第11章 石松がうけた最先端医療とその保護のために

 多村らはAIが解析したデバイスのデータの内、新型コロナウイルスの抗ウイルス薬に関する報告を聞いたのち、残り2つのカテゴリーについても聞いてみた。


「もう一つのカテゴリーである2051年の世界で石松さんが受けた治療内容は、①右肘関節の複雑骨折において、人工骨の補填と人工関節の置換術および正中神経の接合と上腕動脈の吻合術、②頭蓋骨の陥没骨折において、硬膜外血種の除去と人工骨による頭蓋骨の修復術、③慢性腎障害において、再生医療によって作られた人工腎臓の移植術、④三叉神経根に潜伏していた猫ヘルペスウイルスの殺ウイルス剤投与でした。

 いずれの治療内容は現代の獣医療レベルをはるかに凌駕していると思われます。

 ああ、先生方、何か御質問があれば、その都度頂いたほうが話が円滑に運ぶかもしれません。」


「そうだね。ありがとう、そうさせてもらうよ。

 私たちの行っている治療と対比させてもらうとさらに分かり易いと思いますね。」


「了解です。多村先生。

 まず肘関節の損傷は重篤で現代では外固定による関節固定術しか治療法はなかったと思われます。しかも、血行不良から断脚の可能性もあったと思います。外科医の矢作先生はいかがでしょうか。」


「そうだなー、私なら猫の潜在的なポテンシャルも考えて、最初から断脚を選択していたかもね。」


「ところで人工骨の基本となる素材は今も使われている高気孔率・連通多孔体セラミックスをさらに進化させたものです。

 これは骨との親和性が高いので新しい骨細胞が入り込み、人工骨は徐々に分解吸収され、いずれ本物の骨に置き換わっていく性質を持っていますが、石松さんの場合、人工骨及び人工関節が力学的負荷に耐えられる強度に至るまで、通常の3~4倍の速さで骨形成が行われていることから、骨形成を促進する生理活性物質が使われております。

 その物質の生成過程においては、まだ現代では見つかっていないレアメタルが使われているのですが、それがいつどこで発見されるかまでは解析できませんでした。」


「ちょっと待ってください。人工の骨が実際に自分の骨の細胞に入れ替わるのですか、時間経過とともに。」


「ひろし、おまえ何を勉強してきたんだ。現代医学でもそんなこと常識だぞ。人工皮膚だってそうじゃないか。あまり師匠に恥をかかせるんじゃない。

 そんなことより周囲の骨との親和性、つまりいかにその場に馴染んだ進化型のセラミックが使われているかということ、そして自分の骨形成のスピードを速くさせる生理活性物質に着目すべきだね。」


「流石、師匠はひろし先輩とは見るところが違うわね。ところでAIさん、人工骨やその周囲の結合組織や筋肉そして皮膚などの縫合なんかは今と同じですか。」


「優希先生、次にお話を予定しておりましたところです。手術過程において、人工物の接着、組織の接合においては現代ではまだ未開発の医療用接着剤が用いられております。

 医療用接着剤には高い接着性と生体親和性が求められます。接着性の高いものは生体にとって異物であることが多いので使用部位が限られ、生体親和性の高いものは生体と同じ成分で出来ておりいずれ吸収されるのですが、接着性が弱いという欠点があります。

 現代でも両方の特性を持ったものが開発されていますが、まだ使用部位は限られているようです。

 2051年時点では各臓器・各組織別の接着剤が作られていますので、現代のように縫合糸で縫合するという概念はなくなりつつあります。」


「あら素敵、私が思い描いていた通りに進んでいくのね、素晴らしいわ。親和性が高いという点はクリアーできても、その働きが弱ければ意味なかったのよね。そのあたりがクリアーできたんだわね。」


「そうですね、皆様方が望んでいる医療は、もうすぐそこまで来ているようですね。さて次に行きます。」


「ちょっとまってくれないか、先ほど出てきたレアメタル、生理活性物質を作るための必要不可欠とも言えそうなレアメタル、こいつの情報をもう少々聞きたいね。」


「多村先生、確かに、この多分近い将来発見されることになるレアメタルはこれまでの話のキーになることは間違いありませんが、私の能力を駆使し、予測機能を最大限に発揮しても、恐らく日本の沖永良部島周囲のEEZ内の深海から採取される確率が最有力とまでしか言えません。しかし我が国で発見されるであろうことは、かなり有力です。」


