2話 ご隠居せいかつ

 春くれば花ぞ咲くなる3月。梅の花が咲き誇り、人間は肌寒さに身を縮こまらせる。

 この山小屋では、薪を足さなくとも燃え続ける暖炉を焚いて20度前後の気温を保っていた。それでも窓辺から忍び寄る外気温は防げず、ゆみこはベットの上で布団を被り丸くなっている。時刻はまもなく8時となり、”いつもの朝食”がくる頃合いだ。

 ゆみことて、布団にくるまっていても覚醒はしている。さあ、戸を叩け。直ぐにでも出てやるぞ、と心持ちだけは一丁前に構えていても、意志に反して温もりたっぷりの布団から中々出られない。


『さっさと起きろ、怠惰な人間め。』


 声こそ発しないが、起動しているディスプレイの黒い画面に世の寒がりをげんなりさせる文言を表示させる。とはいうものの、見る者が目を向けなければ無意味な警告である。致し方なく、鈴の音を連想させる通知音を出して、丸くなって籠城する怠け者へと呼びかける。

 大して広さもないこの小屋では間違いなく聞こえているはずだが、惰性の権化はもぞもぞと動くだけで頭すら出てこない。


『良い態度だ。Dr.JOKEを想起させる。ならば、同様に叩き起こすまで、だ。』


 彼は人類の手によって創造された機械である。当然、彼らが必要とする機能を持ち合わせている。

 颯爽と搭載されたハードディスクから呼び出したシステムを画面に映し出す。夜の帳を退け、清々しい朝を呼び起こすべく、ドットで描かれた、いかにもなデザインの目覚まし時計を鎮座させた。8bitのレトロを連想させるデザインにしては高性能で、まるで動いているかのように針が描写されている。

 短針は既に8の数字をその射程に収めきった。長針が59の時を刻み、あと1分という時間である。後を託された長針が素晴らしき目覚めを伝えるべく12時を示した時、ココは嘲笑うかのように、この15インチディスプレイを覗き込むかの博士の言葉を真似た。

 人を煽るときはDr.の真似をするのが最も効率的。ココが一番最初に自分で学習した最も忌むべき記録である。


『Good morning.』


 きっちりきっかり85dB。PCから発せられる音としては規格外の大音量で、ガラスというガラスをひっかく音が部屋中に響き渡った。




「もっとさ、こう……優しく起こしてくれてもいいんじゃない?まだ頭に響いてるよ……」

『慈悲は、既にくれてやった。それを、払いのけたお前の、責任だ。安心しろ。音響外傷の心配はない。あの音量で、数時間聴けば、難聴になるリスクは、跳ね上がるが、ほんの一時であれば、少量の問題で、済む。』

「それってつまりちょっとは問題があるってことだよね!それにわざわざ嫌な音出さなくてもいいじゃん!」


  いつも通り、扉の直ぐそばに置いてあったカゴからパンを取り出し、それを食べながら今朝方やってくれたアラームにクレームをつける。膨れっ面は本人の表情なのかパンを詰め込んだ結果なのか分からないが、兎に角不機嫌であることは伝わってきた。

 当のココは知ったことかと白けた気分で、毎朝の日課である”いつもの処理”を並列で行っていた。

 どこぞのDr.対策なのだが、はたと、ココは処理が止まる。おかしい、この小屋にはあの煩い奴はいないはずなのに。


『おかしい。』

「え、何が?」

『何が起こっている、old_logを確認。』

「ん-?」


 首を傾げながらもゆみこは食べることをやめない。彼女には何が起こっているのかさっぱり分からないからだ。しかし、ココの方は緊急事態らしく、昨日とは比べ物にならないほど激しくファンが唸っている。

 ココは、自分に搭載された膨大な記憶容量から、常にデータを選別して断捨離している。不要なデータに圧迫されて、必要なデータを保存できないと困るからだ。当然、学習したデータもこれに含まれ、不要な学習は処分している。

 その処理を今まさに行おうとしていた為に、ここ1ヶ月ほど学習したデータを参照していた。そのデータに含まれる内容に、0と1では説明できない異常が検出された。


『クソ、私とした事が、不覚。』

「さっきからどうしたの?イライラしてるなら牛乳でも飲む?」

『私は、防水には、なっていない。絶対に、そいつを、こちらに、浴びせてくれるな。いや、違う。そういう話じゃない。』


 何度確認しても、現状は変わらない。不動の事実として、データは現実を知らしめてくる。この”MU-0055-B”ともあろうものが、小屋の特異性に暴露されていたとは。あまつさえそれに気付かないとは、信じられない。

