猟犬系後輩

 一泊二日の合宿の日は、あっという間にやってきた。朝の十時頃に駅前で蓮と待ち合わせして、そこからは二人一緒に学校まで歩いていった。いつも背負っているリュックサックは荷物でパンパンになっていて、自転車の籠に入れることさえ出来なかった。

 しかし蓮は、そんな私とは比べ物にならないほどの大荷物を引っ提げていた。パンパンに膨れ上がったリュックの他に、トートバックを右肩と左肩のそれぞれにぶら下げていた。どちらも内容物でもっこりと膨らんでいる。一体何を持ってきたのかと訊ねると。

「ええと、まず服ですよね、それから枕と、ドライヤーと、ヘアブラシと、タオルと、化粧水に乳液と、あとボディソープにシャンプーとトリートメントでしょ、それからPC、ノート、筆記用具に、ゲーム機とそのソフト、充電器とモバイルバッテリー、あとトランプとウノとジェンガとボードゲームに、それからお菓子と――」

 以下略。この話題だけで、学校までの徒歩十五分が丸々潰せたとだけ言っておく。

 駐輪場に自転車を停めて、校舎に入る。下駄箱の向こうに選挙用のたすきを掛けた谷川の姿があるものだから驚いた。自由登校日なんて閑散期に演説をしてもあまり意味ないんじゃ、とも思ったけれど、熱っぽい口調で政策を語る谷川にそんな野暮な声掛けをする気はさらさら起きない。というか、私に水を差す権利なんてない。軽く会釈だけして、通り過ぎる。

 蓮の隣を歩いているものだから、私は自然、廊下の中央付近を歩くことになる。端っこで泥棒みたいな歩き方をしていたら、蓮から檄を飛ばされるであろうことは、容易に想像がつくし。

 化学準備室に赴いて、山口先生から部屋の鍵を貰った。宿泊棟へと向かう道中において、私たちはようやくこの時期に宿泊してまで選挙活動をする意義を理解した。

 宿泊棟までの道程で、音楽室から漏れてくる吹奏楽部の合奏を聞いた。講堂からは合唱部の歌声が漏れ聞こえてきた。グラウンドや体育館には種々の運動部の活発な掛け声が響いていた。

 私は蓮の影に隠れるようにして、部室棟裏にある真新しい二階建てのコンクリート建築へと足を踏み入れた。一階には給湯室やトイレ、シャワー室なんかの共用スペースがあった。二階に上がると宿泊用の部屋が五部屋並んでいた。私達が割り当てられたのは最奥の部屋。中は八畳ほどのスペースになっていた。ひとまず電気をつけて、エアコンもオンにして、入り口のところで上履きを脱いで奥に荷物を置いたところで、脱力するようにその場にへたり込んだ。

「そうだ……。自由登校期間って、部活ある人たちは朝から晩まで練習してるんだった……」

「すみません。私も、完全に部活のことを失念してました」

 片や不登校。片や帰宅部。部活の練習のことが頭から抜け落ちるのはさもありなんといったところだけれど、結構な有名人となった今、生徒たちの犇めきあった空間に一日中身を置いていかなければならないというのは、かなり気が重かった。まだ他の生徒に存在を気づかれたりはしていないけど、練習の休憩中とかに顔を見られたら、またテスト最終日のときのような事態になりかねない。もしそうなれば、蓮に迷惑をかけることになる。選挙の結果にも影響してくるかもしれない。考えるだけで憂鬱になる。はぁ、とため息がこぼれてしまう。

「こうなったら、宿泊棟の外には極力出ない方針で行きましょうか。原稿の推敲も演説の練習も、部屋の中で出来ますし。講堂に行くときは私一人で行きますよ。先輩は、こっち側に残っていてください」

「いや、いい。私も行くよ。流石に、一人で機材のセッティングするのは大変でしょ」

 虚勢を張ってかぶりを振った。蓮はでも、と逆説の言葉を口にする。

 コンコン、と甲高いノックの音が部屋の中に響いたのは。私と蓮は反射的に扉の方に目をやる。こちらの返事を待つことなしに、勢いよくドアが開け放たれる。

「おはよう、二人とも。話は聞いてるよ、今日は泊まりなんだって? 色々と不便することもあるかもだから、なにか手伝えることがあったら遠慮なくあたしに言ってくれ!」

 部屋の土間から快活に語りかけてきたのは、比良だった。唐突な第三者の登場に面食らっていると、さらなる闖入者が平野後ろからやってきた。言うまでもなく漆原である。

「ちょっと朝顔、勝手に部屋から抜け出して、何やってるのよ!」

「青井羽賀ペアが到着したみたいだから、挨拶ついでに何か手伝うことでもあればと思って」

「挨拶はともかく、手伝いは自分のやることが終わってからにして。直前演説の原稿、まだ一文字も書けてないんでしょ? さっき応援人の子が私の部屋に来て、泣きついてきたんだけど」

「え? あ、いやそれは違くて、頭の中には既に出来上がってるっていうか、あたし、ああいうのアドリブでこなすタイプっていうか――」

「言っておくけど、討論会のときと同じ手法は許されないからね」

「っ、な、なんでわかったの⁉ 静ってばニュータイプか……⁉」

「誰だってわかるわよ! いい? 生徒会長に就任したら、行事の度に人前で挨拶することになるんだからね。こういう仕事にも、ちょっとくらい慣れてもらわないと困るのよ。ほら、わかったら早く戻って原稿やって! 私も手伝ってあげるから」

