合宿の日の長い夜
入浴を済ませて部屋に帰った私と蓮は、お風呂でのあれこれは水に流してゲームに興じた。モニターやテレビが置いてあるわけではないし、ゲームのために生徒会室に借りに行ったりする度胸もないので、大人しく小さい画面を二人で共有して使った。
「先輩って、不登校なのにスマブラ弱いんですね」
「不登校はゲーム強いってのは、ただの偏見だぞ」
とまあ終始こんな調子で、なんとも平和で安閑とした時間がゆっくりと流れていった。
そんな平穏が突然崩れ、波乱の展開が巻き起こったのは、午後十時を回ったときのことだ。
「あー、こわこわこわっ……! 夜の校舎怖すぎでしょこれ……っ!」
山口先生が部屋に闖入してきた。夜の見回りに来たらしく、そろそろ消灯時間だから電気を消して寝なさいとのことだったけど、「ここの電気消えたら、真っ暗闇の中を校舎まで引き返さなきゃいけないんだよな」とかなんとかブツブツ言って、強引にゲームに乱入してきた。
「へっへっへっ! 追い出したければ私を倒してからにするんだな……!」
大口叩いただけあって、先生は中々の強敵だった。だけど結局、激闘の末に蓮が先生のアバターを場外まで吹き飛ばして勝利を収めた。
「敗者に二言と人権はありません。わかったら、さっさと出てって下さい」勝ち誇った顔の蓮にがしがしと足蹴にされて、部屋から追放される山口先生。「お、お助け、お助けを……っ!」教師相手にこの非情な仕打ちとは。蓮の肝の据わりっぷりを再認し、戦々恐々とする私だった。
部屋の外でぎゃーぎゃーと近所迷惑この上ない声量で騒ぎまくっていた先生だけど、しばらくして静かになった。隣の部屋の比良に泣きついて、送ってもらったらしかった。
「本当、どういう性根してるんですかあの教師。生徒に対してフレンドリーに振る舞っとけば、何でもかんでも受け入れられると勘違いしてるんですかね」
同意する部分がないでもなかった。でも、山口先生に色々なところでお世話になっているのもまた事実なので、やんわりと受け流しておくに留めておいた。否定はしなかった。
「で、これからどうします? 消灯時間はとっくに過ぎてますけど、まだ眠くないですよね」
「明かりを消して床に就くくらいはした方が良いんじゃない? 誰かに見咎められて、後から文句言われたりしたら嫌だしさ」
そんなわけで、私たちは押し入れから敷布団とタオルケット、それから枕を引っ張り出して、三十センチほどの隙間を開けて部屋の中央部に並べた。ちなみに蓮は枕持参だった。
パチン、とスイッチを押して明かりを消した。室内が真っ暗闇に閉ざされる。しばらく経つと瞳孔が開いてきて、朧気ながらも物の輪郭が判別できるようになってくる。さらに時が流れると、隣で寝そべる蓮の横顔でさえ見て取れるくらいにまで目が慣れた。
「野球とかゲームとか、選挙活動はどこ行ったって感じの一日でしたけど、楽しかったですね。ものすごく。私、なんだか久々に全力で遊んだ気がします」
「ん、そうだね。修学旅行とかって、もしかしたらこんな感じの行事なのかなぁ」
私も蓮も、中学の時の修学旅行はコロナで未実施になっている。そして私は、今年度のものにも参加する予定はなかった。修学旅行なんて一生縁のない行事だと思っていたし、その事実に変わりはない。でもこうして、和室で布団を並べて眠くなるまで語り合うなんていう、修学旅行で定番のイベントを経験できたのは、悪くないことのように思えた。
「修学旅行、か。……どうでしょうね。私としては、あのクソ田舎の中学の面子で行ったところで、こんなに愉快なものにはならなかったと思いますけど」
「同級生との仲、良くなかったの?」
「ええ。あんな奴らと仲良くしたところで、不快になるだけですからね。付き合う価値も感じられないから、自分から距離を取ってました」
「そっか。中学の頃は孤高だったんだ、蓮は」
「今だって似たようなものですよ。夢先輩以外に、友達なんていませんし」
皮肉げな発言ではある。だけど声の響きには、自虐や自嘲の念は全くと行っていいほど見られなかった。むしろ現状を前向きに肯定するような、爽やかささえ感じるほどで。