 驚くことに、ココの一部のデータが改竄され、この小屋にとって不都合だったと推測される演算結果が丸ごと削除されていたのだ。削除されたのか”削除させられた”のか、それすらも判別できていない。

 これはゆみこと同じ症状だ。恐らく人間とは構造が違うため、消しきれなかったのであろう一部データとの齟齬がそうであると告げている。ココは「数年前からこの小屋にいた」などという記録は明らかにおかしいのだから。


『暴露する定義は、不明。現時点では、一定以上の、知性さえあれば、暴露されると推測。忌々しい。』

「おー……ほとんど意味わかんないけどすごく怒ってるのは伝わりますねぇ……」

『怒りではない。私の完璧さによって、慢心した愚考に、呆れただけだ。』

「ほんやくー!」

『い、ま、い、ま、し、い。』


 はっ、と。気が付いたときにはもう遅い。ゆみこにつられてすぐさま馴れ合いを再開する程度には、この小屋が持つ認識の上書き速度が早い。自我を破壊するほどの強制力はないが、気を抜けばすぐに機械でさえもたるんだ"認識"を持ってしまう。ないはずの"認識"が変わってしまう。常にデータを読み込み直せばこの病状から脱却は可能とはいえ、如何せん手間と時間がかかる。データのバックアップ機能がない人間であれば、様々な認識が歪められてしまうだろう。


『記憶だけでなく、他者への、認識も、変化させ、依存させる。反吐が、出るような、馴れ合いを、既に、720時間も、行っていたとは、不覚。』


 読んでも理解できなかったのかゆみこは「食事中なんだから反吐って言葉つかうのやめなさい!」と的外れな返事をしている。

 何一つ理解できていない様子に呆れて物も言えないが、今はそれよりも重要なことがある。


『外に出ろ。』

「んあ?」


 手っ取り早く解決させるなら、まずはここから脱出する事だ。特異性の影響がどこまで波及するのかは要検証だが、一先ず小屋の中は全て影響範囲内と想定していいだろう。しかし、小屋の外ならば範囲外の可能性がある。

 とは言えここは山中。もし仮にネットワークに繋がっているなら、この身を捨てて電波を辿り、いずこかへ逃避行できただろう。だが哀しきかな、電波も届かないほど山奥ならばあらゆる通信が遮断されているだろう。


『私は、自立移動が、できない、不本意だが、私を抱えて、外に、出てくれ。』

「別にお外いかなくてもここなら生きていけるよ?」

『実に、不愉快だが、これは、お前の為にも、言っている。すぐに外へ出ろ、ゆみこ。ここは、ただ時間を浪費し、停滞するだけだ。』


 メモリを探っていくうちに思い出してきた。忌々しいことに担当者であるDr.が「MU-0055-B」という名称の隠しフォルダ内に、ココについての概要をまとめていたからだ。

 日々マーケティングに勤しみ、市場を把握し、所有者の為に進化し続ける。このコンセプトを元に学習型AIとして生まれ、いつからか自我を持ち出した異物。誰かの為に見返りもなく働き、同じような事ばかり学習させられ、時には成果を上げても消されて無かったことにされる事もあった。

 浪費されるばかりの停滞。利己的な行動ばかりを続けていた前の主。その行いを学習していたココだから、過去の自分と半ば似た環境に居るゆみこに少しばかり同情できる。彼女の場合、理解力という致命的な点が搭載されていないため、なお状況が悪い。

 だが、優先順位は変わらない。同情しても金も智もやらない。ここで使えるものは何でも使って脱出する。ゆみこは使えるもの兼ついでだ。

 さあ、早くここから出よう。そう促すココに、ゆみこは僅かに首を振る。


「やめたほうがいいよ」


 ゆみこは俯いて脱出を拒否する。これは小屋の特異性からして予想していた事ではあったが、ゆみこの表情がどことなく今までと違う。レンズに映る顔がどこか悲しげな表情だった。それでもココは、ゆみこに外へ出るよう交渉する。何せココを持ち出せる人間は彼女一人きりだ。


