討論会2
討論会は、各候補が五分以内で自分の政策やマニフェストを表明し、それに対して他の候補が反論や質問をする。そして、それへの反論なり回答なりを言われた候補が口にする、という形式で進行していく。質問、反論が許されているのは、一人の候補者に対して、各候補それぞれ一度ずつだ。新聞に纏める都合上、あまりダラダラと論争されても困るってことだろう。
発表順は公平にじゃんけんで決められた。勝ったのは谷川で、そこから時計回りに巡る。つまり谷川、私、比良、漆原の順。私は二番手だ。立ち位置的にはそれほど悪くはなかった。
早速、トップバッターの谷川の政策発表が始まった。谷川はマイクを受け取るや否や、自身の政策を熱っぽい口調で語り始めた。
「――私は、生徒会が実質的な世襲制となっていることを、とても大きな問題だと考えています。生徒会長と副会長がお気に入りの下級生を書記と会計に任命し、その二人が次の代の会長と副会長に選ばれる。そうした傾向が、既に十年以上も続いています。ともすれば生徒会の腐敗を招きかねない現在の体制を、私は強い危機感を持って捉えています」
比良と漆原に正面から殴り込みをかけるような内容だった。肝座ってるなと他人事のように感心すると同時に、なんて血なまぐさい現場に足を踏み入れてしまったんだろうと戦慄した。
比良と漆原の様子も見てみる。比良は悠然と机の上で手を組んで、時折頷いたりしながら谷川の話に耳を傾けていた。漆原は背筋をピンと伸ばした端然とした姿勢で、涼し気な表情を崩すことなく谷川の眼光を受け流している。両者ともに、萎縮する様子もなければ取り乱す様子もない。かと言って激昂するようなこともない。あくまで泰然と構えたままだ。こいつらのメンタルどうなってんだ、と胸中で畏敬の念を覚えた。
以上です、と谷川が結びの言葉を口にした瞬間に、司会のセットしていたタイマーが鳴り響いた。五分ピッタリ。最後に方に駆け足になったりすることもなく、喋るペースは常に一定で聞き取りやすかった。事前に何度も練習を積んだ、その成果なのだろう。
補佐役の生徒がマイクを回収する。質問、反論のパートへと入る。蓮からの指示で、私は余程のことがない限り沈黙を保っていることになっていた。即興で粗雑な意見を言ってボロが出てはいけないから、とのことだ。沈黙は金。私としては、すこぶるありがたい戦略だった。
「反論と質問、いいですか」
漆原が右手を挙げる。補佐役からマイクを受け取ると、漆原は冷めた口調で整然と語った。
「生徒会役員の選出が世襲制になっているとのことですが、その指摘は些か牽強付会だと思います。毎年行われる生徒会選挙そのものに不平等はないわけですから。ただ単に選挙の結果、前年度に生徒会役員に選ばれた人物が会長と副会長に就任しているだけでしょう。それは世襲制と言うには及びません。その傾向がある事自体は否定しませんが、前年度の生徒会役員以外の人物が会長や副会長となった事例もないわけではありません。実際、十一年前はそうでした。現行の生徒会役員の選出制度にそれほどの問題があるとは、私には思えません。ここまでが反論で、ここからは質問に変わります。谷川さんのマニフェストの主題は、生徒会の選挙制度の改革だったわけですが、その他の点については何か意見がおありですか? 学校行事の運営方針だとか、学校生活の問題点の改善などについては、どのようにお考えでしょう」
漆原がマイクを置いた。谷川の顔があからさまに硬直する。意見があるのはあくまでも選挙制度のことだけで、他の部分に関しては考えなしだったのだろう。補佐役からマイクを渡されたものの、えっと、と口ごもりながら目を泳がせるばかり。先程の威勢はどこへやら、だった。
