討論会3
「不登校の生徒への待遇改善を求めるという主張も、その正当性も理解できます。ですが、青井さんの主張は甚だ具体性を欠いたものであったかのように思えます。待遇改善を求めると言っても、どのような要求をすることを想定しているのでしょうか。そして、その要求の実現可能性はどれほどのものなのでしょうか。これがまず一点目。そして二点目は、谷川さんにさせて頂いた質問とも重複しますが、学校行事の運営、学校生活の改善などといった、いわば生徒会活動の本筋とも言える部分については、どのようにお考えでしょうか」
鋭い指摘にどきりとするけど、しかし、私は焦らない。むしろ、冷静なほどだった。
そうですね、と平然とした声色で間を置きながら、別タブで開いていたメモを確認する。
「まず、学校への具体的な要求の内容についてですが、現在、文科省はGIGAスクール構想といって、学校教育のICT化を促進しています。こうして私がオンラインで討論会に参加できているのも、その一環で校内Wi-Fiが整備された結果ですね。こちらの資料にある通り、国はオンライン学習環境の整備に一定の予算を割いています。また、コロナ流行の初期段階においては、本校含む多くの学校でリモート授業が行われました。そのため、ひとまずは不登校の生徒に配慮した授業のオンライン配信や録画配信などの恒常的な実施を要求していきたいと考えています。次に学校行事についてですが、コロナ禍においては様々な場面でオンラインやハイブリッド形式でのイベントの実施などが模索されました。その知見を踏まえつつ、オンラインとリアルを融合させたような、より多くの生徒に開かれた形式を提案していければと考えています。学校運営については、このようにオンラインで生徒会の会議へ参加して、不登校という特殊な視点だからこそ気づける意見を提言していくつもりです。勿論、オンラインでの参加には多少の不都合や障害が存在するでしょうが、それらはどれも、いずれ払拭されねばならない問題です。生徒会をより多様性のある組織へと変えるためにも、まずは私が先陣を切り、浮上した問題点を一つ一つ改善していければと考えています」
「……そう、ですか。お答えありがとうございました」
漆原が一瞬、忌々しげな顔になる。主張の穴を突いたつもりが、実質的に論を補強する時間を与えてしまったことを、後悔しているのだろう。
言うまでもないことだけど、今の回答は私が即興で考えたものではない。事前に用意していたものだ。何故ならこの質問は予測済み、いや、むしろ意図的に誘導したものだからだ。
討論会において、質問と反論は一度のみ。ならば、主張の中に意図的に陥穽を仕込んでおけばいい。相手が鋭ければ鋭いほど、そこを指摘してくるはずだから。それに対する答弁を事前に準備しておけば、突然の質問に狼狽えるようなことにはならない、というわけだ。
容赦の無さでは同格であっても、狡猾さ、用意周到さにおいては蓮が一枚上手ということらしい。私は内心、蓮のことを誇らしげに感じる。虎の威を借る狐なのは、わかってるけど。
「では、他に質問、反論のある方はいらっしゃいますか? ……ないようでしたら――」
「悪い。あたしからも一つ、いいか?」
比良がゆったりと右腕を上げた。少し焦る。質問されるとしたら漆原だろうと、たかをくくっていたからだ。緩みかけた緊張をもう一度、引き締める。
「あたしのは質問っていうか、ただの興味本位なんだけどさ。青井は、何がきっかけで選挙に出ようと思ったの?」
その質問に、え、と声が出たきり固まってしまう。蓮や他の候補も予想外だったようで、目を丸くしている。比良は、ああいや、と慌てて弁解をし始める。
「別に他意はないんだけどね。ただ、すごいなって思ったからさ。不登校なのに選挙に出るって、勇気がいることでしょ。どういう動機があってのことなのかなって、純粋に気になって」
