好敵手と書いてライバルと読む2

 移動の間、漆原からは特に何の説明もなかった。そうして連れてこられたのは、あろうことか生徒会室だった。あろうことかって、漆原が現生徒会役員である以上は行き先が生徒会室なのは自然なことなんだろうけど、そこに私が連れ込まれるというパターンは想定していなかった。選挙関連の書類って、管理委員を通じて生徒会に回されるものだったりするのかな。

 それにしても、生徒会選挙に立候補しておいて今更だけど、生徒会室って入るのは愚か通りかかるのも始めてだ。位置でさえ、ただの今まで把握していなかった。

 特別教室やら理科系の科目の教室やらが集められた特別棟の三階奥。言い換えればこの学校で最も古臭い校舎の、登ることになる階段数が最多のフロアの、最奥に位置する一室である。有り体もなく言ってしまえば、一番の僻地。地震なり火事なりがおきたら、まず逃げ遅れる場所だった。他の生徒のために命を捨てる覚悟のあるものだけが、生徒会の門戸を叩きなさい、という意志の表れだろうか。でも私は当選したところでリモートワークしかする予定がない。私だけ生き残る羽目になる。それもそれで気が重いので、勘弁してほしかった。

 何にせよ、生徒会室がこんなにも行きにくい場所に位置しているとは思わなかった。そりゃ私だって、生徒会には専用の、こじんまりとした趣きある別館みたいなものがあてがわれているだとか、そういう幻想を抱いてはいなかった。現実と虛構は違う。その二つが重なり合うのは精々、都合の悪い場合だけ。でも、もう少し待遇を良くしてあげてもいいんじゃないかな、って気がしなくもない。

 ああでも、人も部屋も外見だけで判断するのは良くないか。大切なのは中身。たとえ立地が悪くとも、中に足を踏み入れればそこには侘び寂びを極めたような、静謐にして典雅なる空間が広がって「さ、入って」……などいないのが、現実の非情なところだ。

 一言で称するのなら、狭苦しい保管室、零細企業の会議室、売れない私立探偵の事務所、といったところだろうか。全然一言じゃないな。まあいいや。気を取り直して、詳細スペックを見ていく。スペースは六畳くらい。中央には折りたたみ式の長机が二つくっついていて、左右の辺にパイプ椅子が二つずつ、計四つ並べられていた。両側の壁にはプラスチック製のファイルが敷き詰められたラックがあって、ただでさえ手狭な部屋の居住面積を圧迫している。今ここで大地震が置きたら確実に圧し潰されるだろうな、と思った。部屋の奥にはシンクとIHのコンロがあった。飲み物とかは、割りと自由に淹れられそう。隅の方には段ボール箱が雑に重ねて置いてあり、一番上の箱からは何かの機材やら備品やらの脚部が突き出している。

「適当に座って。飲み物、パックの緑茶くらいしかないけど、それでいい?」

「は、はい。……お構いなく」

 某北欧家具店に遊びに来た客の如く、不躾に室内を見回しまくっていた私に対し、漆原が淡々と椅子を勧めてきた。言われるがまま、入り口に一番近い席に着く。漆原は例のコンロでお湯を沸かすのかと思いきや、その脇にある電気ケトルに水を突っ込んで湯を沸かし始めた。五分と経たずにお湯が沸き、緑茶が出てきた。漆原は湯呑を私の前へと置くと、向かいの席へと腰掛けた。

「それで、不備のあった書類っていうのは」

「ああ、それ? ただの方便だから、忘れて」

 お茶を一口飲んでから、平然と漆原が口にした。私はしばし、ぽかんとしてから。

「……もしかして。助けてくれたの?」

「だってあなた、顔色真っ青だったから。それより大丈夫なの? 気分、少しは良くなった?」

「は、はい。おかげさまで」というか、いつの間にか完全に観光客気分になってた。

「そう。なら良かった」

 漆原がお茶をもう一口飲む。私も飲んだ。若干の間の後、漆原がまた飲む。私も飲んだ。漆原が飲む。私も飲んだ。以下略。十三回繰り返したところで、互いの湯呑の中身が空になる。

