修羅場の後の決起集会1

「あのさ。聞いたんだけど、ポスターのこと」

「あれ、もう知ってるんだ。今日、伝えようと思ってたから丁度よかったです」

 時は、先生と別れてから二時間後。場所は例によって例の如く、バイト先の喫茶店。

 ドア上部の錆びついたベルが鳴り、蓮が入店してくるや否や、私は会話の主導権を握るべく塵芥ほどの勇気を掻き集め、己を鼓舞し、詰問口調で蓮にそう問いかけた。

 にも拘らず蓮は、説明の手間が省けました、と悪びれることなく口にして、席についた、

 私は言葉を失った。そして猛省した。こいつに正常な倫理観を求めた私の方が馬鹿だった。

「……あのさ。あれは、流石にマズいと思うんだけど」

「え、マズい? どこがですか。ただ単に先輩の名前と、端的なマニフェストと、ウェブページへのQRコードを貼り付けただけじゃないですか」

「だから、そのQRのリンク先に問題があるんだって……!」

 山口先生に見せられた掲示物の画像は、一見すると選挙ポスターには到底見えなかった。私の名前と、「不登校の生徒の権利回復を目指します」というワンフレーズのマニュフェストが白黒で記されているだけの、シンプルすぎる選挙ポスター。だが異様なのは、その下に謎のQRコードがデカデカと印刷されていることだ。

 QRコードを読み込んでサイトに飛ぶと、これまた至って簡素なデザインのウェブページが現れた。テキストがいくつかと、音声データが埋め込まれているのみ。

 音声データ。その時点で、嫌な予感がした。嫌な予感しかしなかった。恐る恐る再生ボタンをタップしてみたところ、案の定だった。流れてきたのは説明会のときの口論の録音だった。音声には多少の加工が施されてはいるものの、勘のいい生徒なら漆原だと気づけそうなレベルのものだ。個人の特定が不可能となるほどの加工ではなかった。漆原の発言は、不登校の生徒に対する差別的発言の例という名目で、要所要所が切り取られていた。各音声の再生ボタンの下には、その発言に対する反論が慇懃無礼な文体で長々と記述されていた。

 幾つか例を上げる。「冗談半分で立候補して、管理委員の仕事を云々」という音声の下には、「これは明らかに不登校の生徒への差別である。立候補希望者が不登校であるという事実のみから、何の論理的根拠もなしに冗談半分であると決めつけて誹謗中傷するのは、極めて悪質な差別的行為であると指摘せざるを得ず、断固抗議する。また管理委員に関しても、全ての立候補者が健全かつ十全な選挙活動を行えるよう務めるのが仕事なのであり、不登校の生徒に対して選挙活動を行う権利が与えられないというようなことがあってはならない。従って、発言者の指摘は甚だ的外れなものであると言わざるを得ない」という文章が、「学校にも来ていない生徒が運営に参画しようだなんて云々」という音声の下には、「これは明らかに不登校の生徒への差別である。不登校であっても学校の一生徒であることには変わりなく、生徒間の意思決定の場から不登校の生徒を排除しようとする思想は、極めて悪質な差別的行為であると指摘せざるを得ず、断固抗議する。またこの人物は不登校の生徒の立候補をおかしいと評していたが、これこそまさに生徒間の意思決定の場から不登校の生徒が暗黙の内に排除され、不当な取り扱いを受けてきた歴史的事実の証左である」という文章が、それぞれ書き綴られていた。

