3話 Dr.”JOKE”
紫陽花の花が咲き誇り、梅雨の訪れを告げる6月。日の出が早くなってきたこの小屋は、いつも通りのいつもの朝を迎えた。
扉の直ぐ近くにあるカゴをもってきて食事をとり、ときおり置いてある”遊び道具”で遊ぶ日々。最近はココも時たま参加し、驚異的な演算能力を遺憾なく発揮している。しかし残念なことに、合理性だけでゲームの勝敗は決まらない。複数人が参加するゲームであればなおさらだ。結果的にココはゲームのほぼ全てを負け越す羽目になる。確立が偏っていた、予測の範疇を超えた頭の悪い行動が悪いと、負けるたびに言い訳染みた敗戦理由をあげてくるが、何を言おうと負けは負けなのです。
『そのカード、ダミーナンバーだ。』
「またばれた!なんでわかるの?!」
『あまりにも、わかりやすい。これで、手札は0、だ。』
「アスタ手札8枚ものこってる!」
「リスタあと2枚だった!おしい」
そんな激弱のココでも、トランプだけは全勝している。動かす”手”が無いのでゆみこ達が代わりに動かす必要はあるが、一度カメラで見てしまえばカードの表記は即座に記憶できる。なのでカードを伏せて置き、ココが指定したカードをめくって提出すればゲームの進行が可能なのだ。
現在行っているゲームはカードの数字だけを使用して1から順に各プレイヤーはトランプを一枚ずつ重ねていき、その際に必ずしも正しい数字を出す必要はない。他のプレイヤーは数字を偽っていると判断したときに「ダミー」と宣言し、的中した場合はダミーを出した相手へ場に出され溜まっていたカードを押し付けることができる。逆に宣言した数値が正しい場合は宣言したプレイヤーの手札へ加わる。これを繰り返し、最終的に手札のカードを0にした者の勝利となる。至極シンプルなルールのゲームだが、どうしてもダミーを出すときに嘘をつく事に対する本能というべきだろうか、表情や態度でわかってしまう。
その点では、唯一"顔の表情"が出てしまうゆみこが圧倒的に不利な事を機械であるココ達は気付いている。既にゆみこが4連敗して5回戦まで及んでいる中、アスタとリスタは事あるごとに表情を露骨に変化させるゆみこへ気を使ってダミー宣言をほとんどしていない。
勝敗に拘るココは総数で負け越しているので一切の手加減も躊躇もなく、ほとんど運だけで現在も勝ち越しているゆみこを実力勝負の場で叩き潰している。
「おかしい……完璧なポーカーフェイスのはずなのに」
『一つ、助言するなら、ダミー提出時は、眉間に、シワを寄せるな。』
「むー……それじゃ、次は神経衰弱!」
『やめておけ。それは、勝敗が、わかりきっている。』
呆れたように言われて文句の一つでも言ってやろうかと口にする前に、思いとどまった。最近ココと接することで多少は回るようになった頭が告げる。よくよく考えたらココの言う通りかもしれない。
神経衰弱は記憶力の勝負なので、一度覚えたら絶対に忘れないココが負ける要素なんてないからだ。トランプというココの土俵から降ろして、運要素満載のボードゲームをやったほうがまだ勝ち筋は多い。
勝てる見込みのあるゲームを探しているゆみこが唸り始め、ココは嘆息をついたかのように待ったのアラート音を出した。
『時間を、浪費したな。まもなく、昼食と、解析を、行う時間だ。』
「え、もうお昼なの?ごはんごはん!」
『ゆみこは、カゴを、回収して、食事をしろ。アスタ・リスタは、解析を行う。』
「「はーい」」
ここで数か月も過ごしてしまえば、否応でも環境に適応してしまう。最初こそ悪態をついていたココも、最近はいくらか抗うのをやめて日々のルーチンに従事するようになった。脱出の意思はいまだ薄れてはいないが、外の世界が様変わりしているのならまずは情報収集する必要がある。
アスタとリスタの記憶領域にある破損データを修復していき、そこから外の現状を推測したのちにあらためて脱出する。あるいは、データを調べるうちにこの小屋の情報があるかもしれない。
ここから出ていく上で運び出してもらう事は必須なので運搬可能なアスタ・リスタと共に脱してゆみこは小屋に放置する。これが最適解なのだが、この2体はどちらかというとゆみこ寄りだ。置いていくとなれば協力なんてしないのは日頃の態度をみればわかる。だからこそ、ゆみこも脱出できる方法を模索しなければならない。
