聖夜の呪い【短編】

冬野ゆな

第1話

「本当によろしいのですね?」


 その問いに、俺は躊躇なくうなずく。


「わかりました。では、確認をお願いします」

「ああ」


 テーブルを挟んだ向かいの男は、書類を見ながら確かめた。


「呪いの対象は不特定多数、特に恋愛状態にある男女、ということでよろしいですね」







 俺がいるのは、呪術師と呼ばれている男の所だ。

 本人がそう名乗っているわけではなく、仕事の片手間に趣味で占いや呪術をやっていたところ、いつの間にかその筋で有名になったらしい。

 主にオカルト趣味の奴らにそう呼ばれているらしいが、要は呪い代行ってやつだ。「呪い代行」なんて胡散臭い単語が二つ続いているだけでもう噴飯ものだが、俺がそんなところにいるのはワケがある。

 少し長いが聞いてもらいたい。


 俺は常日頃から所構わずイチャイチャするカップルどもに憤っていた。

 談笑する、手を繋ぐ、人前ではしゃぐはまだいい方。

 酷い時には進路を阻み、大声で喚きたて、人を指さして笑う。時には公衆の面前で女を壁際に追いやって、ふざけて股間を近づけたりもする。カップルなんてそんな脳内お花畑の馬鹿ばかりだ。


 しかも奴らは俺たちが憤慨すればするほど、モテない男の嫉妬だと馬鹿にする。注意も恫喝もすべて嫉妬でひとくくりにされ、最初からお話にならない。二人だけの世界で生きてるってやつ。

 おりしも今はクリスマスを目前にひかえた12月。

 町中には変なカップルが増える時期だ。

 クリスマスに一人で過ごすのは寂しいなんて風潮のおかげで、手っ取り早くカップルになる奴も多い。たったひととき燃え上がってハイ終わりの恋の方が虚しくならないのだろうか。別に一人で静かに過ごしたって構わないのに。


 だが、世の中はクリスマスに一人で過ごすのは寂しいかのように扱う。そもそもクリスマスは外国の祭りで、しかも神の子が産まれたいわば誕生日だ。こんなことが許されるはずがない。

 カップルなんて滅びてしまえばいい!


 もう一度言っておくが、これは断じて嫉妬などではない。

 特に俺はそれをよくわかっている。

 マナーの悪い奴というのはどんな所でもいるものだ。重々承知している。


 しかし悪い所というのは目立つ。馬鹿なカップルどもにはいい加減苛々させられていたのだ。既に今では、カップルを目にするだけで虫唾が走るようになってしまった。目の前に座るだけで嫌悪感が増してくる。いっそそこで何か騒動が起きやしないかと夢想する。

 浮気相手と鉢合わせでもしないか、突然喧嘩が始まりはしないか、女の方に泥がかかりやしないか…。とはいえ現実にはそんなことはそうそう起こりえない。それがまた俺の鬱屈した感情を刺激した。


 そんなことを考えていた時だ。

 ある日コンビニで買い物をしていると、不意に雑誌コーナーから大声があがって破裂音が響いた。オレを含めた他の買い物客も思わずそっちを見る。

 二人の女が、一人の男を責めて立てているように見えた。


 慌てて見知らぬふりをしながら声だけを聞くと――というより、声がでかすぎてどうしても耳に入ってくる――どうやら本来は一組のカップルと女、が正しい組み合わせだったらしい。男の方が浮気相手とばったり出会い、しかも恐ろしい事に一緒にいた彼女を妹などと口走ったせいで余計に窮地に追い込まれたようだ。さすがに彼女を目の前にそれは苦しい。

 店員も止めようとするがどうしていいかわからない表情をしていた。コンビニの中はしんと静まり返ってしまっていて、三人と店員が宥める声以外は聞こえなくなってしまった。


 仕方なくこっそりと何も買わずに店を出たが、なんとも面白い気分だった。


 だが、それだけでは終わらなかった。


 それを皮切りに、何やら破綻するカップルが多くいる事に気が付いた。それも動機は様々で、コンビニの時のように浮気だったり、ちょっとした言い争いが大喧嘩に発展していたり、時には単純に苛々させていたというような。しかもそれがカップルたちの家や周辺でなく、街中でごく普通に起こっているのだ。


