第12話 境界封穴(3)
もともとあった場所に首がつながり、骨だけの姿とはいえ完全体となったボルニス。
少年やカッシュたちの動きをけん制するためか、いつでも殺せる人質のようにフォズリをつまんでいる。
「かつての戦争で人間と精霊の勝利に貢献した英雄たち、通称エウカリテリ。奴らの一人に首と体を切り離された俺は『人間に協力してもらわなければ完全体に戻れない』という呪いをかけられていた。しかしここは地上でも冥界でもない境界封穴。馬鹿で都合のいい元気な人間が通りがかってくれることなんて絶対にないと思っていたさ。お前たちが来るまではな」
黙って聞いていられないのはフォズリである。
「馬鹿で都合のいい元気な私たちが協力してあげたんだから感謝してください! 頭蓋骨だけのあなたが自分の体にいたぶられるのを防いであげたんですよ!」
「カッカッカカッ! 頭を失った体が勝手に動いているなんて嘘さ。うまい具合にお前たちを洞穴に追い込んで、まずは俺の頭を拾わせる。そして元通りにさせるため、どんくさい神のふりをしてわざと負けてやる。いやあ、骨が折れたぜ」
「またポッキリ折れて、さっきまでみたいに頭蓋骨だけの姿になっちゃえばいいんです! 恩知らず!」
えいっ、えいっと右足で蹴ろうとするフォズリだがまったく届いていない。本人はちっともふざけていないものの、ぶら下がったまま空中を走ろうとしているようにも見えてくる。
少なくともボルニスが脅威に感じる行為ではなかった。
「境界封穴は冥界よりも神に対する封印が弱いとされているが、それでも地上に出るのは難儀でな。どうにかして神性を隠さねばならん。というわけで、名案がある」
「わっ、わっ! 何ですか、やめてください!」
無駄なあがきはやめろと言わんばかりに、右へ左へフォズリをぷらぷらと揺らすボルニス。
そのたびに彼女が手足を振り回すのを面白がって、にやりと笑う。
「見ての通り俺は骨だ。そして人間はみんな骨を持っている。そこで、お前らの体に入り込んで地上世界に戻ることにした」
「私たちの体! どんなに身をかがめたって入れっこないですよ! 大きさの違いがわからないんですか!」
大騒ぎするフォズリを顔の高さまで持ち上げて、まじまじと眺める。
「そうそう、人間は弱くて小さかったんだな。しょうがない。だったらお前ら四人の皮をはいで俺の表面に張り付けてやる。それで人間のふりをしよう」
「野蛮! 邪神! ホネ!」
「カッカッカ! ほれ、ほれ、お前の肌もすべすべじゃないか!」
「石みたいな指先で顔を触らないでください! ああっ! 頭をなでるならもっと優しく!」
まるでじゃれているみたいな二人だが、神の戯れは人間にとって残酷な結末を招くことが多い。このままボルニスの暴挙を黙って見守っていれば、囚われたフォズリはおろか少年たちも危険だろう。
急いで対策を考えなければならない。
「あまりにもフォズリが騒ぐものだから会話にも入れなかったが、どうやらウルシュカはまだ目覚めそうにない。なんとか隙を見て俺たちで助けないといかんな……」
そう言って踏み出そうとしたカッシュの動きを止めたのはボルニスではない。
彼の前に腕を伸ばした少年だ。
「カッシュさん、待ってください。近づくのは危険です。しばらく離れていてください」
「なっ、お前……っ! 危険なのは承知で言ってんだ! ぶら下がってるフォズリが一人でどうにかできるとは思えん!」
そうこう言っている間にも、ボルニスがフォズリを指先でもてあそんでいる。
「人間の皮をきれいにはがすには、どうやればいいんだ? 頭からか? 足からか?」
「あ、もう! やめてください!」
「わかったわかった、うるさいから顔からつぶすか。いや、手にしよう。……む、人間の腕ってのは細くて難しいな」
などと言いながら殺すのを不器用にてこずっているだけで、フォズリの命は風前の灯火だ。
「おい少年! すぐにでも助けなきゃ危ない!」
「危険です。もう一度言います。近づかないでください」
