第3話 みお君の話

「石松さんよ、最近退屈でしょうがない。なんか面白い話はあるかい。」


「あるに決まってるぜ。とっておきの話よ。長い話になっちまうから寿司でも食いながら聞いてくれ。」


「おお、なんか渡世人っぽくなってきたな。いいじゃないか、聞かせてくれよ。」


「よっし、分かった。

 この話は俺の片腕ともいえる兄弟分のみお君のことなんだが、

 奴が昔目黒を仕切っていた時、ある日線路に迷い込んだ子猫を助けようとして電車に巻き込まれてしまったんだ。

 普段は絶対に線路には近づかないようにしていたんだけどな。

 ただ、幸にも彼は反射神経が抜群に良かったんで命拾いはしたんだが、両足と右前脚が口では言い表せないほどひどい状態になってしまったんだ。

 その事故を目の前で見ていたのが高野さんという若い女性で、悲惨な猫の状態に気を失いそうになったと、後に語っていたそうだ。

 それでも気丈にも彼女は、失神しかけていたみお君を、着ていたそりゃあ奇麗な上着で優しくくるんで、血まみれになりながらも、近所のお店でもらってきた段ボールに入れて、通行人に聞いたのさ、『この辺に動物病院はありませんかーっ』と。

 数人が駆け寄ってきて、その中の一人のおばさんが言ったそうだ。

『川崎のブラックジャックがいいよ、あそこに行けば何とかしてくれるよ、きっと助けてくださるよ。

 場所知ってるからすぐにタクシーで行きましょう。』と。

 藁をもすがる思いだった高野さんはその親切なおばさんとブラックジャックのもとに向かったんだ。」



 話が最高に盛り上がってきたところに、水を差すような看護師長の声がする。


「多村先生、患者さんでーす。第一診察室にお願いしまーす。そんなところで石松とブツブツ言ってないで。さあ、お仕事の時間ですよー。」


「ハイハイ、師長さん、今行きますよ。ところで第一診察室とはどこでしたかね・・・ ・・・。

 まあいい。石松さんよ、悪いがこの続きは今晩頼むよ。」


「何だよ先生、これからがヤマ場なのになー。このモチベーションを維持できますかいなー、夜まで。」


「そんな冷たいことを言うなよ、おまえさんにはロイヤルカナンの特別食をディナーに用意しておくから。

 今のモチベーションをそのままに、いやそれ以上にお願いしますよ。」


「おっと俺の大好きなロイカナかい、味気ないツナ缶に飽きてきたころに、いいじゃないか。

 まさかドライじゃないだろうね、たまにはウエットでいきたいもんだね。」


「わかった、わかった。ロイカナのパウチにしよう、結構値が張るがね。」



 一つしかない第一診察室で、無事に診療を終えた多村獣医師は、約束通りロイヤルカナンのプレミアムフードを大盛にして石松の待つ部屋に入っていった。


「おい石松さんよ、起きてくれよ。ディナーですよ。」


「流石、先生は清水の生まれだね、俺と同じで約束は守るようだ。

 じゃあちょいとロイカナでもつまみながら、続きを話すか。

 川崎のブラックジャックは登場してたかい。」


「いや、まだだ。タクシーで病院に向かったところだよ。」


「はいはい、そしてみお君を連れた高野さん達は、目立った看板もない、一見見過ごしてしまいそうな小さな病院の前でタクシーを降りた。すぐに高野さんは不安な胸の内を正直におばさんに話したんだ。

『こんな小さな病院で、大けがのこの子を助けることができますか。』

 おばさんは即座に言ったとさ、『獣医界のブラックジャックだから、大丈夫よ。』

 それを聞き、高野さんは、何度も頷いていた。

 小さな病院はすでに、いや何時ものように電気が消えていたが、おばさんが勝手に入っていくと、奥から禿げ上がった顎髭を蓄えた40代くらいの男性が現れた。ブラックジャックだ。

 おばさんとは相当親しかったようで、いきさつをざっと話し、即、診察ということになった。

 ブラックジャックは愛想は良くないが、とてもやさしいハートの持ち主だった。

 ここからは正確に高野さんと先生の会話を再現していこう。」


「先生、この子は助かりますか。」


「助けるのが私の仕事だ。しかし助けてもこの猫が幸せに生きられるかどうかの保証はできないね。」


「どういうことですか。」


「ざっと診せてもらったが、少なくとも彼は両足の大部分と右前肢の半分くらいは失うことになる。

 もちろん今までの様に外で勝手気ままな生活はできなくなる。

 そんな状態で彼が幸せな気持ちで生活できるような環境をあなたは確保できますか?。」



 この時、ブラックジャックは、まだ高野さんの性格をよく理解していなかった。

 つまり、彼は、今までも同じ様な状況で連れてこられた犬や猫が、無事助けることができたとしても、結局保護はできないという理由で彼が最終的には引き取って生涯面倒を見るということが圧倒的に多かったため、高野さんも其の1人だと半ば決めつけていたのだ。


「先生のおっしゃることを、私が完全に理解しているかどうか分かりませんが、ここへ来れば、優秀なドクターがきっと治してくださると聞いたので来たのです。

 治った後のことまで先生に頼ろうとは微塵も考えていません。」


「飼うというのですね、あなたが。」


「あたりまえでしょう。私が保護してきた子ですよ。覚悟がなければ、可哀そうだけれど保護はしませんでした。」


「分かりました。私はあなたのことを、十分に理解していなかったようです。

 今から準備をして手術をしましょう。長時間になりますので、一先ずお帰り下さい。

 終わりましたら連絡しますので。」


「こんな状態のまま帰れるわけがないでしょう。私は帰りませんよ、ここで最後まで待ちます。」



 というわけで、この話は終わりだが、何とみお君はブラックジャックの完璧な手術で元気になり、高野さんが引き取り元気に幸せな日々を過ごしている。

 後日、ブラックジャックが2匹の子猫を高野さんに半ば強制的にプレゼントしたら、みお君は一層元気になったそうだ。

 どうだい先生、いい話だろ。


「獣医界のブラックジャックの噂は聞いたことがあるが、かなりの変人で業界でも謎の人物なんだ。ただ、スキルは超越しているみたいだけどね。

 それより高野さん、魅力的な方のようだね。一度お目にかかりたいなあ。」


「ああそうだ。まだその先があるよ、この話。

 高野さんは、これまた優しい旦那さんと結婚して、彼は3匹の猫も非常に大事にしてくれて、その後仕事でベルギーに赴任した際も全員で海外生活を体験してきた。特にベルギーは猫を大切にする国で良かったと聞いているよ。」


「う~ん。感動的な話だったねー。私もがぜんやる気がでてきたよ、明日からも頑張るか!」


「まあ、歳だからほどほどにしておきな。」

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