 文体が固いので慇懃な文章のように見えるけど、要するに「てめぇの発言は全部差別じゃふざけんなゴラァ」をオブラートに包んでいるだけである。

 私は自分のスマホでそのページへとアクセスし、蓮の眼前に突きつけながら、言う。

「これ、あからさまに漆原に喧嘩売ってるよね。ムカついたからって、なんでわざわざ火に油を注ぐような真似するかなぁ。絶対目つけられたじゃん……!」

 カウンターの上に力なく突っ伏して、あー、と鬱々とした呻き声を上げる私。

「この前の一件で顔覚えられてるだろうし、すれ違ったらガンつけられそうで怖いなぁ……。今までの比じゃないくらい登校したくなくなってきた……」

「丁度いいじゃないですか。私たちは、学校に行かずとも正当な教育と評価を受けられて、進級も卒業もできるようにするために戦うんですから」

 言動一致ですよ、と飄々と嘯く蓮。あくまで悪びれないスタイルらしい。何が何でも意志を貫くその姿勢には感心するけど、貫かれる側としては出血大サービスどころの話じゃない。

「というか、なんで前もって説明してくれなかったわけ」

「だって、言ったら嫌がるかなって」

「わかってて強攻したのかよ」お前人の心あるか?

「でも私、あのとき言いましたよね。この素材は有効活用させて頂くって」

「だからって昨日の今日で出てくるとは思わないでしょ」

「出てきますよ。ネタは鮮度が命ですから。プチ炎上させてこんがり炙れば二度美味しい」

 指でピースサインを作り、カニみたいにカチカチしてみせる蓮。煽ってんのかこいつ――って、いや待て、今聞き捨てならない台詞が口走られた気がするんだけど。

「……炎上、してるわけ?」

「まあ、概ねそんな感じです。全体の一割ほどが少々過敏な反応をしていて、七割が面白いことになりそうだと傍観を決め込んでいて、残りの二割は我関せず、といったところですかね」

 蓮の言葉を信じるのなら、全生徒から尽くぶっ叩かれているわけではないらしい。校内に足を踏み入れようものなら、たちまち四方八方から石礫が飛来して追い返される、といった構図をイメージしていたのだけど、そこまでの事態には陥ってないようだ。少しだけ安堵する。

「どうやら先輩は、私のやり口に不満がお持ちのようですね。言っておきますけど、これは単なる意趣返し、嫌がらせの類じゃありませんからね。れっきとした選挙戦略なんです。――一つ訊ねますが。選挙に勝つために最も大切ものは、何だと思います?」

「何って、そりゃ、政策とか有権者からの信頼とかじゃないの?」

「確かにそれも大事です。でも、最重要事項ではありません。選挙において真っ先に獲得しなければならないもの。それは知名度です。言っちゃなんですが、大半の生徒にとって生徒会選挙なんて、一学期最終日の帰りを遅らせるだけの目障りなイベントでしかありません。つまりは興味関心がない。だからろくすっぽ吟味もせずに、思考停止で最も無難な候補に票を投じる。この際はっきり言いますが、真っ向から勝負したところでで、私達に勝ちの目は万に一つも存在しません。どうにかして選挙への関心を強め、かつ先輩の存在を認知してもらわないことには、スタートラインにすら立てないんです」

「……それで、ああいう扇状的な手段に打って出た、ってわけ?」

「はい。約束しましたから。先輩のこと勝たせるって。なら、手段なんか選んでいられない」

 真っ直ぐに私の瞳を見据えつつ、揺るぎない声で宣言してみせる蓮。

 ……言いたいことは、わからなくもない。

 私達にとってこの選挙は背水の陣であり、乾坤一擲の大勝負であり、天下分け目の決戦なのだ。選挙に負ければ私は学校への在籍が難しくなるし、蓮は今後三年間の高校生活が居心地の悪いものになる。つまるところ、私と蓮は一蓮托生。運命共同体なわけである。

 死なばもろとも、とも言う。

 まあ言い方は色々あるけど、とにかく私達には後がなく、状況は考えるまでもなく最悪だった。となると、多少の強行的な作戦はやむを得ない、という理屈。

「さて、話の続きです。先輩のことを認知させるのが重要だというのは先程も説明した通りですが、その上で肝要なのはキャラ立ちです。結論から言ってしまえば、私は先輩を既存権力に楯突く反逆者という人物像で売り出そうと思っています。水戸黄門然り、なろう系然り、古来より日本人は成り上がりに強い魅力を覚えます。不登校が不当に下に見られがちだというのなら、それを逆手に取れば良い。生徒会という既存勢力を破壊するために狼煙を上げた、孤高にして勇壮なる反逆者。そういう触れ込みで売り込むんです。挑発的な行動を敢えて取ったのは、そのためです。キャラ付けは初登場が重要ですから」