「何を言ってる! 待つったって急がんと殺されるぞ!」
人間の命をどこまで大事なものと考えているのかわからないボルニスにつかまっている以上、いつフォズリの身体が石でできた槍のような骨の指先で貫かれても不思議ではない。
人間の皮をはいで、自分に張り付けるとまで言っているのだ。
むごたらしい光景を想像するのは難しいことでもなかった。
激しい剣幕で迫るカッシュの言葉には答えず、あえて淡々とした口調を意識している少年はユリカに顔を向ける。
落ち着いてはいるものの、普段よりは早口。
そう見えないだけで、焦っていないわけではないらしい。
「ユリカさん、あのガイコツの手がつかんでいるフォズリさんの上着を切ってください。地面に落っこちて痛い目を見るでしょうが、そうすれば一時的にガイコツから逃げることができます」
「そんな……。私、そこまで正確に狙えませんよ。まだ魔法は未熟なんです」
それに、一時的に自由を手に入れたところで再び捕まったら意味がない。
そう言おうとしたユリカは次の言葉を聞いて思いとどまる。
「じゃあフォズリさんは死にます」
少年は本気だ。
活を入れようとして大げさなことを言っているわけではない。
「……すみません、やります。服の繊維を切るくらいの力なら、間違ってフォズリさんに当たっても猫に引っかかれたような切り傷ができる程度かもしれません」
「ありがとう。あなたの勇気と決断に感謝します」
「いえ、お礼はやってからください」
それで一つの方策は決まった。
邪魔になってはいけないと横合いから茶々も入れず、二人の会話が終わるのをじれったく待っていたカッシュが声を荒げる。
「だから少年、何をするにしても急がんとフォズリが殺されるぞ! ウルシュカだって死ぬ!」
「だから今、助けようとしてるんです」
「……は?」
遠くから、かすかに小さな地響き。
どこからともなく、こちらに近づいてくる得体の知れない気配がある。
「ユリカさん、僕の合図にタイミングを合わせてください」
「はい」
少年とユリカは顔を見合わせてうなずく。
小さかった揺れが徐々に大きくなってくることでカッシュも何事かを察知しているが、それが何なのかはまったくわかっていない。
ただ不安と焦りだけが振動に伴って大きくなる。
肝心のボルニスは自分の顔の前でフォズリが騒ぎながら暴れるので気づいていないらしい。
「何かやるんだな? じゃあ俺にも教えろ。奴にばれるのがまずいなら小声でな?」
「三、二、一……」
と、少年にも余裕がないのか、カッシュは完全に無視されてカウントダウンが始まった。
説明もなく、何かが始まることだけは確かだ。
自分が何をやっていいのかもわからず、ちょうどゼロになったタイミングでカッシュは舌打ちする。
「くそったれ!」
「今!」
「疾風!」
まずはユリカの魔法がうまくいってフォズリの体を自由落下させた。小刀のような風に巻き込まれた後ろ髪が不揃いにカットされ、うなじに一本の赤い線が入り、したたかに尻もちをついて悲鳴を上げたが、それだけで済んだ。
一瞬のことで身構えるのもままならなかったボルニスは”それ”に襲われ、自由を奪われる。
川ほどもある巨大な蛇が地面から飛び出してきて、大きな口を開けたままボルニスの体に食らいついたのだ。
「グ、グヌヌゥ……」
飲み込まれまいと必死に抵抗するが、すでに体は足の支えを失って横倒しとなっており、下半身は口の中。全身の骨がボキボキと砕け始め、魔力が吸い取られていく。
絶体絶命の危機。
不死につながる神性があるとはいえ、身動きの取れない状態で冷静にボルニスは己の終わりを予感した。
「くそ、何かと思えば『神を食らう蛇』か。私が元の体に戻るのを地中からうかがっていたな? エウカリテリにかけられていた呪いは一つではなかったということか」
言っている間にもボルニスの体は破壊され、下半身から頭に向かって少しずつ確実に飲み込まれていく。もはや脱出はかないそうにない。
目の前で起きていることが信じられず、あまりのことに腰を抜かしかけていたカッシュが冷や汗をかきながら問いかける。
