第27話

「そろそろじゃな」

 突然声がしたと思うと、三和土たたきにいつの間にか幻海げんかいが立っていた。気を張っていなかったとはいえ、背後に現れたことに気付かなかった。気配を消すことの出来る者に不意を突かれたらと考えると恐ろしい。

「幻海殿。驚かさないで下さい。今までどちらへ行かれていたのです? わたくしは恐ろしい目に遭ったのですよ」

 りんは、あの忌々しい黒い物を思い出した。

「すまぬのぅ。わしが留守をすると、何やらこの山に入り込むらしい。じゃが、お前さんたちがおるから留守を頼んだのだ。足を見せてごらん」

 幻海は鈴の足の傷のことまで知っていた。彼は全てを知る事ができるのだろうか? 鈴は裾を少し上げて傷を見せた。幻海は手をかざし、口の中で何か唱えている。幻海の手から白いもやが生まれ、鈴の足を包む。それは温かく柔らかく、心地よかった。しばらくすると、その靄が幻海の手の中に消えた。そして、足は嘘のように元通りになっている。

「これは? どうなっているのでしょう?」

 不思議でならなかった。

「お前を傷つけたものは怨霊の強い邪悪な念。それが及ぼしたことは幻覚と思えばよい。わしの力で治すことは容易じゃ」

 鈴には幻海の言っていることがよく分からなかったが、刀で斬ることもできない不気味で恐ろしい、あの黒い物が、幻覚と言われれば、そうかもしれないと思った。


「誰かと思えば……。あんたが帰って来たということは、奴が来るのか?」

 銀がむっくりと起き上がる。

「そうじゃ。こちらへ向かっておる。急いでいるようではないが、夕刻には着くじゃろう。用心しろ」

 幻海はそう言って、廊下を奥へと向かう。ふと何を思ったのか振り返り、

「部屋は他にもある。広くはないが自由に使ってよいぞ」

 と一言言って、廊下の突き当りの部屋へ入っていった。


 幻海は夕刻と言っていたが、今は昼だからもうそれほど時間はない。だが、そうはいっても、これといって何をすればいいか分からなかった。迎え撃つというのは追いかけるより難しい。銀はのん気なもので、着物を着こむと外へ出て、小鳥に餌などをやっている。銀に警戒を持たないのか、数羽の小鳥が集まって賑やかに鳴く。もうすぐ、この穏やかな空気を切り裂かれると思うと心が痛んだ。蒼子そうしがここへこなければいい。しかし、そう甘くはなかった。幻海の言う夕刻が迫るころ、鈴にも蒼子の気が感じられた。ここへ来るのもじきだろう。

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