第29話

「まだ死ぬには早い。お前がそれくらいでくたばるほどやわでないことぐらい分かっているよ」

 蒼子そうしは血を浴びたその顔で薄く微笑む。それは妖しく耽美で冷たい。これこそまさに鬼。人を惑わすほどの美貌と艶めかしさは、血を浴びてさらに増す。銀はどれだけの血を流しただろう。人ならば死ぬところだが彼は鬼。胸を押えながらも凛として立っている。

「お前は血がよく似合う。美しいねぇ。もっと赤く染めてやろう」

 蒼子は血の色に狂ったのか、声は上ずり、卑しい笑いを漏らす。そして、血糊のついた爪を銀に向かって振った。それを銀は、胸を押えていた手で掴み、蒼子を見据える。蒼子はもう片方の手の爪で、銀の喉を斬りにかかる。銀は掴んでいた手を放し、蒼子の爪を躱しながらその腹を斬り裂く。蒼子の着物が横一文字に裂け、そこから白い肌が露わになり、一瞬赤い線が引かれた。血が赤い線を滲ませ、着物を染めていく。蒼子は風に包まれ、銀から少しの間を取るため後退した。


「案外やるな。腹を裂かれるなんて数百年なかったこと。私が衰えたわけではないことは言っておかねばならないね。お前が強くなったのだ。私にもそのむすめが必要なのだよ。もうやめないか? これ以上お互いに傷つけあうこともないでしょう。殺しはしないから、少しばかり貸してくれればいい」

 腹を裂かれながらも蒼子はよく喋った。傷の治りは相当早く、流れる血がとまっているようだ。銀の傷まではここからでは見えない。彼はこちらに背を向けている。

「断る。我はりんを愛しているのだ。お前には理解できぬのだろう。愛する者を他の誰にも渡したくないという思いを」

 鈴は頬が紅潮していくのを感じた。人前でそのようなことを、大ぴらに言われるとは。いや、人前ではない。ここにいる者は鬼と人であらぬ者だけ。

「分からないねぇ。お前はやっぱり鬼にはなりきれぬ。悲しいこと。ここで殺さなねばならないのだな」

 悲しみなど蒼子にはないのだろうと、鈴は思った。銀が蒼子めがけて跳躍し、鋭い爪で斬りかかる。蒼子はそれを爪で受け止める。高い音が響く。火花が散る。二人は髪を斬り、着物を斬り裂き、身体を傷つけあった。美しい者同士の死をかけた戦いは幻想的で、鈴はただ見惚れていた。これが現実で、どちらかが死ぬなどとは考えられない。血に染まる鬼はこの上なく妖艶。いつまで続くのか。血が飛び、髪が飛ぶ。あれは汗だろうか? 月の光に白く輝く水玉。

「お前、ますます綺麗になるねぇ。私は何だか楽しくなってきたよ」

 蒼子はいよいよ狂いだしたようだ。銀の首筋に噛みついた。そして、銀の爪は蒼子の腹に食い込み、突き抜ける。

「私はお前も欲しかったのに……」

 銀は蒼子の腹から爪を引き抜く。そこから血が溢れ出す。白い着流しもすでに真紅に染められている。あれだけの血を流しているのだから、蒼子はじきに死ぬだろう。鈴はそう思った。

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