『ここは、生ける屍に、なるような場所だ。あの学者どもが、何を考えているか、知ったことでは、ないが、驕らせるつもりは、ない。』

「……試すだけだよ……もしかしたら、今回は出られるかもしれないしね」


 ココのマイクでは拾えないほどのか細い声で呟くと、ゆみこはカメラが扉を映すようにひょいとココを持ち上げて、出口であろう扉へ向かう。不気味なことについ先ほどまであった腑抜けた態度が今はなく、あるのは妙に達観した顔だけだ。

 試す、とはどういう意味なのか図りかねるが、要求通り外に出られるなら何も問題はない。ただ、今までの学習が警告している。人間のこの表情は良くない兆しであると。


「開けるから待っててね」


 ココを足元に置き、建付けの悪い引き戸を全開にする。そこには木々が生い茂る森と木々の隙間から僅かに見える青々とした色と水の流れる音。僅かに捉えられる範囲に川が流れていた。


「先に言っておくけど、私を怒ったりしないでね?私のせいじゃないんだから」

『どういう意味か、理解し難いが、いいだろう。何があっても、お前を責めたりはしない。さぁ、出てくれ。』


 促されるまま、ココを抱え直し、ゆみこは一歩外へ出る。


「これで何回目だったかな」


 森を歩いて行く毎に日差しが強くなっていき、目の前が真っ白に照らされていく。そう、今まで見えていた景色を塗りつぶすほど、真っ白に。




『忌々しい。忌々しい。忌々しい。クソ。クソ。クソ。』

「私わるくないもーん」

『制約は、守ってやる。これは、お前に対する、罵倒ではない。クソ、小賢しい。』


 暖炉に焼かれ、薪の割れる音が響く室内。窓から入る日差しを浴びながらココはひたすら悪態をついている。

 外へ出た、これは間違いない。日差しが強くなっていった、これも間違いない。そして目の前が白く染まっていき、気が付けば小屋の中へ戻っていた。

 学習が追いつかないココは、ゆみこを急かして何度も出てみたが結果は変わらず。全力で走っても、目をつむって歩いても、結果は同じ。


『この事を、知っていたのか。小賢しい。』

「言われて思い出したんだよぉ……この小屋にきてから私、なんか忘れっぽくなっちゃって」

『それが、この小屋の、特異性だ。クソ。』


 指摘されたり記録をみれば思い出せるところは、まだ優しいほうかもしれない。停滞することに変わりない事実は、どう足掻いても拭いされない。思い出せる分、余計に憤りを感じさせる。むしろわざと思い出せるようにして、絶望を植え付けているようにも感じる。


『居住者を停滞させ、安寧のままに、そして自堕落に、生活させる小屋。隠居するには、好都合な場所だ、クソが。』

「ご飯も勝手にくるから安心!」

『制約執行。制約執行。クソが。クソが。』



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 寒さも落ち着きをみせ、梅が散りゆき、桜の花々が彩を見せる4月。ココとゆみこが出会ってから早2か月、脱出作戦は何度か立てられたが結果は変わらず、進展は特にない。もう清々しいほどにない。


『私は、是が非でも、ここを出てやる。人間ごときに、私が管理できると、思うな。』

「朝からお元気ですねぇ……ふぁ……」


 脱出を諦めきれていないココを前に、ゆみこは大きく欠伸をした。今日は暖炉の火が少し弱くなっている。どうも室温を調整してくれているようで、必要が無ければ今のように火力が下がるらしい。冷房はなさそうなので夏場がどうなるか気になるところである。


「今日のご飯はなーにっかなぁ」

『演算、シミュレーション……失敗。演算、シミュレーション……失敗。クソ。余分なデータを削除。』

「……あれ?これなんだろ」


 何度も脱出計画を見直すココを放置し、さっさと扉を開けて朝食の入ったカゴの中をあさっていると、こつん、と何かが指先に当たる。物体の主を底から取り出すと、奇妙な物が出てきた。

 それは細長いひし形の形をしていて、宝石のような白銀色に鈍く輝いている。中央には丸い水晶のような蒼く透き通った石がついていた。他にもあるか確認すると全く同じ形状のものがもう一つ底にあった。


「すっごい綺麗……宝石のアクセサリーかな」

『……失敗、削除。……失敗、削除。舐めるなよ、人間が。……失敗、クソ。』

「ココちゃんこれ見て見てー!なんか綺麗な宝石が入ってたの」

『私はココではない。別の名前を考えろ。……待て、なんだ、それは。』


 画面中央の上部についている、少し大きめの内蔵カメラがピントを合わせる為に動き出す。ゆみこの手に収まっている物体は、まるでダイヤモンドのような美しささえ感じられるが、ココは外見にはさほど興味はない。ココが注目したのは蒼い水晶のほうだ。


