 つかの間の師匠になったつもりで得意げに胸を張ったナヴィレアに代わって、今度は私の番だと両手でガシガシとカッシュの髪をなでるウルシュカ。励ましているというよりも、新しいおもちゃで楽しんでいるようにしか見えない。

 何はともあれナヴィレアも立ち上がり、押さえつけるようにして上に乗っていた二人がどいてくれたことで身体の自由を手に入れたカッシュは地面に座り込む。


「さすがにくたびれたな。骨は強くなったが、馬鹿みたいに体力が増えたというわけでもないのかもしれん」


 独り言にするか、二人での会話にするか、ちょっとだけ迷ってぼんやりカッシュを眺めていたウルシュカは結局彼のそばに近寄って座りなおした。


「少年に聞いたが、フォズリを助けるために一生懸命になってくれたんだって?」


「勘違いするなよ」


 その声が思いのほか低く冷たく響いたので、突き放された気がしてウルシュカはむっとした。


「……あ?」


 焦ったのはカッシュだ。疲労のせいで声を抑えただけなのに不機嫌になられても困る。


「待て待て、だからそうすぐに喧嘩腰になるなって。フォズリを助けるためってのは間違いじゃない。けどな、俺はお前も本気で助けたかったんだ。それを理解していないようだから」


「お前もって、私を? お前が?」


「当たり前だろ。何を不思議がってる」


「けど、だってさ、フォズリと違って私はいつもお前のこと、へっぽこなんて馬鹿にしちゃってるだろ」


「そういう性格だとわかったうえで仲良くしてる。大切な仲間に感じている以上、見捨てる理由にはならん」


「お、おう……」


「言っておくがな、これに関しては俺だけじゃないぞ。あの時一緒にいた少年とユリカもだ。俺たちはフォズリとウルシュカ、お前たち二人を本気で助けたかった。どっちかじゃない」


「……そっか。そりゃ嬉しいな」


 へへへ、と頬をかきながら笑うウルシュカ。本当に嬉しそうだ。

 その無邪気な笑顔を見ているとカッシュまで嬉しくなってくる。


「ああ、もっともっと喜べ。自分のために命までかけてくれる仲間は貴重だからな」


「だな」


 カッシュは他人に貸しを作れない精霊契約のため、ウルシュカはフォズリのために自分の存在を隠していたため、お互いに友達や仲間といえる存在がいなかった二人である。

 領王を倒すという目的のためとはいえ、たった数日で命をかけあえるほどの仲間ができたことを感慨深く思った二人だ。

 隣り合って座って自然と見つめあっていたウルシュカは他に何を言えばいいのかわからなくなり、自分の服をつまみながら視線をそらした。


「……と、それにしても泥だらけだ。ちょっとした運動のつもりが汗までかいちまって、自分じゃ見えないけど髪だってボサボサになってるんじゃないか? ちょっと小屋に戻って体をふいてくる。フォズリのためにも奇麗にしとかないとな」


「背中まで汚れてるんだ。せっかくだからユリカに手伝ってもらえ。たぶん小屋で老人の面倒を見てるはずだ」


「そうする!」


 元気よく走っていったウルシュカの背中を見送っていると、二人の会話を邪魔しないように離れていたナヴィレアが隣に来た。

 ただし彼女はウルシュカと違って座らない。

 そばに立って、カッシュを見下ろしながら声をかける。


「おいカッシュ君、ずっと言いたかったことを今のうちに言っておくよ。少年と呼ぶのはやめな」


 一瞬何のことかわからなかったカッシュだが、すぐに名前のない少年のことを言っているのだと思い当たった。

 聞いたところによれば彼女は少年と同じロンヴェル村の出身なのだ。単純な友達というには距離のある二人の関係性のすべてを教えられているわけではないが、彼女は何かと少年を気にかけているらしいことは察しているカッシュである。

