加佐子と真珠とさきわう未来

「あら、いらっしゃい」

 社交クラブ『キャバクラ 花とミツバチ』のホールに顔を出したのは白州岩志しらすいわしだった。

 彼は何かとこのキャバクラを接待に使っている上得意の客だ。阿佐ヶ谷駅前の郵便局と和食居酒屋の間の小径を入った先にある品の良い類いのキャバクラだ。客引きをしないで商売が成り立つ安定した飲食店である。


「ママ、今日はさ、パールさんの最後の出勤日って事で、顔を出したんだよ」

 和服姿の美人ママは、「まあまあ。結婚前だし嬉しいと思うわ。それなら今日はパールちゃんのご指名ってことでいいかしら?」と岩志に訊ねる。

「それでいいよ。彼女が付いてくれると商談が成功することが多かったんだ。福の神だ、彼女は」と笑って答える。

「あら、私じゃだめだった?」と含み笑いの悪戯顔でママが言うと、

「またそうやってあげ足とらないでよ」と困った顔の岩志。

 軽く笑うとじゃれ合うことが好きなママは、「そんなことより後ろの女性を紹介してよ、困った顔でモジモジしているわよ、彼女」と岩志に言う。


 連れの顔を見ながら「ママは初めてかな?」と言う岩志に、

「いいえ、一方的に私の方が知っている方ね」とママは返す。

「へえ、そうなんだ」と岩志。

「だってこの町に住んでいれば、多くの人が知っている経済人のご令嬢だもの」と言う。過去形にしないのが、客商売を長年続けているママの有能さである。

 真珠は「ありがとうございます。お初にお目にかかります。スーパーの店員をしている甲斐真珠かいしんじゅと言います」と飾らずにありのまま、今の等身大の自分を話す彼女。


 そこにフォローするように、「彼女とは又従兄妹はとこになるんだ」と岩志。

「まあ、ちょっと遠縁な親戚ね」とママ。

「今度ね、彼女と結婚する事になって、そのお顔見せってことさ」と背中を押して、真珠をママの前に連れ出す岩志。

「まあ、女の子の付くお店には来ているけど、接待で使っているだけ、って手の内を見せて、言い分けを作るために、今日は未来のお嫁様をここにお連れしたって事?」と少し意地悪に笑うママ。


 そのまま口元に手の甲を添えながら微笑むと、真珠に向かって「この『花とミツバチ』というクラブでママをしてます、三津鉢摩耶みつばちまやと言います。悪事やアリバイには荷担せず、ちゃんとご主人が鼻の下を伸ばさないように、見張っておきますよ」と真面目に応える。

「ママ、僕は鼻の下なんて伸ばしたことないでしょう」と岩志。困った顔だ。

「あら、これから先は分からないわよ、ウチはカワイ子ちゃんが多いから」と含み笑いのママ。そう言ってからチラリとレジカウンターの方を見ると、「あらパールちゃんが来たわよ」と言う。


 そこで初めて素の言葉を真珠が話す。

「美濃さん?」

 緑色のドレスを着たあの美濃加佐子みのかさこだ。

「真珠ちゃん?」

 驚く加佐子。

「なんだ、こんな近くで働いていたんだ」

 真珠の笑顔にママは、

「あら二人は知り合いなの?」と訊ねる。

「高校の同級生」

 加佐子の言葉に「ええ、そうなの?」と再び驚いた様子のママ。岩志も初めて知ったようで目を白黒させている。

 そして「甲斐さん、結婚するんだね。聞こえちゃった。おめでとう」と笑顔を向ける加佐子。

「ありがとう」とポツリ告げる真珠。そこには高校時代とは違った穏やかな安らぎの笑みがあった。

「でもね。私なんか、何の取り柄もないに、奥さんに選んでもらったのは勿体ないんだ」

 真珠は頷く仕草で噛みしめるように続ける。謙虚さがにじみ出ている今の彼女には、性格の面で、高校時代の面影は微塵も感じ取れない。

「お金も、家もない、ただの家なき子。そんな私を足長おにいさんの岩志さんが、ウチのお父さんとの義理人情からか、拾ってくれたのよ」


 すると岩志は「そうじゃない」と真珠に優しく否定した。

「苦労して弟君たちを高校まで出した君を健気に思ったからさ。その優しさに惚れたんだ」と彼女の肩を抱く。

「良く耐えたね」と頷く岩志に頷くと、真珠の頬をホロリと涙が伝う。孤軍奮闘していた人生に終止符を打てる安堵感が彼女の心、琴線に触れた。

「あなたがいてくれたから……」

 岩志は包むように彼女の肩を抱きしめて、

「あとは彼らの二人の大学の費用、僕に任せて。夫婦になるんだ。それくらいさせてもらうさ」


 二人の会話を聞いた加佐子ももらい泣きである。

「人って苦労が重なると涙腺弱くなるのよね」と言う加佐子。軽くハンカチを当てながらも、マスカラがぐずぐずになりかけている。

 ママは、

「それだけ人生を真面目に生きてきたってことよ。誇るべきだわ」と微笑む。そしてカウンター脇のワインセラーからワインを一本取り出して、

「今日の私からのお祝い。プレゼントよ」と笑う。

 三人はビックリする。

「それってロマネコンティ。数百万だよね」と岩志。

「まだお席にご案内していないわ。伝票につけたりしないから大丈夫。私の私物よ」

「すげえ、それもらい物なの? 一生飲めないよ、そんな酒」と岩志。

「ええ。こんな私でも贈ってくれる殿方がいるのよ」と和服の袖をたぐったポーズで戯けてみせるママ。

「ママ、いいんですか?」と加佐子。


 皆の見開く目を横に、会計カウンターに並べた小さなワイングラスに飄々と注ぎ始めるママ。そして「おめでとう」と微笑むと三人にグラスを渡し、「乾杯!」と軽く発して飲み干した。

「パールちゃんも幸せにね」とママ。

「はい、新婚旅行は熱海なんで、干物でもお土産に」という加佐子。

「あら良いわね。熱海仲見世のプリン屋の向かいにある乾物屋のアジの干物買ってきてよ、あそこの干物が美味しいの。あとで場所教えるわ」

「はい」

 加佐子の返事の後、ママは近くのテーブルを案内する。

「まあ、まずは座りましょう。座った後は注文になるからお金頂くわよ。白州さん今日はボトル入れてね」とウインクするママ。

「了解。でも安いヤツね」と笑う岩志。


 席に落ち着いたところで、真珠は加佐子に軽く「じゃあ、伊香君と一緒になるの?」と小声で訊ねる。

「うん。プロポーズされた。神明宮の予約をその日のうちに一緒に入れに行っちゃった」

 照れ気味の加佐子。

「あらウチも神明さまで式をすることに決めたの。一緒に子育ても出来ると良いわね」と真珠。そして「の良い子を産んでよね」と笑う。

「あはは、そうよね」と加佐子も納得する。高校時代の合い言葉のような共通の話題である。


「ハックション! うう、夏だというのになんでだ?」

 神明宮のお参りを終えた伊香純夫いかすみおは鳥居の前で、本殿方向に踵を返すと一礼して神社を後にした。

「今日こそはスナックに入れたボトル飲むぞ。なんだかんだで飲みに行けてない。へべれけになるまで今日は飲むぞ!」

 何の誓いなのかは定かではないが、そこに意気込みを感じる。

 伊香純夫は『人畜無害』のニックネームを返上する覚悟で、今日はスナックの扉を開けた。




                           了

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若者街の神明社-恋と御縁の浪漫物語・阿佐ヶ谷編- 南瀬匡躬 @MINAMISEMasami

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