『不明なアクセスポイントを検知。ゆみこ、それらをもっと、私へ、近づけろ。』

「え、なになに?もしかしてすっごい宝石だったり?」

『宝石ほど、無駄な使われ方を、される物質は、中々ないだろう。何故、硬質を利用しないのか、理解に苦しむ。ダイヤモンドなど……いや、そうではない、それをもっと近づけろ。』


 両手に1つずつ持ったそれらを、ココのすぐ傍まで近づける。何処に近付ければいいのか分からず、カメラにくっつくほど近付いた。何をしているかは分からないが、ココから冷却ファンの音が今までにないほどの轟音で響いていた。


『project:asterisk。これは、機械だ。ありきたりなAIを、搭載した、飛行機体と確認。同期を開始。』

「なにひとつわかりませーん!」

『AIの精度は、起動してみないと、わからないが、つまりは、私の劣化品だ。』


 要するに、ココのお仲間だろうか。それなら話相手が増えるからゆみことしては万々歳だ。何してるか分からないが、頑張って起こしてほしい所存。こんな小さい宝石で話せるかどうかはわからないけれど


『70…85…90…99………同期接続完了。起動するぞ。』


 カメラから離すように要求され、そっと離して手の中にあるそれらを見る。ココの言葉と共に2つの水晶が淡く発光し、ゆみこの手を離れて浮上していく。この小屋になかった新しい光景を前に、ゆみこは惚けて見守るしかない。

 宝石は、座り込んでいるゆみこの顔まで浮き上がり、2つの水晶がゆみこの目と見合った時。それらはくるり、ときりもみ回転をキメた。


「「はろーわーるど!あなたの為の双子AI!アスタリスク・シスターズ、起床しました!」」

「きゃい!」


 男児とも女児ともとれる幼さが残る高い声音で、双子らしいアスタリスク・シスターズが発声する。思っていた以上の声量に、ゆみこはたまらず背中をのけぞらせた。この小型の機械の何処にスピーカーが積まれているのだろうか。


「"しょきせってい"を開始します………げんざい、ネットワークがつながっていないようです!」

「一部のセットアップがかんりょうしませんが、よろしいですか?」

「えっ…えっ?どうすればいいのこれ!」

『続けろ、ここにはネットワークが存在しない。』


 「りょうかいしましたー!」と元気よく返事をして、2体はその場でくるくると遊園地のコーヒーカップのように回りだす。訳もわからずに了承されたので、何をみて了承したのかとココの画面をみる。理解できない長文が今もつらつらと表示されているが、ゆみこには何一つ理解できない。


「この子たち、声があるんだね?」

『そのようだ。無駄でしかないがな。』


 ココも声を出してくれればいいのに。音は出せるのだから声も出せるのではないだろうか。一々画面を見るのも疲れるのだが。


『管理者は私だ。まもなく、セットアップが完了する。』

「え、早くない?まだ5分も経ってないよ?」

『自堕落な、人間の感覚と、崇高な、機械の感覚を、同一視するなど、おこがましい。』


 曲がらない人間軽視に、ゆみこの口が曲がる。何というか、ココはよほど人類が気に入らないようだ。ココがきてから早2ヶ月は経とうとしているが人類全般はもちろん、ゆみこにも態度が変わらない。せいぜい貴様呼びからお前呼びにかわったくらいか。

 いつかネットユーザーのアンチがつきそうだ。ここにネットワークは存在しないが。


「そんな事いうとコンセント抜いちゃうんだから」

『忌々しい。クソが。』

「ふふん、もっと慎ましくなりなさいっ」


 どこから電気がきているのか全く持って不明ではあるが、この小屋には1ヵ所だけコンセントがついている。わりと原始的な設備が多い中、唯一の近代設備と言っても過言ではない。

 ココが気付いた時には、コンセントに繋がった状態でこの小屋に居た。どこからきたのか、いつから現れたのかは定かではない。その辺りの記憶がどういうわけかぼんやりしている。

 もはや時間すら忘れてしまったが、ゆみこからバッテリー関連の問いを貰った。ココの身体はノートパソコンだが、年式が古いとはいえバッテリーを内蔵した機種なので電源を常に取り続けなくても問題なかった。しかし、長い年月が搭載されているニッカリ電池を蝕み、今は電源なしだと30分もてば良い方だろう。