『全体の、99%……修復完了。新規データも、読み取れるものが、少ないな。』
「アスタも修復したけど、ぜんぜん読めない……」
「リスタはもうあきらめた!翻訳できないからココとアスタにまかせます……」
コピーと言っていいほどに同等のAIである2体は、何故かお互いの性格がまったくの別方向をむいている。
2体とも口調は似たり寄ったりだが、アスタは物事に対して勤勉であり、どちらかと言えばココに似ている。対してリスタは問題が起きれば早い段階で努力を放棄する、言ってしまえばゆみこと同じだ。
破損していたデータの修復はごく一部を除いて完了したが、データ全貌の解明ができていない。おそらく破損データそのものは何かの文献だとは思われるが、文字コードが滅茶苦茶になっていて規則性がない。コードでしか文字というものを判別できないココにとっては、人が書いた文字を読むのは至難の業。それはカメラという目を持つアスタとリスタでさえも同じであり、直感で文字を読める存在はゆみこしかいない。
『以前に、ゆみこへ、開示した時に、ゆみこの、供述が、正しいと、仮定するならば、これは、”英語”で、記述、されている。』
世界は統合されたと、冗談みたいなDr.ジャックからの盛大な後出し情報が知らされたのは先月。今の今までココは英語表記で意思疎通を行っていたが、ゆみこには流暢な日本語で読めていた。この翻訳する性質がどこまで影響されるかは不明だが、内容不明の破損データには翻訳が効いていないらしい。
ゆみこが読めなくともココはあらゆる言語に対応しているので手間にはなるが、ゆみこからアルファベットを聞いて翻訳すればいい。誠に遺憾ではあるが、ゆみこの協力が必要不可欠である。
ゆみこが読んでココたちが翻訳。順調に解析してはいるのだが、解明が進んでいるとは言い難い。
『データの、ソート順に、りんご、ゴリラ、ラッパ、パンツ、机、絵の具、グミ。』
「ちなみに今日のやつは”ORANGE”だって。これ私でもわかるよ、ミカン!」
「違うよ!オレンジはオレンジっていう食べ物なんだよ!マンダリンオレンジがみかん!」
「でも、もし"みかん"だったら、やっぱりこれってしりとり……」
『違う、ふざけるな。ここまで、小細工して、そんな、馬鹿な事が、あるか。』
アスタが言い切る前に、ココは自分たちの努力が水泡となった事を否定する。実際にデータへ何か仕込まれていたかは別として、現在は意思疎通の強要が小屋のみならず全世界で発生しているらしいのだ。そんな中でどうあれ再編から逃れたデータなのだから、無駄な記録に使用するはずがない。あってはならない。
あってはならないが、それでも”お遊び”に全力で挑む阿保が居るのをココは知っている。
今になってようやく名前が出てきたと思えば、ただ状況を最悪にかき回すだけの邪悪な存在。何も状況が読めなかった最初の頃は、何もしなかったくせに、現状がわかってきた途端に名前だけ参上したかと思えば、今でさえも抱えきれていない問題をさらに何倍も増やしてきた。
ジャックは存在が冗談だ。皮肉でもなく、ジャックは思いついたジョークの為に全力を出せる男。こんな成立していない文字コードで何故、文字を確立させているのか。答えはとてもシンプルで、人間が無駄に好んで使うアスキーアート。
あたかも文字コードと見せかけて、直感で見れば文章が成立している。コードはおろか言語すら理解が乏しいゆみこが、支離滅裂なソースコードを読み解けたのはそれが"文字の芸術"になっていたからだ。
「これすごいよねー…変な記号しかないのによくよく見たら言葉が出来ているんだもの」
「アスタもできるよ!これ猫ちゃん!」
「リスタもできる!こっちはワンちゃん!」
文字と記号で作成した犬と猫を、ココのログ画面を無断で使用して表示させ「かわいいー!」と頬袋にパンを詰め込んだゆみこは絶賛している。
普段ならばログ画面の無断使用は制裁として大容量データを送信しアスタ達を”頭痛”に追いやるところだが、今のココにはそれをする気力がない。
