第四章 忍び寄る影

第1話

 夕刻、リリアとミリアはレイウェンの屋敷へ向かうために、性急に荷造りを行っていた。

「リリアぁ、本当に行ってしまうの?」

「ええ。ローズ、庭のお花の世話を引き受けてくれてありがとう」

「当然よ! いつ帰ってきてもいいように、家もピカピカにしておくわ!」

「ありがとう。向こうに着いたら、必ず手紙を出すわ」

「待ってるわ。……何かあったら、すぐに帰ってきなさいよ」

「うん」

 電話越しに、ローズのすすり泣く声が聞こえる。急な出発のため、直接の見送りは断り、電話で別れを告げる。

 留守にしている間の花の世話も快く引き受けてくれて、リリアは感謝でいっぱいだった。

 村長にも事情を話して、家の管理もお願いすることになり、家具などはある程度置いて行くことになった。問題が片付いた後、ミリアの帰れる場所を残しておきたいと考えたからだ。今後、自分の身に何が起こるか分からない。もしもの時のことを考えて、リリアは出来る限りのことをしておこうと思ったのだ。このことは、ミリアには内緒にしている。

「リリア様、そろそろ出発のお時間です」

「分かったわ。最後に忘れ物がないか見てくる」

 ミリアに玄関先へ荷物を運ぶのを任せて、リリアは屋敷内の最終確認をする。

 一つ一つの部屋を見て回り、ここで住み始めた頃のことを思い出す。どれも思い出が沢山詰まっている。

 最後に、ミリアと一緒に庭の花へ水やりをした。

「ミリアさん、ごめんね。せっかくここでの暮らしが落ち着いてきていたのに」

「いいえ、リリア様が謝ることではありません。こうして、色々なことをリリア様と体験ができて、わたしはこの上なく幸せです」

 ミリアはそっと口角を上げ、花々をじっと見つめた。別れを惜しむように、一つ一つの花を撫でていく。

「リリア、準備はできたかい?」

 不意に、背後から声をかけられた。声の方へ振り向けば、玄関前に大きめの荷馬車と紋章つきの馬車の二台が止まっていた。馬車からレイウェンとエドワードが降りてくる。

「レイウェン様! 馬車の手配をしていただき、ありがとうございます」

「構わないよ。こちらから急な引っ越しをお願いしたのだから、これぐらいは当然だ」

「とか言って、予め手配しておいたくせに。よく言……だから、痛ぇよ!」

 エドワードが罵倒している横で、レイウェンはどこ吹く風だ。また、レイウェンがエドワードの足でも踏んだのだろう。二人に出会ってからよく見る光景となり、くすりとリリアは笑ってしまう。

「本当に、お二人は仲が良いのですね」

「そうでもないぞ。こいつは、いつも俺のことを」

「それより、リリア。玄関に置いてある荷物が全部?」

「え、あ、はい。あれで、全部になります」

「おい! 今、俺がリリアと話をしているところだぞ!」

「話すのは、馬車の中でゆっくりできるじゃないか」

 レイウェンはエドワードを軽くあしらい、自ら玄関前に置いてあるパンパンに膨れた鞄を軽々と持ち上げる。

「あ、レイウェン様! 荷物はわたしが」

「レディーに重いものを持たせるわけにはいかないよ」

 ミリアが荷物を運ぼうと慌てる。すぐさま従者が二人来て、レイウェンの手から荷物を受け取った。彼は従者に荷物を丁重に扱うように指示を出して、リリアの手に唇を寄せる。

「レ、レイウェン様!?」

「リリア、これから僕の屋敷があるモントンまで、長旅になるからね。できる限りのサポートはさせてもらうよ」

「ありがとうございます……」

「ここを出たら次の村で、一泊してからモントンに向かう。アックア国は移動時間が長くて、腰が痛くなるぞ」

「エド。お前は一言多い」

 先ほどの仕返しか、エドワードはレイウェンを押しのけてリリアの手を取り、馬車までエスコートしてくれた。勝ち誇ったように、レイウェンの方を見る。彼は呆れたように肩をすくめ、背後に立っているミリアに馬車へ乗るように促した。

「あと、船にも乗るぞ。リリアは船に乗ったことがあるか?」

「船、ですか? 多分、初めて乗ります」

「お、なら初体験だな!」

 嬉しそうにエドワードがリリアに笑いかける。小さい頃の記憶がないから、初体験と言えるかは微妙なところではあるが、船に乗るのは楽しみではあった。

 ローズ村からモントンまでは海を渡るので、移動に三日ほどかかる。リリアにとっては、ローズ村に住んでから初めての長旅だ。不安もありつつ、少しだけワクワクしている。

「レイウェン様、荷物の積み込みが完了いたしました」

 従者が窓からレイウェンに声をかける。彼は馬車を走らせるように指示した。

「リリア、出発するよ」

「はい」

 花に囲まれた我が家が遠ざかっていく。隣に座るミリアがそっと涙を拭う。

 見慣れた景色を眺めながら、リリアはこれからのことをぼんやりと考える。

 記憶がまだない中、どこまで自分の力がレイウェンたちの助けになるかは分からない。けれど、両親や今は亡き国の人々、何も知らずに現在いまを暮らしている人々のためにも、リリアができることは何でもするつもりだ。ドゥンケル族との戦いは、避けられないだろう。覚悟を決めるように、リリアは手を握りしめる。


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