第10章 石松の退院

「ピー、ピー、ピー、ピー・・・」


 入院室から聞こえる輸液ポンプの警報音に多村は目を覚ました。どうやらパソコンに向かいながら眠てしまっていたようだ。

 石松との話は夢だったのか・・・?

 急いで入院室に行き、石松のケージの前で「おい、石松!」と声をかけた。

 石松はケージの隅で丸まって寝ていたが、多村の声に頭を上げ、眠そうな目をしながら、「にゃ~~」と一鳴きして、また眠ってしまった。

 やはり夢だったのか?いや、夢にしては脳裏に石松とのやり取りがまだ鮮明に残っているから現実か?

 そんな問いを発したものの、猫の感情を読み取れる多村にとってはどちらでもよかった。状況がどうであれ、石松と心の交流があったことは事実だと感じていた。

 そのことより、以前から猫たちは人の言葉や行動を理解し、何でも知っているのではと感じていたが、そのことに確信が持てた。また、話し合った内容によっては、石松が獣医師を訴えようと思っていたことに驚愕した。

動物を診る上でよく「動物はしゃべらないから大変だね」と言われるが、もししゃべったら獣医療訴訟は今の10倍いや何100倍にもなるのではないかと危惧する。これからも獣医療の向上のために精進し、少しでも多くの動物たちの苦しみを取り除いてあげることを心に誓ったのである。


 一方、石松は猫が変わったかのように温和になった。ケージの中でもくつろいだ様子で横になり、スタッフが前を通ると扉にすり寄ってくるようになった。

 おそらく抱いていた様々な疑念が晴れたのだろう。納得できない所もあるだろうが、動物病院業界の実情を理解できたということかもしれない。

 その後、腹腔内の停留睾丸の摘出手術も無事に終え、抜糸も済んで、晴れて退院の日を迎えることになった。

 

 退院の日、看護師に抱かれて診察室に入ってきた石松を見て、迎えに来た早坂氏はびっくりする。

 「この子、誰にも抱っこさせてくれなかったんです。元々目つきが悪くてみんなから怖がられていたので、片目になったらもっと怖い顔になるかと心配していたんですが、やさしい表情していますね。どうもありがとうございました。」


 キャリーバックに入る時、多村を見つめ瞬いた。ウインクしたのかどうかは片目なのでわからないが、感謝の思いは彼に伝わった。


 後日、病院に早坂氏からお礼の品が届いた。添えられた手紙には退院後の石松の様子が書かれていた。

元居た公園に放すと人懐っこさからすぐに人気者になり、多村が名付けた石松という名でみんなから可愛がられ、やがてよく散歩に来ていた女子高生の目に留まり、その娘の家で飼われるようになったらしい。

 お礼の品は真空パックされた三島産の鰻であった。


 「あいつ、俺の好物を憶えていてくれたんだな。やっぱりあの夜の出来事は本当だったんだ。

ついにヤクザ稼業から足を洗って堅気になったか・・・。でも、若い娘の里親を選ぶところはあいつらしいな。」

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