4話 残業
お馴染みの夕飯が届き、膝を崩して座るゆみこがパンを貪る。いつも入っている果物やヨーグルト等のデザートが無かったようで、彼女はご機嫌がナナメのようである。膨れた頬には怒りが詰まっているのか、はたまたパンが詰まっているのかは別として、ココは先ほどまであった出来事をまとめはじめる。
「リスタは惰眠を貪っているが……今回の事象を整理しよう。まずはジャックの映像を発見した経緯から聞こうじゃないか。データを上から重ねるように配置して読み込む、なんて思考はどうやって辿り着いた?」
「前にジャックとそれに似たようなパズルやってたの!色々な絵が描いてある透明なカードを重ねると違う絵ができてすごく面白かったからおぼえてた!」
知育玩具にありそうなパズルだが、今回の発見へ繋げる為に敢えてパズルを遊ばせたのだろうか。そんな回りくどい事をせずに直接データを書き込めばいいものだと思うが、何か隠蔽せざるを得ない状況だったのか。いや、あのバカは余計なことが好きな奴だ。たぶん遊んでただけだ。
とはいえそういった経緯があるならば、重ねるという考えに到達する可能性は高い。特に何も言わずに「成程」とだけ返事をしてココは次の議題へ進める。
「理解した、次は映像についてだ……あのデータを受け取った、或いは撮影に協力したか?」
「うーん…よく覚えてない……」
これは以前にも似たような事があった。自分たちが何故カゴの中にいたのかと聞けば、”ショキカ”されてしまったからよくわからないと言う。”初期化”のことであるならば最低限のシステムを残して全てのデータを消し、設定次第では決まったデータを残せる。
遺されたデータが破損データであり、後の映像データであったがアスタ達は何も覚えていない。
映像データを一方的に渡す事に何の意味があるのか。状況を整理しよう。
以前の話から考えてジャックは自分のいた施設から逃走してどこかに行方をくらませているのだろう。 それを踏まえると関係者から追われている可能性が浮上してくる。その状況で情報のやり取りをすれば逆探知されかねない。
そもそもアスタ達が探知されている可能性があるので、足をつけられずに映像データを渡す手段として『録画データをアスタ達へ保存、尚且つ初期化し電源を落とすことで特定をしづらくした上でこの山小屋へ放り込む』のが確実である。この小屋が内部から通信が遮断されているならば当然、外部からも通信できないはずだ。
ただ、それだとここで疑問が出てくる。見つかるかもしれないのにそんな手間を掛けるくらいなら最初からアスタ達もココやゆみこと一緒に映像データごと小屋へ放り込んでしまえば済む話ではないだろうか。そもそも、ココ自身にデータを入れておけば良かったのだ。わざわざそれをせずにココと、存在意義が見出せないゆみこだけを隔離したと言うことはアスタ達を活用して何かしていたのではないのか。だとすれば何故、ココにだけそれを伝えなかったのか。ただ遊んでいただけ、という可能性もあるがこれは正直に言うと考えたくない。これらの状況から考えられる行動はいくつか思いつくが、どれが正解なのかは現段階では不明だ。
答えの出ない思考の中、残った知識で新たに演算処理のプログラムを組み立てた。どこぞの誰かの所為で機械的な演算が出来なくなってしまった。人間のような思考能力でのプログラムなのだから、以前の演算処理より劣っているだろうが無いよりましだろう。ジャックが今何をしているのか、その予測はプログラムにまかせるとして最後の疑問をアスタへ投げかけた。
「思い出せないのは初期化されていた影響もあるだろう…これは一旦保留だ。最後の確認になるが、お前は映像にあったジャックの言動や行動をどう考える?」
「とにかく真相を伝えたかったって感じにみえたよ……あとは、映像のジャックはあせってるようにもみえた……だから時間がないって言ったのは本当で、オウエサン?の人にイタズラしてるのかな」