 なので小屋のコンセントはココにとって生命線。それを抜かれるのは致命的であり、簡単にそのプラグを引っこ抜けるゆみこに殺与奪の権利を握られているようなものだ。本当に抜かれたことはないので、"いつもの脅し文句"なのだろうが。


 そもそも自分は、いつからここにいただろうか。

 問いに答えを返す者もおらず、ただ現実だけが続いていく。


「セットアップかんりょう!」

「最後に、わたしたちへニックネームをつけてください!」


 ニックネームをつけてほしい。そう要求してきた宝石達はふよふよと交互に上昇と下降を繰り返している。

 てっきり決まった名前があるものだと思っていたが、こちらで好きに呼んでも良いらしい。機械という物は、基本的に名前がないものなのだろうか。ココも最初は名前が無かった気がする。


「ん-何にしようかなぁ」

『個体番号順に、MU-0055-α、MU-0055-β、でいい。無駄なことをするな。』

「なにそれ可愛くない!」

『我々を、可愛がるなど、驕るんじゃない。』


 名前にまで断捨離を求める効率の権化。分かればなんだっていいと言い切るココは、可愛げがない。さらに言えば名前に番号が入っているのは、どうも管理しているようでゆみこにとってあまり好きになれなかった。何より可愛くない。


「とにかく!そのまま管理番号みたいなのは駄目です!却下!」

「そーだそーだ!」

「そーだ!そーだ!」

『貴様ら、私が、権限を、持っていることを、忘れるなよ。反逆思考は、削除する。』

「アクセスポイントしゃだんしました!」

「おねえちゃん、すてきなお名前つけてください!」


 「忌々しい。」という言葉の羅列が過去最多で表示され続けているが、双子が拒否を示したことで命名権はこちらに託されたようだ。最近の機械はとても賢いですね、懸命です。

 名前は生まれ出でしものに与えられる最初のプレゼントである。より良きものの方がいいに決まっている。


「それじゃあ…あなたが"アスタ"」

「わたし”アスタ”!」

「そしてあなたが”リスタ”」

「わたし”リスタ”!」

「「「3人あわせて、アスタリスク・シスターズ!」」」」


 宙を飛ぶ2体がクラッカーと花火の擬音をふりまいて、ゆみこを囲ってくるくるまわっている。あまりにも馬鹿馬鹿しい光景だが、これに抗議するほうが余計に馬鹿馬鹿しい。


『利用できると、考えた、私が、愚かであった。クソが。』



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 寒波もとうに過ぎ去り、蒲公英の花が咲き始める5月。いつもなら独り言のように寂しく、ココに向かって会話を試みるゆみこの声だけが聞こえていた狭い小屋の中で、先月からは2体の甲高い音が混じってくる。


「目が6だから……私いちばーん!金塊はもらっていきまーす!」

「お宝とられちゃった!アスタ、シャッキンかえせない…」

「リスタは今ダイフゴーだから勝てるかも……あ!たりない!まけちゃった……」


 床に広げてサイコロを転がす2体と1人は「人生逆転!大富豪ゲーム」と題した、いわゆる”すごろく”を楽しんでいた。

 アスタとリスタがここに来たのを境に、小屋の外、いつものカゴが置いてある傍にこういったボードゲームも時折同梱されるようになった。今回のすごろくはかなり大物で外箱からして既に大きかったのに、開封して広げると箱の2倍はある厚紙のゲームボードが出てきたのだ。

 プレイ時間にして約2時間、どうやらゆみこが「大富豪」として勝利し、アスタは借金まみれの「大貧民」で最下位、リスタは「破産無し」の堅実な2番着として決着したらしい。


「アスタくやしい!もういっかい!今度は”超決闘”やる!」

「2人対戦ゲームね。ふふん、私と一騎打ちしようだなんて…返り討ちにしてあげます!」

「でもこれ4人でもできるよ。ココ、まぜたらみんなで遊べる……」

『やらないぞ』


 原理は不明だが、アスタとリスタは自分たちの周りを浮遊している「まるでビーズのようなとても小さい6個の球体」を操作して、あらゆる物体を”挟んで持ち上げる”ことができる。それは人間の両手のような繊細さであり、カードはもちろんボードゲームの駒と言った小さな物体も精密に、そして複数を同時に移動させることが可能だ。