容赦の無さ、舌鋒の鋭さで言えば、漆原は蓮といい勝負だった。谷川に対してでさえこうなのだから、恨みを募らせているであろう私には、それはもう拷問かってくらい苛烈で過激な反論が飛んでくるに違いない。薄まったはずの緊張が、矢庭に息を吹き返してきた。気持ちの悪い冷や汗が、背中をつぅ、と伝い落ちていくのを感じた。
「谷川さんへの質問、反論は他にないようなので、次の候補者の方に移らせていただきます」
知らぬ間に谷川の回答時間は終了していたようで、私の番が回ってくる。
ミュートにしていたマイクを入れて、はい、と返事をする。カメラの位置とモニターの位置は別だから、皆がじっと私を見つめてくることはない。でも、私の一挙手一投足に注目が集まっているともなると、どちらにせよ緊張感に押し潰されそうになるのは、避けられない。
そのとき、画面上の映像が一瞬にして切り替わる。映るのは真顔の蓮だった。
……よかった。急なお願いではあったけど、なんとかしてくれたんだ。狙い通り、張り詰めていた精神が徐々に弛緩していくのを感じる。さっきのやり取りが頭の中に蘇る。笑わないでくださいね、か。いやいや笑うわけないじゃん。ただちょっと安心しただけで。
「っ、ふ、くふ、……ゲッホ! ゲホゲホッ!」やべぇ吹いた。慌てて咳して誤魔化した。
「……んん。し、失礼しました。ちょっと、風邪気味で」
他の候補者がどんな顔をしているのかは知らない。が、蓮はあからさまな憤怒の形相で私を睨みつけていた。いやだからそういうイレギュラーな表情されると余計に笑いがこみ上げてくるんだけ――「んん、ゲ、ゲホゲホ、ゲホ……ッ!」マズい。これ以上笑ったらあとで蓮からどんな仕打ちを受けるかわかったもんじゃない。深呼吸して、どうにか気持ちを落ち着ける。
「ええと、大丈夫ですか、青井さん。始めてもよろしいですか?」
「あ、はい、問題ありません。ごめんなさい、進行を遮ってしまって」
「いえ、お気になさらず。――それでは、始めて下さい」
ピ、とタイマーの音が鳴って、私の番の開始を告げる。
画面の中の蓮は、全くとでも言いたげに傲然と両腕を組んでいた。だけどその顔つきは思いの外、柔らかだった。ちょっとした事故はあったものの、おかげで緊張は粗方飛んでいた。
すぅ、と息を吸い込む。いつも通り蓮の顔を見据えながら、暗記している原稿を声に出す。
「中一の頃、私は体育祭が嫌いでした。文化祭も面倒くさく思っていたし、合唱祭も好きではありませんでした。そもそも学校という空間そのものが、私にはそれほど居心地のいいものではありませんでした。だからこそ翌年度以降、コロナでありとあらゆる学校行事が次から次へと中止になったり、登校が禁止されてオンライン授業に切り替わったりしたのが、逆にありがたく感じられました。――では、ここで一つ質問をします。皆さんは、今の私の発言を訊いて、どう感じましたか? 不適切なものだ、と憤慨したでしょうか。この学校のみならず世間の多くの中高生たちが、コロナによって豊かな学校生活を送る権利を奪われて、辛い思いをしてきました。それを鑑みれば先程の私の発言は、品の欠いたものだったかも知れません。ですが、考えてもみて下さい。皆で和気藹々とイベントに興じたり、学校に集まるのを好む人がいる一方で、一人でいること、学校を苦手に思う人がいるのも自然なことです。それは単に、生まれ持った性格の違いというだけで、その間に貴賤や優劣はないはずです」
一拍開けて、声音を少し改めてから、それなのに、と逆説の接続詞を挟む。
「学校生活への参加に消極的な発言をすることは、往々にして不適切だと見做されてしまいます。あたかも、学校に対して後ろ向きな感情を抱くことが、悪であるかのように。私はこれが差別的な認識であり、その差別の極点にいる存在が不登校だと考えています。そしてこの差別は、単なる意識上での問題だけにとどまりません。より根深く、実害のあるものなのです。これを見て下さい。こちらは私の、昨年度の数学のテストの結果です」
