第13話 ナヴィレア・ノルディン

 ロンドウィル領の東北部に位置する辺境であり、牧歌的な田舎として知られていたロンヴェル村の終わりは唐突に訪れた。


「精霊に育てられているという名前のない少年をかくまっているとの情報が届いた。それは領王に対する反逆だ。なので、この村は滅ぼす」


 冷酷な宣言とともに一軒残らず家に火がつけられ、逃げ場もなく罪人として広場に集められた村人たち。

 ロープで縛られているわけでもない彼らは一人ずつ自分の足で騎士の前に出てきて、従順な態度でひざまずく。

 そして無抵抗のまま首を差し出す。

 刑の執行人となった騎士は剣を振り下ろし、村人の首を切り落とす。

 これを全員分やる。

 どちらにもためらいはない。

 いつもより強く魔力が込められた領王の術で命じられているからだ。


「わざわざ街から騎士を派遣しなくたって、この村に住んでる村人に自分たちの手でやらせればいいじゃないか。『罰として殺し合え』と命じるだけで済む」


「ちゃんと村が滅んだかどうか確認して、それを命令に忠実なファスタンの騎士に報告させたいんだろ? 少年をかくまっていたってのが事実なら、村人たちは信用ならないんだ」


「……村人たちが信用ならないって、ここも領王が支配するロンドウィルなのに? 誰が相手だろうと命令は絶対だろ?」


「そのはずだが、命令の裏側にある事情を考えるのはやめにしよう。どうせ俺たちは逆らえないんだ。何を見て何を言われても、領王が出した命令に従うしかない。頭を使うだけくたびれる」


「そうだな。心を殺して職務に当たったほうがいい」


 死者が十人を超えたあたりで、誰もしゃべらなくなった。

 加害者側も被害者側も感情を閉ざしてしまったからだ。

 まかり間違っても脱走者を許さぬために名簿を見ながら一人ずつ処刑を行っているので、想定よりも時間がかかってまだ何十人も村人は残っている。死体は広場の中央に積み上げられ、最後に焼かれる手はずだ。

 犠牲者であるはずの村人たちに逃げ出す意思がなく、命令に従順な騎士たちに逃がす意思もなければ、この悲劇を救うのは簡単でない。

 そもそも騎士たちは自分の意思に反して操られているにすぎず、断罪されるべき根っからの悪人というわけでもないのだ。村人を守るためとはいえ命を奪うのはためらわれた。


「さすがにあの数の騎士が派遣されてきたんじゃあ広場に突入するのは無謀だろうね。私の力では誰も助けられない。助けたところで、また命令が出されたら意味がない。なら、せめて一人くらいは……」


 この惨劇から逃れていた村の少女のナヴィレアは殺戮の舞台となっている広場へは向かわず、まだ見つかっていないであろう一人の少年を村の外へ逃がすべく、普段はほとんど誰も近寄らない村はずれの小屋へと足を進めていた。

 そんな彼女の用心棒のつもりで一緒に走っていたのは幼馴染のアクバルだが、青年というには幼さの残る彼は道半ばにして苦悶の表情を浮かべて足を止めた。


「くっ……だめだ。領王の命令だ。これまでになく強力な命令が出されて、殺されるために広場へ戻れって言ってる。足がもう言うことを聞かない」


 今まで抵抗できていたことが奇跡みたいな顔をして、自分の意志とは裏腹に勝手に体が動いて広場に戻ろうとする。

 この状況ではどこに連れて行っても足手まといにしかならず、かといって放っておくと殺されに行ってしまうだろう。


「しょうがない。アック、あんたはそこの草むらで寝てな!」


 というわけでナヴィレアは回し蹴りでアクバルの後頭部を狙って気絶させることにした。

 当たり所が悪ければ彼を痛がらせるだけの暴力で終わるけれど、初めての行為にしてはうまくいった。そのあとで上半身だけを抱えてズルズルと引っ張って、背の高い草むらの陰に眠らせる。

 問答無用の乱暴な行為であっても、時間が経って目覚めた彼に恨まれることはないだろう。

 自分から首を切られに行くことほど愚かな行為はない。


「起きた時にはみんな死んでるだろうけど、みんなじゃない可能性もある。もしも誰かが生きてたら、ほかのみんなよりも少しくらいは強く領王の術に対抗できてたあんたが力になってあげてよ」


