第2話 石松の兄貴分の次郎長親分の話

「先生よ、今暇かい。」


「そうだな、面白い話があるなら暇ということにしてもいいけどね。」


「もちろんあるさ、実は俺には慕っていた兄貴がいたんだ。

 本当に世話になっちまっていたが、俺は何一つ兄貴にはお返しが出来なかったよ。」


「おお、知ってる、知ってる。次郎長さんだろ、清水の。」


「まあそんなところだな。

 その兄貴は3年前にリンパ腫って病気で亡くなったんだが、その時に最後まで診てくれたドクターXの話だよ。

 その先生は三保の松原世界遺産動物病院の院長で、そりゃあ人間的にも素晴らしい人だった。

 兄貴からはどんなに苦しい治療にも、一切ドクターに対する愚痴など聞いたことはなかったんだ。

 先生、ドクターXって知ってるかい。」


「私が清水を出てからもう40年以上たったからね、最近できた病院みたいだし、そう三保の松原が世界遺産になったのも最近だから、全く知らないな。恐らくちびまる子ちゃんに聞いても知らないと思うよ。彼女も清水出身だけど。」


「おっとそんなことはどうでもいいのだけどね。

 兄貴のリンパ腫、これが良くなかった。

 ボランティアのおばさんが兄貴の異変に気が付きドクターXの所へ連れて行った。

 ドクターは兄貴の表情を見るなり、おばさんにこういったんだ。

『あまり時間はないようだね。』

 一瞬にしてその言葉を理解したおばさんは、こみ上げてくるものをこらえながら、ドクターにすがるように言った。

『先生、この子が痛がったり苦しんだりする姿は、この子の猫生に相応しくないから、何とか、できるだけ楽にしてあげてくれませんか。』と。」


「おいちょっと待ってくれよ。いきなり話が進んでいったけど、さすがのドクターXも次郎長さんの表情だけでリンパ腫と診断したわけではあるまい。」


「もちろんだよ、先生。難しい専門用語が出てきちまうが、理解できないようなら言ってくれよな。」


「おいおい、猫に理解できることは私にもわかるだろう。私もベテラン獣医師だからね、馬鹿にするんじゃないよ。」


「わかったよ。それじゃ、解説しよう。

 兄貴を一目見たドクターXはまず血液検査をし、かなりの貧血と腎機能が弱っていることを確認した。

 またウイルス検査で、FIV陽性であることも分かった。次に彼は得意の超音波検査を選択した。

 恐らくこの時点でドクターの頭には、すでに思い浮かぶ症例があったに違いない。

 エコー検査が終わると彼は頷くようにし、小声でなるほどな、とつぶやいた。

 その流れを見ていたおばさんは、直ぐにドクターに聞いた。

『どこが悪いのですか、もう手遅れですか。』

 ドクターはすぐには答えずに、超音波検査の画像を見ながら何やら計測をしていた。

 数分の沈黙の後、ドクターは重い口を開いた。

『次郎長さんはおそらくリンパ腫だね。お腹の中のリンパ節が幾つか腫大しているし、肝臓と脾臓のエコーも問題がありそうだ。』と。

 おばさんはドクターに、治療費は何とかするから、最良のことをして欲しいと懇願した。

 しかしドクターXは、リンパ腫でも、このようなタイプは自分では手に負えないと、既に分かっていたので、腫瘍専門医にまずは診てもらおうと提案した。

 おばさんもすぐに二つ返事で答え、静岡市内の2次病院ですぐに診てもらった。

 そこで肝臓と脾臓の細胞診をし、その結果リンパ腫でも最も質の悪いLGLという診断だった。」


「おいおい石松。お前さんはなぜそんなに詳しく専門用語をいとも簡単に話せるんだい。」


「よくぞ聞いてくれたな。俺たち猫はね、一旦聞いた情報は一言一句忘れずに覚えちまうのさ。」


「ええ、本当かい。そんな能力があるとは知らなかったなあ。」


「ちょっと難しすぎたかい。俺の話。」


「何言ってるのだ。その辺の獣医だと思って馬鹿にするなよ、それくらいのことは十分知ってるよ。

 それでそれからどうなったんだ。想像は着くが、多分抗癌剤のプロトコルNCSUあたりを始めたのかい。」