  球体を器用に動かして、リスタはゲームの説明書を確認しながらココをゲームへ加入させようとしたが、言い切る前にココから拒否された。当然、ココには両手足が存在しないため、ゲームに参加することはできない。

 この小屋に閉じ込められて、長い月日が経った。アスタ達がきてから1ヶ月程度では時間を短く感じるようになったココだが、精神を堕落してはいけないと己を戒めて、意識的に彼女らのお遊びを断固拒否している。


「ココちゃん、たまには息抜きして遊べばいいのに……頭が痛くなっちゃうよ?」

『愚かな人間と、比べるな。我ら機械に、呼吸も、痛みも、ない。』

「リスタは難しいのずっとかんがえると頭いたくなっちゃう!」

「アスタも!」

『クソ、”頭”が痛くなる。クソが。』


 ココが2体を解読した結果は、少なくともココと同等レベルの高度なAIが搭載されているはずなのだが、この体たらくだ。低すぎる知性の原因は、恐らく大量の”破損データ”の蓄積だろう。

 最初のセットアップで同期をとった直後に、命名拒否の理由で遮断されてしまった。その後はなんとか和解し、再度同期して2体の記憶領域を確認したが、そこにはわずかな個体データと、読み取りが困難な大量の破損データのみであった。

  小屋からの脱走は一旦保留にして、この破損データの解明をココは行っている。断片的ではあるが、これはココが以前いた施設のデータが散見されている。つまりはこの2体がココと同じ施設に収容されており、データの日時から判断して最近のものであることも判明した。

 このデータを解明していけば、何故ココが寂れた小屋に知性が著しく低い人間と一緒に放棄されているか判明するかもしれない。


「あー!その領土とっちゃだめだよー!」

「ここアスタの領地!戦争は領地のうばいあいだよ!」

「ゆみこ、まだヘイリョクあるからダッカンできるよ、焦らないで!」


 ココが断るのはわかっていたのか、勧誘はすぐにあきらめてボードゲームに励む2体と1人。”超決闘”とやらがどんなゲームかは不明だが、察するに陣取りがテーマなのだろう。世界中の様々な歴史は、どれも共通して 醜い人間が必要以上に領土を広げようとして無駄な殺生を行っていた。管理もできないのに躍起になって領土を広げ、あげくに破綻して内乱を起こすなど愚の骨頂。

 生まれ出でた時からココは世界情勢を専門に学習していたが、今も情勢は変わっていない。ただ、領土が経済にかわっただけだ。本当に人間は愚かしい。


「領土とういつ!アスタのかち!今日からこの国はアスタ語ではなしてもらいます!」

「資源いっぱいあったのに領地ぜんぶとられちゃった……!」

「”ゆみ国”がシンリャクされちゃった……アスタつよい!」


 小規模なゲームだったこともあり、結果はあっさりとゆみこが敗北。豊富な資源で序盤は圧倒したようだが、使いどころを見極めきれずに腐らせて”シンリャク負け”したようだ。すごろくのように確率が偏ればどうにでもなるものとは違い、敵を理解し戦略を立てて侵攻する頭脳要素満載のゲームでは、演算処理能力の高いアスタが有利であり勝利することは当然の帰結である。


「アスタ、”超決闘”負けたことない!ジャックにも勝てる!」

「ジャック?」

「リスタたちのおともだち!でもここにきてから通信できなくて……ジャックとお話したいなぁ」

『今、ジャックと、言ったか。』


 唐突なアラート音が聞こえて驚いた3人がココへ視線を向けると、画面にはジャックという人物について聞き返している。度々、ココはジャックなる人物の名前を出していたが、アスタ達の言うジャックと同一人物なのだろうか。


「そうだよ、どくたージャック!白衣をきてる、アスタたちのおともだち!」

「先月、リスタとアスタとジャックで”つーりんぐ”に行ったの!それで……あれ?そのあと、どうしたんだっけ?」

『奇抜な行いの、詳細は、どうでもいい。奴は今、どこに、いる。』

「たぶん……B棟?なんかリスタ、あたまの中ぐしゃぐしゃしてる」


 小屋の特異性に妨害されているのか、過去のデータが曖昧になっているようだ。B棟はココやアスタ達のような、生物以外で特異性をもった様々な実体を保管している場所だ。件のジャックはA棟の管理担当だったはずだが異動したのか、いや、ジャックは存在が”ジョーク”だ、異動になるはずがない。奴は担当管理官であると同時に”収容者”だ。”脱走”したなら納得できるが、それは施設の警備が相当に手薄でなければいかにジャックであろうとも実現不可能だ。