 つまりあのポスターは、一石二鳥どころか一石三鳥ということか。選挙への興味関心を集め、私の存在を全校生に認知させ、なおかつ反逆者としてのキャラ立てをする。確かに勝ちへの布石としては、これ以上ないってくらい有効な一手に見える。けど、それはそれとして。

「……実情とはかけ離れたキャラにするのも、危険じゃない? 化けの皮が剥がれるってことも、あるだろうし」

「尤もな懸念ではあります。しかしここで、先輩の不登校というファクターが効果を発揮するんです。説明会のときのように、私たちは原則としてオンラインで活動を行います。つまり、生徒との不慮の接触を防げるんです。気を抜いたところを見られてキャラクターが崩壊する、といった事故が起こる可能性は低いかと」

 的確な指摘に、私は反論の術を失う。顔を伏せながら、黙念と考える。

 正直、自分を大きく偽ることには抵抗がある。だって、蓮が創造しようとしている私の偶像は、どちらかというと蓮に近いものなのだ。物理的距離という防護壁があるとはいえ、本来の性格とは対極に位置する自分を演じるような真似が、果たして上手くいくのだろうか。胸中には不安しかない。絶対いつか破綻する、とさえ思う。

 だけど、一方でこうも思う。ありのままの私として振る舞ったところで、誰も支持してはくれないだろうな、と。社交性、気骨、リーダーシップ。生徒会役員に必要であろう要素が尽く抜け落ちた私に対し、学校の未来を託したいだなんて考える輩がいるとすれば、意図的に学校秩序の崩壊を目論む、厨二病を拗らせまくったニヒリストとアナーキストだけだろう。

 山口先生は言っていた。才能なんて鋏みたいなもの。つまりは使い方次第。だけどどれだけ頭を捻ろうが、選挙活動に有効利用できそうな資質なんて、私には持ち合わせがない。なら、偽るより他はない。飾って、装って、謀って、蓮のプロデュースする通りの自分をどうにか演じて、錯覚させる以外に道はない。そうでもしなきゃ、勝ちの目は一つもない。

 私たちは負けられない。いや、最悪私は負けたっていい。通信制へと逃げ込めばいいだけだから。でも、この泥舟に乗っているのは私だけじゃない。無謀で無遠慮で向こう見ずな船頭が同乗している。だから、どうしても負けたくない。故に、覚悟を決めるしかない。

 その覚悟は、あのときのように後ろ向きなものじゃない。死地に赴くための覚悟だ。後には引けない。逃げ道はない。だからひたすら、丘の頂き目指して突き進むより、他はない。

 そのための、覚悟。共倒れるか、頂上で馬鹿笑いするか。あまりに無謀な、二者択一。

 はぁ、と長ったらしいため息を吐く。額に手のひらを当てながら、私はこう答えた。

「……わかった。キャラ付けの件に関しては、それでいい。方針についても、基本的には蓮の策に従うよ」

 わかってくれましたか、と蓮が軽く頬を緩める。

 だけど私は一拍置いて、幾度かの逡巡を挟さんだ後に、切り出した。

「でも、あのサイトはどうにかしてよ。最低でも音声は消そう。あれじゃ、漆原が気の毒だよ」

「――っ、は、はぁ⁉」両目をガッと見開いて、獲物に飛びかかる肉食獣の如き勢いで蓮が身を乗り出した。「先輩、話聞いてましたか⁉ そんなの駄目に決まってるでしょ! 折角、反逆者としての印象を植え付けたのに、今ここで融和路線に変更したら確実にキャラがぶれます!」

「だけど……それで肩身の狭い思いをするのは、漆原でしょ。私だって、あいつにはムカついたよ。でも、だからって、漆原の学校生活が脅かされるようなことをするのは、違うと思う」