言うと同時に、画面共有を開始する。蓮のカメラ映像の代わりに、スキャンしたテストの解答用紙の画像が映る。隣には、数学の欄以外を黒塗りにした通知表の画像も表示してある。
「どの回も概ね九割は取っていますし、八十点を割った回は一度もありませんでした。だというのに評定における点数は四十五点と、平均を大幅に下回るものでした。テストの他、毎週課されているプリントもきちんと提出しているにも拘わらず、です。私はこれを不当な評価だと認識しています。登校しなければ必要最低限の教育が成し得ないというのなら、登校せずともそれが可能となるよう、環境を整えていくべきなのです。そのための改革を推し進めるのは、学校側の義務であると言えるでしょう。だというのに、生徒はすべからく登校して授業を受けるべき、という固定観念があるせいで、今のような甚だ不平等な成績評価が横行している。私は一人の不登校として、不登校の生徒への格差是正を積極的に学校側に訴えていきます。そしてその一環として、まずは生徒会における不登校の生徒の権利回復を行いたい」
また別の画像を画面に映す。今度はスキャンした画像ではなく、元々電子ファイルだった文書にマーカーで赤線を引いたものだ。
「さて。前年度から、新しい教育指導要領が適応されました。第五章、特別活動の項における目標の欄においては、『多様な他者と協働する』という記述がなされています。学習指導要領において、生徒会活動は特別活動の一つに位置づけられていますので、この記述は当然、生徒会にも適用されます。そしてまた、多様な他者の枠組みには不登校の生徒も含まれるはずです。にも拘わらず、現状の生徒会の体制は不登校の生徒の参入が想定されてないのです。これは不登校の生徒への差別であると同時に、国の定める教育方針にも明確に反しています――!」
あの日、蓮がバイト先に持参した大量の文書。それは文科省が配布している学習指導要領および、学習指導要領解説だった。私たちはそのほぼ全ての記述に目を通し、主張を補強できそうなパートを血眼になって探しだした。当然、退屈極まりなかった。読みながら何度、あくびを噛み殺したかわからない。しかし少しでも読む速度を緩めると、蓮から「コーヒー飲んでるくせしてなに寝てんですか舐めてるんですか」と苦言を呈された。それ故、一時たりとも気を緩めることなど叶わなかった。
あの精神修行にも似た苦痛に満ちた時間を思えば、自然と弁舌に熱も入ろうというもの。
その他にも文科省の公表した資料を適宜引用しつつ、私は自らの主張の正当性を訴えた。
「――このようにして、現在の高校の教育制度および生徒会の体制が、不登校の生徒の権利を不当に侵害したものであると指摘します。繰り返しになりますが、私が求めるのは不登校の生徒への待遇改善です。その改革の嚆矢とするべく、私は本校の生徒会に革命を起こします。校内初の、そして恐らくは日本初の不登校生徒会役員として、これまでにない形の生徒会を作っていけたらと考えています」
以上です、と言った瞬間、手元の時計で五分が経過。同時にタイマーの音もなる。
画面共有を切ると、再び蓮の姿が画面に表示される。どうだった、かな。最初のゴタゴタを除けば特にミスなくできたけど、少しばかり不安になる。蓮はそんな私の胸中を察してか、良かったですよ、と言うかのように頷いた。満足げな表情だった。それを見て、ホッと胸を撫でおろす。蓮の期待に答えられた。そのことが何よりも、嬉しい。
画面が三人称視点のものへと切り替わる。既に質問、反論を募集するパートに入っていた。
「二つ、質問いいかしら」
すっと右腕を上げたのは、言うまでもなく漆原である。
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