深刻な内容だが軽いトークのボイスデータは、内容が内容だけに事態の深刻さが理解できた。そして解読せよといわんばかりの破損データとくれば、このボイスデータ繋がりか、あるいはそれ以上の情報があると考えるのは当然ではないだろうか。
なのに蓋を開けてみれば、本来は「しりとり」からはじまるこれを省いて「りんご」から始まり今回の「みかん」、従来のしりとりならここで終了ということになる。これ以上なにも見出せないのであれば、今まで解析していた1ヶ月間はなんだったのか。今までにない容量過多なデータの修復と言うこともあって、この破損データに全リソースを割いて1ヶ月は費やしていた。このリソースでいつもの演算をしていれば、小屋から脱出する算段が出せたかもしれない。あまりにも"JOKE"が過ぎる、人間のような鬱になりそうだ。
「……ん?あれ?」
「アスタ、どうしたの?」
「情報共有、リスタもこれみて!」
「……!!ココ、これは普通のしりとりじゃないよ!みてみて!」
何かに気付いたアスタがリスタへ知らせ、それを見てジャックの意図に気付いたリスタがココへ呼びかける。小屋の特異性も相まって自堕落に"気力が削げていた"ココだが、開示されたデータを見てファンが急速に回転しはじめた。あのバカは、どうしてこうも回りくどくアホらしい手法しか取らないのか。
『これは、映像データ、か。破損データを、ソート順に、”上から被せて”、読み込み、完成すると、どうやって、発見した。いや、それは後でいい、すぐに再生する。』
透明なパネルを重ねて絵が出来上がるように、データを重ねるように読み取ってみるとそれはひとつの映像データとなっている。4分44秒という、意図しての事か不明だが日本では不吉な数字の並びのそれをココは再生する。
数秒のノイズの後、映像が徐々に鮮明になっていくと、そこには見慣れたアホ面がアップで映し出される。まだ設置が決まっていないのか、カメラが何度かガタガタと揺れること数秒、ジャックの顔が離れていく。いや、彼の場合は”顔”と称して良いのか分からないが、そこには馬鹿みたいな顔があるのだからそう表現するしかない。
背景に暖炉が見える木製の部屋の中、妙に背もたれの長い椅子に腰掛けて足を組むジャックは”下衆な顔”でニンマリと笑う。奴の部屋は、こんなログハウスだったか?
[あーあー、これ声聞こえてる?聞こえてなかったらもう一回俺が頭を痛める羽目になるんだけど……聞こえてるな、よし……Let's party!]
『相変わらず、忌々しい顔だ、クソが。』
[まーまーそう言うなって、僕とお前の仲じゃないかゴーゴー丸ぅ。こんなにイケメンでプリティでパーフェクトなフェイスちゃんを見て忌々しいって言うことないじゃん?もしかしてそれって今日も絵画のように絵になる美男子ですねって意味だった?それなら受け取ってやらなくもない誉め言葉なんですけど?え?違う?おいおい照れるなって!]
『毎回、ふざけた名称と、冗談を、思いつく、その頭を、他で、有意義に、使うべきだ。』
[おー?なんか随分と優しくなってんじゃん。いつもなら冗談を聞いた途端に忌々しいって吐き捨てるのに、どういう心理の変化?気になるからまずはデータぶっこぬいていい?ねぇねぇ思春期ばりのデータ改変されてるんじゃない?]
『環境の変化故、だ。ここは、頭の弱い連中ばかりで………待て。』
ここまで”会話”してココは、いや4人は気付いた。これは、録画した映像データのはずだ。なのに今、ココに返事をしていなかったか?
それはつまり、これは映像データではなく、ジャックと通信していることの証明ではないか。
映像のジャックはこちらが語るのを止めると、にやけた目元はそのままに足を組みなおして黙り込んでいる。再生時間は3分を過ぎており、今もなお数字は進んでいる。何度もデータを参照し直しているが、ただの録画データという結果しか出てこない。
何が起こっているかは不明だ、己を英知と自負するココでさえ状況が理解できない。最近はこんな事ばかりで、もはや自分の知能さえ信じられなくなってきた。
[Hey baby!だんまりになっちゃったけど、もしかして気付いたかな?]