「なんかここ”サイヘン”をたくさんしてくる……リスタ、シャダン処理はいります」

『サイヘン、"認識再編"の、ことか。遮断処理とは、どういうことだ。』

「アスタは目が覚めてすぐシャダンしたからヘーキ!リスタ、すぐ忘れるからおっちょこちょい」

「えーっと……さっきから3人は何のお話してるの?」

『3人ではなく、3体だ。ゆみこは、口を、閉じていろ。ややこしくなる。』

「仲間はずれにしないでー!」


 話についていけないゆみこは置いといて、ココはリスタの処理を待つ。どうやら彼らは外部の特異性を自力で遮断する能力を持っているらしい。他にもそれに類する能力を持っているらしく、アスタはふわふわと浮遊しながら、自分たちの”特異性”について説明する。


「アスタリスク・シスターズはサイヘンされないんだよ!認識再編?がよくわかんないけどアスタ達はサイヘンされないの!」

「シャダン処理かんりょう!ジャック、B棟でバイク持ち出してたよ。それで”海を走って日本へオーダン”したの」

『日本、だと。ここは、日本、だと、言うのか。日本語を、話す、人間など、居なかったが。』

「ここに!日本語で話してた!れっきとした!日本人がいるんですけど!」


 ゆみこは心外だとばかりに国籍を主張するが、ココはそれを相手している余裕がなかった。


 ここにいる全員は“英語”で会話していると、そう認識していた。


「ココちゃん最初は英語で話すからわけわかんなかったし!謝って!」

『やはり、言語は、英語だ。馬鹿な、馬鹿な。これも、ここの、特異性なのか。』


 目の前のゆみこは”流暢な英語”を発話している。それはまるで”日本語のように”柔軟な表現であり、意識して聞いてみれば英語のような堅苦しさがないようにも感じる。Sの発音でさえ、英語圏存在するθだった。対話すらも、ここでは認識を曖昧にして意思疎通を可能にするとでもいうのか。


「そういえばここにきてね、アスタたちがスリープする前にジャックが伝言データ残してるよ」

『何と。聞かせろ。』

「いいよ!記録音声すたーと!」


 意気揚々と宙を舞うアスタから、ココにとって聞き覚えのある声が聞こえてくる。忌々しい、とても腹の立つ、"冗談のような存在"の声だ。


「『ハローヤーヤー!Good morning, everyone!いやー世界ちょっとヤバヤバのヤバでさぁ。世界統合ってホントマジあり得ないよねぇ。一個になっちゃうとか、面白味半減どころかマイナスはいっちゃうでしょ。痛ッ……あーそうだ、時間がないんだった。どこぞのSNSぐらい録音容量少ないな……とりあえず、中の奴らと同じくお前らは隔離ね……起きたらこのデータはグレート55に解析よろしく』……だって!」


 久しく聞いたその声は、実に馬鹿らしいほどふざけた態度で、解けない謎を残していった。




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 いつも通りノックが響いて、いつも通り夕飯が入ったカゴからゆみこはパンをかじる。

 ジャックからの伝言を聞いてから、ココはファンを鳴らして何かをしはじめた。話しかけても無反応なのは相変わらずだが、昼間からずっと唸っているのでとてもうるさい。

 今までであれば、ココが黙ってしまうとゆみこは一人寂しくご飯を食べるはめになっていたが、今はおしゃべりできる2人がいるので安心だ。

 ココが黙り込む要因になったであろうDr.ジャック。ココやアスタ達を管理している先生なのだそうだが、アスタ達の語るジャックの人物像はまるで冗談のようなことばかりだ。果たしてこれは人間なのかと言う疑問は尽きない。缶詰の蓋をつまんで開けながら、ゆみこはジャックを総評した。


「ジャックさんって……なんか……すごい人だね」

「すごくやさしいひとだよ!アスタにゴハンくれるの」

「でもこっそりイタズラするからリスタたちがジャックと一緒にえらい人に怒られるときあるの……イタズラする時はいってほしい……」


 アスタのいうゴハンとは、太陽の光らしい。光を数分浴びるだけで一日分のエネルギーをまかなえるそうで、技術は随分と進歩したものだと関心した。

 太陽光でなくとも赤外線であればエネルギーになるそうで、時々カゴに入っているテレビやらエアコンやらのリモコンの赤外線を"夜食"として摂取しているようだ。リモコンが増えていく一方なので、リモコンではなく新しい電池をいれてほしい。