「……ふ、不登校の生徒のため、です。この学校には、私以外にも数名の不登校の生徒がいる、と聞いていますから」
「なるほど、つまりマイノリティのために立ち上がったってわけね。うん、いい理由だと思うよ、あたしは。色々と大変なこともあるだろうけど、選挙活動、頑張ってね! あたしも、手伝えることがあったら手を貸すからさ。遠慮なく声かけてよ」
「は、はい。……えっと。ありがとう、ございます」
なんか、普通に応援されたんだけど……。いや、確かに比良は根本的に善人だってわかってたけど、まさか他候補に直球のエールをおくるようなことまでするとは、いくらなんでも予想外だった。まあ、それだけ余裕ってことなのかもしれないけれど。
いやでも、本当に大丈夫なのか、こんなことして。さっきから、隣で漆原がものっすごい剣呑な目つきで睨んでますけど。質問が裏目に出たときとは比じゃないくらいに、猛禽類か何かに見紛うほどの凄絶な眼差しで。というか、さり気なく肘打ちし始めたぞ、あいつ。自分が不利になるような言動をされたとはいえ、そこまで気に食わなかったのか……。
なんとなく、会場全体に間の抜けたような空気が漂う。司会がコホンと咳払いをして、調子を再び整えた。漆原もそれを合図に、元の冷然とした澄まし顔に立ち返る。
色々あったけど、結果オーライってことでいいのかな。発表も答弁も合格点で、最後には最有力候補から激励の言葉さえ貰えたのだし。これ以上ないといえば、これ以上ない結果だろう。
さて。プログラムは次の候補者、つまり比良の発表へと進行する。
しかし比良はまたしても、折角引きしまったばかりの会場の雰囲気を根本からぶっ壊した。
「――ごめん! 改めて言うことは、特にない! あたしの欄は削ってくれていいから、他の候補の主張を載せてやってくれないかな。あたしは……なんていうか、深いこと考えてやってないから。ただ単に、皆が明るく楽しく快適な学校生活を遅れるよう、粉骨砕身するだけっていうか。じゃあ、以上! 何か訊きたいこととか、言いたいこととかある人はいる?」
再び、呆気に取られる会場。茫然としていないのは、漆原ただ一人だった。組んだ両手に力なく額を乗せて、なにやら絶望的な雰囲気を醸し出していた。
発表が発表なので、取り立てて反論することも質問することもなく、次の候補者へと話が流れる。漆原は比良からマイクを受け取ると、気を取り直すように頭を何度か左右に振って、ゆっくりと椅子を引いて立ち上がった。
比良のものほどではないけれど、漆原の発表もまた、私達の意表を突いてくるものだった。
「――はっきり言って、私が皆さんに主張したいことはこれといってありません。何故なら私が生徒会選挙に当選するとしたら、それは副会長としてであって、会長は比良になると確信しているからです。御存知の通り、比良は学校中を駆け回ってトラブルや問題を次から次へと解決していきます。ですが先走ってしまうことも多いし、細かな事務作業や雑務が疎かになっている点は否めません。私は、そこを引き受けられればと思っています。比良が生徒会長として最大限に生徒たちのサポートをしていけるよう、私が比良のことを支えたいと思っています。比良が他の雑事に気を取られることなく、皆さんの学校生活の助力ができるように。それこそが、生徒の皆さんが快適で充実した学校生活を送る上での、最適解であると思っています」
漆原が一旦、言葉を切った。さて、と話題の転換をすると同時に、纏う雰囲気が立ち所に変化した。カメラのレンズを、要するに私のことを、射抜くような眼光で見据え始めた。
「討論会においてこのような主張をすることは少々場違いかもしれませんが、現在、学内に流布している私に関する噂について、事実関係の説明をさせていただきたいと思っています」
ドクン、と心臓が跳ねて、激しく痛んだ。まさかこいつ、自分の主張なんて捨て置いて、私のことをこき下ろすのに残りの時間を使うわけ――?
