第3部 石松の時空の旅編
第1章 新型コロナウイルスが蔓延
「先生よー、お暇ですかい。」
「おお石松さんか、相変わらず毛の艶がよろしいようですね。
おまえさんたちには新型コロナウイルスは関係ないようだし、これといって流行病の心配はないから、穏やかな生活をおくれているようだね。」
「おう、有難いことにな。
それはそうと先生、なんか今日はやけにだるそうじゃないか。」
「よくわかったね。実は昨日新型コロナウイルスのワクチンを受けに行ってきたんだよ。昨夜から接種部位が痛くてだるいんだよ。まあ寝込むほどのこともないけどね。毎年インフルエンザのワクチンでは、なんともないのだけど、初めての経験だからね。」
「そうだったのかい。まあワクチン接種の普及が今は頼みのようだけど、俺たちにもその昔恐ろしいウイルスに苦しんだ時代があったんだ。」
「それは・・・、猫パルボウイルス感染症が大流行したときのことかい。そうだなー、もう35年くらい前のことだと思うけど、」
「そう、それだ。俺たちの間でも当時のことは語り継がれているさ。
それはそれは多くの仲間が犠牲になったと聞いているよ。」
「その通りだ、私も良く憶えているよ。
当時は大学出たての新米臨床医で、毎日のようにパルボに感染して病院に運ばれてくる猫ちゃんたちを診るのが辛くて辛くて、朝病院に行く足が重たかったよ」。
「先生のお歳だとあの時代を憶えている生き証人なわけだね。」
「まあそうだが、悲しい思い出しかないよ。
当時はまだおまえさんとこうして話せるような技はなかったからね。
猫さんがどんな思いで旅立って行ったのか、どうやってあの悲惨な感染症を乗り越えていったのかも、直接聞けたわけではないのだよ。」
「そういうことなら俺たちの猫社会で語り継がれていることが、今の人間たちの混乱に多少なりとも参考になるかもよ。」
「それはいいじゃないか。ぜひ教えてくれよ。」
「俺たちが猫の集会と呼ばれている会議を定期的に開くのは知ってるかい、知ってるよな。
当時、その集会の中心メンバーたちは東京でキャットサミットを開く予定だったんだ。
だが、東京はパルボの感染リスクが非常に高くて、地方から入ることもまた地方へ出ていくことも禁止されていた。当然大きな川を越えての往来も完全にストップさせた。そうさロックダウンよ。
だから、サミットは神奈川県側の多摩川河川敷で行われたんだ。」
「ロックダウンとは厳しいね。
でも、各地から集まってくる親分猫たちは例外だよね、当然。」
「まあ、確かにな。でもそのための対策も万全だったんだ。
聞きたいかい、先生。」
「何だいじらすのかい、まさか腹が減ったとか。」
「その通り、夢中になると腹が減る。」
「わかった。さっきフードメーカーからサンプルがたくさん届いたから好きなもの食べていいよ。」
「ハイハイ、話しましょう、頂きながら。
実はね、当時多摩川の河川敷には人間が入り込めない藪の内側に広大な敷地があったんだ。そこは多くの猫達が苦労して作った運動場のようなものだ。そこでは毎年祭典が行われ、全国から勝ち抜いて集まってきた狩り自慢の猫たちが、その卓越した技を競っていたんだ。
そんな場所だから、セキュリティも厳しくて、完全に外の世界とは隔離された造りになっていたんだ。いわば我々の聖地といっても過言ではない。」
「なるほどそこでサミットは開かれたわけだ。
でも当時のパルボ禍の中で誰がそこでの開催を決めたんだ。」
「鋭い質問だね、あいかわらず。」
「だって、そこは知りたくなるだろ、当然。
感染拡大のリスクを考えたら主催者の責任は重いぜ。」
「確かにそうだな。でもそのサミット以降俺たちは感染を減少させることができたんだ。まあ、会議を取り仕切った大親分のお陰だけど。」
「いいから、そのキーパーソンを早く教えてくれよ。」
「良し、パーソンではないが、神奈川全域を治めていた大親分そめきち様だ。
彼はその時ネコリンピックの会長だったんだ。」
「なんだいそのネコリンピックとは。」
「ああ、まだ言ってなかったかい。例の祭典の正式名称だよ。」
「そうかい、それで、実際にはサミットはどうやって開催したんだ。」
「まず会場に入るためのチェックが厳しかったようだ。
それは当時ブルーテントのホームレスと同居していた猫に頼んで、1週間、そこで隔離生活をし、問題ない参加者だけを会場に入れたらしい。
俺たちの統計では、パルボは感染してからおおよそ1週間で発症することをすでに掴んでいたらしいからね。」
「おおかなり厳しいやり方だったようだね。おまえさんたちもエビデンスに基づいた判断をしていた訳だ。」
「そうさ、俺たちの未来がかかっていたからね。」
「会議では何が話し合われたんだ。」
「そめきち大親分の独壇場だったらしいよ。その時の大親分の伝説の声明があって、代々語り継がれていて、もちろん俺は暗唱できるから、聞いてくれ。」
『パルボの感染リスクの高い中、よくぞお集まりいただき、深く感謝しております。私たちはこの辛い状況から何とか脱しなくてはいけません。私たちの代で猫族が絶滅するなどありえないことです。
そこで私はいくつかの決断を皆様方に是非とも同意していただきたいと思います。それは我々が生き抜くための手段です。生き抜くことさえできれば自然と平和な世の中に戻ることは間違いないでしょう。
まず皆様が待ち望んでいるネコリンピックの開催は見送ります。今の状況では不可能です。
そして、このセキュリティの完璧な会場をネコリンピックとは別の形として、つまりパルボ感染症の終息のために使用しようじゃありませんか。
それはパルボに感染している同志をこの場所に集結させて、パルボ感染から立ち直った者たちにボランティアとなってもらい感染症の猫の世話をさせるという考えです。パルボ感染から治った猫は再び感染はしないという報告があります。もちろん専門家にも確認しております。それを信じて、やってみようじゃありませんか。
これで感染を封じ込めれば、代々この年のネコリンピックは、形は変わりますが、高く評価されるでしょう。さらに参加するはずだった選手たち全員には感謝の金メダルを私、会長の責任でお渡しするつもりです。いかがでしょうか皆さん、我々猫族がこのような英断をした生き証人になろうではありませんか。』
「先生、どうだいそめきち親分の声明は、
これを聞いたサミットのメンバーは誰一匹として反対する者はいなかったとさ。」
「凄い話だな。我々もおまえさんたちに学ばなければならないな。大きなことを決断するには犠牲はつきものだけど、長い目で見れば何が最善策かを考えないとなあ。このままだと人類は近い将来滅亡かなあ。」
「滅亡だって、おいおい先生、そりゃ困るぜ、チュールは誰が作るんだい、人間様が居ないと俺たちは困るぜ。しっかりしてくれよ。長い間助け合って生きてきたんじゃないか。」
「それもそうだね。ためになる話を聞かせてくれて感謝するよ。
おまえさんに心配してもらって、本当に心苦しいよ。親分から見て私たちが変わっていったらよい点などあればアドバイスしてくれないか。」
「そうだな、これからのことを思うと、この国の政治が変わっていかないと心もとないかな。
特に大きな決断をするときは、そめきち大親分みたいな救世主が現れないと難しいと思うぜ。」
「なるほど。」
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