「そういえば、クリスマス前だというのに、よくカップルが別れている」


 そんなことに気付いた俺は、何気なく部活の先輩に話を振った。

 俺の話を聞いていた先輩は、話に相槌を打ちながら何か頷いていた。


「クリスマス前なのにこんなに頻発するとか、ちょっと面白いっすよね」

「そうだなあ。……」

「どうかしました?」

「いや、前にちょっとネットで見たんだけどさ。お前、呪術師って知ってるか?」

「……呪術師?」


 もはやそれだけで胡散臭い。

 ネットで見た呪術師の話なんて、それだけで胡散臭さのバーゲンセールだ。


「おう。なんでも、呪術代行の業者らしいんだけどよ。最近、カップルへの呪いが増えてるんだってよ」

「ってか、そういう怪しい業者ならたまにあるじゃないっすか。藁人形とか注文するようなヘンな占い師みたいなの」

「いや、そういうのじゃないんだ。最初はただの趣味でやってたらしいんだが、だんだん本気で相談する奴が増えて、呪術師って呼ばれるようになった奴なんだと。それに、占い師とかなら新宿の何々、とか、スターダム何とか、みたいな二つ名があるだろ? それが無い」


 面白半分なのも手伝っているのだろう、カップルを破滅させてくれと頼みに行く奴も多いんだそうだ。俺も最初は信じなかったが、住所を聞くと電車で行ける距離だった事もあって、何となく足を運んでみたのだった。


 事務所になっているところも、本当にこんなところかと思うような普通のビルだった。


「あのう、すみません……」

「はい、いらっしゃいませ」


 引きつりながらドアを叩くと、中から出てきたのは意外にも普通の男だった。


「呪術師さんって呼ばれてるのは……」

「私です。呪いをご所望のかたですか?」


 俺はびっくりした。

 なにしろ本当に普通の若い男なのだ。

 スーツを着こなし、年の頃は三十前後。黒い髪はきちんと整えられ、その辺にいる奴らとまったく変わらない。それどころか、少しは礼儀がわかっていそうだった。オカルト狂いの変人か、そうでなければ黒いローブを被って暗い部屋の中で蝋燭だけがついていて、なんて想像もしていたが、なんとなく拍子抜けした。


 そもそも事務所とやらの中も、照明こそ落としてあるのか薄暗いオレンジ色の光だったが、周りに置いてあるのはアンティーク調の趣味の良さそうな家具ばかりだ。これでロッカーやら事務机やらだったらますます鼻白んだところだ。

 値段的な事も素人目にはわからなかったが、雰囲気づくりという点においては成功して見えた。ここまでくると、呪術師というよりも、漫画やアニメに出てきそうな悪魔の方がしっくりくる。


 くわえて、この男の説明は魔法だの呪いだの非科学的なそれも交えながら、論理的にすら思えた。


「呪いに使うのは強力な念もですが、信じる事もその一つです。他ならぬあなたが呪いの効果を信じていなくては効きません。強力な思い込みとも言いますが、例えば何らかの試験に自信がある人は、自分の努力があるからこそですよね。それと同じです」

「なるほど」

「私が呪いに使うのはこの魔法陣ですが、魔法陣もそれだけではただの図形です。この図形がこれこれこういった効果を生み出すのだとあなたが信じることが第一です」


 男はそういうと、俺の前に何枚かの紙切れを出した。どれも印刷で、円の中に英語の文字やぐねぐねとした奇妙な図形が書かれている。

 これが魔法陣ってやつなのだろう。


「色々ありますけど、効果が違うんですか?」

「ええ。正確には用途によって違います」

「でも、魔術っていうからにはやっぱり非科学的な物が多いんじゃないですか」

「状況や時代にあわせても変化していますし、あえて神秘的な書き方をする必要もあったと思いますよ。例えば自分を透明にするまじないと言われても理解しがたいでしょうが、日常生活や特定の集団の中において、自分を目立たなくさせると言われたらどうでしょう?」


 なるほど。日常や現代の解釈に沿った説明をされると思わず納得してしまう。この男は先ほどからもそう言った現代的な説明をたびたび挟んだ。


「ところで一つ確認しておきますが、カップルにおける不幸とはどういった事を示すのでしょう?」

「そうですねぇ、やっぱ別れる事じゃないんですか。納得づくの平和的なものじゃなくて、大喧嘩の末とか、暴力を振るわれたからとか、浮気がばれたとか……」


 男は頷くと、一枚の魔法陣を選び取った。

 今度は印刷ではなく、白い紙に色ペンで書かれた魔法陣だった。


「それならこれを使いましょう。これは、敵に不仲を与えるものです」

「敵……ですか」

「敵という言い方をしましたが、いわば戦争の相手だとか、身近なところだと競争相手、商売敵なんかを思い浮かべてください。この場合はカップルですね」

「それならちょうどいいですね」

「はい。それを見ながら、どんな目に合ってほしいかを強く考えてください。先ほど言われたようなことでも構いませんし、もっと具体的でもいいですよ」


 そう言いながら、男は俺に魔法陣の書かれた紙を渡してきた。

 まだ猜疑的な部分はあるものの、ここまできてしまったら信じてやってみるしかない。

 それにしても、カップルにどんな目にあってほしいか、か。欲を言えばあらゆる災難が降りかかってほしいが、それも大丈夫なのだろうか?

