第14話 どう呼ばれても振り返る男

 狭い牢獄の中に横たわり、何度も何度も胸に刃を突き刺して自殺を繰り返していたナヴィレアは領王の気配が完全に消え去ったのを確認してから短剣を投げ捨てた。


「馬鹿馬鹿しい!」


 あくまでも彼女は術にかかったふりをしていただけだ。命令の通りに何度も刃を突き刺し、今の彼女がもはやナァドルドの術には逆らえないと見せつけるための演技でしかなかった。

 無論、これは勇気のいる行為である。

 どういうわけか、これまでに何度となく致命傷からの復活を繰り返してきたとはいえ、次もまた同じように生き返ることができる保証はないのだから。刃を心臓に突き立てた瞬間、彼女の人生が本当に終わってしまう可能性はまったく否定できなかったのである。

 それでも蛮行を演じて見せたのは、一つには完全に操られている振りをして、逃げるにせよ戦うにせよ領王を出し抜く必要があったから。

 もう一つには、彼女を救うために同じようなことをしたエナルド・ファナンの勇姿が脳裏に色濃く残っているからだ。

 しかも、彼の場合には生き返る可能性がまったくなかったにも関わらず。


「と、ともかく、私はどうなってる? ちゃんと生きてくれてる?」


 大丈夫、私の心臓はまだ動いている。

 そう確かめようとしたナヴィレアは青ざめた。

 何度となく刃を心臓に突き刺しても死なずに復活して、こうして今も生きているはずなのに、いつまで待っても手に鼓動が伝わってこない。

 心臓が動いていないのだ。


「どういうこと……? 私はもう死んでるってわけ?」


 だとすれば、こうして体が動いているのはおかしい。それとも動く死体になったのか。

 度重なる痛みと恐怖で混乱してしまっている頭では何も判断できず、心臓が動いていることを確認したくて、強く胸を押さえつけることしかできない。

 思えば村が襲撃されてから以降、ここに連れてこられるまで冷静ではいられなかった。どこからか夢を見ていたとしても自分を納得させられる。

 あるいは、すでに冥界に落ちていたとしても。

 冷たい牢獄の床を彩る赤色のカーペットとなった己を血を踏みつけて、ふらふらと立ち上がったナヴィレアは胸を手で押さえたまま顔を伏せる。

 生きているのか、死んでいるのか。自由なのか、不自由なのか。

 己の境遇がまったくわからないのだ。


「精霊術じゃな」


 その時、どこからか、確信を持ったように語り掛けられる声がした。

 どこかといっても、自分が連れられてきた場所を考えれば選択肢はそう多くない。

 おそらく、いくつも並んでいる牢獄に入っている囚人の一人だろう。

 敵か、味方か。

 まずは警戒して問い返す。


「……誰?」


「ダレ。壁越しに名を呼ばれたのかと思ったけれど、不思議がっている声の様子からするとそうではなさそうじゃ。長々と自己紹介をするのは骨が折れるのでな。おぬしの隣の者。今はそう名乗っておこう」


「おぬしの隣の者……隣ね」


 精霊術。

 どこまで真実を射止めているのかわからないにせよ、自分が知らない何かを知っていそうな口ぶりであれば、少しでも情報が欲しい今は無視するわけにもいかない。

 血だらけの格好でも許してね、とだけ断ってから、短剣で切り刻んで露出してしまった胸元を隠すべく、それまで内側に着ていた肌着を脱いでから服の上から巻き付けなおした。

 それからナヴィレアは鍵のかかっていない鉄格子を簡単な力で押し開け、誰に邪魔されることなく外に出ると、声が聞こえてきたほうへと向きを変えて隣の牢獄の前に歩いた。

 そこに入っていたのは古びたローブで顔を隠した一人の老人だ。

 命令に逆らえずにいる囚人たちが座ったり横たわったりしている他の牢屋とは違って、ここだけ堅牢な鍵がかかっている。

 ナヴィレアの牢獄とは違って内側からは出られないらしい。


「……あなたは?」


「アナタワ。それもまたワシの名の一部じゃが、それで自己紹介を終えるには完全ではない。なので名前は後回しにするとして、囚人以外に持っている肩書を教えておこう。もともとは領王に仕えていた魔法使い。今ではご覧のあり様じゃがね」


「魔法使い……」


 精霊と契約して加護を得るなどの形で精霊術を使えるようになった者を「騎士」と呼ぶのに対して、精霊と契約せずに精霊術に匹敵する力を手に入れたものを「魔法使い」と呼ぶ。