「それは、何か根拠でもあるのかい。」


「はい、多村先生。AIは根拠のないことは決して言いません。

 しかし、その根拠が今一つ強くありません。というのも、先ほどお話しした、骨形成を促進する生理活性物質を製造している会社名が日本の企業であったというだけなので想像の範囲です。

 それでは、あまり突っ込まれたくないので次に行かせていただきます。

 慢性腎障害の治療においては、右の腎臓が萎縮しておりほとんど機能していない状態でしたので、人工腎臓を移植してあります。

 人工腎臓は現代ではまだ研究開発中のiPS細胞による再生医療とティッシュエンジニアリングの技術が用いられております。

 iPS細胞により腎細胞の再生は近いうちに実現するでしょうが、腎臓のようにいくつかの細胞からできていて、複雑な働きをしている臓器を再生するのは難しい課題でした。

 そこで、ティッシュエンジニアリングといって再生した細胞が決められた場所で働くための骨組み(マトリックス)を作り、その細胞が増殖するための生理活性物質を組み合わせることで人工臓器を作るという高度な技術が用いられたのです。」


「素晴らしいです。これぞ私たちが今望んでいる最先端技術そのものです。本当に現実になるのですね、しかも近い将来。またこの分野でも生理活性物質、レアメタルがキーになっているわね。」


「その通りですよ、優希先生。

 さらに、三叉神経根に潜在しているヘルペスウイルスは、既に薬としては現代も使われております抗ウイルス薬のレナビシンを局所に働かせる技術で殺ウイルスしてあります。この技術は生体がウイルス疾患にかかり、治癒したと思っても潜在的に局所にウイルスが残ってしまった際にポイント的に殺ウイルス剤を送り込む技術を利用したものです。」


「これはどのような技術なのかい。」


「相変わらず多村先生は向学心がお強いようですが、この解説にはちょっと小難しい知識がいりますので簡単な解説にさせてください。

 ウイルスに標識をつけることに成功したと同時に、その標識が、また抗ウイルス薬を体内で誘導する役割も果たしてくれる。そんな標識となる物質が開発されたわけです。

 最後になりましたが、もう1つのカテゴリーは、おそらくモニタリングされている生体情報の数値のみです。

 このデバイスではセンサーがバイタルといくつかの血液生化学項目をリアルタイムでモニターしていて、AIに送信したデータに異常が見られれば、管理者に通知が行くシステムになっていると思われます。」


 AIによる解析結果をすべて聞き終えた多村らプロジェクトチームはあらためて30年後の科学技術の高さに感銘を受けるとともに、そのレベルに達するためには様々な分野のエキスパートの力を結集しなければ達成できないと実感していた。

 また、未来の科学技術の結晶であるライフデバイスと石松のからだは今まで以上にセキュリティレベルを高くする必要性があると感じていた。

 その石松であるが、相変わらずネット上でも話題にならない日がないほどの有名猫になってしまっていた。ほとんどが彼に好意的な内容であったが、アクコムの岩川のように彼を捕獲し、未だ見たことのない高度医療を何とか商売に結びつけようなどと考える質の悪い輩が出てこないとは言えないことは明らかであった。


 多村達は新型コロナウイルスの治療薬であるプロテアーゼI.H2021t-19の製造に目途が立った頃、その業績を国家から高く評価されたこともあり、様々な要望が許される立場にいた。そこで多村は政府に、石松の身柄を是非ともセキュリティが完備された国の機関で保護してもらえないかと提案していた。

 その提案が直接関係したのかは定かでないが、経済産業省の柴山俊一の所へ最先端医療研究所設立に関する案件が届いた。彼は矢作達人と学部は違えど大学の同期であった。

 実は矢作は並外れた手術の腕を持っていることから別名獣医界のブラックジャックと言われ、本名を隠すように生きていたのには、それなりの理由があった。彼は政府という組織、そして政治家、それに繋がる官僚という組織には強い嫌悪感しかもっていなかった。また彼の生き方も仕事関係の組織というものには一切属さないスタイルだった。しかしなぜか学生のころから、真逆の人生を歩んでいた柴山とは馬が合い、何をするにしても、重要なことは必ず相談し合う仲の良い2人だった。