 これも少年のための苦言なのだろうと思いつつも、素直には納得できず不満げにナヴィレアを見上げる。


「呼ぶなったって、でも少年には名前がないんだろ」


「だからこそさ。領王の術に操られないためにも、戦いが終わるまでは名前がない状態を続けなくっちゃならない。違う?」


「違わない。でも『少年』が名前になるか?」


 やはり不満げに言いながら、話が長引く気配を察して立ち上がる。すると背丈の関係で今度はカッシュが見下ろす番になる。

 気持ちだけは負けじと背伸びしたナヴィレアが顔を上向きにして続ける。


「今は自分の命さえ捨てた気分でいるんだ。だから名前はいらないと思ってる。もし普通に受け入れていたら、少年、ってのが名前になってたかもしれない」


「言わんとすることはわかる。でも結局のところは領王を殺せばいいんだろ。最悪、少年以外の俺たちでやればいい」


 名前を手に入れてしまった少年が戦えなくなったとしても、残った全員で力を合わせれば領王に勝てるかもしれない。

 それを完全には否定しないまでも、思うところのあるナヴィレアが視線を伏せた。


「いや……けど、重要な力を持ってる」


「なんだ?」


「まず一つには、冥界に落とす力さ」


 確かに、何度か使っているところを見たことがある。

 死体すら残さず、弱った相手を強制的に冥界へと落とす力。

 反論しようと思っていたカッシュも一つ目は納得することにした。


「領王だろうが土地精霊だろうが間違いなく殺せるわけだからな。逃走や死んだふりを許さない。他には?」


「相手の精霊契約を見抜く」


「俺が見抜かれなかったやつか。殺意を向けられることが条件らしいからな。でも領王の精霊契約を一つでも見抜けるのなら確かに重要だ。それで終わりか?」


「自分に向かって飛んできたものを精霊の力で弾き落とす」


「……そんなのがあるのか? いや、待て。そういえばフォズリの矢に対しては……試してみるのが早いか」


「試す?」


「気になるならついてこい!」


 そう言って返事も待たずにカッシュは走り出す。当然、放っておけないナヴィレアは追いかけた。

 向かった先は少しだけ森に入った空間だ。

 そこでは名前のない少年が一人で剣の特訓に打ち込んでいた。


「おい、少年!」


 呼びかけに反応してこちらを向いたことを確認して、あいさつ代わりにカッシュが石を投げつける。ゆったりとした放物線ではあるものの、狙いはまっすぐに少年だ。避けるのが間に合わなければ直撃するだろう。

 しかしそれは少年の顔に当たる前に不可視の力で弾き飛ばされた。

 何も知らなければ目にもとまらぬ速さで剣を操ったと思っただろう。


「驚いたな。本当に弾き飛ばしやがった」


「もしかして精霊契約の確認ですか?」


「その通りだ! おい、何回もできるのか! それとも続けては無理なのか!」


「視界に収めている限り、何度でも!」


 その答えを聞き、実際に試してみるらしくカッシュは事前に拾い集めていた石や木の枝を次々と投げつける。それらを無事に全部弾き飛ばして、頑張って見開いていた目をぎゅっとつむる少年。ちょっとばかり無理をさせてしまったようだ。

 すぐ横まで歩き寄っていたナヴィレアが心配そうに覗き込む。


「ごめんね。カッシュ君が急にやりたがっちゃって」


「いえいえ」


「ちゃんと聞いたことはなかったけど、水とか炎とかは無理なんだろ?」


「そうですね、剣で振り払えるものだけです。弾き飛ばせないのは形がないものだけじゃなくて、あまりにも大きな岩とかが降ってきたらつぶされます。あと、さすがに速すぎるものは難しいかもしれません」


「なるほどね……」


 そこまでを聞いて、少年と向き合っていたナヴィレアがくるりと体の向きを変えた。


「それとカッシュ君。少年と呼ぶなって言ったよねえ?」


 本気で怒っているのではないにせよ、少なくない怒気が含まれている。

 左腕に抱えていたものをすべて投げ終えて、のんびりと二人のもとへ歩いてきたカッシュが肩をすくめた。


「そんな目で見るな。仕方ないだろ。他に呼び方を知らん」


「知らなくたって頑張りな。いいかい、私だって本当は呼びたいのを我慢してるんだからね。それも昨日や今日の話じゃなくて何年もだ。呼ばないようにしろって注意してるだけじゃなくて、この感情には嫉妬もある。同じ村で生まれ育った私より友達みたいじゃないか」


