第33話

 あの日から三日後に、幻海げんかいの居所が分かった。りんが果実を求め、山の山頂まで登った時のこと。幻海は沢の上流の脇にある大岩に座り、目を閉じていた。鈴はその光景に神々しいものを感じ、声はかけずに屋敷へ戻った。手にはしっかり果実を抱えて。


 さらに七日が過ぎた。鈴と銀は、二人だけの平和で穏やかな時間を過ごしていた。春から夏になろうとしている季節。木々の色も濃く、水はさらに輝き、小動物は銀と戯れる。季節が変わる。そして、鈴の身体にも変化が訪れていた。


 その日の夕暮れ、幻海のことが気になり、鈴は様子を見に行った。幻海の修行はいつまで続くのか? 本当に霞だけを食べて生きているのか。そこに興味があったのだ。

 幻海はやはり岩の上に座していた。あの時と変わらぬ位置。そして、同じ方向を向いたまま目を閉ざしていた。

「鈴。身体の具合はどうじゃ?」

 幻海は目を閉じたまま話しかけてきた。鈴の腹は、誰が見ても分かるほどに膨れ上がっている。子を宿したのだ。腹の子は紛れもなく鬼の子だ。その証拠に、十日でもうすでに臨月なのだから。

「幻海殿。目を瞑っていらっしゃるのに、どうしてお分かりでしょうか?」

 幻海が何かを言いかけた時、鈴の下腹部に強烈な痛みが襲いかかってきて、そのまま倒れ込んだ。

「むむっ。これはいかん」

 幻海は、大岩から宙を舞うようにゆらりと下り、鈴のそばについた。

「銀よ」

 幻海が名前を呼ぶと、銀は空高くから、まるで太陽の中からでも飛び出したかのように現れた。

「鈴、どうしたのだ?」

「産気づいたのだ。早く屋敷へ」

 銀は鈴を抱きかかえると、屋敷へと一飛びした。幻海は煙となり、屋敷へと流れるように戻っていく。


 屋敷の中では、鈴の悶え苦しむ声が絶え間なく続く。幻海がことの異常さに気付き、鈴の着物の前を開けた。その腹には、内側から押す手と足の形が見て取れた。その刹那、赤子の手の爪が、鈴の腹を裂いた。

「なんと!」

 その切り口を、赤子が二つの手で開き、頭を突き出してきた。その間も鈴は苦しみに耐えきれず、絶叫していた。

「爺さん、これはどういうことだ? あんたがいながら、どうにもならないのか? このままでは鈴は死んでしまう」

「……」

 幻海は、自らは出でようとしている赤子を、腹から引きずり出した。鈴は息も絶え絶えで、喘ぐように呻いている。

「銀。赤子を」

 そう言うと、幻海は鈴の腹に手を翳す。何やら白い靄のようなものがその手から出ている。鈴の腹はその靄に包まれ見えなくなった。鈴の寝かされている布団は、腹から流れ出た血をたっぷりと吸い込んでいる。これだけの血が身体から奪われてしまった鈴が助かるのか分からなかった。靄が幻海の手の中に戻るように消えていくと、鈴の腹の裂け目は塞がっていた。しかし、顔からは血の気が引いている。

「銀、わたくしの子は?」

 消え入りそうな声で鈴はそう言って、手を伸ばす。

「銀よ、赤子を産湯で洗ってやれ」

 銀は幻海に言われるまま、赤く血で汚れたそれを湯につけて洗った。

「これで包むのだ」

 幻海は、白く柔らかな布を銀に渡した。赤子を包むと、銀はそれを鈴の腕に抱かせた。

「ああ。わたくしの可愛い子」

 鈴は愛おしそうに抱きしめた。

「……角が一つ。やはりお前も鬼の子よ」

 そう言って鈴は微笑み、それから、軽く息をついた。赤子を抱くその手が力を失い、はたりと垂れる。

「鈴!」

 銀は、胸に抱かれた赤子を幻海へと投げつけ、鈴をひしと抱きしめた。その頬に唇を寄せ、頬擦りをする。白く、そして青ざめたその顔には、生気は感じられなかった。

「もう死んでおる」

「なぜだ! なぜ鈴が死なねばならないのだ」

 幻海は投げられた赤子を、抱きとめていた。その赤子に格子窓から月明かりが射し、その姿が露わになった。頭には小さな角が一つ、青い毛をかき分けて生えている。

「こやつは……」

 幻海には、それが誰の子か知れた。

「爺さん。鈴を生き返らせることはできないのか?」

「それはわしにも無理な事じゃ。こ奴を見よ。お前には酷だが、知らねばならぬ」

 銀は幻海の腕に抱かれているそれを見た。

蒼子そうしの子だな?」

 それきり何も言わず、鈴を抱え込んだ。

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