若者街の神明社-恋と御縁の浪漫物語・阿佐ヶ谷編-

南瀬匡躬

月夜の夢先案内人-劣等生になった加佐子-

 今日の月は満月。オレは伊香純夫いかすみお。「イカす」と言われたことの無い名前負けの男だ。顔は眉毛の濃さとほりの深さからソース顔の男面おとこづらと言われることが多い。バレーボールをやっていたくらいなので背は高い。「人の良さそうな善良顔」とも言われる。そして「人畜無害の純夫ちゃん」と高校のクラスメイトからは呼ばれていた。

 株式会社リース・フルムーンで営業をやっている。コピー機やオフィス機器、文房具のリースをする会社だ。今は得意先回りを終えて、帰るところだ。仕事を終えて、いつものように帰宅途中にある、阿佐ヶ谷神明宮あさがやしんめいぐうの近くの馴染みの店、スナックに向かっていた。

 オレの住む町、阿佐ヶ谷は新宿から十分ちょっとと便利な立地。平日は快速も止まるそこそこの規模の町だ。中野、荻窪おぎくぼ吉祥寺きちじょうじと並び中央線沿線の若者文化を支える町でもある。

「今日はまだ明るいし、神明さまにお参りしてから飲みに行くか」


 オレは阿佐ヶ谷の駅を出ると大手のスーパーマーケットの店先をかすめて大通りを歩き始めた。何となく日課になったスーパーのガラス越しに特売日の貼り紙を確認をしてから前を通過する。そして路地を曲がり、神明宮の前に辿り着く。いつもながら清々しい空気感がオレの心までも洗ってくれるようだ。

 本殿を垣内の向こうに見ながら、柏手を打ち、お参りを済まして再び通りに出る。ふと横を見ると茶色の髪にエクステを盛ったアップのヘアスタイル、ミニのパーティドレスを着込んだ女性が歩道にしゃがみ込んでいる。

「あ、伊香じゃん。人畜無害の純夫ちゃん、ヤッホー」と女性。オレにVサインを投げてきた。

「ん?」

 見覚えが無い。どこかの夜の店で付いてもらった娘なのか? オレは基本、接待以外で女の子が付くお店には行かない。顔なんて覚えてもらえていない筈。それより「人畜無害」のワードを使うのは高校の同級生だけだ。

「ばーか。自分の元カノの顔忘れたのかよ」とアカンベーをしてきた。

 何だ、この品の無い女は、とアカンベーをされて、オレは少し憤慨した。

 首を斜めにして悩んでいるオレに、「加佐子。美濃加佐子みのかさこだよお」とオレの手を握ってブランブランさせる。

「美濃?」

 そう言えば高校時代、短期間だが、清楚系の頭脳明晰な委員長、美濃加佐子と付き合っていた記憶がある。

「美濃加佐子なのか?」

 面影すら浮かばない彼女の顔を見て驚く。

 酔っているようで、彼女は「どうだ、驚いたか。清純路線からギャル化した加佐子様を」とオレの肩にもたれてきた。

「おいおいおい」

 オレは彼女の肩を両手で掴み、しっかりと地に立たせる。この華奢な肩幅、思い出してきた。そう言えば、何となく面影がある。

「なんだよ」と彼女。フラフラしているようだ。

「ちゃんと立って」とオレ。

「地球が回ってると、不安定なんだよ」

「酒で目が回っているんだろう」

 オレの言葉に「目じゃなくてろれつが回ってないんだよ」と彼女は返す。

「そうじゃ無くて、お酒の話」と言うと、

「お酒はさあ、飲まれちゃダメ、そうだろう?」とオレに顔を近づける。

「飲まれてるヤツが言っても説得力無いよ」

「あたし、飲まれてんのかあ?」

「おお、どう見ても飲まれている」

 すると突然、くうを見つめて「伊香、切ないねえ」としどろもどろで、脈絡の無い、超絶ぶっ飛んだ、会話にならない言葉が宙を舞ってじゃれ合う始末。コミュニケーションという言葉は、この会話には存在しない。ある意味シュールだ。


 仕方なく、こんな拾ったお荷物を連れて馴染みの店には飲みに行けないため、予定変更。看板が見えた近くのカラオケボックスに入る。折角、先日ボトルを入れたいつものスナックに行けると思った週末の予定がパーになった。

 廊下を挟んだ向かいの部屋からはミスチルが聞こえてくる。楽しそうな男女のカップルだ。隣からは女性だけのグループがプリプリの「ダイアモンド」を歌っている。どちらも三十代、四十代以上の客だ。年齢的には、オレたちより少し上の客層だ。