「……おかわり、淹れてくるから」

 程なくして、二杯目のお茶を持って漆原が戻ってくる。どうも、と私は受け取る。

 漆原がお茶を一口飲む。私も飲む。漆原が飲む。私も飲む。漆原が飲――まずに、んん、と小さく咳払いをしてみせた。湯呑を脇の方に寄せると、改まった様子で手を組んで。

「あ、青井さんは、人が多いところが駄目、なの?」

「苦手は苦手なんだけど、完全に駄目ってわけでもなくて。……さっきは、その。ちょっと、陰口言ってくる人がいて、それで」

「ああ、そういうことか。ま、確かにいるでしょうね、ここまで目につくことすれば。私も、あることないこと言われたし」

 それは、あのときのことを言っているのだろうか。伏せ気味だった顔が無意識に持ち上がる。

 漆原は失言に気づいたように軽く目を見開いて、ああいや、と弁明をし始める。

「言っておくけど、別に嫌味とかじゃないから。あの発言自体は本当に悪かったと思っているし、批判されても仕方ないというか、むしろ批判されてしかるべきだと思うから」

 その言葉には、言い訳がましい色合いも嫌味じみた響きも一切なかった。私が何も言えずにいると、漆原は何事かを思い出したみたいに目を見開いて、背筋を伸ばして唇を引き結ぶ。

「というか私、まだ一度も面と向かって謝ってなかったわね。――ごめんなさい。私、青井さんに酷いこと言った。発言は取り消せるものじゃないけれど、謝罪はさせて」

 深々と頭を下げる漆原。色素の薄い髪の毛が、机の上に花束みたいにはらりと広がる。

 ……正直、どう反応すればいいのかわからなかった。討論会の日、ボソリと呟いた「認めないから」という言葉。あの時点では確実に、素直に謝罪しようだなんて心持ちでいたわけではなかったはずだ。冒頭の謝罪だってその後の批判に繋げるための前置きに過ぎず、淡々としたものだった。でも、今の漆原は違う。心からかつての自分の言動を悔いて、頭を下げてきているのだと伝わってくる。だからこそ、その真意がわからない。

 漆原がゆっくりと顔を起こす。私の戸惑いを察してか、「どういう風の吹き回しかって、思ってる?」と訊ねてくる。私は、何も答えられなくて、無言のまま目を脇に逸らした。

「ま、そうなるわよね。そう思わせてしまうような言動ばかり、取ってきてしまったわけだし。白状すると、私、つい最近まで青井さんのことを見下していたわ。討論会が終わった後も、舌先三寸で煙に巻かれたって、腹を立ててた。でも、それはひどい思い違いで、思い上がりだった。生徒たちの不満に真摯に耳を傾けたり、過去問が手に入らない生徒のために予想問題と解説動画を公開したりしているのを見て、私もようやく思い知ったの。あなた達は真実この学校のことを慮って、生徒会役員を目指しているんだって。そのときになって、自分の差別意識にも本当の意味で気付かされた。だから、改めて謝罪をさせてもらいたかった。本当にごめんなさい、青井さん。許してくれだなんて、言わないから」

 漆原が再び頭を下げる。やけにこちらのことを持ち上げてくるものだから、謝罪以前に面食らってしまった。認めてくれたのは嬉しいけど、いくらなんでも過大評価じゃないだろうか。

「そ、そのことは、もういいよ。こっちも、色々と報復しちゃったわけだし」

「まあね。確かに色々された」ちょっとだけ冗談めかして、漆原が衒いのない微苦笑を浮かべる。「でもあれ、青井さんのアイディアってわけでもないんでしょ?」

「……やっぱり、わかる?」

「そりゃ、説明会や討論会での様子を見てれば察するわよ。考えたのは、応援人の子でしょ」

 苦笑しながら、まあねと答えたところで、やり取りが不意に途切れる。流石にお茶の無限ループには陥らなかったけど、互いの出方を窺うような、少し気まずい時間が続く。

 舌鋒鋭いイメージばかりが先行している漆原だけれど、本来は口下手な性格なのかも知れない。議論の技術と日常会話の技術は、全くもって別のものだろうし。

「で、どうする? 元気になったのなら帰ってくれもいいし、もう少し休んでいってくれてもいいけど」指先でサイドの髪を弄くりながら、漆原が訊いてきた。

 正直、まだ外には出たくなかった。さっきの一年たちが残ってるかもしれないし、また別の生徒に見つかって悪口を叩かれるかもしれないし。でも、あまり長居するのも漆原に悪い気がする。どうしようかな、と思案していると。

「言っておくけど、他の人たちは来ないから。三年は既に隠居状態だし、比良は普段から生徒会室には来ないし。私はテストの振り返りをするつもりだけど、それでも良ければ好きにして」

 それだけ言うと、漆原は筆箱と問題用紙、それからルーズリーフと参考書を鞄から取り出した。もう私に話しかける気はないらしく、黙々と紙に向かって計算をし始めた。

 結局、私はお言葉に甘えさせてもらうことにした。とはいえ、何もせずにぼーっと時間が経つのを待っているのも何なので、私も解き直しでもしようかと問題用紙を取り出した。

「あのさ。青井さんって、数学は得意なのよね。折角二人いるんだし、答え合わせでもしない?」

「え? ああ、うん。別に構わない、けど――」

 というわけで。何の因果かわからないけど、筆頭対立候補と二人きりでの答え合わせが始まった。私たちは順々に、計算用紙の隅に記された答えを突き合わせて確かめていく。

 互いを隔てるテーブルの幅は、バイト先のカウンターの倍以上。どう考えても隣り合った方がやりやすいだろうけど、そこは互いに遠慮と言うか、空気を読んで口にしない。このくらいの距離感はあったほうがやりやすいでしょと、双方共に了解済みっていうか。蓮や比良のような、平然と距離を詰めてくるタイプとは全く異なる力学化でのコミュニケーションが、漆原との間には働いてた。なんだか新鮮な体験だった。

