俺だけ見ていろ・4




 霧雨が降っていた。




 陽の光に透かされた淡い水気が町を覆う。道を歩く獣人の体毛をしっとりと湿らせて、エルフの耳に水滴を垂らす。


 外で立ち竦むには、肌着の湿気が煩わしく、かといって傘をさしても持ち手は軽いままで、その甲斐が無い。雨粒に打たれるのではなく、ただ濡れた靄に包まれるだけの、無抵抗で、退屈な時間。


 シンディ・ダイアモンドは、ヘルメス魔法学校の庭園の東屋で、一人、雨のなかに軟禁されていた。


 いつも通り、その辺りの男を顎で使って、傘でも持って来させれば良い。


 そうやって彼女は生きてきた。


 ほら今も、眼帯をしたヒューマーの男が、庭園に佇んでいる。


 このくらいなら動作もなく、シンディは少し集中するだけでこちらへ誘い出して、思いのまま操ることができる。


「……あれ」


 様子が違う。謹慎中、校長に掛けられた封印シール魔法はもうとっくに解除された筈だ。ここのところだって、失敗した試しは無かった。


 首を傾げて、シンディはもう一度その男に注視した。


 並みの獣人よりも上背が高く、体格は縦も横もスプライトである自分の倍はありそうだった。立ち込める水気の膜のせいで、隻眼であること以外、その相貌を窺い知ることはできない。


 シンディは自然と東屋から駆け出した。此処に蜃気楼はない。ならそこにあるのは真実だけだ。自慢のアッシュブラウンの巻き髪が崩れるのも気にせず、ただ追い続けた。早くこの鼓動の正体を確かめねば。


 男子生徒のもとまでたどり着くと、努めて冷静に、シンディは訊ねた。


「……あなた、魅了チャームが効かないんだ」


 希望と絶望を抱いた。


 そうであってほしい。けれどもそうでなかった時が恐ろしいから、落胆させてほしい。期待などしたくはなかった。


 男子生徒がゆっくりと振り向いた。


「……オレは。目が一つしか、ないから」


「そういう問題?」


「色々。混ざってるからな。その手のは、効きにくい」


 男子生徒はシンディの顔が見える位置まで屈むと、眼帯を捲って、その下に眠る秘密を明らかにした。


 ――そうか。こんなところでアタシの魔法の唯一の弱点に気付くなんて。


 たしかに、この世界に、


「ふうん……」


 やはり見覚えは無かった。けれど、鏡のように合わせた瞳が答えを探し続ける。やめたいのに。なぜ彼がこんなにも、“綺麗に見えるの”。


 色素の薄い肌も、筋骨隆々の体躯も、ガラガラの声も、骨っぽい顔も、無造作に切りっぱなしの髪も。アタシとは何もかも違う。


 シンディが月からやってきた姫なら、この男は月夜に姿を変える狼のようだった。


「悔しいか?」


「全然。でも私の魅了チャームが全く効かなかった人は初めてだから……驚いちゃった」


「あんたの、強烈だからな」


 抑揚無く返されて、シンディは今までの行いを猛省した。


 アナタに会えると知っていたのなら、そんなことをしなかった。


「……私、呪術科三年のシンディ」


「降霊術科二年のエルヴィス」


 一学年下で、降霊術科。


 この学校の男はみんな私のオモチャだと思っていた。知らないオモチャは無いと思っていた。


 何故私は彼を知らなかったのだろう?そんな理不尽への怒りすら湧いた。


「エル……ヴィス……」


 噛み締めるように彼の名を呟くと、二人の真上だけに、色のない虹が浮かび上がった。きっとこの場所が花園なら、青い薔薇が咲いていた。


「雨、止んだぜ」


「ほんと……」


 二人でぼんやりと、天から降りる陽光の階段を見上げた。


「残念だったな」


 エルヴィスは喉をくつくつ鳴らせてニヒルに笑い、庭園から去ろうとする。


「ま、待って……!」


 シンディはその背中に全身で引っ付いて、無理矢理足を止めさせた。


「ね、ねぇ……アナタこそ、魔法を使ったんじゃ……ないの……?」


「魔法?」


 再びエルヴィスが、その身を屈めた。今度は跪いて、シンディを試すように、彼女の顎を指先で撫でた。


「アナタだって、わかるでしょ……?」


「ああ。分かる。分かるよ。……あんたがオレの――」




 魅了魔法『ヘップバーン』は、使い手を「性的対象」とした相手にのみ作用する。


 その為シンディは、自分の術にかかる人間を軽蔑していた。偽物の愛情など要らなかった。




 そして。


 遺伝子の病とも呪いとも言われる『人狼症』は、魔獣に化ける力を持ち、真の愛の力でその災いを取り除くことができるという。


 その為エルヴィスは、ずっと誰かを待っていた。本物の愛が欲しかった。




「きっと、奇跡ね」


「運命さ」


「そうだといいわ。アナタに会うまでのアタシが汚らわしいモノにならないように」


「今までの人生も、あんたに会う為のものだったのなら、勿体無いくらいだ。もう少し、苦労してやっても、良かったかもな」


「……馬鹿ね」




 この日少年と少女は、初めての恋を手に入れた。








.


