第5章 2051年にタイムスリップしてきた石松

「松原先生、松原優希先生、急患です。重症の猫ちゃんです。大至急外科の第一診察室までおいでください。」


 松原のドクター専用のウエラブルイヤホンに第一報が入ったのは2051年の夏の暑い日であった。彼女は直ぐに行くとだけ叫びながら走り出し、数分で診察室に着いた。

 着いた時にはすでに搬送された猫は各種センサーが搭載された電子カートに乗せられた時点でバイタルチェックは済み、看護師により血液、尿のスクリーニング検査および3Dレーザースキャンによる検査が済んでいた。データはすべてAI搭載の獣医療支援ロボットに転送されていた。

 そして意識のない猫を見て彼女は叫んだ。


「石松、石松、いやそんなはずはない、まさか、ありえない絶対に、ないわ・・・ ・・・。」


「先生、お知り合いですか、この子。空中タクシーのボンネットに突然落ちてきたらしいですよ。」


「どこから、いやどこで。」


「川崎の等々力公園の辺りだそうです。」


 二人の会話を遮るようにAIが検査結果による診断とエビデンスに基づいた適切な治療法の提案を彼女に解説し始めた。


「待って。その前にこの子のマイクロチップのデータを知りたいのだけど。」


「はい、それなのですが、バージョンが古いためか読み取ることができません。

 いやちょっと待ってください。

 私の能力の限界と思われても困るので、バージョンが古くて読み取れなのではなくチップが破損しています。

 何か放射線物質による被ばくか、あるいは高磁気や高圧電流にさらされたのかもしれません。

 うーん、原因はよく分かりません。」


「AIでもわからないことはあるのね。仕方ないわ。ではこの子の状態でわかる範囲のことを教えてくれるかしら。」


「やや感じの悪い言い回しですね、でも了解です。

 この子の現状は、外傷は頭部に陥没骨折があり、そのため硬膜外の出血があります。

 右前肢は前腕近位端の一部、上腕遠位端の一部の粉砕骨折、その間の肘関節はほぼ原形がないほど砕けています。前腕の一部は開放骨折になっています。

 また、軽度な虚血性のショック状態ですが、幸いにも外傷だけで、脳内および胸腔内、腹腔内には異常はございません。ただ、慢性腎障害ステージ2で、右の腎臓は萎縮しております。

 それと時間は経っているようですが右目の眼球が摘出されております。昔流行した猫ヘルペス感染症が原因のようです。念のため三叉神経周囲に残存していたヘルペスウイルスは既に抗ウイルス薬で始末しておきました。」


「上出来ね、ありがとう。あと追加の検査でDNA検査をお願い。

 結果は私のスマホにアップしてもらえるかしら。

 では、最適なオペプランを端的に解説してちょうだい。」


「DNA検査をされるなんて珍しいですね。

 結果はすぐ出ると思いますが、何に使われるのですか。」


「いいのよ、気にしなくて、ちょっと知り合いの子にあまりにも似ていたので確認しようかと思って。」


「そうでしたか。失礼しました。ではオペプランの解説をさせていただきます。

 現在脳がショック状態で、いわばシャットダウンしておりますが、この昏睡状態からおよそ47時間で意識を回復します。その間にオペを済ませてしまうのが最適かと考えます。」


「オペ中のバイタルや痛覚は完全にコントロールできるということね。」


「はいできます。オペは頭部の痛んでいる骨を取り除き、血腫を取り除いた後、人工骨をはめ込みます。前肢は前腕の近位3分の1から肘関節を挟み上腕の遠位3分の1まで3Dプリンターでつくった人工骨および関節に置換します。

 腎障害については、まずiPS細胞から腎細胞を再生し、それから人工腎臓を作成しますので、移植は後日になります。

 よろしければ目について、現在期間限定ではありますが、治験中の良い御提案がありますが。」


「聞かせて、一応。」


「人工眼球です。ただカメラで読み込んだ情報を脳内に埋め込んだセンサーに送る方法なので、解析をするホストコンピューターが受信できる範囲ということに今のところ限定されてしまいます。」


「なるほど、それはだめそうね、この子は元気になったらどこかに行ってしまいそうな気がするから、やめておきましょう。

 そういえば、左前肢、この子は右目が見えないせいで左足を半歩いつも前にだしているのよ。だから右のポテンシャルを5%くらい左より下げて作ってもらえるかしら。」


「ドクター、なぜそれを知っているのですか、また、失礼ながらの質問ですが。」


「なんとなくイメージで、この子の立ち姿が目に浮かぶのよ。あなたたちには分からないことよ。そこが私たちの優れているところよ。データに入れておきなさい。

 さあ、用意が出来たら教えて頂戴、直ぐに始めるから。」


「ドクター、失礼ながら、わりと簡単なオペです。わざわざ部長先生が執刀する必要はございませんが。」


「私がするわ。絶対に私がする必要があるのよ。だめよ、これ以上質問は受け付けませんから。」


 松原優希は部長室に戻るとDNA検査結果は出ており、早速プライベートクラウドに保存してあった彼女が30年前に同居していた石松のデータと比較してみた。


「やはり完全に一致するわ、石松、私の石ちゃんに間違いないわ。でもどうして、どうやって・・・ ・・・・。」


 石松が失踪した時に残した首輪についていた血液から念のためDNA検査をしていたことが今になって役に立ったのである。

 オペは無事終了し、2021年には考えられていないポテンシャルを持つ人工骨による頭蓋骨の修復と、人工関節が患者の前肢に置換された。また、当時は人でも主流になっていたライフデバイスを皮下に埋め込まれた。それは個体情報の記録だけでなく、GPS機能とバイタルや血液データをリアルタイムでモニターでき、さらにこの個体の治療の記録や投与された薬、今回の場合は、猫ヘルペスウイルスに効果のある抗ウイルス薬であるレナビシン投与の記録と特殊金属で作られた人工骨を置換した記録もデバイスに上書きされていた。

 推定覚醒時間の47時間が過ぎようとしたとき、突然石松が目を覚ました。


「ここはどこだい?どうしちまったのだ?

 確か、車に撥ね飛ばされたところまでは憶えているが・・・。

 ずいぶんと快適なベットだな。まるで宙に浮いているみたいだぜ。

 もしかして、ここはあの世か?」


「どう?どこか痛くはない。起き上がれる。歩いてみてもいいのよ。何か食べてみる?」


 石松は聞き覚えのある声、特に、「何か食べてみる?」という何回も聞いたことがあるフレーズに優希だと確信して振りむいた。


「優希ちゃん、ん?何かいつもと違うぞ。

 急に年取った?見たことない服着ているなあ。

 え?なぜ泣いているんだい。」


 優希は懐かしそうに、やさしく石松の体を撫でながら、涙を流していた。


「石松ちゃん、戻ってきてくれて本当にありがとう。30年間ずっとあなたのことを思わない日はなかったわ。」


「おいおい、俺は30年間眠っていたのか?

 そんなことはあり得ないだろう。訳がわかんねえなあ。

 そうだ多村先生に聞けばわかるよな。先生はどこだい。

 先生、先生・・・。」


 石松は突然立ち上がったかと思うと吠えながら入院室内をうろうろと歩き回り始めた。その行動を見た優希は石松が多村を探し、呼んでいることを察した。

 優希は石松が人の言葉を理解することは知っていたので、30年前に起きたことから、その日までのことをすべて話して聞かせた。もちろん多村が逝ってしまったことも・・・ ・・・。

 すべてを理解した石松は目を閉じ、ベッドにうずくまったまま暫く動かずにいた。

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