「そりゃそうだろ。相手のことを思って相手を呼ぶのは人間関係の第一歩だ。それを恐れて距離を置いていたら、いつまでだって友達にはなれない」


「だからさ、理解してる? こちらからの呼びかけの何が名前になるかわからないから、私ら村の人間は仲良くなりすぎないようにしていたってことを」


「それは理解してる。だからお前たちを責めてはいない。けど呼びたいものは呼ぶ」


「ふーん、やけに強情だね。私のこと嫌い?」


「さっきから喧嘩腰なのはナヴィ、お前のほうじゃないか? 少年のことを心配しているからってのはわかるが」


「だから、その、少年!」


 と、ナヴィレアがカッシュに指を突きつけようとしたところで少年が間に入った。

 もちろん二人の口論を止めるためである。


「あの、名前のことでしたら安心してください。僕はユリカさんに名前を付けてもらいたいので、それまでは何を言われても呼びかけに反応しているだけです。さすがに特別なあだ名とかを付けられると名前として意識してしまいますが」


「名前を付けるって、ユリカが?」


「一番しっかりしてそうだし、あの子なら適任じゃないか。いい名前を付けてもらったら何度だって呼んであげるよ」


「ただ、まだ本人にはお願いしていないんですけどね。僕が彼女に名前を付けてほしいと思っているだけなので」


 そう言って背を向けると一人で剣の練習に戻る少年。自分から言い出しておいて話を打ち切るように始めたので、これはもしかしたら照れ隠しかもしれない。

 つまり恥ずかしがっているのだ。

 さっきまで険悪な雰囲気になっていたことも忘れて、きらきらと目を輝かせたナヴィレアが肩をたたきながらカッシュの耳元に顔を寄せていく。


「ちょっとちょっとカッシュ君、あの二人はそういう関係なの?」


「俺も知らんが、もしそうだとしたら応援する気持ちで見守ろう。余計なことはするなよ、ナヴィ」


「ユリカちゃんの気持ちを確かめてみるのは余計なことかい?」


「するなよ、ナヴィ」


「はいはい、静かに見守れってわけね。……今夜の見張り番の組み合わせのことなんだけど」


「ナヴィ」


「……わかってるよ。まったく、驚かされるね。私が捕まっている間に領王へ戦争を挑んでただけじゃなくて、保護者まで見つけてるなんて」


「保護者って、お前な……」


 自覚がないわけではないので、あながち間違いでもないかもしれない。

 ほんのちょっぴりとはいえ年が離れていて年長者であるからか、ファスタンの職業騎士でもあるカッシュは少年だけでなくユリカやフォズリに対しても保護者目線になっているときがある。何度も組み伏されているウルシュカに対してはよくわからないが、心配しているのは事実だ。


「でも、まあ、ほんとに心配してるのはわかった。意地になって悪かったよ。少年と呼ぶのも見逃してあげる」


「そりゃどうも。俺のほうこそ悪かったな。あまり人間関係は得意じゃないんだ」


「そうかい? ウルシュカちゃんとはすごく仲良さそうだったじゃないか」


「何度も誤解を与えそうになっているってことを白状しておきつつ、なんだかんだ仲良くなれているのはウルシュカが精霊だからだろうな。フォズリのほうは俺に苦手意識を持っているような感じがある」


