第2部 多村と石松の談話編

第1話 石松の感謝

 親分猫石松は無事にタムラ動物病院を退院後も定期的な健康診断のため病院を訪れていた。その時交わされた獣医師多村と石松の談話である。


「先生、先生。」


「おお、石松か。こんな夜更けにいきなり暗いところから呼ばないでくれよ、猫の亡霊と間違えてしまうじゃないか。」


「先生さんよー、悪霊猫に取りつかれるようなことでもしてきたのかい。」


「なんてこと言うのだ。私は常に誠実にお前たちと接してきているよ。ところで私はそろそろ帰るんだけど急用かい。」



 多村は今日は自分の結婚記念日で早く帰宅するようにと妻に念を押されていたことを思い出し、慌てて時計を見ると既に日付が変わっていたのだった。


「まあ急用ではないけど、この前先生に動物病院のあまり感じが良くなかった体験ばかり話しちまったことが、ちょっと俺としては重い気分になっているんだ。」


「そんなこと気にするとは、東海道一の親分がねー。それで、どうしたいのだね。」


「子分たちをまとめていくのは、バランスが重要なんだ、分かるかい先生。そうバランスよ。

 たとえば俺たちが最も気になっている地球の環境も、二酸化炭素を排出を抑制するだけではだめでしょ、そうカーボンニュートラルってやつよ。

 だから、俺たち猫にとって動物病院での感じが悪い経験だけじゃなく、良かったこともたくさんあって、むしろそっちの方が多いくらいなんだ。

 つまり俺たちは多くの動物病院に本当に世話になり、感謝しているんだ。

 そんな話を先生にも聞いてもらいたいんだよ。」


「おお、いいじゃないか。私もそっち系の話の方が気楽に聞けるよ。

 でもな、石松。今日は早く帰らないとまずいんだよ。」


「おいおい、先生。他人の良い話には、食いつきが悪かないかい。」


「何を言ってるんだ、まあ悪口のほうが好みかもしれないが。でも明日の夜、時間を作ると約束するよ。」


「それって今日の夜のことだろ・・・ ・・・。」



 多村はその日の診療を終え、約束通り石松のいる部屋に入っていった。


「おい、石松さんよ、聞こうじゃないか、良い話とやらを、

 他人様の良い話など、あまり興味もないけど、私もたまには感動の涙の一つも流してみようか。」


「おいおい先生。涙を頂戴するほどの話でもないけど、以前ちょっとよろしくない話でトップに出たA動物愛護病院の先生に、実は俺たちは本当に感謝しているんだぜ。」


「おっと、散々落としておいて今度は持ち上げるのかい。」


「そうだよ、あの先生は本質的には俺たちのような棲み処を持たない渡世猫にも優しい気持ちを持ってくれているよ。」


「ははー、それは面白そうな展開になってきたね。聞いてみようじゃないか。」


「茶化すなよ、先生。

 TNRって意味、分かるよな。」


「もちろんだ。ボランティアの人たちがお前さん達のような渡世猫を捕まえて、避妊去勢し、元の所に離す、といことだよな。」


「そうだ。俺たちとっても地域住民にとっても良い環境を作るための活動さ。俺たちは心底感謝しているんだがな。」


「問題でもあるのか、そのTNRに。」


「ちょっとな。

 俺たちも生身の体よ、釣りのキャッチアンドリリースみたいに、捕まったかと思ったら、あっという間に、まだ手術の傷も癒えないまま、体力も回復しないままに外に戻されちまうのが、実は結構辛いのよ。

 でもさ、あの先生は、そこがやさしいのさ、TNRRだから。」


「何だい、そこに増えたRは。」


「レスト。

 俺たちが完全に手術の痛手から回復するまで入院させてくれるのよ、うまい飯もたっぷりと食べさせてくれる。

 そして十分回復したら、元居た場所に放してくれるんだ。

 どうだい、心がこもっているだろ。」


「そうだな、一見当たり前のように思うけど、なかなかできないことだね。お前さんたちは荒っぽいからな、世話も大変だ。

 そうそう、あそこは出来た看護師がいたよね、確か。

 彼女が世話をしているから先生は大変さが分かってないのかもね。」


「まあそういう考え方もあるけど。とにかくありがたいのさ。動物病院の皆様、ぜひTNRRでお願いします。俺たちの手術。」



 多村は釣りが趣味だが、いつもリリースする魚がフラフラと泳いでいく姿を見て、何とか生き延びて欲しいと思っていた。考えてみたら、そんなことを猫たちにしてはいけないと痛感したのであった。もちろん多村はTNRRを以前からしているのだが。

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