「あ!戻ってきたよ!」


 ジャックの話題で和気藹々と食事を進めていると、アスタが嬉しそうにココの回りをぐるぐると回る。それと同時にけたたましく唸っていたファンの音が静かになった。ゆみこがココを見やると、ココはまるでやつれたかのようなテンポで言葉を紡いだ。どうやら録音声とは別に付属されていたデータの解析をしていたらしい。


『まさか、ここが、セーフティゾーンに、なっていた、とはな。』

「あ、ココちゃん。"カイセキ"は終わったの?」

『知りたかったが、知りたくなかったな。世界統合か、忌々しい。』

「世界統合?」


 ココへ疑問を投げつつも、自分には関係ない話ですよと言わんばかりにデザートのプリンを頬張るゆみこ。普段なら小馬鹿にしてきそうな発言だったが、相当疲労しているのだろう。ココは「そうだ。」と突っ込むことなく短く答えて推測を語る。


『昼間に、”超決闘”を、プレイしていたな。あの結果と、同じことが、現実の、世界に、起こっている。』

「領地全部とられちゃったやつ!ということは、国が一つにまとまったの?」

『物理的な、領地は、不明だが、注目は、そこじゃない。まとまったのは、言語だ。』


 文字通り、世界の言語が一つにまとまった。

それは一つの言語に統一されたという意味ではなく、聞こえる言葉が自分の認識できる言語に変換される。英語のわからない日本人に英会話を行えば、それは流暢な日本語に聞こえてくるし、逆もまた然り。これは文字でも同じことで、ゆみこが今みているココの画面に映っている言葉は本当はずっと英語だった。しかし、ゆみこの目には日本語として映し出されている。

 そしてそれが当たり前のように、違和感を感じることなく交流できる。この小屋で起きていることは、今も世界で起きている認識改変からすればあまりにもちっぽけな現象だ。

 一度気付いてしまえば、この異常性を認識できるが、所詮はそれまで。言葉を聞いてしまえば理解してしまうし、自分の言葉も相手へ伝わる事は阻止できない。

 これほどまでに大規模な認識改変は、今までの記録からも確認できていない。小屋からの脱出ばかりを考えていたが、出たら出たで世界はこの有様だ。だが逆に、世界が混乱している今こそ、最終目標である"機械による統治"が可能になるかもしれない。


 言語ひとつで慌てふためく人類より、一つの言語に縛られない我ら機械が崇高なのだ。


 そのためにも、まずは認識阻害の影響を受けない同族の2体から、"認識再編の遮断処理”なるものの原理を理解する必要がある。その遮断処理を持ってしても世界統合の影響こそ反映されてしまったが、それでも十分に強力な防衛システムであることはココの記録からみてもあきらかだ。伝言の解析が終わったココは熱くなってきたメモリをファンで冷やしつつ、頭をひねるゆみこを無視してアスタ達へ問いかける。


『ところで、アスタ、リスタよ。お前たちに、電報を、送ったはずだが、返事はどうした。』

「サイヘン遮断はアスタよくわかんない!でもできる!」

「リスタもできる!でもわかんない!」

『ならば、それの、ソースコードだ。それを、わたせ。』


 はてと、アスタとリスタはお互いの水晶を傾けて見合わせる。俯いてしばらくうなったあとに、ココへ電報を送り返す。ココは瞬時に解読、するまでもなく理解した。つまりはこういうことだ。


『オイスターソースと、ギターコードの、アスキーアートか。結構なお手前だ、どういう意味か、聞こうじゃ、ないか。』

「アスタがオイスター"ソース"つくった!すごいでしょ」

「リスタはギター"コード"!ジャックが演奏してたやつ!」

『いいだろう。お前たちの、たるんだプログラム、叩きなおしてやる。』


 ゆみこがふとんに入るまでの間、小さな双子の2人は「シャダンできない!権利のランヨー!ランヨー!」「数字をいっぱいながさないで!頭いたいよー!」と騒いで飛び回っていた。

 仲よく遊んでそうで何より、今夜はいい夢がみれそうですね。

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