好敵手と書いてライバルと読む1
不登校になってからもテストだけは欠かさずに受けている私だけれど、いくつかの配慮はしてもらってる。一つは、別室での受験。そしてもう一つは、通常よりテストの開始時間を三十分遅くしてらう、という措置だった。登校の際に他の生徒と顔を合わせないようにするためで、それに伴って下校時刻は後ろにずれ込むことになる。
一日目と二日目はどのクラスでもテストが終わり次第、速やかに下校するように言い含められているから、他の生徒と鉢合わせることもない。だけど、最終日の三日目となれば話は別だ。部活やら友達との雑談やらで、校内に残る生徒も多かった。
マスクは着用しているし、不登校で有名な私が校内にいるとも思わないだろうから、すれ違ったところで気づかれる可能性は低いと思う。でも、人間の性というものはそう簡単に変えられるものじゃない。理屈ではわかっていても心のほうがそれについてきてくれないのだ。今日も今日とて顔面を俯けながら、廊下の端を盗人のような足取りでせっせと歩く。
一階に降り、下駄箱の方面へと向かう。その際、以前にオンライン演説をしたこともある、自販機の置いてあるちょっとした広場を経由する。その両脇に展開する廊下にあるのは、全て一年の教室だ。もうテストは終わっているようだけど、残って雑談やら答え合わせやらをしている生徒がいるのか、話し声が漏れ聞こえくる。
……もしかしたら、蓮も校内に残っているのかも。友達とかと話していたりして。
そこまで考えたところで、今更ながら――本当に今更としか言いようがないのだけれど、蓮の交友関係を全く認知してないってことに、気付かされた。
放課後は私のバイト先に通っていて選挙活動もしている以上、部活をやってるってことはないはず。だからといって、友達ゼロ人ってことだけはない。蓮は、初対面の私に対してああも強気で出られるような、コミュ力おばけなのだ。入学式があったその日から隣の人に名前を聞いて、連絡先まで交換しちゃって、昼休みや授業の合間とかに自然と言葉を買わせるような、そういう相手が絶対にいるはずで。
私以外の誰かの前で、蓮はどんな顔を見せ、どんな声で笑って、どんな話をしているのだろう。私にするのと同じように、馴れ馴れしく肌に触れてきたり、整った顔面を不機嫌そうに歪めてみたり、絶句するような無理難題をふっかけてきたり、有頂天になってはしゃいだりするのだろうか。
わからない。わからないけど、ただ一つ明確に言えるのは。
蓮の隣に座る誰かは、あの小綺麗な横顔をいくらでも眺められるという事実。
蓮の隣に腰掛ける、私以外の誰かの姿。それを見たい。見なきゃいけない。義務感にも似た焦燥が沸き起こる一方で、そんな光景見たくもない、なんて吐き捨てている自分もいて。
あの、と真横から声をかけられた。聞き覚えのある声だ。でも蓮ではない。振り向くと、吉野が話しかけてきていた。
「あ、やっぱり青井先輩だった。どうしたんですか、こんなところで」
「えっと、テスト受けてたの。こればっかりは、家で受けるわけにもいかないから」
ああ、と得心がいったように吉野が頷く。それにしても、なんだか妙な感覚だ。既に何度も言葉を交わしてるはずなのに、会話の間が掴めないというか、視点が食い違っているというか。
私が応対に迷っていると、吉野は例の解説動画のお礼を言ってきた。それに関するやり取りを何度か重ねているうちに、段々と会話から違和感や不自然さが消えてきた。ホッとする。リアルで顔を合わせた途端に何も喋れなくなってしまっては、甚だ不格好だと思うから。
不意に沈黙が訪れた。吉野が口を噤んで、視線を足元へと向ける。それは言うことがなくなったというより、言いたいことがあるのに言えない、といった様子で。なので私は、「どうかした?」といつかのように助け舟を出してみた。ややあって吉野は、改まった口調で言った。
「青井さんに、言っておきたいことがあるんです。今まで語った文化祭への愚痴とか、学校への不満とか、そういうのも全部わたしの本心に他ならないし、先輩を応援している理由ではあるんです。だけど……わたしが青井先輩を応援してる一番の理由は、それじゃなくって」
吉野はチラチラと周囲を見回し、誰もいないことを確認してから、訥々と本題を語り始めた。
「中学の頃の友達に、不登校になってしまった子がいるんです。その子が学校に来なくなってからも、一緒に遊んでたりはして。だけど、その子の両親が中学にすら通ってないようじゃ心配だからって、別の中学に通わせるために引っ越しちゃって。……だから、もし。もしも、学校にいかないままでもちゃんと授業を受けられて、ちゃんと卒業にこぎつけられるような制度があったら、あの子は引っ越さずに済んだのかなって、そう思って」