 返事どころか反応さえないのを確認して、これでしばらくは大丈夫だろうと歩みを再開する。

 やがて彼女が到着したのは、急流のほとりに建てられた古びた小屋だ。打ち捨てられたようなそこは通行人のために整備された道などない。

 長い年月に及んで雨や風に打たれて傷んだ木の壁には緑のツタが生い茂り、周りは伸び放題の草木が取り囲んでいるので、一目ではわからない。


「よし、誰もいないね」


 派遣されてきた街の騎士だけでなく、操られているであろう村人を含め、まだ誰もここへは来ていない。

 つまり中にいるはずの少年は殺されていない。

 ひとまず安心したナヴィレアはノックもせずに扉を開け放った。


「…………!」


 それから声をかけようとして口が開きかけたものの、すぐに閉じてしまう。

 村の規則により、ここに住んでいる少年に対して呼びかけるのは禁止されている。「おい!」であれ「お前!」であれ、みんなに呼ばれればそれが加護となって彼の名前になる可能性があるからだ。

 通常、誰かが名づけるか、あるいは本人が名づけられたと感じなければ名前にはならない。

 例えば「お前」とか「彼」とか「少年」といったものは万が一名前になったとしても通称や通り名でしかなく、魂を加護する真名とは別のものだ。

 それでも万全を期す意味はある。

 この世の言葉の何が少年の真名として受け入れられるかはわからない。

 なので指示だけを叫んだ。


「逃げな!」


「……えっ?」


「領王に命じられた騎士が殺しに来てる! 逃げな!」


 あんたを、君を、お前を。

 念には念を入れてどの言葉も口にはできないが、少年の命が狙われていることを必死になって伝えるナヴィレア。

 とろとろしていると怒りかねない彼女の本気さが伝わったのか、ぼさぼさ髪で身支度もしないまま少年は慌てて外に出てきた。腰には護身用の剣を下げているが、これで戦ったことは低級の魔物相手でさえ一度もない。

 邪魔な草木を切ったり、疲れた時に杖代わりにしたりする便利な棒扱いだ。

 対決などは何も考えず、逃げるのが一番生存率は高いだろう。


「あ、あの……」


「私はいい! 逃げな!」


 有無を言わせぬ鬼気迫る彼女の指示に従って、とりあえず駆け出す少年。


 ――ああ、これでよかった。あの子は助かる。


 そう安心したナヴィレア。

 しかし彼女の身に降りかかった運命はすぐに悲劇の種を用意した。


「待て。逃がさん」


 その声に振り返った彼女が目にしたのは一人の騎士だ。体力に自信のなさそうな子供でも、足腰の不安定な老人でもなく、精悍な顔つきをした二十代ほどの青年。

 逃げようとした少年の行く手を阻むように立ち、いつでも切りかかれるように剣を構えている。

 そこは小屋を隠すように囲んでいた草木が少しは開けて、ちょっとした道のようになっている狭い広場。左右はごつごつした岩や盛り上がった土に挟まれ、強引に突っ切ろうとすれば木立が並ぶ足元の悪い獣道が続いている。

 身を隠すのが間に合わなかった以上、今から逃げ出しても少年の足では簡単に追いつかれてしまうだろう。

 最悪の事態を想像してナヴィレアは固唾を呑んだ。

 力量の差を直感した少年も動けずにいる。

 魔物退治に向かう途中で道に迷ったうっかり者などではなく、間違いなく領王の命令を受けて村人を殺しに来た騎士だ。正面切って戦うには相手が悪い。争いごとを避けて生きてきた少年はもちろん、同年代の中では一番に腕っぷしの強かったナヴィレアにも勝ち目はないかもしれない。

 どうするべきかもわからず二人が動けずにいると、辺境の村までの遠征用に着込んできたであろう軽装の鎧を身にまとった騎士が鋭い剣先を少年の鼻っ面に向けた。


「村人は全員殺す。一人残らず殺す。それが命令だ。お前もころ、す……」


 淡々と事実を告げるように、感情をうかがわせない冷酷な声色で断言していた騎士だが、その途中で様子が変わった。


「お、俺は何を言っている……。村人を全員殺す? 一人残らず? 馬鹿じゃないのか!」


 またしても一変する。


「いいや、命令だ。お前は殺す!」


 と、一歩を踏み出したところで立ち止まる。


「いや、待て! くそ、頭がおかしい!」


 自分でも自分の状況が理解できず、剣を持っていない左手で頭を抱えて苦しむ騎士。

 ふざけているようにしか見えない不思議な状態だが、ナヴィレアにはすぐに察しがついた。


「完璧じゃないみたいだけど領王の術に抵抗できてる! 街を離れて村まで来たからか! これなら逃げる隙を作ってあげられる!」


 少なくない活路を見出したナヴィレアは駆け寄って騎士を抑え込もうとする。

 相手は剣だ。それも一本だけで、他には目に見える武器を持っていない。

 つまり、それさえ奪い取って投げ捨てれば一時的であれ希望が見える。

 騎士が得意とする精霊術は強力で効果も未知数だが、何も考えずに剣を振り回すよりは集中力がいる。二人の前にいる騎士は混乱しているため、どれほど強力な精霊術を持っていたとしても万全な状態では使えなくなるに違いない。