 ともあれ不仲を中心に考えるなら、まずは二人で楽しんでいる最中に浮気相手とばったり出会うのはどうだろう。それとももっと……いやいや、それだけなんて生ぬるい。あんな奴らには天罰が必要なんだ。もっとドギツくて、ドロドロしていて、心を抉るようなダメージが必要だ。手始めに交通事故にでもあえばいいんだ。車側が悪くなるのは可哀想だから、信号無視かな。まずはメチャクチャな顔で生き残るのはどうだろう。それを皮切りにしたひどい転落人生の始まりだ……。


 考えているうちに、自分が笑いそうになっているのに気付いた。妄想には違いないが、実際そうなればいいと考えるととても面白かったからだ。自分の中で、暗澹とした汚泥が湧き上がってくるのを感じていた。


「……はい、そろそろいいでしょう。ありがとうございます」


 しばらく経った頃、男が手を差し出した。俺は魔法陣を渡した。とてつもなく疲れたが、いささかすっきりはしていた。


「呪いの儀式は今夜行いますので、どうぞこのままお帰りになってください。時間になった時は、それでは代金の方、1万円になります」

「わかりました。よろしくおねがいします」


 いっそ清々しいほどの代金だった。1万円ドブに捨てたとしても惜しくはなかった。これで実際にカップルどもが酷い目にあえば、これ以上いいことはないのだが。俺は事務所を出ると、そのままぶらぶらと歩きだした。特にこれといった事もなく、俺は邪魔なカップルに遭遇する事もなく家に帰った。

 次の日からも、なんとなく電車の中や町中を見回してみたが、変な現象は起こらなかった。それもそうか。呪いの効果はなんとなくずっと信じてはみたものの、そんなに急におかしな事態など起こるはずもないのだろうか。そんなことを思っていた矢先だった。

 呪いの事もすっかり忘れたある日、乗りこんだ電車の中でウトウトしていると、不意に小気味よい音が響き渡ったのだ。驚いて目を覚まして音の方向を見ると、頬を抑えた男が必死に女を宥めていた。

 どうやらカップルのようだ。コンビニでの思い出が俺の中で蘇った。

 そして、呪いの事も。


 まさか。


 そりゃまぁ、信じる事が第一だと言われてはいたが、偶然もあるだろう。車内の連中が遠巻きにそれを見る中、俺はぼんやりと、そういえば明後日はクリスマスだったと思い出していた。


 そして、その年のクリスマスは本当に愉快だった。

 朝から出かける場所という場所で、カップルたちが大騒ぎをしていた。もちろん静かなところもあったが、必ず誰かが諍いをしている。路上で転んで醜態をさらけ出している者たちもいる。下手な喧嘩を吹っかけて、酷い事になりそうな奴らもいる……。


 きっと俺の呪いが通じたのだ!

 そして俺と同じようにカップルたちに呪いをかけたものもいるのだ。そうに違いない。

 本当に呪いはあったのだ。そしてこれは天罰だ。


 俺は意気揚々と、もうすぐ赤に変わろうかという信号まで急いだ。そこへ大きな音を立ててやってくるトラックに気がつかぬまま……。







「ありがとうございました」


 私は頭を下げて出て行く男女に手を振り、見送った。

 いかにも前途に溢れた――それ以前に可愛らしくも逞しい若者たちだった。なにしろこんなところまで”お祓い”にやってくるのだから。

 ここ数年、カップルに対する謎の嫌悪感は募る一方だ。口で言うだけならともかく、私のところにまで呪いをかけてくれとひっきりなしにやってくるのだから、それはもう本気度が違う。1万円もあればもっと他の事ができるだろうにと思うが、それよりも他人を呪う事に全力を傾けているのだろう。


 私としても乞われるままに呪いをかけてはいたが、カップルたちも負けてはいない。というより、気が付かないはずがない。

 もし自分たちに呪いが掛けられた場合に備え、お祓いはもとよりこうして自分のような者のところに呪い返しをしてくれと頼みにくるのだから。


 人を呪わば穴二つとはよく言ったもので、呪いが大きければ大きいほど、その呪いが広範囲に及ぶほど、そして関係のない所にまで波及するほど、返ってくる呪いも大きくなる。その事に彼らは気付いているのだろうか。いや、その辺りはきちんと、自分に迷惑をかけたカップルにだけ向けていると思いたい。


 外に目を向けると、ちらちらと白いものが空から降ってきていた。

 今日はホワイトクリスマスらしい。なんともロマンチックだ。


「世は全て事もなし」


 私は呟いて、誰ともなしに紅茶を掲げた。

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