コズミック・ネゴ

雨宮羽音

コズミック・ネゴ

 薄暗い部屋。

 弱い白熱電球の下で、一人のスパイが拷問を受けていた。



「おら、さっさと吐けや!」


 鋭く重い蹴りの一撃が、椅子に縛られた男の腹へと突き刺さる。


 苦しい。

 息が詰まり、今にも胃液が逆流しそうだった。

 だが決して屈する訳にはいかない。

 こうなってしまったのは、すべて自分自身のミスなのだから。


 二つの国が争い殺し合う。

 そんな渦中に身を置いて、ましてやスパイだなんて危険な仕事をしているのは、ひとえに故郷で帰りを待つ家族のためだ。


 戦争の無い未来の──祖国の、子ども達の、平和な世界のためならば、死ぬ覚悟は出来ている!


「なんだその反抗的な目は……腹が立つ!」


 骨が軋む程の痛烈な殴打。

 だがどれだけ痛め付けられようとも、何ひとつ話す気はおきない。

 自国の情報を漏らせば、我が国は危機に陥ってしまうだろうから。


 しかし──今の一撃は効いたぜ。


 男の意識は遠のいて、視界がゆっくりと暗転していく。





 どれくらい時間が経ったのだろう。

 ふと目が覚めると、男は真っ暗な部屋にいた。


 否、それは部屋というよりも空間だった。

 上下左右どこを見回しても、果ての無い闇が続いている。

 だというのに、明かりも無しにそういう場所だと理解出来るのだから、なんとも不思議な感覚だった。


 死んでしまったのだろうか。


 そんな考えが頭をよぎる。


 しかし次の瞬間、突如として目の前に光が現れた。



『 :"%\?!?,%. 』



 眩しくは無かった。

 ノイズを放ちながら現れた光は、次第に収束して形を成していく。


 そうして──人型になった〝それ〟は、男の知識から形容するならば、〝宇宙人〟と呼べそうな姿に落ち着いた。


 鈍く光るグレーの肌に、アンバランスな細くて長い手足。異様に大きな頭には、目と思しき黒塗りの球体が3つ嵌っている。



『 "-\:?&*,\> 』



 しりきにノイズが響く。


 不気味だった。


 だが微かに湧き立つ恐怖心は、決して大きくはならない。

 まるで辺りを包んでいる暗闇に、男の不安が溶けていくかの様だ。


 狭いのか広いのかさえ分からない、無限にも感じられる捉えようの無い空間が、男の感覚を濁していた。



『 $_!&,"?(%+ 』



 そのノイズがはしると同時に、〝宇宙人〟の手が男の頭に伸びる。


 一瞬くらりと目眩がして──。


『すまない。君の言語野を少々いじらせてもらった。

 私の言葉が分かるかな?』


 ノイズが〝宇宙人〟の言葉だったのだと理解した。


「……お前はいったい何者だ? この場所は──」


 対話が可能だと分かると、男の口から自然に漏れたのはそんな質問だ。

 この不思議な出来事も、目の前の異形ならばすべての答えを知っている気がした。


『私は外宇宙から来た。

 そしてここは場所では無い。君と私の感覚がリンクした、いわば意識の中と言ったところか』


 本当に──宇宙人だとは。

 夢でもみているのだろうか。


『君が選ばれたのは偶然だ。意識の波長が丁度よく私の感覚と同調した。

 だが安心したまえ。交渉が終われば、君の意識は元の場所に帰るだろう』


「交渉……だと?」


『私は今、君の星の情報を集めている。単なるコレクター精神だがね。

 そこで君の遺伝子情報のコピーが欲しい。それを解析して、私の星のデータベースに記録しておきたいだけなのだ』


「そんなもの、勝手に持っていけばいいだろう」


『簡単に言ってくれるね。

 だけど、同意も無しに情報の搾取をするのは、私達の中ではルール違反なんだ。

 だから頼む、了承してはくれないだろうか』


 不思議な感覚だった。

 