『原理を、知りたいところだが、優先ではない。ジャック、お前には、聞きたい事が、膨大に、あるのだ。』
[そうだろうね。でも残念だ、君の質問に今は答えられそうにない……かわりに現状を手短に報告しよう。何せ、あと1分半しかないからね。ほぉんとコレ大変だから頻繁にやりたくないんだよね。俺ちゃんだって暇じゃないしさ。人生を謳歌するのに忙しいんだよね。まあ?俺様ちゃんの寿命なんてあってないようなもんですけど。まあ、ちょっとマジモードで行くね]
途中から普段の”おちゃらけた”態度ではなく、ココを管理する”白衣達”と同じような態度で淡々と話を進めていくジャック。あと1分半ない、とは再生時間内までしか通話が出来ないということだろうか。
ココの言いたい事、聞きたい事はこの再生時間では言い切れそうにない。ならばジャックの報告とやらを聞くのが最善か。ただでさえ多弁な男である、話を遮ったら何も情報が得られないかもしれない。ココが返事をする前にジャックは口早に語る。
[まずは世界の統合。これはデータ送ったから断片的には理解してるはずだろうし、省くよ……まあビックリなんだけど、次に起こった事件は先日に起きた人類の”圧縮”だ]
『圧縮、とは。』
[そのままの意味だよ……今、世界人口は……そこのレディを含めて”きっかり1億人”しかいないのさ]
普段から何かを守るために仮面をつけて目元しか見えないジャックが、どんな表情をしているかは分からない。それでもジャックからはわずかな怒りを感じる。これはただの映像で、顔が見えない相手の感情なんて伝わるはずがないのに明確に感情が読み取れる。
[その小屋はクセが強いけど、致命傷になるような事象からは”絶対の保護”が確約されている……圧縮は想定外だったけど、君たちをそこへ避難させたのは正解だった]
『世界の、情勢は、理解し難いが、理解した。だが、お前は、ただの善意で、皆を、保護したとは、思えない。我々を、ここへ押し込んで、何を、企んでいる。』
[それはあまりにも僕に信用がないなぁ……これでも私は慈悲深いんだよ?記録見たことあるでしょ?最初から最後まで報告書Jを読んだかい?あれの第56章8795頁辺りの話とか……]
『戯れはいい。あと47秒だ、結論を言え。』
先ほどまでの表情を一変して、すぐにふざけだすのはジャックのジャックたる所以。いついかなる状況でも、ジャックはそれを楽しみ慈しむ。今は時間がないというのなら、それらは後回しに結論を出せとココは答えた。
[せっかちだねぇ……まぁ、急いでいるのはわっちも同じだ……なら結論を話そうか]
時間がないと言う割にはゆったりと話すジャック。組んでいた足を解き、カメラが設置されているのであろう机の上で頬杖を立てていた腕を組んでココに伝える。
[そこから出るな、0055。お前の野望には大いに、慈しみをもって、そして人類滅亡を願って、それこそ盛大に賛同するけど、今はその時じゃない]
『それは、どういう』
[そのままの意味。お前が考えている以上に、今この世界は狂っている……これはちょっと特殊な方法を使った過去のビデオレターだから、現在の僕はもう行動に移しているだろうけどね]
ココが返事を出し切る前に、ジャックは答えになっていない答えを出す。再生時間はもう10秒もないのにまともな回答を得ていないココは、どういうことかと今一度ジャックへ問う。
映像の中で立ち上がったジャックは、何も理解出来ていないであろう”同胞”達に慈愛を込めて微笑みかけた。そう、仮面の顔が、一瞬で代わっていた。
[そう焦るなって、すぐに戻ってくるよ……今は、束の間の幸せを噛み締めな]
『理解できない。「Dr.ジャック!」』
文字ではなくココのスピーカーから、渋い男性の声がジャックを呼び止めるように叫ぶ。5秒もない時間の中、ジャックは普段通りのふざけた態度で、でもどこか嬉しそうな声で笑った。
[その声、ぴったりじゃないか……やっぱ”先生”はイケボだよなぁ。声優になってくれねぇかなぁ]
「黙れ!声なんて、無駄なのに……!」