 そのうえでさらに精霊と契約した「魔法騎士」も存在するが、多くの場合、わざわざそう名乗る者はいない。

 純粋な魔法使いとは違い、騎士は精霊の加護を得る代わりに様々な条件を課される精霊契約も結ぶことになり、力だけでなく制限や弱点までを手に入れてしまうからだ。

 なので多くの場合、敗北につながりかねない精霊契約は隠すものである。


「マホウツカイ。他の魔法使いとの区別が難しくなるが、そう呼んでくれてもよい。ともかく安心しなされ。精霊にも少しは詳しい」


「安心、してもいい? もともとは領王に仕えていたって……」


 ロンドウィルを支配する領王の手下であるとすれば、彼の命令によって村を滅ぼされた彼女にとっての敵だ。

 ただ、こうして牢獄に入っているということは、今は違うということでもある。

 少なくとも簡単には外に出られぬように鍵をかけられるほど警戒されていて、しかも術にあらがえるほど領王に対して従順ではない。

 なら……味方?

 そう思ったナヴィレアよりも、そう考えた彼女の表情を見た老人のほうが先に笑顔になった。


「安心してくれたようじゃな」


 まさにその通りだったので、態度には出していないつもりだったナヴィレアは肩をすくめる。


「私、昔から表情がわかりやすいって言われてた。さっき操られた振りをしてるときも、いつばれるんじゃないかって。……領王の目も意外と節穴なのかもしれないね」


「否定はできんな。あまりにも多くのものを見ようとして、結果として多くのものが見えておらん可能性はある。術がなければ誰一人として奴には従わんはずじゃ。王の器ではない」


 もともとは仕えていただけあって実感があるのか、確信をもって語る老人の目はあざけりといった感情だけでなく寂しささえ浮かべていた。

 下手に過去へと踏み込んで長い昔語りが始まっても困るのは、いち早く自分の状態を知りたいナヴィレアだ。

 ここは話を先に進める。


「それより、精霊術って? 私はそんなもの使えないよ」


「……いや、おぬしは精霊と契約しておる。精霊術だって立派に使える騎士じゃ」


「からかってる? いつかできたらいいって夢に見てはいたけど、あいにく精霊と契約した記憶なんてない。加護を得る代わりに何かを条件づけられるっていう精霊契約だって私には……」


 あるはずがないものを見つけようとして、意味もなく広げた手のひらを見つめる。その目にはあこがれと、あきらめと、その両方が同じくらいの熱量でともっていた。

 精霊。尊き者たち。

 どこにでもいるが、誰にでも加護を与えるものではない。

 もしも本当に精霊契約が結ばれているなら、その加護を与えてくれた精霊に会いたい。

 そう願うナヴィレアだが、どれだけ彼女が願っても精霊の気配は感じられなかった。

 だから、私にはやっぱり精霊契約なんて……。

 そうつぶやく彼女の言葉をほとんど無視して老人が話を続けた。


「普通、精霊契約は結んだ瞬間に強く意識され、その後も脳裏に焼き付き続ける。ただし何事にも例外はある。おぬしは死んだ後に強制的に精霊契約を結ばされ、加護を受けてよみがえったんじゃろう。だから契約を結んだ瞬間の記憶や自覚がない」


「死んだ後に精霊契約を……そんなことがある?」


「ワシと討論をしてあるかないかを見極めるより、実際に確かめてみるのが早かろう。自分の手を見つめているよりもずっと確かな方法でな」


 じゃからワシのそばに寄れ、と言った老人の指先が赤く光った。

 神々しくもあり、不気味でもある光。

 壁や天井まで血に染まったかのように、冷たい石造りの牢獄を怪しく照らしている。

 まだ乾ききっていない自分の血で汚した隣の牢屋を思い出して、それを見たナヴィレアは眉をひそめる。普通の人間の指先は赤く光ったりしない。


「何をするの?」


「安心しなされ。精霊契約を思い出させる魔法じゃ」


 本当だろうか。魔法使いとして魔法を使えるのが事実であれば、油断した彼女の頭を炎で包むことだってできるかもしれない。

 けれど、あまり迷わずにナヴィレアは己について知ることを優先した。

 もしも本当に精霊契約があるのなら……。


「ねえ、私の顔はどう見える?」


「ふむ、どうやら安心してくれたようじゃな。肝も据わっておる。では確かめるぞ」


「お願い」


 言われたとおりに近寄るため、鍵のかかった鉄格子に手をかけて腰をかがめると、その隙間から顔を突き出すようにする。

 それを受けて老人も前かがみとなり、伸ばした手の指先をナヴィレアの額に突き当てた。

 その瞬間、ピリッと電撃が走ったような気がして目を閉じたナヴィレアの脳内に閃光がきらめく。

 そして啓示を受けた。


「首を切り落とされぬ限り、冥界に落ちることなく何度でもよみがえる……。ただし、防具などで首を隠している間は加護は失われる」


 これが、私の精霊契約?

