七夕飾りが道開く時-庶民になった真珠-

 私は甲斐真珠かいしんじゅ。自分で言うのもズレた感じがして嫌なのだが、もとお嬢様だ。事実は正確に伝えるべきなのであえて自分で言う。今は近所のスーパーマーケットのレジ係をして、昼休みには世間話に花を咲かす二十代の女だ。


 つい五、六年前までは、お抱えの運転手付きの高級外車で外出。勿論自分で電車のキップを買ったことなど無い生活を送ってきた。このまま行けば、妥当なお嬢さん学校の大学を出て、それ相応の男性の元に嫁ぐというのが私の運命と思っていた。三角巾とポスコードなど私の人生に関係ないという生活だった。


 だがその日は突然来た。詳しいことは分からないが、父親の他界とともに父の会社の株式暴落、資産管理を任せていた会社の一方的な解約による凍結、おまけに使用人への手当、給金の滞納が始まる。今まで経験したことの無いアクシデントが手を変え品を変え、次々と私を襲った。


 経営や経理などやったことの無い私には、会社のことなど全く分からない。みるみるうちに我が家の家計は砂の城が倒壊するかのごとく日常ごと急変していた。


 ただ一人、最後まで味方してくれたのは、遠縁にあたる白州岩志しらすいわしだ。

 いつも親戚の集まりの時は遠くに座って、特に輪の中にも入らない一風変わった男性だ。浮いた話も、景気の良い話も無く、法事の時は一人で黙々と手酌酒をやってさっさと帰ってしまう存在感の薄い人物だ。


 彼は私よりも五歳年上。大学時代に始めたIT関係の起業が当たって一躍、「時代ときの人」となる。雑誌や新聞などにも取り上げられたが、鼻にかける様子も無く、相変わらず親戚の集まりの時は、我関ぜずのスタイルで手酌酒をやって帰っていく人だった。


 その彼が私の人生に初めて立ち入ることになった。理由は、たまたま自分のベンチャー企業を立ち上げるために選んだ町が阿佐ヶ谷だったからだ。手際の良い彼は、不動産の売却をその筋の人たちに頼むと、私や弟たちには金銭の影響が出ないように負債を、資産で相殺してしまった。手慣れたモノだった。


 業者が我が家を出て行くと彼は私たちのところに来て、

「とりあえず住むところを確保した。オレの名義で借りたアパートだ。数年はそこで我慢してくれ」と言う。

「なんでそんなに親しくも無い私たちに、手助けをしてくれるの?」

「神のお告げかな」と笑う白州。

 私は真面目な答えが返ってこなかったことで、彼の思惑を推測することが出来なかった。ただ悪意はなさそうだ、と言うことだけは感じられた。


 結果、十着にも満たない衣類と中学生と小学生の弟たちの手を引いて、私は南阿佐ヶ谷駅の近くに彼が用意してくれたアパートに移った。住み慣れた大きな屋敷とは対照的にウサギ小屋のような二間の造りだ。築三十年以上の不便な建物だ。ドアは軋み音が鳴る。床は黒ずんでシミのようになっている。それでも雨風さえしのげればまだ良しとする、文句の言えない私たち姉弟の境遇だった。


「また輝ける真珠になったら連絡くれよ。バイビー!」

 軽いノリのモデルの彼氏は一方的に、携帯通話を切った。

「ああ、あの彼氏はもう二度と連絡してこないだろう」

 直感的に思うも、私の中ではどこか他人事のようなぼやっとした記憶の中にあった。きっと本当に好きな人じゃ無かったのだろう。

 非情なモノだ。金の切れ目が縁の切れ目とはこういうことなのか、と初めて知った時だった。


 ひとしきりの切り替えが済んだ頃、岩志は軽自動車に乗ってこのアパートにやって来た。


「いいかい、真珠ちゃん。まずは仕事だ。僕の会社で雇ってあげても良いのだけれど、はじめから甘えやしがらみを覚えないため、それらを断ち切るために、全くの他人ひと様の一般的な職場でルールを覚えよう。それには誰も知らない場所で仕事や世の中の仕組みを知った方が良い。それ以上のしがらみはいらない。足かせになるだけだ」


 何も無いアパートで岩志は私を諭すように言った。引越祝いと称して持ってきてくれた蛍光灯を天井に取り付けてくれる。


『なんで岩志は、私にこんなに親切にするのだろう。下心があるのかな? 助けてくれてるし、一回くらいデートに付き合ってやっても良いか』


 箱入り娘だった無知な私は、ダメな大人からの請け売りのサイテーで恥知らずな考え方、目線で彼を見ていた。そんな腐った私の性根とは裏腹に彼は、蛍光灯を取り付けると「じゃあ」と意味ありげな顔で玄関に向かう。