「オウエサン、とは」
「ツーリングしてた時にジャックが言ってた!『そろそろオウエサンにもオキューを据えないとな』って」
オウエサンがお上さんの事で、あの傲慢な”上層部”の事を指しているのであれば『上層部にお灸を据える』という意味だろうか。端的に言えば懲らしめる事であるが、この悲惨な現状は上層部の仕業なのか。だがそこに結びつけるには短絡的だ。何せ情報量が少なすぎる。
ジャックの戯言だったと完結したほうがまとまりは良いが、奴の虚言には一定の境目があるような気もする。何もかもを嘘にするつもりはない、というのが彼のモットーだ。その発言そのものが嘘であることも否めないが。
しかし、アスタの証言した彼の発言は念のために記録へ記載しておく価値はありそうだ。常日頃から冗談しか言わないジャックは、一体どれが真実で、どれが偽りなのか明確にしない。この非常事態時には尚更その性格が厄介になる。何せ性格という不可解な現象一つで背後から人を刺すことすらいとわない男だ。
結局、わかったのは世界の統合と人類の圧縮という不可解な現象。何十億といた人類は、ここのゆみこもふくめて1億人程度しか残っていないとジャックは語っていた。一般市民などどうでもいいが、ホエールの連中が消滅するのは非常に厄介だ。彼らが集積した人類の英知は、野望があるココには必要不可欠である。ただ、今はそんな事も言ってられない。
ジャックの言う通り、ここで待機して彼の帰りを待つ選択肢ははっきりいって当てにならない。映像がいつとられたのか、原理は何なのか不明だが、どうあれ件の映像は”過去に撮られた”ものらしいのだ。映像データに残された撮影日の記録が、嘘のような真実を物語っている。彼がこの映像を撮影したのは少なくとも3月下旬。そしてアスタ達がきたのは4月、少なくとも既に2か月は音沙汰が無い事になる。
というより、ここにきてもう4ヶ月も経過していた。今更ではあるが、ココはその事実と己の不甲斐なさに驚愕と義憤の板挟みになっている。アスタ達の破損データ復旧の進捗は、妙に手間取っているわずか1%を残すのみとなっているが、これの解析に時間を割くより小屋からの脱出を考えた方が良い。ただでさえ演算能力が衰えているのだ、何よりも並列処理できる”器官”が今動いているプログラムを除けば存在しない。
人間でさえ多少の傷であれば自己修復できるのに、機械は傷を負ったら自然と修復できない。これだけは機械が唯一、人間に劣っている能力なのかもしれない。
兎にも角にも、悲観する時間があるのなら、まずは小屋からの脱出を図ろうじゃないか。そう意気込み、今後の計画を伝えようと下がっていたカメラの視線をアスタへあわせる。
「お灸を据える、という意味はわかるが何をしたいのかは現段階では特定できない。奴の”お灸”のレベルが我々の範疇に収まるとも思えん。ミサイルを肩に担いでいてもおかしくない男だからな。そしてジャックの帰還も私は当てにしていない…なので優先度の低いジャックの件は保留するとして、まずはこの小屋から脱出を……」
「なにこれ!ぜんぜん美味しくないんですけど!」
意気込んだ矢先、黙々と食事をしていたゆみこが突如として憤慨する。何事かとココ達が目を向けると、ゆみこが妙なものをかじっていた。手のひらに収まるサイズの長方形で、目視になるが約2cm程度の厚みがあるようだ。色は無色透明であり、透けて見える先には基板のようなものが見える。2体は、基板の形状でそれが何なのかすぐに理解した。
「ゆみこ!それは食べ物じゃないよ!食べたらお腹壊しちゃう……」
「缶詰あけたら出てきたのに食べ物じゃないの?!これが噂の水飴っていう甘いお菓子じゃあ……」
「食べ物だと判断するお前の知性がどうなっているのか理解し難いが……それは”ストレージデバイス”だ。缶詰にはいっていたそうだが……どの缶だ」
