ネコもどきの生活

カニカマもどき

クロの話

 突然だが、あなたは『ネコもどき』というものをご存じだろうか。


 おそらく、「知らない」と答える方が大半であろう。

 見たことも聞いたこともないと。

 しかし、実はその回答は一部正しくない。

 正確には「見たことがない」のではなく、「見ても、ネコもどきだと認識できていない」のだ。


 そう。ネコもどきとは、なんとネコに擬態ぎたいする生き物なのである。

 彼らは、ネコにまぎれてどこにでも居る。

 姿、仕草、鳴き声、香りなどの全てがネコそっくりであり、われわれ人間にはネコとの区別が全く付かない。

 たぶんネコからみても区別が付かない。

 その正体はタヌキかムジナかイタチか天狗で、日本国内の生息数は数万から数百万にものぼるという(ラジオで言っていた)。


 ネコもどきがなぜネコのフリをするかというと、人間が可愛がって世話を焼いてくれるからである。

 ネコもどきは、「ネコを可愛いと思う」人間の習性を利用しているということだ。

 すこぶる賢い。


 だがしかし、ネコもどきが――斯様かように高度で知的な生存戦略と擬態能力を有する彼らが――ネコに擬態するのは、ただ単にタダ飯を食らうためだけなのだろうか。

 可愛らしい顔をして、腹の中では恐ろしい侵略計画を企てているのではないか。

 放っておくと、なんだかんだで人類は危うい立場に追い込まれるのではないか。


 そこで、その真相を探るべく――今回われわれは、あるネコもどきの生活を覗き見ることにしたのである。


 *


「それじゃあクロさん、行ってきます。良い子でお留守番しててね」

 何の変哲もない朝、何の変哲もないアパートの一室からスーツ姿で出勤していく、何の変哲もない男。

 名を鈴木(23)といい、社会人2年目の一人暮らしで、好きなものはネコ、苦手なものは激辛料理であるが、そういった情報は本筋とあまり関係がない。

 重要なのは、この鈴木が、ネコもどきの飼い主だということである。

 

 そして、今しがた『クロ』さんとよばれた――鈴木を見送るでもなく、ベランダの窓のそばでくつろいでいる、クロネコそっくりの彼女こそが――今回の調査対象となるネコもどきだ。

 クロにはそもそも『トロスペ』というネコもどきとしての本名があるのだが、そんなことを鈴木が知るはずもない。

 半年ほど前、捨てネコのフリをして鈴木に拾われ、名をもらって以来、クロはクロとしての生活を送っている。


 さてそれより、いきなりネコもどきの本性を見るチャンスの到来である。

 いま鈴木が出勤したことで、家に残っているのはクロ一匹のみ。

 人間の目が届かないこの状況で、クロというネコもどきがいったい如何いかなる行動にでるのか、しかと目撃せねばならない。


 と、さっそくクロが動きだす。

 おもむろにゆっくりと体を起こし、ぐぐーーっとひとつ大きな伸びをするとともに、豪快な大あくび。その後数秒間、真顔で虚空を見つめたかと思うと………………どっし、と再び腰をおろし、クッションに沿って体を丸め……二度寝に突入した。