「そんなの自業自得です! 大体、わかってるんですか? 選挙でぶっちぎりの一位になるのは比良先輩です。生徒からの信頼の厚さを鑑みれば、これは確定事項です。あの人に太刀打ちはできません。となると夢先輩は、漆原先輩と二位争いをすることになるんです。ライバルの人気を落とすための千載一遇のチャンスを、みすみす不意にするつもりですか?」

 蓮は相変わらず威勢よく、意気軒昂と私への反論と漆原への反感を口にする。勢いに飲まれそうになったし、切り返しで反駁することも出来なかった。けど私はそれでも、わかったと首を縦に振ることは出来なかった。押し黙りながら曖昧に目を逸らすことしか、出来ずにいた。

 暖簾に腕押しの徒労感を覚えてか、蓮が一度、身を引いた。ふぅ、と小さく息を吐き出すと。

「……何故ですか。なんで先輩が、あいつのために気を使ってやらなきゃいけないんです。だって悪いのはあいつでしょう? 先輩は自らの正当性を主張して、堂々としてればいいんです」

 心底解せないとばかりに言って、蓮は一旦言葉を切った。じろ、と。試すような目線を私へと向けてくる。それきり何も喋らない。私が何か語りだすのを、待っているらしかった。

 十秒ほど沈思して、どうにか頭の中で考えを纏めてから、私は口を開いた。

「だって、私たちは不登校の生徒のため、っていう触れ込みで戦うわけでしょ? なら、ともすれば個人を不登校に追い込んでしまう危険のあることをするのは、どうなのかなって」

 思い当たる節があったのか、それは、と蓮が言い淀む。その様子に軽く愁眉を開きつつ、私はゆっくりと胸の中から言葉を探して、頭の中で組み上げて、喉を震わせて声にしていく。

「私達がしているのは選挙活動であって、告発ではないよね。不登校の生徒はこういう偏見を抱かれていて、こういう困難が存在していて、だけどそれはおかしいだろって、皆に伝える。目的は、あくまでそこでしょ。知名度の件だったけど、もう充分集まったんじゃない? それに私は、――こういう炎上商法じみたことをする候補に、票を入れたいとは思わないから」

 沈黙が舞い降りる。顔を伏せながら、蓮の様子をさり気なく観察する。蓮はしばらく思案顔で黙り込んでいたけれど、わかりました、と結局は小さく頷いた。

「家に帰ったら、音声は削除しておきます。でも、発言そのものは文字に起こして残しておきます。人物を特定できない形での公表なら、先輩もかまわないでしょう? ……本当は、あっちからレスポンスがあるまで続けるつもりだったんですけどね」

「ありがとう、蓮。ごめんね、色々と考えてくれてたのに」

「いえ。あくまでも私は応援人ですから。先輩の信念に反する行いはしません。でもまあ、今更遅いとは思いますよ。既にあれが漆原先輩だっていう噂は、広まっているわけですし」

「それでも、やらないよりかはマシだよ。誠意くらいは示すべきだと思うから」

 誠意なんて形のないもの、現実には無用の長物でしかない。でも、形なきものである以上、場所を取ってじゃまになるということも、ないのだから。

 再度、沈黙が訪れる。なんとなく話を切り出しにくくて、次に出すべき話題が見当たらなくて、手持ち無沙汰になる。

 そのとき、キッチンから店長が出てきた。それでようやく思い出す。今日はまだオーダーを取っていなかった。蓮も気づいて、あ、と小さく声を漏らした。

「なあ嬢ちゃん。悪いけど――」

「ごめんなさい、コーヒーをお願いします」

「いや、悪いんだが嬢ちゃん、あんたはうちの客じゃない。だから、コーヒーは淹れられない」

 その一言に一瞬、場が氷つく。店長は落ち着いたトーンで、聞き違えようのないくらいはっきりと言った後、またキッチンの奥へと戻っていってしまった。

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