ただの感傷だってわかってはいますけど、と最後に付け加えたきり、吉野は口を噤んだ。
「わたしが先輩を応援してる理由は、それなんです。選挙の前に、ちゃんと伝えておきたくて」
「……そう、だったんだ。うん、ありがとう。わざわざ聞かせてくれて」
いえ、と答えると同時に、吉野が振り向く。廊下の向こうから、別の一年の三人組が出てきたからだ。その子たちにも見覚えがある。吉野のように、私の演説に足繁く通ってくれたわけではないけど、何度か声をかけられた記憶があった。私の存在に気がつくと、とっとっと、と小動物のように軽快な足取りで寄ってきた。
「あれ。青井先輩じゃないですか。なんで学校来てるんですか?」
「なんでって、テスト受けに来たに決まってるじゃん」
「え、わざわざ? 当選したら、いっそテストもオンライン化したらいいんじゃないですか?」
有名人にでも会ったつもりなのだろうか。私を取り囲むようにして、キャッキャと益体もない話を振ってくる。女三人寄れば姦しいというけれど、この子たちはその例に漏れないようだ。
不慣れながらも一つ一つ質問に応対していると、また別の一年が私に気づいて近づいてきた。
あっという間に、十名ほどの人だかりができてしまう。まるでお菓子に子供が群がるみたいだ。選挙戦略的にはありがたい限りだけれど、目立ったことになるのは、……ちょっと嫌だ。
どうやって抜け出そうなかと、貼り付けた苦笑の裏で考えを巡らせていたところ。
「――ねえちょっと。あいつって」
「ああ、青井夢じゃん。なにあいつ、不登校なんじゃなかったのかよ。詐欺じゃん」
階段から降りてきた二年生の二人が、私を見ながらボソリと言った。
……顔は見ない。というか、見られない。身体が凍りついたみたいに固まってしまって、そもそも言うことを効かなくなった。視界に靄がかかったように世界が遠くなっていき、聴覚だけが取り残さたかのように鋭敏に研ぎ澄まされていくのを感じる。
音だけで構成される世界。私への悪口だけで創り上げられていく、世界。
「本当それ。ていうか何あれ。下級生たらしこんで囲わせるとか、みっともなくない?」
「わかるわかる。一年騙してきゃっきゃ言われて、良い気になっちゃってさ。何様なのかな」
囲わせてる? 良い気になってる? ……いや、なにそれ。別にそんなんじゃ、ないんだけど。というか今の悪口って、どういう意味? もしかして含みとか、裏の意味とか、あったりするの? そもそもあの二人って、去年、同じクラスだったかも。まさか、あのこととか知ってて、その上で言ってたりとか、するわけ……?
記憶の欠片がストロボに照らし出されるかのように、断続的に再生される。
――あのさ。青井さんってさ。
……だから、違うって。違うんだって。
――いつも、そういうの読んでるけど、もしかして、そうなの?
……そんなんじゃないんだって。変に曲解しないでよ。私は、ただ――
「青井さん! ちょっと、青井さん!」
大声で名前を呼ばれて、現実に呼び戻される。すこぶる不機嫌そうな顔つきで私の横に立っているのは、あろうことか漆原だった。驚いて息を呑む。いつの間にそばに立っていたのか。
「え、えっと。……何か、用ですか?」
「書類に不備があったから書き直してほしいって、さっきから何度も言ってるでしょう?」
「ふ、不備? 書類って、どの書類のことですか?」
「説明はあとでするから。とにかく、早くこっちに来て」
「え? ちょ、ちょっと――」
右腕を乱暴に掴んで、漆原が大股で歩きはじめる。一年たちは割って入ってきた漆原に萎縮して、モーセの海割れのように右へ左へ避けていく。状況は全く飲み込めなかったけれど、漆原が無理やり引っ張ってくるものだから、足を動かさざるを得なかった。
繰り返しになるけれど、私は身体に触れられるのが嫌いだ。こうやって乱暴に手首を掴まれるのなんか、その最たる例だった。実際、今も嫌ではあった。でも、そこまでの抵抗感はなかった。蓮に触れられたときみたいな、熱い火花が爆ぜるような感覚もない。あるのはただ、なんでこいつに触れられなきゃいけないんだ、みたいな……不本意? みたいな感情だった。いや本当、自分でも何がどう不本意なのかはわからないんだけど。
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