 人の目がなくても、まるでネコと変わらないではないか。


 クロのこの行動について専門家に尋ねると、「窓から入る日差しがぽかぽか気持ち良いので、二度寝をしたくなったのだろう」とのこと。

 それはもう、心までネコではないか。


 *


 それから約8時間は、何もなかった。


 より具体的にいうと、三度寝、昼食と昼寝を経ても、クロの行動に何ら不審なところはみられなかった。

 これではただの、もふもふ可愛い観察日記である。

 可愛いのは大変けっこうだが、今回の目的はそういうのではない。


 しかし、よく考えれば、そうなるのは当然のことだったのだ。

 なぜならこの部屋には、鈴木の設置したネコ用見守りカメラ『いつでもにゃんしん見守りくん』がある(昼食も、時間になると付属の装置から自動で出てくる)。

 このカメラの前で、クロがネコらしからぬ行動をとることは決してないであろう。

 何か策を講じなければならない。


 と思っていたところで、ふいに、クロがカメラの死角に入った。

 何気ない仕草であったため、はじめは、たまたまそうなっただけかと思われたが、どうもそうではない。

 クロはカメラの死角を把握しており、死角を選んで移動している。

 これは怪しい。


 そして、決定的な瞬間が訪れる。

 クロは、ぴょんとひと跳びで机の上にのぼると――器用にパソコンの電源を立ち上げたばかりでなく――パスワードを迷いなく入力し、ロックを解除したのである。

 そう。日頃、かまってほしいフリをして鈴木とパソコンの間に割って入りながら、こっそりとパスワードを盗み見て覚えていたのだ。

 なんという策士。なんという情報セキュリティの落とし穴。


 慣れた手つきでマウスを操作し、キーボードをたたくクロ。

 パソコンを使っていったい如何なる悪事をはたらくつもりかと、われわれは固唾かたずをのんで見守る。

 クロはさらに、ヘッドホンを装着し、あるアプリを起動すると……

 ……音楽を、聴きはじめた。


 その後、何かパソコンで別の作業をするわけでもなく。

 窓の外の夕焼けや雲、鳥などを眺めて目を細め、しっぽをゆらゆらさせながら、クロはただ音楽を聴いた。ときどき、リズムに合わせて頭や肩を揺らす。

 これが、ネコもどきであるクロの、秘密の娯楽なのだ。


 *


 それから2週間、新しい発見はなかった。


 強いていえば、クロがポピュラーな音楽だけでなく、ロック、ヒップホップ、ジャズ、クラシック、サンバ、マンボ、ボレロ、ボサノヴァなど様々なジャンルの曲を幅広く聴くということがわかった。そのくらいである。

 これ以上の発見は見込めないようだし、そろそろ調査を終えて撤退すべきかと考えていたとき、思いがけない変化が起こった。

 鈴木が風邪で寝込んだのである。


 今回の本筋とは関係のないことであるが、頼れる人間のいない、一人暮らしの風邪というのは、なかなかつらいものだ。

 鈴木は病院で処方された薬を飲み、額に冷却シートを貼って眠っているようだが、ぜいぜいと苦しそうに息をしているところをみると、病状はあまりよろしくない。

 ベッド近くの椅子にのぼり、鈴木をじっと見つめるクロは、何を思うのか。

 われわれとしては、基本的にただ見守るほかない。だが、もし鈴木が本格的に危険な状態になれば、調査を中止して介抱や救急要請に回らねばならないだろう。


 と、そこでクロが動いた。

 ほとんど音も立てずにスッと椅子を降り、台所へ向かうと……

 すっくと二本足で立ち上がり、戸棚を開け……中から、一本の包丁を取り出す。

 一瞬、クロが口の端を吊り上げ、にやりと笑ったようにみえた。


 まさかその包丁で、弱った鈴木をアレしようというのか。

 クロは、ネコのみならず鈴木にまで擬態できるとでもいうのか。

 そうして鈴木家を乗っ取ることが、クロの当初からの企みであったとでもいうのか。

 われわれは腰を浮かし、考えうる最悪の事態に備えた。



 …………誰かに起こされた気がして鈴木が目を覚ますと、傍らでクロが毛づくろいをしていた。

 その隣には、いつの間にか出来立てのかゆ生姜湯しょうがゆが置かれ、ほかほかと湯気を立てている。粥の上には、きれいに刻まれたネギが乗っている。

 意識がもうろうとした鈴木は、特に疑問を抱く余裕もなく、いや疑問は抱いたかもしれないが、「いただきます」と呟くと、ゆっくりと生姜湯をすすりはじめた。

 クロは、心なしか満足げな表情で、それを見ていた。


 *


 翌日。

 栄養をとったおかげか、鈴木はすっかり快復した。


 あの粥と生姜湯について、鈴木は、夢だと結論付けたらしい。

 食べたこともはっきりとは覚えていないし、あとで確認したら、食器なども元あった場所にきちんと収まっていたからである。


「それじゃあクロさん、行ってきます」

 そうして、今日も鈴木は出勤し、クロは二度寝をしたり音楽を聴いたりする。


 *


「ネコもどきも恩返しとかするんですね」

 と誰かが言ったところ、

「そんなんじゃないよ。アタシはただ、自分の生活を守っただけさね」

 そうクロは返したという。


 こうして、われわれの調査は終わった。

 どうやら、ネコもどきはわれわれに害を為そうという気は全くなく、うまく共存しようと考えているらしい。


 だがわれわれは、こうも考えるのだ。

 もし、われわれが調査を行っていることを、クロが知っていたとしたら。

 全て承知のうえで、ずっと「ネコをかぶって」いたとしたら。


 まあ、それは考え過ぎか。

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ネコもどきの生活 カニカマもどき @wasabi014

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