 私も漆原も元々間違いが少ないこともあり、答え合わせはほんの十分ちょっとで終わりを告げた。点数的には、私が九割弱で漆原が九割強といったところ。計算ミスさえしていなければ九割に乗ったと思うんだけど。まあ、これは徹夜した代償かな。

 何にせよ、終わったんだしそろそろお暇するべきだろうか。それとも、次の科目に手を出した法が良いのかな。お互いに決めかねて、意味もなくクリアファイルを漁ったり、体をほぐしたりしながら思案する。

 唐突にスマホがぶるぶる震えた。私のだ。誰からだろうと慌てて画面を見ると、蓮からの電話だった。漆原に一言断って、部屋の隅に移動してから、着信ボタンを押した。

「もしもし? うん、まだ学校だけど。あれ、そっちもなの? ああ、うん。え? ……うん、構わないけど。じゃ、ちょっと待ってて。今行くから。――それじゃ、また。うん」

 通話が切れる。ポケットにスマホをしまうと、「羽賀さんから?」と漆原が訊いてきた。

「そう、だけど。……なんでわかったの?」

「顔を見ればなんとなく、ね」片眉を上げながら、答えになってない答えを返す漆原。

 ……なんか、見透かされたみたいで気に食わないけど、まあいいか。

「で、帰るのよね? もしよければ、人避けのために同行してもいいけれど」

「ううん、遠慮しておく。とにかく、ありがとう。助かったよ、本当に」

「そう。別にいいわよ、元々、ここでテストの振り返りするつもりだったし」

「そっか。じゃ、失礼するね。ありがとう、漆原」

 手早く荷物を片付けてから、リュックサックを持って立ち上がる。引き戸に手をかけ用としたところで、勢いよく扉が横にスライドされた。条件反射的にザザッと数歩後ろに下がる。

「あれ、青井? なんで、生徒会室にいるわけ?」

 反対側から扉を開けてきたのは、比良だった。漆原によれば、比良は滅多に生徒会室に姿を現さないとのことだったけど、今日はたまたまということなのだろうか。

 出会い頭に驚いて何も言えなくなっている私に代わって、漆原が比良からの質問に答えた。

「まあ、ちょっと色々あって、成り行きでね。それより、朝顔の方こそどうしたの? 生徒会室に来るなんて、どういう風の吹き回しよ」

「どういうって、ただ静に会いに来ただけだけど?」

「………………………………………………あ、そう」

 比良はなんてことない表情をしていた。漆原の方は、知らない。ここで振り向けばどんな顔で睨まれるのかわかったものじゃないので、チラ見したりもしない。

 すると比良は、ニコリと会釈してから私を躱して、とことこと室内に入っていった。

「って、あれ。静、もしかしてテストの振り返りやってたの? 副会長に、生徒会室は自習室じゃないって文句言ったの、静なのに。ああいや、あたしは全然構わないんだけど――」

「っ、ち、ちょっと朝顔! 余計なこと言わないでよ……⁉」

「あ、じゃあ私はこれで失礼します。お茶ごちそうさまでした」

 サッと身体を室外へと踊らせて、後ろ手に扉を締めた。聞いてはいけない発言を耳にしてしまった気がするので、面倒なことになる前に前にそそくさと退散しよう。そうしよう。

「――一つ、言い忘れたんだけど!」

 が、賢明な判断をしたにも拘わらず、ちょうど階段の一段目に足をかけかけたところで、後方から大声で引き止められた。ビクつきながらも振り向いて、生徒会室の方に目をやると。

「私、負けないからね……!」

 両手をメガホン代わりにそれだけ言うと、漆原はツンと澄ました顔で生徒会室に引っ込んだ。

 私はしばらく、呆気に取られる。でも、ふっと唇が綻んだ。「こっちだって」と小さく声に出してみて、漆原への返答とする。

 さて、ぼさっとしている場合じゃない。今は蓮を待たせてるんだ。顔を正面へと戻して、とっとっと、とリズムよく階段を下りながら、蓮がこのことを知ったらどう思うだろうと考えて、黙っておいたほうがいいだろうと結論づける。

 敵との親睦を深めてどうするんだ、と憤慨するところが目に見えるようだから。

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