十七

 いつから、そこに立っていたのだろう。

 くまのイラストが描かれた紙袋を大切そうに抱え、あたまにはうっすらと雪を乗せている。ロングブーツを履いてはいるけど、このくそ寒いのに素足だ。いつものような元気はなくて、まるで道路標識かなにかのように、ただポツンとたたずんでいる。おれは途中から駆け足になっていた。

「おいキヨシっ」

 声を掛けてやると、彼女はうつむけていた顔をようやくあげた。その目は、おれの顔を見ているようでもあり、どこか遠くのほうをぼんやり眺めているようでもあった。

 なんだか胸が騒いだ。

 今まで、こんなキヨシを見たことがない。

「おまえ、なにやってんだよ、こんなところで」

 息を切らしながらも、なるべく穏やかな声でそう尋ねると、キヨシは初めておれの存在に気づいたように大きく目を見ひらいた。

「あ、ダイスケ」

「おまえ、今日はデートじゃなかったのかよ」

 キヨシは目を伏せてゆるゆると首を振った。

「……途中で帰ってきた」

「なにやってんだよ。せっかくのクリスマス・イヴだってのに」

 ちょっと肩をすくめそう言うと、キヨシはおれのつま先あたりへ目を落としたまま、ようやく聞き取れるくらいの小さな声でつぶやいた。

「中里くんとは、お別れしてきた」

 一瞬、自分の耳を疑った。お別れ? 今そう言ったか……?

「やっぱ……自分にウソはつけなかった」

 注意して耳をかたむけていないと、ただ息を吐いただけのようにしか聞こえない声だった。でも確かにキヨシはそう言った。どういう意味だろう。中里とは本気で付き合ってなかったということか? 幸せいっぱいに恋愛してたんじゃないのか? 今までの色んな想いが、さまざまな疑問符と一緒にあたまのなかで混ざり合い、うまく整理がつけられなかった。なにか言わなきゃと思うのだけれど、どうしても言葉が出てこない。

 ふとキヨシが顔をあげた。真っすぐにおれを見つめるその目は、まるで母親とはぐれ途方に暮れている幼子みたいだった。唇が微かに震えている。

「なんか……やばい、あたし泣くかも」

 こういうとき気の利いたセリフのひとつも言えればドラマの主人公を張れるんだろうけど、残念ながらおれは現実の世界に生きてるただの高校生だ。しかもチキン。ようやく口をついて出たのは、自分でもイヤになるくらいの間抜けな言葉だった。

「泣きたいなら、泣けばいいんじゃないの?」

 キヨシが目にいっぱい涙をためて、おれを睨んでくる。

「バカ」

「ほら泣けよ」

「バカ」

「泣けったら」

「……」

 ついにキヨシの顔がクシャッと崩れた。おれはなるべく優しい声になるよう、がんばって口もとに微笑を浮かべてみせた。

「もうさ、思い切り泣いちまえって……」

 その瞬間、キヨシのおでこがドンと胸に突き当たった。

「ダイスケのバカあ!」

 そのまま、おれのジャンパーへ顔をうずめ泣きじゃくる。

「バカっ、バカっ、バカっ」

「お、おいキヨシ」

 こういう展開を想定していなかったわけじゃない。けれども実際そうなってみると、あたまのなかは真っ白で、なにも考えられなくなってしまう。そもそも彼女が本気で泣いている姿を初めて見た。おれはどうすればいい? 抱きしめてやればいいのか? 抱きしめて髪でも撫でてやれば……ああ、できねえ。そんなことできるわけねえ。ちっくしょう――。こういうとき、幼なじみという気安さが返って邪魔になる。どうしても気恥ずかしさが先に立ってしまうのだ。

 泣きつづけるキヨシをよそに、イヴの夜は静かで、しんしんと冷えていた。どこか遠くのほうで踏切の遮断機が下りる音がする。歩道や、垣根や、庭木の枝に積もった雪が、街全体をぼうっと白く輝かせていた。

 なんとなくキヨシの両肩に手を添えてみた。それしかしてやることができなかった。しゃくりあげるたび小刻みに震える細い肩。キヨシの髪からは良い匂いがしていた。シャンプーの香り。キヨシのにおい……。

 しばらくして、キヨシは鼻をスンスンいわせながら身を離した。お気に入りのジャンパーが、涙と鼻水でクシャクシャだ。

「……これ」

 キヨシは憮然とした表情で、胸に抱いていた紙袋を突き出した。

「手編みのセーター。中里くんにあげようと思ってたけど、もう渡せなくなったから」

 ぐい、とおれの胸に押し付けてくる。

 ああ、中里のために用意したクリスマス・プレゼントか――って、そんなもん貰えるわけない。いくらなんでも、おれのプライドが許さない。

「いやあ、これはちょっと……」

 と言いかけたけど、キヨシの目にふたたび涙が滲んできたのを見て、あわてて受け取った。

「あ、ありがとう。遠慮なくもらっておくよ」

 おれの手に紙袋を押しやると、キヨシは無言でわきをすり抜けていった。そのまま自分の家に向かってズンズン歩いてゆく。おれは呆気にとられ、ただぼんやりその後ろ姿を見送っていた。彼女は一度も振り返らなかった。そして玄関ドアを開けたとき、こっちを見ないままで、無愛想に言った。

「三学期から、また自転車で登校するから」

「あ、うん……」

 バタンとドアが閉まる。

 おれはしばらく、その場に茫然とたたずんでいた。

 雪のなかキヨシがずっと抱きしめていた紙袋は、温かかった。


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