お泊りの準備2

 駅前で蓮と別れる。自転車には跨がらず、からからと押して歩きながら、家路を辿る。

 はたとあることに思い至って、行き先を変更した。近辺の駐輪場に自転車を停めて、駅ビルの中に入った。

 服は制服だからいいとしても、パジャマくらいは買っておかないと。同じ部屋で布団を並べて眠ることになるんだし。家の中では着古したTシャツと短パンで寝ているけれど、あんなだらしのない寝間着姿を蓮に見られるのは、なんとなく嫌だった。

 駅ビルには、ルームウェアや下着なんかを取り扱っている店がある。この手の店の雰囲気には不慣れだし、店員に話しかけられたら嫌だなという人見知りにはお馴染みの心理から、つい怖気づいてしまう。店前を何度か素通りして無駄にフロアを一回りする。その作業を三回繰り返した末、私はようやく店内に足を踏み入れることに成功した。

 パジャマ類が置いてあるところに行って、二、三十分頭を悩ませ、どうにかこれという一着を決めたところで、今度は下着姿のマネキンが目に入る。

 そういえば、お風呂ってどうするんだろう。宿泊棟には浴場もあるはずだけど、小さく区切られたスペースにシャワーが並んでいるタイプなのか、それとも大浴場タイプなのか。どちらなのかは大問題だけれど、どちらにせよ脱衣所までは一緒のはずだ。

 ……見られるのか。要するに。

 吸い寄せられるように下着コーナーに足を進める。が、四歩進んだところで、いやいやいや、と思い直した。流石に意識しすぎでしょ。あからさまな新品で行ったら、逆に変な目で見られる気がする。わざわざ新調してきたのかよ、気合い入り過ぎじゃない、って。だけど、一年以上使い続けたヨレ気味の下着で行くのも、それはそれで抵抗がある。

 というか、寝るときとかってブラつけた方がいいのかな。夏場はいつも、上はTシャツ一枚で過ごしてるんだけど、隣に蓮がいるのにそんなラフな格好でいるのは……なんかこう、ねぇ? いやでも、下手に意識して普段と違うことをするのもおかしな話かもしれないし、そもそもお風呂のときに全裸見られることになるんだから、今更のような気もする。寝るときまでつけてると疲れそうだし、適当なインナーとかを下に着て、それで寝るのがいいのかな。或いは、お風呂上がりはつけたままにしておいて、寝る直前に外すとか? けど、それもそれでどうなんだろう。消灯に待ったをかけて、一人でいそいそと下着を取るのも、小っ恥ずかしい。というか、それならいっそ、つけたまま就寝しちゃったほうがいい気もするし……。

 駄目だ。悩んでいても埒が明かない。ひとまず他の人の意見を参考にしようと、スマホで情報収集を試みた。人によりけりという毒にも薬にもならない回答が得られただけで終わった。むしろ下手に情報が増えたぶん、余計に混乱させられた。

 というか、私は別に一般論を知りたいわけじゃない。蓮がどうなのかという一点だけなのだ。いっそのこと蓮に直接質問するのが一番手っ取り早くない? トーク画面を開いたところで、待て待てと冷静になる。こんなの、どう考えてもメッセージ送ってまで訊くことじゃない気がする。どんな流れで切り出せばいいのかもわからないし、この人意識しすぎじゃない? って思われそうで怖いし。ああもう、一体どうすればいいんだ――!

 合計で一時間近く熟慮に熟慮を重ねた末、私はこんもりと膨らんだビニール袋を手に店を出た。袋を籠の中に入れ、自転車を押しながら家路を辿る。

 今になって、冷静になってきた。……なんだろう。思いっきり私の悪い癖が出た気がする。私ってこういうとき、まずはネットで大量の情報を収集して、それを参考にしつつどうすべきか熟考し、結論らしきものをどうにか捻り出すのだけれど、その数秒後には本当にこれでいいのかなと不安になって、捨てたはずの選択肢を再検討し、また一から悩みだして――、みたいな無限ループに陥りがちなのだ。しかも、悩み続けている内に考えることそのものが面倒になってきて、どこかのタイミングで思考をぽいっと放り出してしまうケースが多かった。今回の場合、まあ全部買っとけばいいかなという元も子もないアンサーに辿り着いた。結果、ここ数年で一番とも言える金遣いの荒さを発揮してしまったわけである。

「……いやその、これは別に蓮に見られることを意識したとかそういうわけではなくて、年々悪化の一途を辿るこの国の財政状況を憂いた結果、交友関係が薄いせいでこれといった使い道もなく溜まっていく一方だった貯金をここで解放し、少しでも多くの資本を市場に流通させようという、合理的かつ愛国的な判断を下した結果であって、つまり私は日本国民の鏡で――」

 ぶつぶつと世迷い言を呟きながら歩いていると、気づけば家に着いていた。自転車を庭に置いてから、鍵を開けて中に入る。習慣となっている手洗いうがいを済ませてから、外でご飯食べてきちゃったから夜は昼のぶんを食べるね、と母親に連絡を入れようとして、はたと気づく。

 合宿のことどころか、生徒会選挙に立候補してることさえ、まだ親には言ってない。

 つまり、ここに至るまでの一部始終を面と向かって話さなければならないわけで。

 しばし、茫然自失となった。暗澹たる気分になって、階段前の廊下に座り込む。

 下着二点とパジャマ一着が収められたビニール袋が、がさ、と音を立てた。

「……つかこれ、蓮以前に親にも見られるんだよな」

 ひとまず、当日までは部屋の中に置いたままにしておこう、と強く決意した私であった。

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