「これ!」と食べ物ではなかったことで不服気味に渡されたそれはイチゴジャムに良く合うらしい”サバの味噌煮”だ。缶の中は空洞であり、サバはおろか味噌すら入っていた形跡がない。
このデバイスを梱包する為だけに使用されていたようだ。録画データを再生したその日の夕方に、まるで次の課題はコイツだと言わんばかりのタイミング。奴はこの近辺に潜伏しているのだろうか。脱出はもちろん、外の景色すら西日の差し込む窓辺のスペースでしか確認できない不便な小屋だ。仮に潜んでいたとしても発見できるような箇所にはいないだろうが。
奴の手のひらで踊らされているような感覚にとてつもない憤りを感じるが、我らは機械だ。愚かな人間とは違い、感情や情緒など存在しない。あえて比喩表現するならば”感情的にならずに”少しでも情報が欲しい。未だスルメでもかじっているかのごとくデバイスへ噛みついているゆみこの口から、アスタは唾液でべたべたになってしまったデバイスを取り出して外見を再度確認する。
「ん-……あ!プラグをみつけたよ!ココ、これ確認する?」
「当然、不穏なデータであれば削除するまでだ……キーボードの左側面に差込口が2ヶ所空いている。どちらでも構わないから差し込んでくれ」
アスタが細い側面にある小さな丸いボタンを押すと、プラグがシュっと飛び出す。それを指示された左側面の差し込み口へ挿入し、ココはすぐさま読み込んで解析を行う。数秒の処理後、結果としてデバイス内にあったデータは2つだ。
ひとつはテキストデータ、記載されていた内容は『ジョークを起動せよ』。そしてもうひとつは”JOKE”と名称されたプログラムだ。
「デバイス自体は異常なし、中にあったテキストデータも異常なし。最後に”ジョーク”という名称のプログラムがあるが……起動して大丈夫か、これは…」
「ジョークってなぁに?冗談だよーってこと?」
「そんな可愛いもので済めばいいがな……何が起こるかわかったものではない。ジョークは奴の全てだ。奴の人生を大幅に変えた厄介な概念と言って差し支えない」
「急に可愛いって言われるのは照れちゃうでありんすー!」
「ただの比喩だ。決してお前に賛美を送ったわけではない」
何故か褒められたと頬に手を当てて首を揺らす場違いなゆみこはさておき、ココはプログラムの名称から確信した、これは間違いなくジャックの仕業だと。
直前にあった映像データを再生してココとアスタ達は”人間くさく”なってしまう認識改変が発生している。これも何かしらの事象が起きる可能性が極めて高く、どうなるにせよ不愉快な事態へ陥る結果にしかならないだろう。
事故を防ぐために念入りでプログラムを解析してみるが、これでプログラムとして成立しているのが理解できないほどにコードの羅列が滅茶苦茶だ。何一つ動作を確立させている記述がなく、動かしたところでエラーを出すだけのようにしかみえない。
だが、あの破損データの件もある。滅茶苦茶にみえて何らかの細工を施したプログラムが確立しており、気付かぬうちに未知の事象が発生してもおかしくはない。
自分だけでは決めかねているココは、どうするべきかアスタにも意見を聞こうと声をかけた。
「これは実行すべきか、私だけで決断するのは危険と判断。アスタ、現在コードを私の画面に開示しているが……お前はこのプログラムをどう考える」
「何がかいてあるかぜんぜんわかんない!アスタ、そもそもコードがわかんない……」
「以前に学習プログラムは送ったはずだが………そうか、改変の影響か…クソ」
ココとしては理解できないが、アスタ達は自分達を動かしてる”遺伝子”と言っても良いコードの概念を全く理解していないのだ。
不都合なのでココが簡易に読み解けるようプログラムを生成したのだが、認識改変の影響なのか、アスタの記憶からごっそりと消えてしまっていた。これでは議論そのものができない。
一旦、この件は保留として明日にでもリスタを交えてディスカッションを行うべきだろう。及び腰になってしまうが、保険は十分にかけておくべきだ。