「少年、お前はあいつが来ることをわかっていたような口ぶりだったが、知り合いか?」
「いえ、単なる直観です。何かが来るという確信もないのに、さっきは無視してすみませんでした。相手をする余裕がなかったんです」
「よしよし、謝りながら聞いてくれ。一つだけ決めたことがある。今後、わけがわからなくてもお前の判断には従う。……ともかく、今のうちに逃げるぞ!」
逃げるなら今をおいてほかにない。
白骨のこん棒を投げ捨てたカッシュは尻もちをついて痛がっているフォズリの首根っこをつかんで運ぶことにする。先ほどのボルニスの真似をしたわけではないだろうが、それが一番簡単で早い方法だと思ったのだろう。
しかし、手にしたとたん上着が破れた。
ユリカの魔法が思っていたよりも布地を切り裂いてしまったのだろう。
またしても尻もちを打つ羽目になったフォズリは涙目になっている。
「ちょっとカッシュさん、この下は肌着なんですよ! お尻も痛いです!」
「俺なんか体格が変わったせいでほとんど半裸だ! お尻は我慢しろ!」
そう言われたフォズリは右手で目をぬぐった。
立ち上がった後で左手はお尻をさすっている。
「しますします、ほんとは助けようとしてくれてありがとうございます! 文句なんかありません! さっきの声も聞こえてましたよ! 本気で心配してくれてる声が!」
「そんなことより走れるか、無理そうか!」
「走れます! 逃げましょう!」
と力強く答えたそばからフォズリはよろめいた。
その場で踏ん張ることもできず、頭から転んで腹ばいになった。
足に力が入らないのか、地面に手をついて上半身を持ち上げるのがやっと。その場から動けそうにない。
声だけは元気なので叫ぶ。
「走れません! 逃げられません! 以上、報告終わり!」
「境界封穴では普通に走ることも難しいらしいな! ウルシュカがその体を酷使してしまったこともある! 抱えるぞ!」
「わっ!」
事情が事情なので、急いでいるあまり返事も待たずにフォズリを肩に抱える。
その逆の肩にユリカを乗せようとしているのは少年だ。
「カッシュさん、余裕があるならユリカさんもお願いします! 魔法を使った疲労があって、自分の足で走るのが無理そうで!」
「任せろ! できるやつができることをやる! 実はちょっと借りを作った気がして力が抜けてきたんだが、こうしてフォズリを助けられたのはユリカが頑張ってくれたからだ! ほら、乗れ! 安全な地点まで運んで借りを返す!」
「あ、は、はい!」
落ちないようにと熱心に支える少年の手助けを得ながらカッシュの腕を伝って、なんとか彼の肩に乗るユリカ。
それを手で支えて、右肩と左肩に少女二人を乗せたカッシュの走り出す準備は万端だ。
慌てて走り去ろうとする四人を見てか、今にも丸呑みされる寸前のボルニスが笑う。
「どこへ急ごうというのか。神は人間と精霊にとっての敵だ。不完全な神性でほとんどの人間や精霊は気づかないだろうが、それでもお前ら二人は地上世界の敵となったのだぞ」
「黙れ。今にも飲み込まれそうな蛇の餌め。俺たちは人間だ」
「いいや、お前ら二人は違う。神討ちの英雄、エウカリテリの子孫たちが見逃すはずがない。カカッ! 何百年も眠りながら、数々の人間に受け継がれてきたという八つの魂が目覚め、不死の神さえも殺した八種の力で貴様らを狙うだろうな! カッカッカ!」
その一つ、神食いの力によって神性を弱められたボルニスは巨大な蛇に飲み込まれ、捨て台詞を最後として神々にとっての牢獄である冥界へと落とされた。
ひとまずのところ獲物はボルニスだけだったのか、地面に横たわった巨大な蛇は眠ったように動きが止まる。
「あの蛇がこちらに襲い掛かってこないとも限らん。急ぐぞ」
「はい!」
そしてカッシュを先頭として逃げる少年たちであった。
その後、別の神や魔物と遭遇することもなく遠くまで逃げ走ってきた四人は立ち止まって息を整えた。
さすがに疲労を隠せないでいる様子のカッシュが二人の少女を地面に降ろすのを待ってから、最初に顔を上げたのは少年だ。