「結論から言ってしまえば、あれの発言は全て、私のものです。そして私は、それらの発言が全て不適切な、不登校の生徒への差別意識が滲み出た発言であったことを、認めます。この場を借りて、相応しくない発言をしたことを陳謝します。申し訳ありませんでした。ですが、サイトに記されていた反論に対して、幾つか指摘したいことがあります。『生徒会を生徒たちの意志決定の場』だと称していましたが、それは厳密には誤りです。意思決定を行う場は、生徒総会や部長会、行事ごとに開かれる会議です。勿論、そこには生徒会も参加しますから、完全に間違いというわけではありません。ですが生徒会の活動の本分はあくまでも運営で、実務的な仕事が殆どなのです。不登校の生徒の意見を組み上げることが重要なのは私も同意しますが、それと『生徒会役員になること』はイコールではない、と言う点は指摘させてもらいます」
比良はその後も、そもそも個人を特定可能な形で録音を無断公開するのは不適切だとか、先生たちの間でも度が過ぎるという意見が多く出ているだとか、時間の許す限り私達の活動を否定する言葉を述べて、以上です、と自らの発表を時間ぴったりで終わらせた。
……ここまであからさまなピンポイント攻撃をしてくるとは、私だけでなく蓮も予想していなかった。反駁の用意はない。でも、ここまで直球で喧嘩を売られた以上、無視を決め込むわけにもいかない。何か……何か、言わなきゃ。でも、何を?
というか、さ。こういう状況になったのって、もしかして私のせいなんじゃない? 蓮は以前、漆原から何らかの反応があるまで録音の公開を続けるつもりだと言っていた。つまり、私が公開をやめさせなければ、この反駁はもっと前に、違った形で飛んできていたわけで。こんなふうに、即興で反論しなければならない自体にはならなかったかも知れなくて。
「質問や反論のある方は、いらっしゃいますか? いないがようでしたら、これで――」
「っ、ま、待って下さい。質問と言うか反論と言うか、……とにかく、一言いいですか」
勢いだけの発言だ。何を言うかなんて決めてなかった。
何か言わなきゃ、という義務感だけに突き動かされた結果だった。
漆原が傲然とした眼差しをカメラ越しに向けてくる。蓮も不安そうな面持ちで、カメラと画面をチラチラと見やっている。
心臓の鼓動がやけにうるさい。口の中が徐々に乾いて、飲み下すための唾さえ枯れた。
沈黙が続いたからか、司会の子が困ったような表情でカメラの方に目を向けて、訊いてくる。
「あの、青井さん? 特にないようでしたら、打ち切らせていただきますが……」
「っ、あ、ありがとう、ございました」
白紙状態の頭から咄嗟に出たのは、あろうことか謝罪の言葉だった。策を寝る時間もなければ、蓮のような機転もない。ならばもう、思ったことを率直に述べる以外に道はなかった。
「謝罪、して頂いて。これがきっかけで、より沢山の生徒の意識が変わってくれたら、喜ばしく思います。だから、ありがとうございました」
しばし、画面の向こうを静寂が支配した。この返しは漆原も意図していなかったらしく、比良からの質問を受けたときの私のように、戸惑い気味の表情になった。でも当惑はすぐに鳴りを潜めて、「事実ですから」と短い返答をしたきり、口を噤んだ。
「えー、他に何かある方は……いらっしゃいませんね。では、これで本日の討論会は終了となります。最後に、お一人ずつ選挙への意気込みや生徒たちへのメッセージをお願いします」
谷川に続いて、私もコメントを口にした。何を言ったかはよく覚えてない。正直、それどころじゃなかった。他の候補が何を言ったのかも、覚えていない。
ありがとうございました、と終わりの挨拶をするや否や、カメラとマイクをオフにする。「あー、やらかした……」両手で頭を抱えて、キーボードの上に突っ伏す。折角いい感じの展開だったのに、最後の最後でしくじった。いくらなんでも、ありがとうはないだろ。私は比良じゃないんだ。もっと、論理的な反駁をしなきゃいけなかったのに……!