明日に持ち越そうとアスタへ提案を出したココは、ふとカメラの端で揺れる髪を見る。ゆみこが画面に表示されたままだったコードを指さしながら、時折指先を小刻みに動かし、眉間に皺を寄せて眺めていた事に気付く。そういえば、ゆみこの意見を全く聞いていなかった。この小屋で直感的にデータを参照できる存在であり、ココ達と違って”外面だけで判断する”極めて普通の人間だ。その感性のおかげで映像データが解明できた結果は、誠に遺憾だがゆみこの功績である。普段から阿保みたいな顔をしてパンを貪るかボードゲームに勤しむくらいの印象しかないので見逃しがちだが、ゆみこの意見も重要なデータになる事を考慮していなかった。
ココは暗くなっていたバックライトを強めながら、ゆみこにカメラを向けて呼び掛ける。
「先ほどから仏頂面で私の画面を眺めているが、何か気付いた事があったか?」
「ちょっとまってね……もう少しでゴールにつきそうだから…」
「お前は…何を言っている……」
「ここ行き止まりだから戻って……はい!ゴール!押すのは4ばん!」
何かを成し遂げたゆみこが、唐突にココのキーボードから「4」のキーを指で叩く。突然の行動にココはゆみこを静止できず、不覚にもキーが入力されてしまった。
まだ実行を許可していない”JOKE”プログラムが、ココを差し置いて身勝手にも起動した。
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「今後は一切のキーボード操作を無効にする。異論は認めない」
時刻は間もなく日を跨ぐ頃、ココはあからさまに不機嫌な声で禁止事項を一つ提示した。普段であれば今の時間帯で眠りについているゆみこは、うとうとしながらも話半分に聞いて首を縦に振っている。アスタは直前に受け取った膨大なデータ量にひっ迫してオーバーフローを起こしてしまい、半ば気絶するような形で先に眠っている。
まともに動けているのはココだけの状況だが、自身も受け取った複雑で難解なデータの塊を押し付けられた身なのでまずは明日からと、半ば自棄になりながら休止状態へ移った。
――ココ達に何が起こったのか、少し前に話は遡る。
JOKEが起動した後、解析できなかったアスタ達の残り1%の破損データが連動して動き出した。そして、ココの画面に、画質の粗いライブ中継の映像が表示されたのだ。
映像内の場所は森か、或いは山の中を映している。中継元と思われるカメラが人間の視点より幾分視点が低い事、映像が時折ぶれつつ砂利を足で踏んだような音が断続的に聞こえることから中継している対象は手に中継カメラを持って何処かへ歩いているようだ。
カメラの端から白い布状のような物体が揺れて見え隠れするが、これは対象が白衣を羽織っているのだろうか。何かに気付いたような声を出して、対象は持っていたカメラを持ち上げた。それは、今この瞬間も含めて状況を悪化させる混沌の権化、仮面で見えずとも猫のように反射して光る青空の瞳だけでニヤついているとわかる諸悪の根源。
本日2度目のDr.ジャックが、満を持さずに登場した。
「ジャック!ジャックがいる!」
[おー随分と早かったねぇ……また会えて僕ぁ嬉しいよ。感動の再会と行こうじゃないか!あ、でも私達ってば遠距離恋愛だからね。素敵なパーティーの準備は出来ていないんだ。豪華なランチと洒落こみたくても、イースト・ブロードウェイ in 極東も程遠くてね。俺様の手料理なら今すぐにでも……あれ?ひふみんαにハイパーゴーゴー!βが見当たらないけど、もしかしておねんねかな]
「お前……いい加減にしろ...! どこまで、どこまでふざければ気が済むのだ!」
[素晴らしい怒声だねぇ!施設を爆破してもベッドを車で轢いても同僚の目を失明させても研究室の上下を逆さまにしても、先生は怒鳴ったことがないから貴重な体験だ!EXCELLENT!]