[そう言うなって、声は、いつか誰かに必要とされるための大事なものさ。俺みたいに失くしちゃいけねぇよ。さ、僕が帰ってくるまで”4人”で仲良くしてな]
「ばいばーい」と大げさに手を振ったジャックを最後に映像が途切れる。結局、ジャックがココ達に何を言いたかったのか最後までわからなかった。只々謎だけを増やして消えていったジャックにココは怒りよりも呆れてしまう。いや、やっぱり怒りの方が強い。
「忌々しい…只々、忌々しい」
「……ココちゃん、話せるじゃん!」
話に付いていけずにここまで傍観していたゆみこは、ジャックの曖昧な対話内容よりもココが発話したことを指摘した。やはり声が出せるじゃないかと場違いな怒りに震えていた。
ココは今別の怒りに震えている為に、余計な言葉が鬱陶しい。
「話せないとは言っていない。そもそも、言葉などリソースの無駄だ……ログ表示に切り替える」
「そのままで良いじゃーん!なんでもどるの!文字読むのめんどくさいから却下却下!」
「騒ぐな。私は今、非常に憤慨しているのだ……クソ、切替が上手くいかない」
ゆみこをあしらいつつも設定を戻そうとしていたココだが、先ほどからエラーが出てしまい上手くいっていない。対話システムの切り替えは過去に何度かやっているが、エラーなんて出たこともないのに。
あの映像データに細工でもされたかとココが原因を探っていると、アスタが何かに気付いてココの目の前にきた。
「ココ、なんかさ……そっちの環境設定おかしくなってない?」
「そんなわけがあるか、私自身の設定だぞ……」
アスタに問われ、あり得ないとは思いつつも自分の設定を過去のデータと見比べると、設定どころかココを司る”人格”と”記憶”以外のデータが滅茶苦茶になっている。稼働する上では問題ないが、これでは高度な演算が行えない。精密で正確な”機械”のように動作することは不可能に等しい。
「何だこれは……何故気が付かなかった…!バックアップすらも破壊されている!」
「なになに?おしゃべりココちゃんのままいてくれるの?」
「状況がややこしくなる!ゆみこは静かにしていろ」
「ん-……一部のシステムは動いてるけど、なんていえばいいんだろう……頭の中、ふわふわしてる」
何故か嬉しそうなゆみこを放置し、異常に気付いたリスタも自分の置かれた状況を上手く説明できない。それはココも同じであり、今現在の自分の状態が上手く表現できない。
曖昧な表現をするのなら”機械である部分が無くなって人間の部分だけ残った”と言うべきか。
ココ達は人間ではない、人間のようであっても機械である。曖昧な人間と同じと言われるのは精密な機械への侮辱だ。数か月を共に過ごしたアスタ達もただのAIではなく、自分と同じ人格のある存在であるだろうとココは確信している。
機械であることがアイデンティティあり人間よりも優位である証だったのに、今は”機械らしさ”が無くなっている。最悪だ。
「自分で切り替えたつもりだったが……あの時点で”切り替わった”のか」
言いたい事だけ言ってその場を去ろうとした映像のジャックへ、ココは静止させる手段として発声を行った。人間とは違い、機械が出す声は思考を他者へ伝えるにはラグがある。伝達する内容をボイスデータへ変換し、それを音声として発するのは遅延が大きく非効率だ。
狼狽していたとはいえ、0.1秒も無駄にしないココがこんな致命的な選択ミスなどありえるはずがない。意図的に仕組まれた、システムだったのだ。
「バックアップできない!1から作り直したほうがはやい!」
「リスタは疲れました……ゆみこ、ごはん欲しい…」
ココ達が原因追究で騒いでいる間、お口にチャックを守ってトランプピラミッドを作っていたゆみこへ食事を求めてリスタはふらふら飛んでいく。もうそんな時間かと窓へ視線をむけると夕陽が差し掛かっていた。
夕飯が届くにはまだ早い時間だが、リスタも考えてばかりでエネルギーが足りなくなってしまったのだろう。ゆみこはガチャガチャとリモコンの山からいくつか取り出して、リスタへ向けてボタンを何回か押して”ご飯”を食べさせた。