「ま、待って! 聞こえる! あたしには聞こえるんだ! 助けを求めてあたしの名を呼ぶ生徒の声が……っ!」

「ええそうよ、すぐそこの部屋であなたの応援人が呼んでるわよ、だからほらさっさと戻る!」

 ジタバタもがいて抵抗する漆原の首根っこを掴み、引きずっていく漆原。

 バタン、と部屋の扉が閉まって、ようやく静寂が訪れる。

「何なんですか、あの二人。人の部屋でぎゃあぎゃあと。選挙妨害のつもりですかね」

 次来たらカメラ回してやろうかな、とか口にし始める蓮。相変わらず発想が剣呑この上ない。

 どうどうと宥めていると、再びノックの音がした。ドアが開く。今度は漆原一人だけだった。

「ごめんなさいね、騒がしくしてしまって」

 土間で慇懃に頭を下げてくる漆原。横目で蓮の表情を確認すると、縄張りの侵入者を発見した猫科の獣じみた顔つきになっていた。客人に噛みつかれる前に主導権を握るべく、私はぱたぱたと漆原の方に寄った。

「ううん、大丈夫。なんていうか、漆原も大変なんだね」

「まあね。でも、仕方ないわよ。私の立候補は朝顔が会長になるのを前提にしてるから、朝顔がシャンとしてくれないことには始まらないし。とにかく、朝顔にはしばらくの間、缶詰になってもらうから。困ったこととか手伝ってほしいことがあったら、朝顔じゃなく私に言って。二つ先の部屋にいるから。っていうか、どうせなら連絡先交換しといたほうがいいか」

 言って、漆原がスマホを取り出した。私も出して、ささっと連絡先の交換を済ませていると。

「ちょっと。先輩はなんでこんな奴――め鰻のように可愛らしいお顔をした漆原先輩と、ごく自然にお話してごく自然に連絡先交換なんかしているんですか?」

 見るからに不満げな容貌になりながら、漆原との間に割って入ってくる蓮。両腕を軽く広げて庇うように立ち塞がって、距離を取れと言わんばかりに後ろに下がり、私の肩を押してくる。

 例のミント系の爽やかな香りが髪の毛からほんのりと漂ってきて、少し、たじろぐ。

「それはどうも。お褒めに預かり光栄至極です。八ツ目鰻、可愛いわよね。口部の凶暴さに反して瞳がつぶらで、愛らしくって。ギャップ萌えというやつを感じるわ。私は好きよ」

「チッ、皮肉で返しやがって」露骨に憎まれ口を叩き始めた。隠せ。せめて隠す努力をしろ。

 蓮は顔面を一八〇度回転させると、額がくっつかんばかりにぐいと頭を近づけてきた。

「先輩、正気ですか? あの人は先輩の最大の敵にして、唾棄すべき巨悪なんです。あんな奸佞邪智の極地みたいな輩と、なに仲良く連絡先交換してるんですかアホですか。一体いつ、どんな手練手管で懐柔されたっていうんです。怒らないから、正直に言ってみて下さい」

「……ち、ちょっと蓮。顔、近いんだけど」

 恥ずかしい、というのもあった。でもそれ以上に恐ろしかった。蓮のこめかみにピクピクッと浮き出た血管が今にも破れて、赤い鮮血が吹き出しそうで。いきなりの流血沙汰は避けたい。

「さっきから人聞きの悪いことばかり言うのね。手練も手管も知略も謀略も使ってないわよ。テストの最終日のとき、青井が一年の子たちに囲われて軽いノイローゼっぽくなっていたから、集団の中から引き剥がしたの。そのときに、少し話をさせてもらっただけ」

 呆れ顔の漆原が、私に代わって蓮の質問に答える。それ自体はありがたい。でも。

「ノイローゼって、え? ……なにそれ。私、聞いてないんですけど」

 蓮が音もなくこちらを向いた。憤怒の形相から一転。端正な相貌にはどんな表情も浮かんでおらず、見開かれた切れ長の双眸だけが、射抜くような眼光を真っ直ぐに放っていた。

「もしかして、言ってなかったの? ごめんなさい、口が滑った。……でも、正当化するわけじゃないけど、羽賀さんには知っておいて貰ったほうがいいわよ。何かあったときのためにも」

 全くそのとおりだと思う。故に私は、何も言えない。一言も、言い返せない。

「なんで、話してくれなかったんですか」

「……心配、かけると思ったから」

 押し出すようにして、答える。蓮は私を見据えるのみで、何も言わない。

 沈殿する重苦しい空気をどうにかしようと思ってか、とにかく、と漆原が口を開いた。

「あまり青井が無理しないよう、注意して見ていてあげてね。合宿中、青井の一番近くにいるのは、羽賀さんなんだから」

「っ、そんなこと、漆原先輩に言われるまでもありません……!」

「そう」漆原は静かに蓮の言葉に相槌を打って、それから、スッと視線を持ち上げて。「とにかく無理のない範囲で頑張ってね。朝顔じゃないけれど、手伝うことがあったら協力するから、遠慮なく声をかけて。私も私で頑張るから、お互いにしっかりやりましょう」

 それじゃあ、と小さく頭を下げて、漆原が部屋を出ていった。

 扉が閉まる。しばしの静寂の後、蓮は私を追い越して、荷物の方へと歩いていった。

「あまり、私に気を使わないで下さい。そういうの、ムカつくというより、寂しいので」

「うん。……ごめん、蓮」

「何にせよ。そういう事態があったというなら、合宿の間中、私は先輩から四六時中離れませんから。先輩は安心してノイローゼになってぶっ倒れて下さい」

「いやそこは予防しろよ」

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