 しかし彼の手から剣を奪い取るのは簡単なことではなかった。村の中では負け知らずの腕前で恐れられていたナヴィレアであっても、うかつには近寄れない。

 さすがに訓練してきたということだろう。


「邪魔だ、どけ! いや、そのまま邪魔してくれ! いいや、どけ!」


「なんだい、なんだい! 本気を出してきたり手を抜いてきたり、やりにくいったらありゃしない!」


「油断するな! 自分で言うのもなんだが俺は強い! いいや油断しろ! 俺を侮って負けてしまえ!」


「情緒不安定な騎士だね! 強いのだけは間違いないけど!」


 アクバルの時にはうまくいった回し蹴り。しかし温厚な性格の村人と違ってファスタンの職業騎士が相手では、狙った通りに後頭部を打撃して気を失わせるには足りなかった。

 高く上げた足を左手だけでつかまれ、ナヴィレアは後ろ向きに地面の上へと倒される。

 受け身もとれぬまま仰向けになった彼女。

 そこへ、騎士が剣を振り下ろす。

 狙うは顔。突き刺されば即死だ。


「ひっ!」


 恐れのあまりナヴィレアは息をのんで目を閉じた。


「くそ……っ!」


 恐怖に染まった彼女の顔を見て自分の意志を取り戻した瞬間、剣がナヴィレアの顔に突き刺さる寸前のところで動きを止めた騎士。そして瞬時に覚悟を決めた彼は彼女にまたがったまま軽装の鎧を脱ぎ捨て、再び操られてしまう前にと急いで握りしめた剣を自分の腹に突き刺した。

 深く、深く、痛みと傷で動けなくなるほどに。

 あまりにも潔い自傷行為だ。

 驚いたのは自分が殺されるとばかり思っていたナヴィレアである。

 彼女を地面に押さえつける力を失った騎士の下から這い出るようにして膝立ちになり、血だらけとなって苦しんでいる彼に声をかける。


「あんた、何やってんの!」


「くっ、う、仕方ないだろう! こうしなけりゃあ、お前たち二人を殺してしまう!」


「だからって!」


「操られるがまま、すでに村人を何人か殺した! ……これ以上はもう、馬鹿げた命令に従って村人を殺すわけにはいかん。無念なのは事実だが、自分を殺したほうがましだ」


 腹部を貫いた傷は深く、意図的に手首をひねって傷口を広げたこともあって出血は止まらない。耐えられぬほどの激痛もあって姿勢を保っていられず、額に汗を浮かべ前かがみになりながら地面に手をつく。