.


.








 ――「ザラ・コペルニクスーッ!!」


「ぎゃーッ!シンディ・ダイアモンドーッ!?って、なんか乗ってるしー!!?」


 廊下でいきなり大声で名を呼ばれたと思ったら、いつぞやのビッ……女怪が現れたわ。しかも、妙に背の高いヒューマーの男の子の肩に乗って。何してるのこの人たち。


 咄嗟に隣に居たジークが私を庇って進み出るも、シンディからはあの時のような殺気は感じられない。


 むしろこっちが殺気立ちそうなほど、得意げにこちらを見下ろしていた。


「ふふん、アンタより先に彼氏作ってやったわよ」


 もしかして、あなたが乗ってる『それ』ですか。


「だ、だから何?彼氏なんて今までいくらでもいたでしょ?」


「違ァう!!!!!」


「なにが違うのよぉ」


 あまりのテンションの高さに怯んでしまう私だった。ジークを魅了したのもそうだけど、思いっきり雷浴びせちゃったこともあるし、ちょっと苦手なのよこのひと。


 しかし私のその態度が逆に彼女の嗜虐心を刺激したのか、シンディはより一層愉快に嗤って、肩を借りている『彼氏』に頬ずりした。


「カレは運命なの。アタシの最初で最後のダーリンなの。ねぇ~~~エルヴィス~~~♡♡♡」


「ああ、レディ」


「……」


 ジークが困惑した表情でこっちを伺っていた。何してんの、こいつ?と目が訴えている。


 私もわからないんだなあ、これが。あと小声で俺たちもやるか?って言ったな。無視しよう。


「オーッホッホ、その調子じゃどうせジークウェザーくんとも何も進んじゃいないんでしょ!」


「はあああ??」


 図星だけど、なんでそんなことでシンディに馬鹿にされなければならないのか。


 はっ。まさかこれが所謂※『マウンティング』……!?


(※マウンティング……女の子どうしが暖房の温度をどれだけ上がられるか競うエクストリームスポーツ。より違和感なく冷え性アピールをすることで女子ポイント(通称GP)を獲得していき、最終的に芸術点、技術点、構成点などの加点方式でより多くGPを稼いだ女性がそのコミュニティと呼ばれる六畳ほどのフィールド内での統率者となり、イジメからの回避、または日常で異性からいいね!を受け取ることが許される。非常に高度な心理的攻防を内包したゲームであるが、競技人口は世界中の女性の半数以上と、かなり多い。)


「シンディ・ダイアモンド。なにが目的だ。そんな笑い声のヤツ、現実で初めて見たぞ!」


 ジークが吼える。わかる。


「レディに文句あるのか」


 それに応じたのは、無表情でシンディといちゃつく『下の人』――こと、エルヴィス(?って、呼んでいたよね)。ジークと睨み合う。


 ていうか、聞き間違いじゃなければこの人、シンディのことレディって呼んだ。


 あ、もう、ツッコミどころが多いな。負けだな。


「フフ……今、ツッコんだら負けだな、って思ったでしょう」


 人の心を読まないでくださいませんか。


「そーよ、負けよ負け!アンタ達の負けよ、ザラ・コペルニクス、ジークウェザー・ハーゲンティ!!」


 どうやらこの間のことを根に持っているらしい。


 私達にぎゃふんと言わせたいがためだけに、貴重な教室移動の時間に私達をとっ捕まえて、自慢の彼氏のりものを見せびらかしに来た、と。


「ま、もうアンタのジークくんになんか、キョーミないんだけど。まぁだそんな男と手も繋げないなんて、お笑いねェ~!!ねえエルヴィス~♡」


「ああ、レディ」


 ――あ?


「エルヴィスのほうが、ンもう、なァ~~~ん千倍もカッコよくて優しくて頼りになるもんね~~~♡♡♡」


「レディにだけだ」


「やぁだもォ~~~~~!!」


 この女、雷じゃ懲りないみたいね。


「待てザラ、落ち着け。その顔は……可愛くない」


 ジークに注意されて、やっと自分の形相に気が付く。


 しかし、だからと言って黙っていられる女じゃなくってよ。


「聞き捨てならないんですけど」


「だ、か、らァ。アタシはエルヴィスっていう超~~~サイコーなが居るから、そこの雑魚爬虫類メンズは要らないって、言ったのォ~~~」


 言ったな。言ったわね。確かに受け取ったわ。


 私の身体の中で、青白い火花がバチバチと衝突し合っている。


「ふざけないでよ……」


 ジークのほうがかっこいいから。ジークのほうが優しいから。わかりきってることだけど?まあ、理解したところで渡しゃしないけど?


「いつか直接ケリつけてやるわよシンディ━━━━ッ!!」


「アーーッハッハッハ!!そうこなくっちゃねェ~~~!!その内仕掛けてやるから覚悟してなさ~~~~い!!」


 相変わらずエルヴィスくんに乗って去っていくシンディに、私は明確な敵意を覚えた。




 こうして、私とシンディの間には、ジークとエルヴィスにとっては全く理解の及ばない女同士の宿敵関係が成立したのであるッ。












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無限の少女と魔界の錬金術師 安藤源龍 @undo613

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