 今回の最先端技術研究所の案件だが、事の発端は時の権力者、環境大臣から直接、経済産業省の、しかも大臣を通してではなく、官僚トップの柴山を名指しで持ってきた案件であった。この手のやり方は、必ず何かよろしくない案件である場合が多いということには柴山自身は豊富な経験と頭脳から感じ取っていた。柴山はさすがに矢作の親友である、何か裏のありそうな案件を素直に受け入れるほどお人よしではなかった。彼は大学の後輩で環境省に籍を置く者に、恐らく機微な内容になるであろう事柄のため、直接会うことを避け、プライベートなメールで相談していた。


「久しぶりです。柴山です。元気にやっていますか。

 いきなりの相談事で申し訳ないが、お宅の大臣から私に内密に最先端技術研究所を作って欲しいという依頼があったが、なぜ私の所に来たのか、資金調達はどうなるのかなど、はっきりしない点が多いのだが何か情報があったら教えてくれないか。もちろん君に火の粉は降りかからないようには十分注意はする。」


「柴山先輩、大変ご無沙汰しております。お元気ですか。

 その案件ですが、大臣の政治団体への個人的な寄付金が使われるようです。資金について不透明な点はございませんが、環境大臣が直接ということになると何かと問題になるようです。なぜなら、寄付の圧倒的な出所は電力会社関係ということです。つまり、原発事故のその後の生態系に関する情報を収集するための研究所が裏の姿となるようです。

 できたら関わらないほうが良いのではないかと考えますが。」


「ありがとう。ちょっとヤバそうな話だね。つまりは良いデータが出れば公表するが、逆ならば、もみ消すという研究機関を作ろうとしているわけだ。まあ、事故後の生態系への影響がどうか電力会社としては自ら先取り情報を収集したいわけだね、しかも秘密裏にね。

 ところで私の知り合いから、動植物に関する最先端技術を研究する、セキュリティのしっかりした機関についての要望書が国に提出されているのだけど、この際、この資金を使っちまって政府の外部団体ということで、その研究所のようなものを作れないだろうか。環境大臣がやりにくいようであれば、経済産業省の案件とし、寄付金のマネーロンダリングってやつだね。

 その要望者たちに声をかければ、素晴らしいものが出来そうだし、原発事故後の生態系の研究にとっても良いのではないか。悪い目的は無しで正々堂々とできないかねー。

 ちょっと大臣に提案してみてくれないか。」


 こんな裏話があり、無事に研究所設立に向けて計画がスタートしたのであった。間もなく、矢作の所へ柴山から連絡が入る。


「矢作、久しぶり。ご活躍のようで、噂は僕のところまで届いているよ。」


「いやいや、私は大したことはしてないよ。

 たまたま、少し関わっただけだよ。」


「ところで今、国家プロジェクトで動植物最先端技術研究所をつくる計画があるのだが、プロジェクトメンバーに加わってくれないかな。」


「その計画の目的や資金源に問題はないのかい。

 後になって、変な政治スキャンダルに巻き込まれるのは嫌だぜ。」


「ああ、大丈夫だ。

 クリーンな運営ができることは確認済みだよ。」


 矢作にとっては正に渡りに船のような話であった。信頼する柴山の依頼でもあることから、プロジェクトメンバーに加わり、研究所設立に向けて動き出すことになった。

 2023年に動植物最先端技術研究所が完成する。総面積23万㎡、東京ドーム約5個分の敷地に研究施設、研究所職員のための居住エリア、自然環境エリアが設けられ、セキュリティが完備されたシステムになっていた。また、自然環境エリアは陸地、地上とも外部とは完全に隔離されたドーム状の構造で、多種多様な動植物が自然環境と同じ条件で安全に生育できる構造となっていた。矢作は小動物部門の部長に選ばれて、ひろし、優希も上級研究員となった。

 そしてこの研究所であらゆる生物の最先端の研究と人と動植物の共存共栄に関する研究が行われていくことになった。

 石松はこの研究所に保護されながら自然環境エリアで安心して生活することになった。また、犬猫等伴侶動物は専用通路を通じて、ひろしと優希が住む居住エリアとを自由に行き来することができた。