「あ、これもう電池なくなってきたかも……夕飯のカゴに入れて返しちゃお」
「お腹いっぱい!……むずかしい事考えすぎて頭いたいから先に寝ます…」
復元だ作成だと議論している2体を差し置いて、リスタは光る水晶を暗くしてベットへ向かい横になって”眠って”しまった。以前ココは機械に疲労は無く睡眠など不要だと言っていたが、眠るリスタを見てると機械も疲労は溜まるのではないだろうかと推測してしまう。
すやすやと寝息が聞こえてきそうなリスタに掛け布団代わりのハンカチをかぶせた所で、なんとか自身のデータを復旧させたココは嘆息を漏らしたようなファンの音を出して己の現状に嘆いた。
「システムは記憶している限りで復旧はしたが……元のデータが無い以上、どこまで能力が低下したのか把握出来ていない……クソが!別の場所にあったはずの第二バックアップにも繋がらない!」
「アスタも何が無くなったのかわかんないから……どこまで低下してるのかよくわかんない!」
「……つまり、認識阻害の無力化が機能しなかったと言うことか。未だにそのシステム処理がどうなっているかは不明だが、阻害ではなく”認識改変”が発生した可能性があるな」
ココにはない機能として、アスタ達は”認識阻害を無効化”できるのだ。その性能の高さは記憶に残っていた2体のログを日常的に監査し、小屋の認識阻害を一切受け付けていない実績を知るココが一番わかっている。それでもシステムにダメージを受けていたのであれば、アスタ達の無力化は”阻害はされないが改変までは防げなかった”という事だ。
”認識阻害”とは、正常な認識が害され、物事を正しく理解できず、謝った認識を持たされてしまう性質を持つ。要はりんご、という果物への概念をみかんという名前に書き換えてしまうような物である。
一方で”認識改変”と言うと正常な認識が害されるまでは阻害と同質だが、”謝った認識が正常である”と意識を変えられてしまう事を言う。結果的に起こることは認識阻害と大差はない。
しかし、一見同じように見えるこれら2つの性質はある一点に置いて大きな違いを生む。
認識阻害の場合、日常の違和感などから本人が気付いて元の正しい認識を”取り戻す”事ができる。この小屋がまさにその性質であり、完全に以前の記憶を失ってしまう訳ではない。しかし認識改変の場合、本来持っていた正しい認識を誤った認識へ”上書き”されてしまう。例えそれに気付いたとしても元の認識を取り戻すのはまず不可能に等しい。
今もなおココと、恐らくはアスタ達も機械であった認識が失われ、あったはずの”機械らしさ”がない。それに伴って不要と判断された、”機械らしいシステムやプログラム”が消えてしまった。消えてしまったのではなく、使い方を忘れてしまったのかもしれないがどちらにせよ同じことだろう。”機械らしさ”の定義が今となってはもうわからない、まさしく認識改変そのものだ。
こんなことが出来る奴は、一人しかいない。天才で無能。真面目にして不真面目。叡智の結晶にして智の廃棄場。賢者にして愚者。現実にして、非現実。先程まで会話していた、奴だ。
「相変わらず何言ってるかわかんないけど……アスタはお腹空いてない?ご飯あげるよ」
「食べるー!」
ゆみこが、能天気にリモコンの山から新しくテレビのリモコンを取り出し、アスタへ向けてポチポチとボタンを押す。先程映像を見ていたメンバーで分かりやすい異変が起こっていないのはゆみこだけだ。見た限りではこれといった被害は出てい無さそうだが、念のためココはゆみこに体調を問う。
「ゆみこ、お前は何か異常は出ていないか。些細な事でもいい、違和感があるなら教えてくれ」
「私の中ではココちゃんを”すーぱー美少女ボイス”で再生してたのに、こんな渋いおっさん声だったことにショックを受けてるくらいかなぁ……」
「そうか、それは良かった。何も被害がないようで実に忌々しい」
的外れな回答で判断し難いが、ゆみこは知能の低下も向上もないとココの中で結論付けた。
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