第7話(終)

「ありす、もういいわ。交代しましょう」


 一夜明け、昔そうしていたようにアリスは、鏡に向かって声をかけた。

 するとすぐに、遠慮がちな返事が返ってくる。


『もう、いいの?』

「ええ、充分よ。今日はあなたの番ね」

『そう……?』


 ありすは不思議そうな顔を浮かべつつも、アリスが差し出した手に自らの手を重ねた。

 そして光が熾り、二人は入れ替わった。


「久しぶりに外へ出て疲れたわ。ありす、あとは頼んだわよ」

『え、ええ……。わかったわ』





 久しぶりに外へ出ると、やはり堪えるのだろうか。


 ありすはそんなことを考えつつ、いつものように早足で部屋へと向かう。

 途中で使用人たちに的確に指示を飛ばしながら、ほとんど速度を緩めることもなく辿りついた。


「さて、今日も執務頑張りますかー」


 この三年で、ありすは伯爵家の仕事の大部分を取り仕切るまでに成長した。

 いきなりこれをアリスにもやらせるのは、少々酷かとも思ったが――


 大丈夫よね、だってアリスは私なんかよりも、ずっと賢いもの。


 三年前のありすが手も足も出なかった勉強を、当たり前のようにこなしていたのだ。

 これまでありすが行ってきたことはきちんとまとめてきたし、それを読めば問題ないだろう。

 最初こそ少し戸惑うかもしれないけれど、すぐに追いつき、そして追い抜いて行くに違いない。

 なら、気合いを入れて取り組まなければならないのは、むしろありすの方だろう。


 アリスはありすをあの部屋から救い出してくれて、その上〝アリス〟としての人生を半分もくれた、優しい子だ。

 だからありすはそんなアリスに報いるためにも、全力で頑張らなくてはいけない。

 そしてアリスには、もっともっと人生を楽しんでほしい。

 もしも閉じ込められたのがアリスでなくありすだったら、もっと早く解決していただろうと思うと、悔やんでも悔やみきれない。

 三年も無為に閉じ込めてしまった分、これから取り戻さなくっちゃ。


 ありすはそう考えると、愛用のペンを取り出すために、執務机の引き出しを開けた。

 するとそこに、半分に折りたたんだ紙が入っているのに気が付いた。


 ――なにかしら?


 何の気なしに取り出してそれを読んだありすは、すぐに眉間へ深く皺を寄せ、その紙をぐしゃりと握りつぶした。

 そしてバァン! と勢いよく扉を開け放ち、とある場所へと走り出した。




「ねえ、アリス! これ、冗談よね!? ねえ! そう言ってよ!」


 息を切らしたありすは、必死になって鏡へ向かって叫んだ。


「『もう戻らない』なんてどうして!? 戻らないなら私でしょう!? だからそんなこと言わないで出てきてよ! ねえったら!」


 しかし鏡はしんと静まり返り、返事が返ってくる様子は一切なかった。


「あんなに……、あんなに頑張って直したのに……。ねえ、どうして? 返事してよ……。せめて理由を教えて……。お願い……お願いよ……アリス……アリス……っ……ぅぅうう……ぅ……」


 鏡に手をかけたまま、ありすは泣きじゃくる。

 

 どうして何も言ってくれないのだろう。

 ようやく出られたというのに、一体なにが不満だったのだろう。

 わからない。

 言ってくれれば、全部解決できるように頑張るのに。

 願わくばまたいつの日か、一緒に笑い合えたら素敵だと思っていただけなのに。


 けれど鏡は沈黙を守ったまま、さざめき一つ起こさない。

 ありすは夜が暮れて朝になっても、使用人たちに見つかって強制的に連れて行かれるまで、その場を離れずに泣き続けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

鏡の部屋のアリス 金石みずき @mizuki_kanaiwa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