「カッシュさん、そろそろ地上に戻りましょう。ここで扉を開けば城の近くに出られるはずです」
「何が何だかわからんが、近すぎてもまずいんじゃないか? 城って言ったら領王の本拠地だろ。敵だってわんさかいる」
「ですので、まずは森……いや、これは山かな。ともかく、ちょっと離れたところに出ます」
「それなら安心だ。……で、それとは別の重要な問題があるんだが。俺も一緒に出て行って大丈夫だと思うか?」
軽い口調で尋ねてはいるものの、無視はできない深刻な問題である。
境界封穴に入る前、カッシュは自分の意思に反して少年を殺そうとした。もしこのまま地上に戻れば、また領王の術に操られるんじゃないかと危惧しているのだ。
当然、自分の命がかかっているので少年は慎重に答える。
「一般的には神性は精霊の力よりも強いとされています。なので、不完全とはいえ神性を手に入れたカッシュさんは領王の術に抵抗できるかもしれません。影だけの僕と違い、どうやら全身の骨が置き換わっているので」
「もしも抵抗できなかったら?」
「……僕とユリカさんはカッシュさんに殺されます。今のカッシュさんは先ほどまでとは力が違っているので、二人がかりでも止めることは難しいでしょうね」
たとえウルシュカが万全の状態であったとしても、今度ばかりは組み伏せることもできそうにない。
つまり、領王に操られた時点で少年とユリカの命運は尽きるということだ。
「なら、一つ提案がある。俺とフォズリはお前たちとは別の離れた場所に出るんだ。そうすれば領王に操られてしまってもすぐには手が出せない。もしも操られていなければ、その時は自分の足で城に行く」
いい提案に思える。それが一番安全な方法だ。
しかし少年は首を横に振った。
「戦力が必要なんです。一緒に行きましょう。カッシュさん、きっと大丈夫です」
「根拠はどこにある」
「直感です」
「直感……」
あまりにも自信と確信に満ちた顔で断言されてしまうので、その大胆さと思い切りの良さに頼もしさを感じつつ、ある意味では愕然としたカッシュは何も言えなくなった。
つい先ほど、わけがわからなくても少年の判断には従うと宣言したばかりだ。いくつもの反論や不安が脳内にあふれてくるけれど、何一つ口にすることはできなかった。
それを無言の承諾だとみなして、今度はフォズリに顔を向ける少年である。
「フォズリさん。ウルシュカさんは僕の戦争に協力してくれることになりましたが、それはあなたの意志ではありません。なので、今、ここで聞かせてください。あなたがどうしたいのかを」
生死のかかった覚悟を真剣に問いかけた少年に対して、まるで雑談の一つであるかのような気軽さで聞いていたフォズリはあっけらかんとして答える。
「そのことなら聞くまでもないですよ。ウルシュカの決意は私の決意です。私の決意が彼女の決意でもあるように」
「じゃあ……」
「はい、戦います。といっても私は領王の命令に逆らえないので、ほとんどウルシュカ任せになるでしょうけど……」
二人の会話をそばで聞いていたカッシュはため息をついた。
「お前たちは本当に……」
ただしそれはあきれているのでも馬鹿にしているのでもない。
ある種の強さと覚悟に感服しているのだ。
「よし、行こう。こうなったら一刻も早く領王をぶっ飛ばす。ナァドルドの支配が終わったら全員で抱き合って祝勝会だ!」
そして地上の世界へ戻った五人。
不完全ながらも神性を帯びているおかげで領王の術に操られなくなったカッシュと、ウルシュカが目覚めるまでは両方の手足をロープで縛られることになったフォズリを正式に仲間に加えた彼らはそこで、少女と老人の二人組と出会う。
それは名もない少年にとっては一人の少女との再会でもあった。
ナヴィレア・ノルディン。
領王に命じられた騎士によって滅ぼされたロンヴェル村の数少ない生き残りである。
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