第2章 石松の失踪

「先生、せんせーい。」


「聞こえていますよ師長さん、そんなに大声で呼ばなくても、入院の動物たちがびっくりしますよ。何事ですか。」


「動物医療センターの松原先生というかたですが、何やら先生に急用みたいなのです。

 はい、どうぞつないでください。私も忙しいから。」


「松原先生って。それ石松を面倒見ている優希ちゃんじゃないか。確かその医療センターで研修していると聞いていたから。」


「ああそういえば、声が似ていたけど、何か訳ありの様だったから、先生、早く替わってください。」


 やはり電話の主は松原優希だった。

 優希と石松は彼女が高校2年の時、等々力公園で石松がまだ地域猫として生活していた時に出会っていた。初めはたまに食餌を与えるだけの関係でふれあいを持つことはなかった。なぜなら放浪猫として幾多の荒波を乗り越えてきた石松は警戒心が強く、特定の人にしか体を触らせなかったからである。ところが石松が目の手術による傷が癒えて公園に戻ってからは目に見えない糸で結ばれたかのようにお互いの距離は急速に近づいていった。

 なぜなら、彼女は9歳の夏休みに親の故郷の清水で交通事故に遭い重傷を負った時、偶然近くにいた猫が事故に巻き込まれて亡くなっていた。怪我は治ったものの亡くなった猫のことが忘れられずにずっと心の傷になっていたのだが、石松との交流でその傷が癒されていくのを感じたからである。そして石松も彼女から事故による傷跡の話を聞く中でその時亡くなった猫は自分の父親であると確信したからであった。

 その後彼女は獣医師を志し、大学卒業後は行政が運営する動物医療センターで研修を受けているところであった。


「多村先生、昨日から石松が帰って来ないのですけど、そちらにお邪魔していませんか?」


「いや、昨日も今日も来てないけど。また、どこか放浪の旅に出ているんじゃないの。」


 と、多村は言ってみたものの、数日前に石松と会った時には何も言ってなかったので、一抹の不安を感じていた。また、彼女も石松が病院に訪れていないことを聞き、不安感を一層強くしてしまったようだった。

 皆不安な気持ちを持ちながら2日が経過した日、石松がよく日向ぼっこをしていた公園の管理人から優希に連絡が入った。公園に落ちていた首輪の名札から連絡してくれたのである。すぐに優希が確認すると石松愛用の赤い首輪に間違いなかった。しかもその首輪にはかなりの血痕があったので、事故に遭いケガをしている可能性が高くなった。

 早速、優希は多村に報告し、手分けして警察やボランティア、動物病院、動物管理センターに情報を求めてみた。気は進まなかったが近隣の動物霊園にも確認をしてみたが、一切情報は得られなかった。尤も石松にはマイクロチップが挿入されていたので、どこで保護されても飼い主は特定されるはずであった。

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