十八

 自分の部屋に戻ると、そのままベッドへ倒れ込んだ。ゴロンと仰向けになって天井を眺める。なにが起きたのかちゃんと理解できていない。あたまがぼんやりして、まるで半分眠りながら延々夢のつづきを見せられているようだ。

 キヨシが中里と別れた?

 マジで別れてしまったのか?

 どうして?

 あんなに仲良さそうだったのに。

 側で見ていて、こっちが恥ずかしくなるくらい幸せそうだったのに。

 じつは別れたなんて大袈裟な話で、ちょっとケンカをしただけかもしれない。他愛ないケンカが妙にこじれて、それをキヨシが絶望的にとらえてしまっただけかも。二、三日したら、なにごともなかったようにまたもとの鞘へ納まっている。そんな可能性だってある。

 ――いや、たぶんそうじゃない。

 キヨシは悩んで悩んで悩み抜いたすえに、中里に別れを告げてきたのだ。

 なぜだか分からないけど、おれにはそう確信できる。

 肩を震わせ泣きじゃくっていたキヨシ。その感触がまだこの手のなかに残っている。あのときの彼女の姿がどうしてもあたまから離れない。小二の夏からずっと一緒にいるけど、初めておれに見せた泣き顔だった。

「自分にウソはつけなかった」

 ほとんど息を吐いてるだけのような声だったけど、あのとき確かにそう言っていた。

 自分にどんなウソをついたのだろう。もし自分につかなければならないウソがあったとしたら、それはどんなにつらくて悲しいウソだったろう。

 偶然再会した、かつての幼なじみ。

 そして今ここにいる、もうひとりの幼なじみ。

 二人の幼なじみのあいだで、彼女の心はずっと揺れ動いていたに違いない。おれは、そのことに気づいてやれなかった。中里はどうだ。気づいていたのか。はっきりとは分からなくても、なにか心に引っかかるものがあったんじゃないのか。だからあのとき、おれに話しかけてきたのでは。

 色んな声が胸によみがえった。

「そのうちイヤってほど思い知るさ。おまえにとって一番大切なものが、なんだったのかをな」

「クラスの全員が知ってたよ、キーの気持ち。気づいてないの、たぶん須藤くんだけだと思う」

「おめえにぞっこんだったあのキー坊がほかに男作るなんて、ちょっと信じられねえ話だな」

 あいつの気持ちに、もっと早く気づいてやれば良かった。

 おれってホント救いようのないバカだ。

 腕のなかで紙袋が乾いた音を立てた。

 ずっと抱きしめていたからクシャクシャに潰れている。

 ――ちょっと見てみようか。

 封のシールを剥がし、きちんと畳まれたセーターを引っぱり出す。ふわっと石鹸みたいな香りがした。ベッドのうえに丁寧に広げてゆく。何種類かのモノトーンの毛糸を組み合わせて編んだ、クルーネックのセーターだった。

「へえ、あいつこんな器用なことも出来るんだ。今まで知らなかった」

 とくに編み物に詳しいわけじゃないけど、胸の部分をケーブル編みにしていたり、首まわりにジャガード模様なんかを編み込んでいたりと、けっこう手間をかけてることだけは分かる。シルエットはゆったりめで、袖とくらべ丈が少し短い。だからといって、だらしない感じとかは全然なくて、なんていうか、すごくオシャレ。

 でもなあ……と思う。ほかの男のために編んだセーターなんて、やっぱ抵抗があるよなあ。これを着るってのは男の沽券にかかわるような気がする。だいいち、おれと中里では体格に差がありすぎてサイズが合わないだろう。でもまあ、後で感想をきかれたときのために、一回だけ着てみようか。

 クローゼットに取り付けられた姿見のまえに立って、セーターに袖を通してゆく。

 サイズぴったり。

 え、なんで?

 そのセーターは、丈も胴まわりも袖の長さも、自分にちょうど合うように作られていた。

 ――まるで最初からおれへ贈るために編まれたように。

 胸がキュッと苦しくなった。

 嬉しいんだけど、純粋にただ嬉しいってだけじゃなくて、気恥ずかしさや、後ろめたさもあって、それが苦しい――。

 部屋の明かりを消して、窓を全開にしてみた。

 刺すような冷気が吹き込んできて、からだがビクッと震える。

 一時的に止んでいた雪がまた降り始めていた。

 身を乗り出してキヨシの部屋のほうを窺う。カーテンのすき間から煌々と明かりが漏れていた。

 声が聞きたかった。なんだか無性にキヨシの声が聞きたくてたまらない。電話してみようか。いやダメだ、直接会わなくちゃ意味がないような気がする。

 おれは……こんなにもキヨシのことが好きだったんだって今さらながらに気づかされて、そんな自分にちょっと驚く。恋心って、胸のなかのもっとも繊細で恥ずかしい部分、好きな女の子以外だれにも触れさせたくない秘密の場所で感じ取るものだ。苦しくて恥ずかしくて、でもそれ以上に幸せで嬉しくて、生きてるって実感が湧いて、明日も明後日も、そのずっとさきの未来までもがキラキラ輝いて見える。

 中里には悪いけど、もうキヨシをだれにも渡したくない――。

 窓枠にもたれ、雪にかすんでいる夜空を仰いだ。

 クリスマスに浮かれる地上の喧騒を反映してか、曇天がぼんやりと光って見える。その薄明るい空から無数の雪片が渦となって舞い降りてくる。

 そうだ、このセーターのお返しをしなきゃ。

 ふと思い立って、おれは貰ったばかりのセーターのうえからスタジアムジャンパーを羽織った。財布と携帯電話をポケットへ突っ込んで家を出る。駅まえの商業施設に、たしか大きな雑貨店がオープンしていたはずだ。アクセサリーなんかもたくさんあって、ここ数日はプレゼントを買い求める若者で賑わっていた。

 ヘアピン売っているかな――星の飾りがついたやつ。

 降りしきる雪のなかを急いだ。クリスマスの夜はしだいに更けてゆき、まっさらな雪のうえに銀色の道だけがどこまでも伸びている。積もったばかりの雪を踏みしめ、そこへおれの足あとを残しながらどんどん進んでゆく。

 ギフト用にラッピングされた箱を開けたとき、なかに星のヘアピンが入っていたら、キヨシのやつどんな顔するかな。またこんなもの買ってきて、あたし子供じゃないんだからね、とかなんとか言いながら、それでも明日からずっと髪にそのヘアピンを差しているだろうか。晴れている日にはそのヘアピンがキラキラ光って、ほらキヨシはここにいるよっておれに知らせてくれるだろうか。そんなことを想像していると自然に足が早くなる。

 今日、渡さなければいけない気がする。

 そして、伝えてしまおう。

 キヨシと離れて気づかされたこと。

 今思っていること。

 おれの正直な気持ち。

 絶対に。

 この雪が溶けてしまうまえに。

 クリスマスの魔法が解けてしまうまえに――。



 『きよしこの夜』おわり

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きよしこの夜 ちはやブル @HEYTAXI

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