蓮が口元に手を当てて、くわぁ、と間の抜けた声を漏らした。
「あれ。もしかして今、あくびした? 眠いの?」
「い、いえ、そんなことは。だってまだ、十一時にもなってないですし――」
「あ、ほら、またした。無理しない方がいいよ。夜更かしは身体に悪いから」
「不登校の生徒とは思えないほど、健康的な発言ですね」
「いやそれ、ただの偏見だから」
「わかってますって。冗談ですよ、冗談」
一旦、会話が途切れる。その後もぽつぽつと言葉を交わしはしたけれど、どれも長続きはしなくって、気づいたときには蓮はすぐ隣でくぅくぅと寝息を立て始めた。
私はなんだか眠れなくって、タオルケットの中でぽちぽちとスマホをいじり始めた。でも、いくら現代文明の粋を集めた魔法の板といえど、やることが無限にあるわけでもない。次第に飽きが来て、でも眠気はやってきてくれない。仕方がないのでタオルケットから頭を出して、なんとなしに横を向く。蓮は天井の方を向いたまま眠っているようだった。日中の凶暴さが嘘みたいに思えるほど、その寝顔は穏やかで柔らかくって、穢れのない可憐さを秘めていた。
綺麗な横顔だな、と。改めて、そう思った。だけど、睡眠中だからだろうか。いつものような血の気の多さ、もとい血色の良さが幾分か鳴りを潜めていて、脱衣所で内心を吐露してきたときの姿に、少しだけ重なってしまって。
……ついさっきまで。蓮は私なんかとは違って、世の中に怖いものもなければ、悩みの種だって全く抱えてないんだろうなって、漠然と信じ込んでいた。だけどそんなことは一切なくて、蓮にも蓮で抱え込んでいる感情も、胸のうちに燻ぶらせている思いも、あったんだ。
私こそ、ある意味では蓮のことを僻んでいたのだと思う。蓮は、私と違って強いから。真っ直ぐだから。私が舐めているような辛酸なんて味わったことはないんだって、そう思い込んでやることで、自分自身を倒錯的に慰めていたのかもしれない。私はこんなに苦しんでる、こんなに惨めな思いをしてるって、心の痛みそれ自体を拠り所にしていたっていうか。
本当に、私は卑怯な人間だ。自虐でも自嘲でもなく客観的な分析として、そう思う。
だからこそ、不可解だった。良くも悪くも一匹狼であることが基本スタンスの蓮なのに、一体どんな理由があって、こんな私を慕っていてくれるのか。生徒会役員となって、校内の改革を推し進めたいだけ。そのための体の良い手段として、私を担ぎ上げただけ。なんて憶測は、流石に邪推が過ぎるだろう。蓮の向けてくる感情が、そんな無味無臭な動機だけでないことくらい、私にだって感じ取れる。いくら私が根本的に、卑屈で自尊心が低くてネガティブ思考の人間なのだとしても、そのくらいは信じられるし、信じてあげたい。
だからこそ、こうも考えてしまうのだった。
いっそ、ただの駒として扱ってくれていたのなら。だとしたら、こんなにも――
私が左胸を掴むのと、蓮が寝返りを打って来るのとは、同時だった。
蓮の顔がこちらを向いた。私と蓮を隔てる距離が、少しだけ埋まる。無意識に顔を寄せていた。敷布団の端ギリギリまで身体を近づけて、その容貌を少しでも近くから眺めようと試みる。
……さっきから、心臓の音がやかましい。耳障りだった。ああもう、ちょっと黙ってて。今、集中したいんだ。だけど鼓動は静まるどころか益々勢いを増してきて、身体中がじわじわと熱を帯びていくようで、暑苦しくて。
脇においていたスマホがぶる、と震えた。
我に返った。私は尻尾を踏まれた猫のような勢いで、両肩を大きく飛び跳ねさせた。
甲羅を叩かれた亀みたいにタオルケットの中に引っ込んで、慌ててスマホのロックを開ける。
メッセージの送り主を確認した瞬間、私は驚きで目を見張った。
私は怪訝に思いながらも、蓮を起こさないようにゆっくりと立ち上がる。スマホだけ持って、誘導灯のライトグリーンの蛍光だけがおぼろに光る廊下へと、そっと足を踏み出した。
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