修羅場の後の決起集会2
私と蓮は、思わず顔を見合わせる。ヤバくないですか今の? うんヤバいね今の。と、アイコンタクトだけで、焦りの感情を滞りなく共有する。
でも、どうして急にそんなこと。いつもは黙認してくれていたのに。今日は流石に騒ぎすぎた? 注文を取りさえせずに話し込んでしまったから? 単純に、堪忍袋の緒が切れた?
混乱する私達を他所に、店長が再びカウンターへと戻ってきた。ほら、とオレンジジュースの入ったグラスを蓮の目の前へと置いた。行動の意図が読めず、私と蓮は再度顔を見合わせた。
「……あの。これは、どういう? 私はもう、客じゃないんじゃ。というか、コーヒー以外は置いてないんじゃ」
「そうだ。うちはコーヒーしかやってない。コーヒー以外の飲み物を提供するのは、うちの方針に反する。だが、相手が客じゃないとなれば話は別だ。嬢ちゃんは、コーヒーを飲みに来てるんじゃなく、うちのバイトに会いに来てるんだろ。なら、それはうちの客じゃない」
ぶっきらぼうに、でもどこか気恥ずかしそうにそっぽを向きながら店長が言う。蓮はしばし唖然としていたけれど、ありがとうございます、と頭を下げた。私も続いてお礼を言った。
「言っておくが、お題はいらねぇからな。嬢ちゃんは客じゃないんだから。ああ、そうだ。折角だから、青井にはコーヒー淹れてやる。次からは自分で淹れろ。今日は特別ってことでいい」
「え? 私もですか? あ、ありがとうございます。何から何まで」
ん、と反応を返したきり、マスターは黙々とコーヒーを淹れ始めた。焙煎された豆の、芳しく上品な香りが店内にふわりと漂う。
そんなわけで私と蓮は、店長の粋な計らいによりティータイムと洒落込むことになった。
「意外といい人ですね、店長」
「うん、まあ。……廃業せずに私を雇い続けてくれてるくらいだしね」
ぽつりぽつりと言葉を交わしながら、差し向かいでちびちびとコーヒーを飲む。
「短いな、なんか」蓮が珍しくぼうっとした表情で、呟いた。「何が?」と訊ね返すと。
「いや。私と先輩って出会ってからまだ二ヶ月も経ってないんだなって。なんか、既に一年くらいは一緒にいる気分でした」
「ああ、それは同感。過ごした時間が濃密だったせいかな」
「でしょうね。でも、こんなふうに二人きりで話してると、何だか選挙の話が出てくる前に帰ったみたいですね。懐かしいな。……というか先輩って、コーヒー、ブラックで飲むんですね」
「まあね。甘いのも嫌いじゃないけど、基本はブラック」
「私、苦いのが美味しいって感覚が、未だによくわからないんですよねぇ。ピーマンとかも好きじゃないし」
「え? ピーマンも駄目なの? 美味しいのに」
「流石に食べられなくはないですけど、好きではないです。でもそれって、自然のことだと思うんです。だって苦味って、元々は毒物を見分けるためのセンサーとして発達したわけじゃないですか。つまり、本来なら忌避されて然るべき味なんです。それを美味しいと感じるなんて、生存戦略的におかしいっていうか――」
カラン、と。グラスの中の氷が溶けて、バランスを崩して音を鳴らした。
あ、と小さく声を漏らすと、蓮は右の拳を口元に当てて小難しげな顔をし始める。
「蓮? どうしたの、急に黙って」
「い、いえ、その……。なんか、私ばっかり喋っちゃってるな、と」
「いや、全然いいよ。私、口下手だからさ。こういう雑談みたいなのって、得意じゃなくて。むしろ蓮から話題振って喋ってくれたほうが、ありがたい」
「……先輩が相手だと、知らぬ間に色々くっちゃべっちゃうんですよね」
「そう? 単に、蓮がお喋りなだけじゃなくって?」
「そ、それもあるかも、知れませんけど……」
軽く茶化してみると、蓮は気恥ずかしそうに目を伏せた。普段が普段なだけに、こういう仕草を目にすると、不意打ちだからか、可愛いなとか思ってしまって――
ふと冷静になる。……いや、なに恥ずかしいこと考えてるんだ、私は。
顔を軽く伏せ、髪の毛で頬を隠しながら深呼吸。よし、少し落ち着いた。内心を悟られないように自然体でいよう、と意識する。でも、プリインストールされていたはずの自然は、意識して掬い上げようとすると、たちまち指の隙間からはらはらとこぼれてしまって、形を保てずに壊れてしまう。あれ。私って普段、どんな顔つきをしているんだったっけ。唇はどんな角度? 目つきはどんな? 声は? 目線は? 手のひらの置き方は?
考えれば考えるほどわからなくなってきて、一人で勝手にあわあわと狼狽えて、取り乱して。
「そうだ。たまには先輩の話をしましょう、先輩の」
「え? 私の話? まあ、別にいいけど……」
ドキリとしたけど、ホッとする。話を振ってくれるのであれば、そっちに意識を向けておけば大丈夫だから。……いやでも。こいつ今、私の話をするって言った? 話って、どんな。照れ臭いというか、生殺しにされたような心持ちになって、やっぱりちょっと落ち着かない。
「先輩、さっき私の方針に異を唱えたじゃないですか。あれ、ちょっと意外でした」
「さっきって、音声データの件のこと?」
「そうです。あ、でも、別に文句を言っているわけじゃないですよ。それについてはもう、納得してるので。ただ、先輩ってあんまり、選挙に乗り気じゃないみたいだったから。方針とかは、全部私に丸投げしてくるものだとばかり思ってました」
「……蓮に全権を委ねるとどんな修羅場に連れて行かれるか、わかったもんじゃないから」
「ちょっと。それ、どういう意味ですか?」
心外だと言わんばかりに、キュッと眉間に皺寄せする蓮。冗談だよと謝りながらも、確かに意外だな、と頭の片隅で考えを巡らせる。
シンプルに間違っていると思ったからでもある。変にことを荒立てるのが嫌だった、というのもある。だけど、蓮に対してここまでちゃんと意見したのは、あれが初めてのことだった。
蓮が唐突に、そうだ、と声を出す。何かを思い出したかのような調子だった。思考を切り上げて、どうかしたのかと話を振ると。
「私達、決起集会みたいなのやってないよなって。折角だし、今ここで乾杯でもしませんか?」
ああ、言われてみれば。面子は私と蓮の二人だし、今更感が満載のような気もするけれど、断る理由もない。いいよ、と素直に首肯して、片手でカップを持ち上げる。コーヒーカップで乾杯なんて変だなと思いながらも、やめる気にはならない。
「それじゃ、生徒会選挙で勝利目指して、共に頑張りましょう、夢先輩!」
「ん、よろしくね、蓮。やるだけはやってみよう」
キン、と。グラスとカップが甲高い音を短く鳴らす。
取手を握る指の関節が、蓮の指先に微かに触れた。
ビク、と肩が素早く揺れる。慌ててカップに唇をつけ、こぼれる前に口の中へと流し込む。
「……冷た」
「は? 先輩、何言ってるんですか? それ、ホットコーヒーですよね」
胡乱げに小首を傾げる蓮。冷たいのは、コーヒーじゃなくて蓮の指先の方だよ。素直にそう答えるのが、なんだかやけに照れくさくって、「言い間違えた」とお茶を濁した。
「なんですか、それ」蓮がクツクツと、口元に手を当てながら、笑う。
その指先を、何故だか直視することができなくて、私はサッと顔を俯けた。
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