 いつ倒れてもおかしくはない。意識があるのが不思議なくらいだ。

 ナヴィレアは控えめに肩を支えるにとどめた。


「……その傷、もう私にはあんたを助けられないよ」


「いい。かまわない。くっ。ただ、一つ、心残りがある……」


「わかった。なんでも言いな。私にできることならやったげる」


「……ここから南西に行ったファスタンという街に、迷宮と化したファナン家の邸宅がある。いいか、ファナン家だ。そこに、俺の妹が囚われている」


「助けろって話かい?」


「そういう話だ。頼む。今までは失敗続きだが、何度となく領王は妹を殺すために騎士を送り込んでる。だから……カハッ!」


 言葉を続けられず、しゃべろうとした口の動きに合わせて大量の血を吐き出した。

 もう長くはない。


「すまなかったな……。お前たちの仲間である村人は一人も守れなかったくせに、妹のことなんて……」


「大丈夫さ、あんたが悪いんじゃない! あんたは私たちを守るためにそうやって自分の命を犠牲にした! だからあんたの最後の頼みはちゃんと聞いてあげるよ!」


「頼む。俺の名はエナルド・ファナン。そこにいる少年と同じぐらいの年頃の妹はユリカだ……」


 そう言い残した彼の命の灯は消えた。

 あふれだした血の海にうつぶせになって倒れこんだのだ。

 命が尽きて完全なる死者となり、もう目が開くことはない。

 また人が死んだ。領王に殺された。

 今も続々と命を奪われているであろう村人と同じように、彼らもまた犠牲者だ。

 少年に顔を向けることなく、けれど強い意志を込めてナヴィレアはつぶやく。


「逃げな。私は助けられる村人が他にいないか探してくる。……あるいは、騎士の中にもね」


「あ、あの、ありがとうございました」


「逃げな」


 いつまた次の騎士がやってこないとも限らない。

 助かりたいなら長々と会話をしている場合ではないのだ。

 後ろ髪を引かれつつも、それぞれの道を選んだ少年とナヴィレアは別れた。





 数日後、村の北にある山の奥深くまで逃げ込んで精霊にかくまわれていた少年が戻ってくると、ロンヴェル村は焼け落ちて廃墟となっていた。

 生き残りはたった一人、草陰に隠れて気を失っていたアクバルだけだ。

 焼け落ちた家の前で呆然と立つ彼のそばまで寄ると、君か、という言葉の代わりに別の言い方を探して声をかけてくる。


「誰かと思えば……」


「あの、みんなは……」


「僕に尋ねなくたって、広場に行けばわかるよ」


 自分の口からは答えたくないのか、それだけ言ったアクバルはうつむいて動かなくなった。

 これ以上の質問は受け付けていないとでも言わんばかりに。

 嫌な予感を胸に抱えながら、言われたとおりに広場へと向かう少年。


「そんな……こんなことって……」


 いつもは村人でにぎわう広場の中央で、何十人分もの焼け残った骨だけが小高い山を作っていた。

 あまりに無残な光景だ。目をそむけたくなる。

 いつの間にか追いついていたらしいアクバルが誰にともなくつぶやく。


「骨を見分ける知識はないから確かなことは言えないけど、ナヴィもたぶん殺されてる」


「えっと……」


 何かを言おうとした少年。でも彼は何も言えなかった。

 こんな状況で何を言えばいいのかわからなかったからだ。


「人間の言葉をしゃべれない世話焼きな精霊に育てられていた捨て子に今も名前がないのは、名前がなければ領王の術に操られることはないだろうって、村のみんなに幸せを願われてたからだ。せめて一人くらい、このロンドウィル領でも平穏な人生が送られればいいって。だから僕は責めない。名前のない少年をかくまわなければ、って言葉も口にしない。ああ、いや、今口にしたのは別に……」


 みんなが死んでしまって現実感がなく、感情の整理もついていないのか、力なく苦笑して肩をすくめる。


「どこにいたって領王に殺されるなら、もうどこにも行けやしない。そもそも僕は命令に逆らえていないんだ。ここに一人で残ってみんなの墓を作る。今はそう命じられて見逃されている。仕事が終わったら自刃かな。だから今は一日に一つ墓を作るにとどめて、少しでも余生を長くしてるのさ」


「僕は……」


「この村に残って僕の墓を作るつもりじゃないのなら、今すぐロンドウィル領を出て幸せになることをお勧めするよ。この土地に住む精霊の友達がたくさんいて、あんまり離れたくなかったんだろうけどさ、もっと早くそうしていればよかったんだ。暴君となった領王が支配するロンドウィル領に残ったって幸せになれる人はいない」


 絶対的な支配者としての領王がいる限り、ロンドウィルの領民に幸せは訪れない。

 そう語るアクバルの目には悲観と絶望の暗い光だけがともっていた。

 あらゆる感情を殺して、少年が後悔と罪悪感を胸に抱いてつぶやく。


「戦えばよかった」


「……え?」


「逃げろって言われたから、何も考えずに逃げた。精霊たちも逃げろって言ってた。逃げて、時間が経って戻ってくれば、もとの平和で穏やかな生活が待ってるんだと思ってた。でも違った。みんなが優しいから勘違いしてた。僕には力が……剣だってあったのに」


 アクバルが顔を上げて、少年の顔を見る。

 どこを見ているのか、覚悟だけを伝える少年は腰に下げていた剣に手をかけた。


「領王を殺します。僕が殺します。……戦争だ」


 たった一人の騎士団として少年が領王に戦争を挑んだのは、その日のことである。





 それとは別に、ロンヴェル村を離れることになったナヴィレアは馬車に揺られロマンピア街道を運ばれていた。


「どうしてこうなったんだろうね……」


 領王の術に対して反抗的な彼女が何もできないようにと、身動きが取れないように彼女の全身はロープできつく縛られている。

 不服を伝えるように身をよじったのを警戒したのか、見張りとしてそばに座っていた騎士が「黙れ」と声をかけようとした。

 しかし、少し離れた場所に座っていた別の騎士が忠告する。


「その女には気をつけろ。他の村人と違って命令に抵抗するから距離を置いて複数人で囲んで矢で殺すことになったが、不思議なことに殺しても殺しても復活する。頭を狙っても心臓を狙っても、体中に何十本もの矢が刺さっても最後には立ち上がる。結局はそうやって縄で縛った」