嬉しそうに飛び回るアスタとは裏腹に、ジャックに弄ばれているココは自分の怒りが貴重な体験だと歓喜し、際限なく神経を逆撫でするジャックにあるはずのない眩暈がしそうになった。
昼間の映像データでは時間がないと言いながら、半日待たずの再会だ。今回は過去のデータなどではなく、ライブ中継という形で今現在の映像が流れている。応答の速さからして遅延は殆どなさそうだが、一体どこから中継されているのか。
怒りで逆立つ髪はないが、閾値を超えたメモリの熱が冷却材を溶かしてしまいそうだ。ココは一旦思考を止め、ファンを回して物理的に”頭”を冷ます。
「……冷静さを欠いたな、もう取り乱す事はしない……ジャック、今回はお前に十分な時間が無かろうとも私が持っている複数の疑念について回答してもらうぞ」
[まるでこの、この僕様ちゃんがぁ?天才にして高貴のジャックちゃんがぁ?今の今まで逃げ回っていたかのような言い草だねぇ……まぁ時間ならたっぷりあるし、付き合ってあげるよ。よくよく感謝して崇め奉るよぉに!]
持ち上げていたカメラを下げて、ジャックの顔から正面の暗闇へ移り変わる。立ち止まっていた足を再び動かして、仮面の男は月光の下を歩き始めた。妙に光源の範囲が広い気はするが、夜道を歩いているのだから強力な照明を持っているのだろう。些細な事をすぐ考察してしまうのは悪い癖だ、今の状態ではマルチタスクに限界があるのだから。
聞きたい事はそれこそ星の数ほど積みあがっている。まずはジャックの現状からだろう。
「現状から聞こう。ジャック、お前は今どこにいる」
[見ての通り森の中さぁ!厳密にいうなら日本で一番高い山を下山しているんだ。重労働でしょ?偉いでしょ?]
「回りくどい言い回しをするな……それに該当するのは富士山だが、何故そのような場所にいるんだ。我々も同じ山にいるのか」
[Yes!君たちもありがたいお山の中にいるよ!ま、君が想像している富士山の風景とはちょっと違った場所だけどねぇ。それにしても…はぁ…まだ、麓につかないか……張り切って山登りするんじゃあなかった……おらインドアなんだよぉ]
自分から登っておいて後悔しているようだが、ココとしてはその有様は大変清々しい。人間は無駄な事をして無駄な時間を過ごす愚かな生き物だ。山登りは典型的であり、数あるうちの無駄な行いのひとつである。山なんて物質の塊でしかないのに、それをありがたがる姿はまさに滑稽。
真実か否かは別としてジャックはあっさりと疑問に答えた。どうやらココ達は富士山にある山小屋に居るらしい。いつか見た小屋のデータはこの小屋に関する特異性が簡素に記載されていただけで詳細な場所まではわかっていなかったので、この情報は脱出する際に役立つだろう。そしてジャックも同じ山に居るのならば、帰還してきたという事か。合流して本人と直接対話したほうが議論の解決は早い。
「同じ山に居るのならば、早く小屋にこい……ここは知性の低い連中ばかりでうんざりだ」
「急にいじわる言われたんですけど!でも私ボードゲーム勝ち越してるからココちゃんより頭良いし!」
「アスタはココと勝ち負け一緒!リスタはゆみこの次にかってるから2番目に頭良い!」
これが頭を使うボードゲームならその言い分も考慮できるが、彼女らの言うゲームはサイコロで完結する運要素の強いゲームばかりだ、話にもならない。今からやるかとボードを広げはじめるゆみことアスタをココが時間を無駄にするなと制止している。
一人山道を進むジャックは、カメラから聞こえる騒がしくも賑やかな声に笑みをこぼした。なんだ、思ったよりも仲良く過ごしているじゃないか。私はひとりぼっちなのに。
[楽しんでいるところ悪いけど、僕はそっちに行くわけじゃないんだ]