「ねえ、どうして面倒見てくれるの?」

 執拗に訊ねる私に、岩志は少しくたびれた笑顔をしてから、

「君のお父さんの助けがあって、今の僕は経営者になれたんだ。でなければ、今頃ニートだよ」と言った。

 そしてアパートを出ると、それ以来連絡をしてくることはなかった。


 彼が義理堅い人間だということは、興味の無い法事に毎回参加しているところから推測していたが、予想以上に義理堅い性格なのだ、とその一言で全てが伝わった。


 弟たちの転校手続きや自分の住民票を手に入れる。初めて自分で区役所に行った。役所の人は丁寧に住民票の意味を教えてくれた。


 二日後、ようやく落ち着いたので住み慣れたもとの自分の家がどうなっているのかを確かめに行く。南阿佐ヶ谷から阿佐ヶ谷駅までのアーケード街をくぐり抜ける。ここは屋根付きのショッピング・ストリートだ。季節がら七夕飾りが美しく風にそよいでいた。


「ああ、そう言えば昔、この季節に父さんと来たわよね」

 誰にいうでも無く独りごちる。どこからともなく懐かしい七夕の歌が流れてくる。懐古感が私の胸中を染め、そのメロディーが私の心の琴線に触れた。


 やがてJR駅前を通り過ぎ中央線を跨ぐ。少し進むと、かつての自分の家があった住宅街に辿り着いた。だが自分の家は跡形も無く取り壊されて、綺麗に更地になっていた。

 そしてそこには『建築申請』の看板が立っている。どうやらこの場所は大きなマンションになるようだ。生まれたときから住んでいたあの家はなくなり、私は羽をもがれた鳥のように落胆したまま帰路に就く。プライドは全て捨て去り、虚脱感だけで歩いていた。


 過去の栄光なのだろうか? 自分の力では無かったにせよ。確かにあの場所には私の生活があった。


 途中で神明宮の前に出た。阿佐ヶ谷の町の象徴の一つだ。

 ここだけは変わらない。私の成長を見てくれた神社だ。お宮参り、お食い初め、七五三、合格祈願、初詣と私の成長と日常の記憶はここにも残っている。家は無くなったけど、私の人生の節目はここにあった。そう感じる。


『よかった。思い出は全部消えてないわ』


 私は一礼して境内に入る。今まで気にも留めていなかった小さなお社がご本殿に行く途中の参道脇にあることに気付く。

「道開きの神。開運ってことかしら? それならお参りしないと」


 本殿をお参りした私は、再びその社殿に戻ってきた。両手を合わせて柏手を打つ。

「さるたひこさま……」

 拝み終えると横にあった案内板を読む私。その隣に結構な背の高さの男性が私を見下ろしていた。見覚えのある顔だ。

「あれ? 甲斐真珠さんだよね」

 中学高校のクラスメートだった伊香純夫いかすみおである。

「あ、人畜無害の……」と言いかけた私の言葉を、手で振り払う伊香。

「やめい、やめい。その垢抜けないキャッチコピーっぽいフレーズ。暗い高校時代を思い出すわ!」

 学生時代と変わらない所作で私を笑わす。


「あはは。妙なところであっちゃったねえ」と私。

 伊香は少し優しい目で、

「元気にしているか?」と訊ねる。家同士が近所なので、当然我が家が傾いたことは知っているはず。

「うん、今は南阿佐ヶ谷駅近くの賃貸アパートにいるんだ。また連絡するよ」と私。

「絶対だぞ!」

 そう言って伊香は自分の名刺の裏に携帯電話の番号を手書きで付け加えた。

「はい」

 手渡された名刺を受け取ると、「私の日常はまだここに残っているんだ。良かった」と笑う。

「うん。僕って言う同級生も日常の一部だよ」という伊香。

 これからお参りという伊香と別れると私は帰路に就く。弟たちの食事の準備をしないといけないからだ。



 散歩を楽しんだように私は小さなアパートに戻って来た。すると入居の際に挨拶をした大家さんがアパートの玄関先で私を待っていた。

「真珠ちゃん! 待っていたの」

 大家さんは私に駆け寄ると、

「駅前のスーパー、私のお友達が勤めていてね、レジの仕事で若い人を一人募集するっていうのよ。それで、あなたを紹介したい、って言ってくれたの。あそこ時給も良くて、真面目に働けばすぐにでも契約社員になれるわ。そしてその上の本採用も出来るのよ。今すぐ面接行けるかしら? 履歴書は後日で良いそうよ。決まっちゃう前に、顔見せ行きなさいね。志々見しじみ店長って女性がいるから、その人を訪ねて。美波町アパートの大家、鰍村かじかむらの紹介です、っていうのよ」と急かすように私に笑顔を向けた。


 私は「はい!」と頷くと、大家さんに一礼をして、部屋にある面接用の衣服に着替える。上着に袖を通して、鏡を見て櫛を入れる。


 その時ふと頭をよぎることがあった。そしてよく考えると、そのスーパーマーケットの上の階には岩志のオフィスがある。赤子でも分かる謎解きだ。

『感謝』


 私は意味深な独り言を発しながら、スーツ姿で駅前のスーパーに今戻ってきた道を再度歩き始めた。阿佐ヶ谷に長年住んでいるが、一日に三回も七夕飾りを見ることになったのは今日が初めてだった。そして七夕の日は、同時に私がお嬢様気分を卒業する日となった。

                  了


 


 

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