第7章 帰ってきた石松

 2021年7月、駿河ひろしは、師匠の言いつけを守り石松が消えた等々力公園の現場で1日の大半の時間を過ごしていた。なぜか矢作は石松がタイムスリップした現場に再び戻ると確信していたようだった。彼はそんな人間であった。

 ひろしは真面目な男であった。忠実すぎるほど言いつけを守り、その日の夜もテントを張り、彼の帰りを信じて待ち続けていた。

 夜中のことだ。ひろしがうたた寝をしていた時、突然テントの外側に何か落下してきたような音と衝撃を感じ、慌てて外へ出ると、一匹の茶トラの、片目の、迫力のある外見、会ったことはないが明らかに石松親分と呼びたくなる風貌をした猫が佇んでいた。


「君、石松君だね、はじめまして、だけどね、ぼ、僕はひろしです。よろしく。」


 ひろしはついに師匠の期待に応えるべくビックチャンスが訪れたと感じていた。しかしそれは彼を捕獲出来たらの話である。一目見た感じでは人間のひろしに簡単につかまりそうな様子ではないことは、彼でなくてもすぐにわかった。猫とは言え石松とひろしでは所詮役者が違っていた。彼はテントに置いてあった魚を捕る網を取に行ったが、その時石松はもうすでにゆっくりと歩きだしていた。


「石松さん、どこへ行くのですか。」


 ひろしは、兎に角後をついて行った。すぐに気が付いたのだが、タムラ動物病院の方角であったのでひとまず安心して様子を確認しながらついて行った。無事に病院の敷地内に入ったところで、院長を起こそうと声をかけようとしたら、石松が一発大声で叫んだ、ニャーーー。

 ほぼ、そうほぼ同時と言えるほどのタイミングで多村は表に出てきた。


「石松、お帰りー。やっと帰ったね。」


 石松の叫び声を一発で聞き分けた多村もただものではないと、ひろしは感じていた。


「おお、ひろし君も一緒でしたか、ということは公園に戻ってきたんだね、親分は。

 ひろし君もご苦労様でしたね。さあ入りましょう中へ、優希ちゃんにも遅いけど連絡してみよう。」


 多村とひろしが部屋に入ると一足先に入っていた石松は疲れたのか既に寝込んでいた。ほどなくして優希も駆けつけてきたが、あまりに石松が深い眠りについているようだったので、そのまま起こさずに再会を懐かしむように見守っていた。

 優希は石松の体調が気になり、すぐにでも検査をしたいと思ったが、見た目には健康そうで、むしろ失踪前より少し肉付きも良くなっている様な気がして安堵するとともに、兎に角無事に帰ってきてくれたことだけで感謝の気持ちいっぱいであった。

 多村も優希と同様の感情を抱きながらも、石松がタイムスリップして戻ってきた現実を冷静に考えてみると、これから歴史を変えるような大きな出来事が起こるのではないかという、期待と不安で複雑な気持ちであった。