 そう尋ねたナヴィレアに指をひっこめた老人が問い返す。


「今までに首を切り落とされた経験は?」


「……ない」


「なら決まりじゃな。老いたワシの目から見た限りじゃと、首に防具もつけておらん。助言としては、これからもつけんほうがいいぞ。どんなにおしゃれな防具を見つけてもな」


 それはそうだろうと思いながら自分の首筋をなでるナヴィレア。ここを切断さえされなければ死ぬことはないのか、と確かめるように。

 しかし、それが事実であるとすれば危なかった。もしも素直に広場で首を切り落とされていたら、こうして復活することもなく死んでいたであろう。

 近づかずに矢で殺されることになったのも、彼女が抵抗したおかげなのだ。


「でも、じゃあ、どうして私の心臓は止まっているの? それに、その契約を結んでくれた精霊は?」


 精霊契約の通りに生き返っているのが事実なら、きちんと心臓が動いていないとおかしい。

 これでは死んでいるようなものじゃないか。

 そう言った彼女に対して、ふうむと言いながら顎に手を当てた老人はナヴィレアの心臓を凝視するように目を細めた。


「二つ目の質問に先に答えるなら、すでに精霊の気配はない。相当な恥ずかしがり屋だとすればワシにも正体はわからん」


 これは仕方がない。加護だけを与えて姿を消してしまう精霊はたくさんいる。

 むしろ契約を結んだ後もそばにいる精霊のほうがめずらしいくらいだ。


「続いて一つ目の質問に答えると、なにやら今も発動している精霊術を感じる。どうやらおぬしの精霊がどこかから精霊界を通じて術を発動しており、心臓を止めては動かし、動かしては止め、短時間で何度も何度も死と復活を繰り返させている。結果、心臓が止まっているように感じるのじゃろう」


「心臓を動かしたり止めたりして死と復活を繰り返させている? どうしてそんなことを」


 復活はわかる。

 では、死は?


「おぬしに加護を与えた精霊が人間の命をもてあそんで喜ぶ変わり者でさえなければ、理由は一つくらいしか思い当たらん。領王の術は死者には通じん。おぬしが生きたままでは命令にあらがえぬから、復活するたびに殺し、死ぬたびに復活させ、そのたびごとに命令を無効化しているのじゃろう」


「そんなことが……」


「さて、そうとわかればおぬしに頼みたいことがある。生きたような死んだような、どっちつかずの状態になることで領王の束縛を逃れられるおぬしの力で、捕まっているワシをここから出してほしいのじゃ。ここを開けるための鍵は隠されることもなく壁にかかっておるじゃろ?」


 確かに、すぐ近くの壁に一本の釘が打ちつけてあり、そこには一つの鍵がかかっていた。

 あれがこの牢獄の鍵であるなら、囚われの彼を助け出すことは簡単だ。

 あとはナヴィレアの気持ち次第である。


「あなたは……」


 強盗、殺人、淫行、謀反、人間が捕らえられる罪状として考えられるものはいくつもあり、何をやって投獄されたのかもわからない囚人を彼女の勝手な判断で解放していいものではない。

 ただしここは悪しき領王が支配するロンドウィル。

 自由を奪われ厳重に閉じ込められた囚人が必ずしも悪人だとは限らない。


「アナタワ。おぬしにそう呼ばれるのは二度目じゃ。そろそろ何かしらの名前を名乗る必要がありそうじゃな。でなければ今後もアナタワと呼ばれることになる」


 それもいいがの、と楽しそうに笑う老人は遠い目をして口を開く。


「子供のころ、たまたま出会った精霊の名があまりにも長くてな。自己紹介を聞いているうちに我慢できなくなって笑ってしまったところ、その精霊が怒ってワシに『新しい真名を授ける』という精霊契約を結んだのじゃ。それから何十年も経って、今もその精霊はワシに名前を付け続けている。世界で一番長い名前を、と意地になっておるらしくてな」


「今も?」


「おかげでワシの真名はワシさえも把握できておらん。意味があったりなかったりする何千万字という文字列が続いている正しい真名を呼ぼうとすれば、それだけで最低五十年はかかるからのう。アイン、レックス、トッド、モウツカレタ、ゴキゲンイカガ、これらはすべてワシの名の一部に含まれている。おぬしが今日しゃべった言葉もすべてワシの名の一つじゃ。どう呼ばれても振り返る男。いつしかそれが通り名になった」


