俺だけ見ていろ・3
数日後。
食堂の時と同じように、またしてもザラを連れたビビアンとすれ違う機会があった。
「あ」
空気が凍りかけた瞬間、誰よりも速く、ジークの脇に並んでいたキョウが動いた。
「――ビビ……!(俺は今、君の脳内に直接話しかけている……!ジークとザラちゃんを二人きりにするんだ……!)」
「――キョウさん……!(りょッス!!!!)」
魔物学科の先輩後輩が、数々の戦場を巡り鍛え上げてきた連携で、コンマの世界を縫って以心伝心。光の速さでアイコンタクトを交わし、ハイタッチ。ピシガシグッグと謎の擬音を発する複雑な合図で全ての作戦を伝達した。
「キョウさーん!今から組手しましょーよー!運動場空いてるみたいだしー!」
「いいねービビ!ネロも来るよね!?」
「あ?ハーゲンティが行くなら行ってやってもどっふぉ!!?」
察しの悪いネロにキョウ渾身のボディーブローが叩き込まれた。キョウはそのまま倒れたネロの足を持ち上げ、更に捻るように後ろへ回り込んでテキサスクローバーホールドを極めながら、怒りを顕にする。
「このシケモク太郎がァァ……!察しろや……!脳味噌のシワがそのケロイドに集約されとんのかぁ……!?」
「お、おごごご、放せてめえ゛え゛……!!オ゛ア゛ァ゛……!!」
「お前のそういう所がァ……去年くらいからちょいちょい嫌いなんだよォ……!!」
「ギ……ギブアップ……ギブアップ……!!」
ネロがタップするも、この場にレフェリーは居ない。関節が砕ける音が響き、ネロの意識は奈落の底へ落ちていった。
「何のつもりだ」
そっとキョウに耳打ちする。
「いやぁだって……」
「ザラが嫌がるやり方だ」
「えぇ〜……」
もうちょっと早く止めろよ、とネロが暗闇の世界で呟く。
実際、ザラがビビアンをつっついて、この場を離れようと催促していた。
(いかん。)
このままでは、いけないのではないのか。ジークの直感がそう告げた。
「……悪かった。気遣い、感謝する。けど、大丈夫だ」
ネロをロックしたままのキョウの肩を叩いて、ビビアンの警戒した目つきを通り過ぎて、ザラに向き合う。
「ザラ」
低く名前を呼び、逃げ出そうとする腕を引っつかんだ。
「なっ、なななんっ……私あのっ、用事あるし……またねっ!」
力を込めなかったせいか、慌てたザラにあっさりと腕を振りほどかれてしまう。
しかし、ジークはめげない。
――逃げるのか。
はっきりとした意志で以て、泳ぐザラの瞳を自分の瞳で捉えた。
ザラはこれに弱かった。ジークの黄金の双眸で射るように見つめられると、これだけで人を物言えぬ石に変えられるなら、魔法の存在すら嘘だと思えた。
「……」
じわり。
「……」
じわり。
ジークが一歩進むと、ザラが一歩退く。反発し合う磁石のように、二人の足並みは平行線上を無限に辿っていく。
次第にスピードが上がる。
カツ。カツ。
カツカツカツカツ。
加速したメトロノームのように、二人の均等な足音は拍車を掛けて激しくなっていった。
「なぁんで追いかけて来るのよおおぉっ!?」
「何となくだ!」
逃げられたら追う!獣の本能である!