 翌日まで、滾々と石松は眠り続けた。その様子は、この1か月余りの時空の旅から現実の世界の生活に戻るためには必要な時間のようであった。

 結局その夜は皆、石松を囲んで、石松の思い出話や、時空から消えた1か月にどこで何をしていたかの憶測の話で尽きなかった。

 ひろしから連絡を受けた矢作も翌朝病院に来ていた。ただ、彼は石松のことが気になるというよりも、時空を超えた猫の生体に何が起こったのか医学的な興味があったのだ。


「先生、おはよう、元気かい。」


「おう石松、そいつはこちらのセリフだよ。

 足と頭にちょっとした傷跡がみられるけど、何かあったかい。」


「先生よ、驚かないで聞いてくれよ。

 1か月くらい前のことだけど。俺も年だな、油断していたら車に撥ねられてしまってさ、気が付いたらなんと30年後の世界にいたのさ。

 しかも運ばれた医療センターには優希先生がいて、俺を治してくれたんだ。

 生きるか死ぬかの重症だったみたいだけど、後遺症はほとんど無いぜ。

 凄いぜ未来の医療は。」


「やっぱりそうだったのかい。

 私たちも防犯カメラでお前さんが時空から消えたところまでは確認できていたんだ。

 30年後か、あまり先過ぎてイメージが湧かないなあ。

 私はまだ生きているのかなあ。」


「う~ん・・・。優希ちゃん何も言ってなかったなあ・・・。

 少なくとも先生には会わなかったよ。

 それより、30年後の世界は大変なことになっていたぜ。

 今のコロナウイルスがどんどん強力な株に変異していって、人類滅亡の危機があるらしいぜ。

 そこで、優希ちゃんから先生へ重要なメッセージを預かってきたんだ。

 今から準備すれば何とかその危機を回避できるんじゃないかって言っていたよ。

 俺の背中に埋め込まれているデバイスとやらにいろいろな情報と優希ちゃんからメッセージが記録されているみたいだから確認してみたらどうだい。」


「そうかい、ちょっと見せてごらん。

 なるほど、これなら局所麻酔すれば痛くないように取り出せるね。早速やってみよう。」


 しかし、記憶力に優れている猫族もさすがに長旅の疲れか、石松は優希から言われていた大切なことをうっかりと伝え忘れていたことに気が付いた。そうデバイスを自分から取り出したら充電が1時間ほどで切れてしまうということだ。しかし時すでに遅く、デバイスの取り出しは簡単に終了していた。

 多村はデバイスを見て有線でデータを取り込むようなコネクターらしきものは確認できなかったので無線で試してみることにした。

 Wi-Fiで微弱な電波を認識できたが間もなく消えてしまったことから電源が必要だということが分かったが、充電の方法が皆目見当がつかなかった。すると、矢作が生きた生体の中でのみ何らかの形で充電ができるのではないかという、ちょっと考えも及ばないことを言いだした。

 しかし一理あると皆が認め、石松に提案してみると、もうそんなもの体に入れて欲しくないと部屋から逃げ出してしまった。

 そこで、石松の生体とできるだけ同じ環境に近づけてみようと、試しに他の猫の心電図を取り、電極の1本をデバイスに経由したところ、なんと驚くことに充電がはじまったのだった。


「ひろし君、十分充電できたようだから試してみてくれないかい。」


「わかりました。」


 ひろしはパソコンからWi-Fi経由で認識したデバイスを開いてみた。


「何かわかりませんが、膨大なファイルが確認されますが、あ、ちょっと待ってください。これは、“多村先生へ”という我々が使っているようなタイプのテキストファイルがありますが。」


「それ、開けますか。」


「やってみますね。開くと思いますよ。でも他のファイルはなんだかわけがわかりませんね。」



 多村先生へ

 先生がこのテキストをお読みになっていることを心からお祈りします。

 私がいる時代が人類滅亡の危機に瀕していることは石松から聞いたと思います。

 去年、ようやく日本人科学者が新型コロナウイルスの万能薬としての抗ウイルス薬の開発に成功しましたが、残念ながら既にmRNAワクチンに対する抗体を持つ人々で占められている世界ではあまり意味を成さなくなってしまいました。しかしそちらの時代で、この薬がmRNAワクチンの影響で変異した最強毒株が出現する前に開発されていれば、歴史は変わっていたのではないかと思います。

 時空を超えてこちらの情報が先生まで届くか分かりませんが、皮下に埋め込んだライフデバイスと呼ぶ、そうですね、マイクロチップのようなものにデータを入れておきました。

 また、石松に施した手術内容、再生医療、投与した抗ヘルペス薬などの情報もいれてありますので、いずれ獣医学の発展に役立つことと思います。

 しかし、データファイルを開くためにはいくつかの問題があります。ファイルを開くアプリとOSが必要で、それらも全部デバイス内に入れてあるのですが、デバイス内で起動させることは出来ません。なので、別のコンピューターに転送してから起動してみてください。

 ファイルが開くかどうか確信は持てませんが、今の私の力ではここまでとなりそうです。

 新薬の開発は大変なことだということは承知していますが、何とかこの状況をそちらの時代で食い止めてください。

 なお、プログラムの起動パスワードは2021年の私に聞いてください。ずっと変えていませんので。

 2051年7月15日

 松原優希



 優希のメッセージを読み終え、にわかには信じがたい内容に、しばらくは皆呆然としていた。しかも、メッセージの差出人は30年後の優希に間違いないという事実を目の前にしたとき、本当に石松は時空を超えて旅してきたということを確信したのである。そして、みんなは人類の救世主となるべく責任と重圧をひしひしと感じながら、決意と希望を胸に抱いていくのであった。

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