「先生、やっぱあんた、ただものじゃないね。当たってるよ。」


「あたりまえだ、私を誰だと思っていたんだ。多村だよ、伊知郎多村だ。」


「ハイハイ、恐れ入りやした。

 でもな残念なことに、そうさなー、5週目くらい経過した時に全く変化しないという結果だったんだ。

 そのころからドクターXは、どこかのタイミングで退院させて、余生をおばさんの家で過ごさせてやろうと考え始めていたんだ。」


「そうだね、そういうことなら仕方ないだろう。だけど専門医ならもう一手ほしいところだね。多分提案があっただろ。」


「その通りだ。あんた本当に勉強しているようだな。ただ流石に難しい言葉が多すぎて忘れちまった。なんだったなー。」


「恐らくロムスチンという薬を提案されたのだろう。

 この薬は飲み薬だから退院もできたんだね、きっと。」


「そうそのロムスチン、家に帰れるけど、食欲はなくなっちまうと言われた。

 確かにすぐに副作用で全く食べれなくなってしまった。ここからドクターXの出番だ。

 毎日往診に来てくれて、点滴と高カロリー液を優しく給餌してくれたんだ。しかも毎日だ。

 そのうえドクターは最後まで往診料をおばさんに請求することはなかったと聞いているよ。」


「何て素晴らしい話じゃないか。それでどうなった。」


「まあせかさないでも話しますよ。

 何と、そのロムスチンっていう薬、これが効いてきたんだ。」


「ええ、寛解したのか。」


「治ったということかい、その寛解という言葉は。」


「まあそうだが、なおったのか。」


「リンパ腫はそんなに甘くないよ。でも明らかに元気が出て、食欲も出てきたことは間違いない。

 実はな、兄貴が副作用でかなり限界になってきたとき、ドクターはおばさんに、こんな提案をしたんだ。

 楽に逝かせてやることを第一に考えてみましょうと。

 もちろんおばさんは、はなからそういうつもりだった。

 それでドクターは抗癌剤の副作用を軽減し食欲も出ると言われていた漢方薬の霊芝を試してみようと言った。

 実はドクター自身、かつてこの霊芝に救われたことがあったんだ。

 その時は人用の霊芝の薬を服用したのだが、幸いにも犬猫用のサプリメントでイムノという霊芝を主成分とするものがあったため、一か八か通常量の5倍投与してみたんだ。

 このトライが成功したのか、ロムスチンの効果が出てきたのか分からないが臨床症状は確実にアップしてきた。」


「いいじゃないか。それで。」


「うん。兄貴は確かに生気を取り戻してきたかに見えたが、リンパ腫はもはや抗癌剤の効果に期待するようなレベルではなくなってしまうほど兄貴に襲い掛かってきていたんだ。

 でもねドクターは例のイムノの会社から人用の霊芝の錠剤を取り寄せて、投与量をずんずん増やしていったんだ。

 食べやすい食事も考えて毎日ドクターXが自身で手作りの御馳走を持ってきてくれたんだ。

 そこまでしてくれるドクターは俺も見たことがなかったぜ。

 兄貴もドクターのやさしさに懸命に答えていたかのように、できるだけ元気に振舞って食事も僅かではあるが食べ続けていたが、それも長くは続かずに、最後は眠るように逝っちまった。

 でも最後まで苦しむことなく、眠るように逝けたのは、きっとXとおばさんの看護の賜物だと俺は思っているよ。」


「石松さん、殺伐とした世の中にも感動する話があるもんだね。

 私もちょっと思い出すようなこともあり、こみ上げてくるものがあるな。

 確かにドクターX、獣医としても人としても立派だと思うが、その気持ちに何とかこたえようと病魔と闘っていた兄貴の心意気にも感動したよ。私にもそんな患者さんがいたなー。」



 多村と石松は病院の薄暗い部屋で時間も忘れ、、ただただ一言も発することもなく一点を見つめて何かの思い出に浸っているようであった。

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