「ジーク~いってらー」
「ザラー、あたし今日先に帰るかんねー」
「ああああビビアンの裏切り者おおぉ!!」
「ハーゲンティーッ!!俺と……俺と勝負しろぉぉ……!!」
三人を尻目に、ジークとザラは等間隔で廊下を駆け抜ける。とはいっても、さすがに全力で走れば危険なので、競歩レースのようにギリギリの時速で追いかけっこをしているのだが。
何せ隙のないジークである。その道のプロに見つかれば即大出世も夢ではないほどの美しいフォームで、その健脚っぷりを発揮していた。
「歩き方キモッ!!つーか速ッ!!アスリートかよ!!!!」
何故そんなことまでカバーしているのか。ジークの限界を知る者は誰もいない……。
だがザラも負けない。強化杖・キャスリングの恩恵を受けるようになった彼女は、もはや疲れ知らずである。底なしの魔力にモノを言わせて、遮二無二逃げ回った。
「あ、おかえりザラ」
「え、一周してきたの……?」
「ハーゲンティィィ……!!」
スタート地点まで一巡していたことに気が付くと、ザラは別棟へ続く渡り廊下へ方向転換した。
歩きVS歩きのシュールな対決はデッドヒート、決戦の場は研究棟に移ろうとしていた。
「すいませーん!その使い魔、捕まえてくださーいっ!!」
しかし、白熱した試合は意外な一声によって、無効化されてしまうのであった。
「しまっ――!」
「危な――!」
どこかの馴手科の生徒の使い魔だった。毛むくじゃらの生物が天井と床を交互に蹴りながら、ザラとジークのコース上に乱入してきたのだ。
おおかた制御に失敗して逃げ出されたのだろう。ヘルメス魔法学校、特に馴手科の生徒のあいだでは見慣れた光景だった。
魔導生命体はザラの溢れる魔力か、それともジークの魔族の気配に反応してか、目標を二人に定めると、空中で勢いよく回転し、まさに今スピンアタックを決めようというところだった。
ジークとザラは同時に互いを庇おうとして、しかし、僅かにザラが速かった。
「ぬぎゃっ」
ザラが、顔面でそれを受け止めた。
毛玉の弾丸を食らったザラが、鼻血を吹き出しながら尻餅をつこうとして――ジークがそれを横抱きで受け止めた。
「ザラ、大丈夫か!?」
「ら、らいじょぶ……」
ジークが肩を揺さぶったが、明らかに目が回っていた。ザラの頭の上で飛び交うヒヨコを見る限り、混乱や昏倒のエンチャントを付与された使い魔だったらしい。
「ごめんなさいごめんなさい!あいつ捕まえたら、必ずお詫びしますーっ!!ほんとにすみませーんっ!!」
「あ、おい……!」
先ほどの声の主が後ろから現れ、すぐさまバウンドしながら中庭へ消えていく使い魔を追って去っていった。
とりあえずジークは、ザラにハンカチを渡して、腕を引き上げた。
「立てるか」
「う~ん……」
どうにも意識がハッキリしないらしい。
「……後で怒るなよ」
それだけ告げて、ジークはそのままザラを抱き上げた。所謂お姫様抱っこである。
「ちょちょちょっっっ……!!待って待って、何なの、いいから、降ーろーしーてー!!」
ジークとの急激な接近で、火が付いたようにザラが覚醒した。
「念のため医務室に連れて行く」
「お、重いから~……っ!!」
「軽い。魔族を舐めるな」
幸い、ここから少し歩いて階下に出れば医務室がある。使い魔から何か他に影響を受けてないか確かめる為にも、早急にザラを診るべきだ、というジークの判断であった。
「ひえっ」
というザラの小さい叫びが、ジークの耳にひどくくすぐったく感じられた。
一方でザラは、鼻血を見られた羞恥と抱えられている照れくささで、例によってつま先まで熱に浮かされていた。
「わ、なんだあれ」
「どうしたんだろ」
通り過ぎる生徒たちが、奇異なものを見る目で、ザラを抱えたジークを訝しむ。
「っ……」
視線を受けたザラが顔を伏せるようにジークの服の襟にしがみついた。
そうだった。ザラは人に注目されるのが嫌いだ。否、特別扱いを嫌う。こんなに可憐で行動的なら、人目について当然だと思うのだが。どうにも本人はそれを理解していないらしかった。
「……気になるなら、俺だけ見ていろ」
「見ない……景色見る……」
ジークが鼻を鳴らして、得意げに笑った。
.