 もしこれが現実で、目の前にいるのが本物の宇宙人だとしたら。きっと彼等は人間なんかよりも遥かに高度な生命体なのだろう。


 そんな存在にもルールがあって、こうして対話を通して事を成そうとしているのが、少し面白いと思える。


「別に……構わない。

 ただし、交渉と言うからにはひとつ条件がある」


『言ってみたまえ』


「俺は今ピンチに陥っている。

 意識が戻っても、待っているのは死だ。

 だから、その状況から助けてくれるのなら、遺伝子情報とやらをコピーしても構わない」


 男の提案に、宇宙人は3つの瞳を閉じて思案した。

 そうして数十秒の間を置いて。


『……他惑星への物理的干渉は禁止されている。よって私が君を助けることは出来ない』


 男は落胆した。

 こうして意識の中で接触しているのは、物理的干渉とやらに当てはまらないということなのだろうか。

 彼の線引きがいまいち分からない。


『しかし……少しだけ、知恵を授けよう。

 情報を与えるだけならば、ルールの中に厳密な規程は無い。おそらく問題無いだろう。

 それを使って自分の力で切り抜けろ』


 知恵──か。

 それでどこまでやれるか不安だった。

 しかし、もらえるものがあるならば、もらっておこう。


 ここで何も得ずに戻ったとしても、どうせ待っているのは死だけなのだから。


「分かった。交渉成立か?」


『ああ、いいだろう』


 男は相手に握手を求めた。

 宇宙人は困惑していたが、何かを察したようにその手を握り返す。



 その瞬間。

 男の脳内に情報が駆け巡った。


 大きな爆発──ビックバンを始まりとし、数多の宇宙が広がっていく。

 光と闇。

 創造と消失。

 そして生命の起源、進化。


 これが──少し?

 途方もない情報量だ。

 体の神経を追い越して、脳内にある雑多な情報が全てになる。


 自分が自分でなくなるような、ふわりとした心地良い陶酔。

 おそらく、生まれ変わるというのは、こういった感覚をさすのだろう。


 達観とはまさにこのことだ。


 全てがどうでもよくなった。


 人間同士で争っているなんて、とんでも無く馬鹿らしい。

 その真実を伝えなければ。

 そしてその先で──人類は更なる飛躍を迎える。


『君の貢献に感謝する──』


 最後にそう言い残して、宇宙人は目の前から消え去った。


 何を言ってる。

 礼をいいたいのはこちらの方だ。





「おい、いい加減起きろ!」


 冷や水をぶちまけられて目が覚める。

 途端に鈍痛が全身を支配した。拷問で受けた傷が疼く。


 はっきりとしていく意識の中で理解した。

 紛れもなくこれは現実だ。男は今、窮地に立たされている。


 そして、脳内にある激流のような情報と思考。

 どうやら宇宙人との邂逅も──本物だったらしい。


「最後のチャンスだ。

 情報を吐かないなら、こいつでお前の頭をぶち抜いてやる」


 拳銃が白熱電球の光で鈍く輝いた。

 銃口が男の頭に当てがわれ、撃鉄が起こされる。



 物騒だな。

 この頭には国宝級──いや、〝星宝級〟の価値があるというのに。


 だがそれも仕方の無いことか。

 目の前の三下には理解出来るはずもない。


 こいつとは高尚な会話は望めないだろう。

 ならば、ひとまずは言いなりになるフリをして、生き延びることを優先しよう。


 そのために祖国の情報を漏らしてしまっても問題は無い。

 事が大きくなる前に、すべて自分で解決してしまえばいいだけなのだから。



『 #+%#:"(%'+ 』


「ああ? 何だって?」


 おいおい。

 馬鹿でも理解出来るように、優しい言葉を使ってやったつもりなのだが。


 情報は話すと言ったんだ。


『 ^;|;%!#[&$ !!』


「お前の国の言葉か……?

 この野郎っ……舐めやがって……!!」


 待て、おかしいぞ。

 どうして話が通じてないんだ。


 わかった待ってくれ、もっと簡単な言葉を選ぶから──。


『 $<",} ────!』



 薄暗い部屋に、一発の銃声が響いた。





コズミック・ネゴ・完

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

コズミック・ネゴ 雨宮羽音 @HaotoAmamiya

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