 一方、多村は新型コロナウイルスが人為的に作られたものではないかという疑念を明らかにするために、また今後発生するかもしれない新型ウイルスの対策のために、NPO法人の世界生物化学兵器対策センターで活動することとなった。

 それぞれが新天地での生活に一段落着いたころ、多村は石松のことが気になり優希に連絡を入れた。


「優希ちゃんですか、多村です。石松は落ち着いて暮らしていますか。体調は問題ありませんか。」


「はい、先生。以前よりとても若返ったような気さえします。元気ですよ。

 あ、ちょっと待ってくださいね、スピーカーにして先生の声を石ちゃんにも聞いてもらいます。

 石ちゃん、ここに来て、多村先生からお電話よ。」


「親分、元気かい。」


「まあまあだ。俺に何か用でもあるのかい。先生の頼みなら何でも聞くぜ、話してくれ。」


「いやいや、私のことでなく、おまえさんのことだよ。

 実はおまえさんが姿を急に消して、戻ってきたと思ったらまた居なくなったので、世の中の猫達の動揺ぶりは凄いことになって、渡世猫たちの世界もまだまだおまえさんの噂話で持ちきりで、収集がつかなくなっているようだ。

 そこで一つ、事態を治めるために飛脚猫達を使って、おまえさんが無事に生きていることや体験したことなどを声明として流したらどうかと思ってな。」


「いやいや、俺が思っていた以上に俺の猫界に与える影響が大きいってことだな。出しましょう、その声明。」


 そんな経過で石松は仲間達や東海道のボスたち向けて、猫飛脚を使い声明を出すことになった。石松は明らかに猫界に語り継がれていた大親分のスピーチを意識していたようである。そう、感染症で猫族が絶滅の危機に悠然と猫たちを正しい方向に導いた伝説の大親分、その名も、そめきち様の声明である。いつかどこかで自分も憧れていたことは事実であった。そんなチャンスが巡ってきたのである。その彼が魂を込めた声明がこれだ。


 親分猫石松の声明。

「既に噂話で私、石松のことは皆様方には十分に伝わっていると思います。無論正しいものもございますが、まちがっていることも多々あります。それが世の常というものです。

 まず私は今も元気に生活しております。ただし、事情である施設に保護されている身でございます。が、十分に快適な生活環境であることは付け加えておきます。

 私が交通事故で車にはねられた時、皆様方の目の前の世界から姿が消えてしまったことも事実であり、またこうして今現実に皆様方にところに戻ってきたことも事実でありますが、その辺の経緯については、簡単には説明できないのでここではしませんが、問題は私が見てきて、体験してきた世界について皆様方にお話しせねばなりません。

 かつて私たちは酷い感染症で絶滅しそうになった経験があります。そうです、そめきち大親分の語り継がれている声明のことです。そこで私たちは無事に難を逃れることが出来ましたが、今回人類が体験したコロナ感染症は、ちょっとそういうわけにはいきませんでした。私は未来の時空に入り込み人類がどういう方向に向かっていくかを知り愕然としました。

 人類の、いや私たちの近未来は決して明るいものではございませんでした。そこで私が見聞きした体験を、現代にどれだけ生かしきれるかの挑戦が始まったのでした。かつて人類が我々の絶滅の危機をワクチンという形で救ってくれたことへの恩返しにでもなればと、私は命を懸けて、この挑戦をサポートすることを誓いました。

 この地球で人類が滅亡することは、即地球が壊滅することを意味するのです。今こそ我々は一丸となり、人類を、いやこの地球を良い方向へ導く必要があるのです。

 私は、ある施設に保護されて、今後皆様方の前から姿を消す結果とはなりますが、いつまでも元気で楽しく暮らしていくことを、ここに御報告するとともに、もし今後人類が、平和に健やかに暮らしていったとしたら、この石松が、その成功の懸け橋になったと、我々猫族で語り継いでくだされば、大いに満足であります。

 私のような猫を親分と慕ってくださった方々に心より感謝しております。

 そして地球上のあらゆる生物が健全に過ごしていける環境造りに我々猫も大いに貢献していけるよう心より期待しております。」

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