 オレは「66」と書いてあるリモコンを持って、「66号室」に彼女を支えながら入った。

「ありがとう……」と加佐子。足の歩調がおかしい彼女。千鳥足だ。

「お前、正体無くしてはいないのか?」

 オレの言葉に「うん」と一言。

「あたしね。人畜無害の純夫ちゃんに会いたかったのお」と抱きついてくる。

 廊下を通る客がこの部屋をのぞき込んで通り過ぎる。どう見てもバツが悪い。酔ったキャバ嬢をお持ち帰りしているしょうも無い男に見られている気がする。


「今日の出会い、偶然か?」

 その言葉に彼女は意外にも首を横に振った。

「違うの?」とオレ。

 肯く彼女は、「伊香の匂いだ。覚えているよ」と抱きついてくる。「春高バレーの地区予選の時に抱き付いちゃったから」と背中から腕を絡める加佐子。

「こらこら」

 慌てて引き離すオレ。

 こうして距離感を保つと高校時代の彼女の面影が蘇る。

「あたし先々週、偶然あんたをあのスーパーの横で見てさ。それで先週も同じ時間にあんたを見かけて、今日も同じ場所ではっていたら、やっぱり来たのよ」と言う加佐子。

「オレと話したかったの?」

「まあね」

 彼女はそう言ってから、「ウーロン茶とレモンハイ飲みたい」と付け足して言う。

「自分で頼みなよ、おごってあげるから」とオレが言うと、彼女は備え付けの受話器を取って注文を始めた。

「ウーロン茶とレモンハイとポテトフライと唐揚げと、シーザーサラダにはるさめサラダ、あとアイスクリームのバニラ」

 ガチャと満足そうに受話器を置く彼女。遠慮を知らないらしい。

「どんだけ食べんだよ」と言うオレの言葉に、「いいじゃん」と突っぱねた態度の加佐子。

「伊香の百恵ももえちゃん聴きたい」

 話がちょくちょく飛びまくる彼女。いきなり食べ物からカラオケに移る。

「何で今?」

「お父さんが好きな曲なんだ、って言って、昔、歌ってくれた。あのなんとか案内」

「『夢先案内人ゆめさきあんないにん』な。覚えてたんだ」

「うん、クラスの打ち上げで歌ってた。それ聴きたい。あんただけいつも同年代じゃない曲を歌っていた」とからかう。

 

 オレが歌い終えた後、彼女は涙ボロボロの状態で、鼻はぐずぐず。一体何がどうなっているやら? オレには今の状況が皆目見当も付かない。

「伊香……。ごめん」と加佐子。

「何だ、いきなり」

 彼女は急に真面目な顔になると「ずっと謝りたかった」と俯きがちに言う。時折目から溢れてくる涙を拭いながら続ける。

「あたしさあ、今、父親の入院で、働いていたアパレル会社を辞めて、割の良いキャバ嬢で稼いでるの。また来週から戻ってくるから、家で看病なんだ。あんたと会えるの今日しかなかった」

「えっ? おじさんどっか悪いの?」

「直接は命に別状は無いんだけど、継続的に投薬とリハビリを続けないと筋肉が萎縮してしまう病気らしくてさあ。うち母が高校の時亡くなったでしょう。お父さんがいなくなると私ひとりぼっちになっちゃうんだ。身寄りも無いしね」と困った顔で髪をかき上げる彼女。少し落ち着いたようだ。ただこの話とオレへの謝罪はどっかで繋がるのか?

「そっか」とオレ。

「でね、あんたと別れるとき、『もっと高貴な格好良い彼氏だったらよかったのに』って言ったことが申し訳なくて謝りたかった」

 その「でね」はどこから引き継いだ接続の言葉だ? という疑問を思ったが、とりあえず話は繋がったようだ。オレは彼女の話を一通り聞くことに徹した。

「アレは本心じゃ無かったの。幼稚な私の無い物ねだりから出た言葉」

「どういうこと?」

「あの時、クラスメイトの甲斐真珠かいしんじゅさんの彼氏がモデルやっていたんだ。彼女の自慢話であんたと比較されて自分が惨めに見えた。母親もいない、彼氏は地味、良い子ちゃんの委員長、って自分を卑下したみたい。それで何もかもが嫌になって卒業まで誰とも口をきかなくなった」

 オレは思い当たる節があった。甲斐真珠。確かにあの子は見栄をはる、良家のお嬢様だ。綺麗なモノばかりを見て、世の中の苦労事や惨事からは目を背ける傾向のある子だった。身につけるモノは一流品、女の子ならアクセサリーや彼氏で自分を着飾りたかったのだろう。それにアテられた加佐子は、とてもじゃないがあの当時、彼女の自宅の経済では、真珠の足下にも及ばなかったはずだ。

「オレ、別に気にしてないよ、今も当時も」と笑う。

「どうして?」

「だって自分がどの程度か知っているもん。お里が知れる、って言い回しあるけど、オレ自分のお里を知っているから。身の程を知っているからさ。だからさ、当時の加佐子だって、オレにはもったいないべっぴんな彼女だったよ」と笑う。