 冗談みたいな話だが、冗談を口にしている様子はない。


「さすがに真名が長すぎて領王にも把握できず、自慢の術でも操れない。というわけで、領王の命令通りに動いてくれないワシはこうして牢獄に閉じ込められたのじゃな」


 まるで自慢話だ。

 ただし、それが事実であるとすればナヴィレアにとって頼もしい味方になってくれる可能性がある。


「……私は今、この状況から自分がどう動くべきなのかわからない。顔も名前も知らない精霊のおかげで助かった自分がどうしたいのかも。だけど、あなたをここから出したほうがいいような気がする」


「賢明な判断じゃな」


「本当にそう思う?」


「ワシではない。未来のおぬしがきっと思うさ」


 そう言われて、結局のところナヴィレアは彼を助け出すことに決めた。

 決断したからには急いで外に出るべきだと、まずは鍵を使って牢獄の扉を開ける。

 よくしゃべる口以外の体は達者ではないらしく、ううむと唸った老人がナヴィレアの手を借りて外に出た時だ。


「お前たち! 牢屋に戻れ! でないと命はないぞ!」


 古びた要塞を出ていく領王の護衛のためか、一時的に持ち場を離れていた見張りの騎士が戻ってきたのである。怠惰を理由にして脱獄者を見逃すこともせず、仕事熱心で領王の命令に従順な彼はためらいなく剣を抜く。

 歯向かうなら容赦はしないとその目が語っていた。

 首を切り落とされぬ限り死ぬことがなくなったとは言うものの、彼を排除して強引に突破してよいものなのかとナヴィレアは戸惑う。


「領王の命令に従っているだけの騎士を傷つけることはできない。だからといっておとなしく牢屋に戻るわけにもかない。どうするの?」


「こうする」


 言ったとたん、誰かが触れたわけでもないのに騎士は倒れた。


「えっ、ちょっと、何を!」


 まさか殺したのかと驚いてナヴィレアが振り返れば、落ち着きなされ、との返事。

 イタズラが成功した少年のような得意顔になった老人が、自身の顔の前で人差し指を左右に振っていた。


「魔法で眠らせた」


 その言葉に偽りはなく、仰向けになった騎士は目を閉じてすやすやと寝息を立てている。

 すぐには目覚めそうにない安らかな寝顔を見る限り、死んだのではないようだ。

 ナヴィレアがアクバルにしてあげた回し蹴りよりも、ずっと優しい方法で眠らせたらしい。


「あなた、本当にすごい魔法使いだったのね。私が連れてこられるまで牢獄に捕まっていたのが不思議なくらい」


「あいにく鉄格子を壊すような攻撃魔法は使えなくてな。ただし……」


 動きを止めた人差し指をたたんで、右手を握りしめる。


「先ほどは牢獄に入れられたおぬしが命令に操られ死ぬとばかり思っておったから、ナァドルドが城を出てきたせっかくのチャンスを見過ごしてしまったようじゃ。なにしろ反撃に出るタイミングを間違えればワシも殺されていた。まずはおぬしの力と意思を見極める必要もあった。臆病者と笑うでないぞ?」


「笑うだなんて」


 この答えに笑ったのは老人である。

 ただしそれは頼もしさを感じてのことだ。


「……だが、そのタイミングは今だったようじゃな。さてさて、今度はこちらから城へ向かうとしようじゃないか。土地精霊の加護を受けている領王にワシの魔法は通じないが、その代わりに邪魔をしてくる騎士や役人を全員眠らせて、領王との一騎打ちの状況を作り出してやることはできる。首を切り落とされぬ限り何度でもよみがえるおぬしと、おぬしを操ることはできない年老いた領王の直接対決。どうじゃ? ワシら二人でならナァドルドの支配を終わらせることができるとは思わんか?」


 ええ、と言って笑うのはナヴィレアだ。

 つい先ほど出会ったばかりの老人と少女は顔を見合わせて覚悟を共有する。


「賢明な判断をするわ。私、あなたを連れてロンドウィルの愚かな領王を退治しに行く」


「未来はすぐに来る。まず間違いなく領王の座を失うことになるであろうナァドルド以外の全員が、おぬしの決断をほめたたえてくれる未来がな」


 そして二人は領王との戦いのためにロンドウィル城へと旅立った。

 その途上、同じく領王との戦争に挑んだ五人と合流して名もなき少年の騎士団は総勢七人となり、一行は肩を並べてナァドルドが待つ城へ向かう。

 少年と、領王。

 どちらかが死に、ロンドウィルの趨勢が決まるまで、あと数日。

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