「フォズリちゃんか。最初に手足を縛られていたときは領王に操られていたみたいだし、私はまだちゃんとしゃべったことがないからわからないね」


「臆病なくせに調子に乗りやすいから相手は大変かもしれないが、いいやつではあるから仲良くしてやってくれ」


 と、なんとか仲直りすることができた二人の会話がちょうど終わったタイミングで、すぐ近くから叫び声が聞こえてきた。


「冥月斬!」


 領王との戦いに備えて剣の特訓をしている少年の声だ。

 魔力を使って疲れたのか、休憩のため剣を腰の鞘にしまった少年の姿を見て、ゆっくりと近寄ったカッシュが声をかける。


「その、冥なんちゃら、っていう技みたいのは?」


 服の袖で額の汗を拭きながら少年が答える。


「僕が名付けました。そのほうが力が出る気がして」


 てっきり師匠か誰かに教わったものとばかり思っていたカッシュは一瞬、あぜんとした。

 もしかして適当につけたのか? と尋ねるのはやめて、うむうむとうなずき、もっともらしく同意する。

 今後、少年が自分の技に対して自信を失ってしまっては問題だ。


「大事だな。なんでも名前は大事だ」


「でも、どれがどれだか自分でもちゃんと覚えられていないので、たまに勢いで口に出しているだけの時もあるんです」


「それでも大事だ」


 もはや何でも肯定する気分になったカッシュである。

 保護者といっても親バカな保護者じゃないか。そう思っただけで口にはしないナヴィレアだ。

 ともかく、朝からずっと技の練習を続けていた少年がくたびれた様子を隠しながら真剣な表情を見せる。


「この技をうまく使って、土地精霊か、領王か、どちらかを冥界に落とせれば……」


 カッシュに続いて少年のそばに歩いてきていたらしく、それを聞いたナヴィレアが腕を組む。


「領王が死ねば、土地精霊が生き残ったって術は使えない。土地精霊が死ねば、領王にかかっている土地精霊の加護を打ち切れる。どっちにしろ、大部分の領民が馬鹿げた支配から解放されるだろうね。そうすりゃあ」


「俺たちが全滅しても、次の戦争がすぐ始まる。生き残っていた領王か土地精霊は負けて死ぬ」


「そう。ロンドウィルが平和になるってわけ」


 同じように腕を組んだカッシュが彼女とうなずき合っていると、その話が聞こえていたらしい老人が二人の背後から音もなく忍び寄って声をかけた。二人と向き合っていた少年は先に気づいていたものの、名前が多すぎてどう声をかければいいのか判断できずにいたようだ。


「そううまくいけばよいがの」


「どう呼ばれても振り返るじいさんか。自意識過剰なせいで振り返りすぎて、ついには後ろ向きなことばかり考えるようになっちまったのか? うまくいくに決まってるだろ」


「自信があるのは結構。しかし油断は身を滅ぼすものじゃぞ」


「それはまあ、確かにな……」


 調子に乗りやすいのはフォズリだけでなく自分も同じだ。

 そう考えて反省したカッシュが黙り込んだのに応じて、少年が老人に尋ねる。


「あの、そういえば領王に仕えていたんですよね? 何か弱点とか知りませんか?」


「弱点らしい弱点はないのう。ただ、相手を操る術以外には強力な精霊術や魔法は使えないはずじゃ」


 これに手を打ち鳴らしたのは少年でなく黙っていたはずのカッシュだ。


「それは朗報じゃないか。つまり俺たち相手には特別な力を何も使えないってわけだろ?」


「カッシュ君? 油断はしちゃダメだっておじいちゃんに教わらなかった? それもついさっき」


「そりゃ……」


 何かを言い返そうとしたカッシュだったが、先ほど反省したばかりとあって口をつぐむ。それに仲直りしたばかりのナヴィレアとまた喧嘩になってもつまらない。

 それに彼女が言う通り、もし領王が自分たちに対して無力だとしても油断だけはしてはならないのは事実だろう。そう考えたカッシュは老人に確認しておくことにする。

 問題は領王が契約している土地精霊だ。


「今のうちに一つだけ聞いておきたい。領王が契約している土地精霊だが、どうしてロンドウィルフェアリーイーターっていうんだ? ロンドウィルはわかる。ここはロンドウィルだ。けどフェアリーイーターってことは、精霊とか妖精を食べるのか?」


「知らん」


「知らんって……」


「ただ、うわさを聞いたことはある。もともとはフェアリーイーターではなくヒューマンイーターと呼ばれていた、というな」


 ロンドウィルヒューマンイーター。

 広大な範囲に不可視の糸を張り巡らせ、それに触れた者の精神を契約関係にあるナァドルドの術によって縛り付ける、人食いの巨大蜘蛛である。

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