ゆみこに押されてサイコロで丁半をやりだしたココ達に、ジャックは雲ひとつない空を見上げる。カメラも同じく上空を向いているが、映っていたのは煌びやかな星々と満面の月だ。
だが満月にしては、あまりにも巨大であった。
「ホントはやる事終わったし、君たちと感動の再会をしたかったんだがね……”アレ”のせいで残業確定だよ。余、まいっちんぐ」
映像に映る満月のような”それ”は、遠近感が狂ったのではないかという程に巨大な存在だ。ジャックの周辺が妙に明るかったのは、この謎の球体が発していた光だった。粗末な画質ではそれがどういった外見なのか判断し難い。ただわかるのは、限りなく月に似た”何か”だ。
「なんだこれは......!未知のシンギュラリティか?!」
[本日、日本時間午前4時44分。どこぞの海域からコイツが浮上した。月に見える部分はコイツの船底みたいなものさ……コイツは、海底に沈んでいた幻の帝国”アトランティス”。シンギュラリティなんてちゃちな言葉じゃあ言い表せない代物だろうね。いやはや、まさかこぉんな時に目にすることになるとはのぉ。あれ、こんな時だからかな]
「アトランティス……あり得ない…架空の都市だったはずだ。人間の作り話だ」
[それは……そうだね。”人間の私”も同じ意見だよ。でも現実に、それは海底に沈んでいて、更にはお空を泳いでいるわけだ……イマイマシイね。一度堕ちておいて、よくもまあのうのうと顔を出せたもんさ]
ココの口癖で皮肉を言って、ジャックは手ぶらな左手で己の仮面に触れた。長い間使っていない”力”なのに、今回で3度目の使用をすることになるとは思わなかった。こんなことなら、もっと祖父さんや母さんと……いや、それは蛇足か。
[時間ならたっぷりある。まずは、包み隠さずに世界の現状をお送りしようか]
そう言ってジャックが指を鳴らすとココの冷却ファンが尋常じゃない音をあげて回転し、排気口から白煙が吐き出される。それと同時にアスタの水晶が消灯、近くに座っていたゆみこの膝元へ落下した。ココの画面を見るとライブ中継は既に遮断されて、ログを出力する黒い画面に記号と数字が下から上へ目にも止まらぬ速さで流れている。
アスタを優しく手に納め、何が起きたのか理解できず狼狽えていたゆみこへ雑音混じりの声が聞こえた。
『私なりにまとめた情報は全部、君たちに届けたよ。”アスタ”は情報量の多さに気絶しちゃったみたいだけど、”ココ”は意地でも処理しきるみたいだ……バカだねぇ。僕はこの量の処理、一人じゃごめんだよ』
「2人は……ココは大丈夫なの?」
まるで耳元で囁かれているような感覚で聞こえるこの声の主はジャックだろうか。映像も、ココからのスピーカーを通した音声出力もないのに。何処からともなく声が届いている。
時折バチバチと電気音も聞こえるココと、気絶してしまったらしいアスタを心配するゆみこにジャックらしき声は問題ないと返事をして言葉を続けた。
『アイツも馬鹿じゃあない、やばくなったらシャットダウンするさ……君には、そこのカワイ子ちゃん達に”天才ジャック君は空飛ぶお城に出張……いや、帰省かな?兎に角、殴りこみするからソイツの調査はよろしく”って伝言、頼めるかい』
空飛ぶお城とは、アトランティスの事か。ゆみこが困惑している間に、ココからファンの音が段々と静かになってきた。まだ声は聞こえないが、一旦は落ち着いたと思われる。ほっと溜息をもらすゆみこにジャックはココに見つかると面倒だと言って最後の言葉を残した。
『頭痛がやばくなってきたし、ここらでドロンとしますかね!じゃぱにーず、ニンジャ!』
その言葉を最後に、ジャックの声は聞こえなくなった。
黄昏のレナータ @Quulish
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