「復活するって……精霊契約ですか?」


「だろうな。条件はわからんが、精霊の加護を受けた騎士だとしたら精霊術を使う可能性もある。八回殺されたら八人を呪い殺す、とかな。刺激はせんほうがいい」


「ですね」


「ひとまずこのまま牢獄に届ける。それが俺たちの仕事だ」


 その牢獄はファスタンからも領王が暮らす城からも遠い僻地の要塞にある。要塞、と言ってもほとんど打ち捨てられたような古い石造りの砦だ。

 そう大きくもない建物の一角を占めている牢獄は一つを除いて鍵がかかっていない。領王に命じられた時点で刑罰は絶対のものとなり、たとえ身に覚えのない冤罪であろうと囚人たちは脱獄の意思がなくなるからだ。

 その数ある牢獄の、一番奥から一つ手前の牢獄に投げ入れられるナヴィレア。

 他の囚人と同じように抵抗しないはずだろうと全身を縛っていたロープはほどかれ、鍵のない鉄格子が閉められる。

 そんな彼女に声がかけられた。


「ホホウ、オマエガ反抗的ナ村人カ……」


 それは、ここにナヴィレアを運ぶように指示を出した人物。

 一足先に到着して待っていたロンドウィルの領王、ナァドルドだ。


「答エロ。ナゼアノ村ノ人間ドモハ私ノ命令ニ逆ラエタ。アノ村ノ精霊タチモダ」


 抑揚もなく、感情をうかがわせない口調。

 見た目よりも相当な老人なのか、しわがれた声が牢獄に響いた。


 ――こいつがナァドルドか。術はすごいとしても、身体能力そのものは高くないようね。


 ロンドウィルに暮らす領民のすべてを苦しめ続けてきた元凶である領王、すなわち敵の姿を初めてはっきりと目にしたナヴィレアがあえて堂々と答える。


「私が暮らしていたロンヴェル村はロンドウィルの辺境で、ここからは遠すぎたからでしょう。あなたの術が届くか届かないか、ぎりぎりの場所だった。だから私みたいな小娘でもあなたの術に抵抗できていた」


「……トオスギタ? ソレダケカ?」


 食らいつくように問いかけられ、一瞬、ナヴィレアは身の毛のよだつ思いをした。

 大きく開かれた口の奥から、小さな目のような無数の光がのぞいた。


 ――威圧感に負けてはならない。術さえなければこんなやつ。


 まだ致命的な命令は何も出されていないはずだと、気を確かに持ち続けるナヴィレアはうなずく。


「……ええ」


 どんなに術が強力であったとしても、たった一人でロンドウィルの住民すべてを管理して支配するなど現実的ではない。いくら土地精霊の力を借りているとはいえ、真名を見抜いた人間の動向をすべて把握するなど人間業ではないのだから。

 だとすれば、他人を操れる術には限界がある。

 ただそれだけの話。


「それだけよ。たったそれだけ。……名前のない少年をかくまう。ささやかな抵抗だったかもしれないけど、私たち村人があなたの命令にほんのちょっとでも逆らえた特別な理由があったとでも思っているのかしら? あなたの力は強力だけれど、完璧じゃない。この狭い島でさえ完全には統治できていないのよ」


 世界地図から見ればロンドウィルなど所詮は小さな島の一つであり、世界の中心と呼ばれ、多数の国がしのぎを削りあっている大陸に比べれば取るに足らない土地でしかない。

 あざけりを含めて辺境と呼ばれることもある地方だ。

 独裁者として君臨しているつもりでも、ナァドルドはそんな狭いロンドウィルでさえ完全には支配できていない。

 世界の覇者となるには圧倒的に力不足なのだ。


「あなたは恐れなければならない。自分の時代が終わってしまうのを」


「先ニ終ワルノハ、オ前ノ時代ダナ。ココハモウ辺境ノ村デハナイ。シタガッテ私ノ命令ニモ、アラガエナイ」


 大量に散り積もっていた枯れ葉が風に舞い上げられてカシャカシャとこすれあう音を立てたような笑い声が牢獄に響き渡る。

 それはいびつな形に口を開いた領王、ナァドルドのしわがれた哄笑だった。


「ナヴィレア・ノルディン、貴様ニ死ヲ命ジル。死ヌマデ繰リ返シ自ラノ心臓ニ刃ヲ刺シ続ケロ」


 そして領王の術が発動され、村にいたころとは違って至近距離では逆らう手段を持たないであろうナヴィレア・ノルディンの人生は終わりを告げられた。

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