「何事も無くて良かった」
「う、うん……一応、ありがとう……」
ザラの顔に冷やしたタオルを宛てがう。覗き込むような姿勢になると、やはり視線を逸らされてしまうのであった。
仕方なく、ジークは、ベッドの上のザラの隣に腰を下ろした。医務室は静かなもので、ずらりと並んだベッドと薬品棚以外も、今はその役目が来るのをじっと待っているだけだった。
ベッドが軋んだ一瞬、あの眠たげな目で睨まれたような気がした。だが今度は、ザラは逃げ出そうとしない。ジークが試すように少し距離を詰めて座り直しても、何も反応しなかった。
二人の大腿が清潔なシーツの上に並ぶ。ジークの脚より肉っぽく薄ら赤い膝がきつく閉じているのが、ザラの憎めない意固地っぷりに似ていた。
「……私に、話したいこと、あった?」
不意にザラが重い口を開いた。
「……」
ジークは瞼を伏せて、返事の代わりにした。
用意していた筈の言葉の全てを口にするのは躊躇われた。身勝手な我が儘が動機になっていたのは間違いないが、女々しい言い訳が出来るほど世渡り上手でもないのがジークだった。
あの、とか、その、とか、皮切りにすれば良かったのだ。
俺の方こそ傲慢を捨てて、弱い顔を見せて、素直になればいい。嗚呼キミがいないと俺はてんで駄目なんだとみっともなく縋り付けば解決だ。イエスかノーか、答えは迷わずに済む。
「ごめんね、ジーク」
ザラが呟いた。それから、意を決したように、深く呼吸を繰り返した。
「私も……一歩、進もうと思うの」
「ほう?……やっと真面目に黒魔術を……?」
「そ、そっちじゃなくて!」
「?」
コホン、と咳払い。脇を締めた小振りな所作で胸に手を当てる姿が、年頃の少女よりも繊細で、ともすれば、つんとおすましした幼女の幼気ささえあった。
「ほんとは、さっ、最近……ジークの顔見ると、緊張しちゃって。えへへ」
そう言って、やっとはにかんで見せた。
「緊張?」
ジークの胸中に、マーニとグレンの言葉が過る。
“怯えられる恐怖”が、再び息を吹き返すのではないかと、柄にもなく自分の掌を握り締めた。
「だって、意識してるから……」
ザラが満足そうに、ジークの肩にぎこちなく寄りかかった。
「うん……」
ジークもまた、納得して微笑んだ。ザラの言葉を聞き逃さないよう、耳を澄ました。生徒の喧騒と、療術科棟のオルガン、風で揺れるカーテンの衣擦れも、頭の隅へ追いやった。
「だからそのっ……待ってて」
「……ああ」
「ぜったい、ぜったい、私から言うから!!」
ベッドが一層軋んで、ザラがシーツの海から飛び出した。
ザラの背中にかけるべき言葉は無かった。言うって何を。いつまで待てば良い。そんな無粋な台詞すら、不要だ。
ジークの選択肢はいつも決まっている。彼女が決めたのならそれで良かった。従うだけだ。常にザラ・コペルニクスにとって最も幸せな結果が訪れるように、ジークウェザー・ハーゲンティという魔族は、時に沈黙し、時に諌言し、時に導く。本当にそれでいいのかと問い続ける。
この人間の少女は、俺が傍で支えるのだ。
.
.
.
「俺が惚れたんだ!と私が惚れるから黙ってて!ってさぁ……横暴すぎない……?」
「まー、そういうイミでもお似合いじゃないスか……?」
「ぐぬぬ……ハーゲンティは……俺たちのだぞ……」
そして、キツネ頭とネコ耳と火傷顔が団子になってその光景を見ていた。
このあと三人はフェイスによって発見、ザラに通報されると、彼女に丸一日無視されたという。
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