 すると再び「わーん」と言って、ボロボロ泣き出す加佐子。

「おいおいおい」

 これじゃ嫌がるキャバ嬢を無理矢理アフターに連れ出して、拒否されているみたいに見えるじゃないか。勘弁してくれ。オレはそんなに遊び慣れた男ではないのに。

「加佐子、その甲斐真珠さん、今どうしているか知っているか?」

「ううん」とかぶりを振って否定する加佐子。

「彼女はオレと同じ中学出身なので、この近所に住んでいるんだ」

「えっ?」

 意外な接点に驚く彼女。

「すっごい大邸宅だったんだけど、数年前、お父さんの事業が行き詰まって今は借家暮らし。生活は一変して質素にしながらも、弟さんたちの学費を稼いでいる働き者の優しいお姉さんになっているんだ」

「会いたい」と加佐子。

「えっ?」

「会いたいの」と念を押す彼女。

 オレは顎に指を添え「うーん」と唸る。

 そして「たぶんこの時間なら、すぐそこにいると思う」と答えた。

「すぐそこ?」

「うん、すぐそこ」

 言葉を繰り返すオレたち。

「連れてって」と加佐子。

「ケンカしにいくんじゃないよな?」

 一応心配するオレ。当時の恨みを晴らしにいかれたら、たまったもんじゃ無い。

「励ましたい!」と加佐子。前向きな言葉が出た。

 そうだ。加佐子はそういう性格だった。誰彼かまわず優しく声をかけ世話を焼く。少しお節介で、そのお節介はほどよい的を射る感じなのだ。心地よく感じる世話好きだ。だからクラス委員にいつも推薦されていた。


 オレはさっき加佐子が座っていたスーパーの前の歩道に彼女を連れて行く。

「ここ、さっきあたしが座っていた場所じゃない」と言う加佐子。

 オレは「そのまま『右向け右』してみろよ」と言う。

 スーパーのガラス越しに商品のポスコードを読ませているレジ係の真珠が正面にいた。

「あれって、甲斐さん?」

「そう、甲斐真珠の今の姿」

 金持ちぶった素振りで、人を見下した態度など微塵も無く、エプロン姿で、気さくに年輩のお客さんの買い物かごをサッカー台まで持って行く姿が見て取れる。

 その時オレの姿に気付いた真珠は、「あれ?」というジェスチャーを見せる。オレに手を振ると表に出てきてくれた。

「あれ、伊香君じゃん。何、浮いた話。結構な美女連れて今日はなんなのよ」と笑う。

 オレはおもしろ半分に「おいおい。この人覚えてないの? 君の知り合いでもあるよ」と言うと、「ええ?」と不思議顔。

「ごめんなさい」と言って、加佐子の至近距離まで首を前に動かす。そして目をぱちくりさせた後、「もしかして、高校時代の同級生の美濃さん?」と言う。流石女同士、すぐ分かるようだ。

 加佐子は頷き、オレは「正解」と言う。

「なに、あんたたちまだ付き合っていたの。長いわねえ。やっぱ本物の恋はそういうモノよね。幼稚な私の恋愛観とは違うわよねえ」と笑った。

 真珠のその言葉にじんわりと加佐子の目元が滲んでいるのが分かる。会ってからずっと彼女の涙腺は緩みっぱなしだ。

 オレは「また買い物に行くからね」と笑う。

「火曜日がいいわよ。オール一割引の日だから」と三角巾を正すと、「仲良くね」とオレたちに愛想笑いをしてレジに戻って行った。


「なにも言えなかった」とポツリ、加佐子。


 オレは「今の甲斐真珠どうだった?」と加佐子に言うと、加佐子はまたボロボロと涙を流す。

「こらあ往来でそれはやめろ! オレが変な目で見られる」と流石に手を引いて横丁の路地に入った。

「大人になれていなかったのはあたしだけだ。あたしも……、あたしも……。幼稚な恋愛観で伊香を苦しめちゃった」と言う。そしてオレのほっぺにキスをすると「これ、お詫びね」と言った。

 オレは沈黙の後、「なあ加佐子。親父さんに付きっきりならデートにも行けてないんだろう。オレ知り合いのヘルパーさんに声かけしてやろうか? 数時間なら割安で世話してくれるよ。うちの親父、町内の民生の当番を長くやっていたから顔が利くんだ」と言う。

「馬鹿、その前に相手もいないよ。何処の物好きが生活難の女とデートする」と負け惜しみも無くあきらめ顔で言う加佐子。

 その言葉と同時に、オレは自分をゆび指す。その仕草に彼女はフッと小笑いする。

「あたしキャバ嬢だぞ。金かかる女かもしれないぞ。いいのか?」とジョークを言う加佐子。

 オレは落ち着いて笑うと、

「加佐子はオレの中では、今でも優等生の清楚な学級委員長だから」と言う。

「馬鹿……」

 そう言って加佐子はオレを抱き寄せると唇を合わせてきた。そして「もう絶対に離さないからね」とあの時と同じ笑顔をオレに見せてくれた。

 月明かりと町灯りの下で、神明宮のお膝元で、オレと加佐子はあの当時の二人が記憶する苦い思いを浄化してもらったような気持ちになった。

                            (了)

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