やっちまったやっちまった、と一人で鬱々と沈み込んでいると、夢先輩、と蓮が私を呼ぶ声がした。ビクリと肩を震わせて、緩慢な動作で起き上がる。
「先輩、聞こえます? もしかして離席してますか?」
「……いや、いるよ。ちょっと、ミュートにしてただけ」
マイクだけをオンにして、蓮からの呼びかけに応じる。教室から廊下に出たらしく、他の生徒の姿はなかった。
「ひとまずお疲れ様でした、夢先輩。発表も答弁も、いい感じでしたよ」
「うん、蓮こそお疲れ。……だけど、ごめんね。最後、上手く反論できなくて」
「なに言ってるんですか。想定外の事態だった以上、多少しどろもどろになるのは仕方ないですよ。それに、中々上手い返しだったと思います。ムキになって粗雑な反論をするよりかは、よほど印象いいと思います。実際あいつ、最後、悔しそうに下唇噛んでたんですよ?」
「……え。それ、本当?」
「本当です。なんなら、写真撮って先輩に送りつけたいくらいでした。だから、先輩が気に病むことなんて何一つとしてありません。百点満点とはいえませんけど、充分に合格点ですよ。事実上の二番手とためを貼っていると認識してもらえるだけでも、相当の戦果じゃないですか」
屈託なく言う蓮を前に、私は肩透かしを食った気持ちになった、蓮のことだから、反省点を次から次へと論ってくるものだと思っていたのに。
「ならよかった」と私が返すと、蓮は教室の中へと取って返した。片付けを手伝うらしく、「残りは後で」と口にしたきり、PCを机上に放置したまま新聞部のところへ行ってしまった。
もう、退室してもいいのかな。迷っていると、PCの前を漆原が通りかかった。漆原は、私の名前のみが表示されているであろう画面を睨むと、マイクはオフだと勘違いしたのか或いは意図的だったのか、小声で、けれどかろうじてマイクに乗る声量で、「……私は、認めないから」と呟いて、その場を去った。
あまりに、嫌味な言い回しだった。それを聞いた私は思わず――
「っしゃザマァみやがれ不登校に言い負かされた気分はどうだオラァ……ッ!」
思わず、快哉を叫んだ。立ち上がった拍子に椅子が倒れたけど、そんなこと気にもならない。
「今の明らかに負け惜しみだよね⁉ ってことはあいつ、負けを認めたってことだよね……!」
狂喜乱舞する一方で、有頂天になる自分自身に驚いている私もいた。選挙のことで、こんなふうに喜びを爆発させることがあるなんて思わなかった。多分、無意識のうちに漆原への鬱憤や反感を募らせていたのだろう。勝てたのは蓮のおかげとは言え、一矢報いられたのは事実なわけだし、本当に! ものすごく! 気持ちがいい!
「いやぁー、私にも蓮の性悪さが感染っちゃったかなぁ……!」
笑い混じりに言う。だけど当然、返答はない。誰もいない部屋に、ムダに大きい独り言がこだまするだけだった。
それで、少しだけ頭が冷える。喜びは未だにあるけど、どこか虚しい気分になってしまった。
倒れていた椅子を直して、ミーティングを抜けてPCを落とす。ベッドに横になって一息ついて、思い出したかのようにスマホを取って、「お疲れ様」とメッセージを送っておいた。
意味もなくブラウザを立ち上げたりキルしたりしつつ、通知が入るのを待ちわびる。私もあの場にいられたら、今すぐ蓮と笑い合えたのにな、と。自分が不登校であることを、ほんの少し口惜しく思った。でもそれは、ほんの少し前の私であれば、絶対に抱くはずのない感情だ。
そのことに、戸惑いというよりも、言いようのない不安を覚えた。
他人と付き合うということは、外部から影響を受けるということに他ならない。それはつまり、少しずつ変わっていくということで。変わりつつある、ということもであって。
……蓮の言った通り。私は少し、頭がおかしくなっているのかもしれないな、と。
漠然と、そんな事を考えた。
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