第25話

 もうすっかり陽が暮れて、屋敷の中には月明かりしか二人を照らすものはなかった。その青白い光の中で、銀に包まれながら、りんはこの幸せがいつまでも続くことを願った。そうして二人は、朝が来るまで身体を寄せ合ったまま眠った。


 鈴が目覚めた頃、銀は林の中を駆け巡っていた。このとき鈴は、この山の中で何が起こったのか、まだ何も知らなかった。

「銀、どこへ行ったのかしら?」

 鈴はつぶやいて、念のため刀を手に持ち、草履を履いて表へ出た。木々の朝露は光りを反射してきらきらと輝いている。鈴は水を求めて沢へと向かった。沢の水は冷たくて気持ちいい。鈴はそこでしばらく朝の陽を浴びた。

「何かしら? 何か変だわ」

 鈴はようやく辺りの様子がおかしいことに気が付いた。そこには、小鳥の影も猿の気配もない。どこかへ姿を隠しているのだろうか? 銀はこの静けさに何かを感じたのかもしれない。耳を澄ますと、雑木林の中で微かな葉のこすれる音がした。気の感じから、それが銀だと分かった。それとは別の何かがゆっくりと動いている。嫌な気を放っているが、鬼ではない。それがいっそう不気味だ。木々の中からザザーッという音とともに、銀が鈴の前に現れた。

「来る!」

「あれは何ですか?」

 まだ姿の見えない得体の知れぬものに、二人は恐れを感じていた。

「分からぬ。魑魅魍魎の類か?」

 それは確実にこちらへ向かっている。しかし、その動きはあまりにも遅い。じわり、じわりと迫る。やっとその姿が見えて来た。黒いぬめぬめとしたそれは、対称の取れていない二つの赤い目玉をぎょろりと動かした。頭から首、胴体は同じ太さで、身体とは不釣り合いな小さな手。足はついておらず、尾のようなもので立ち上がっていた。

「なんと恐ろしい姿でしょう」

 鈴も醜悪なものは見慣れていたが、これほどまでに形の崩れたものを見たことがない。だが、このままのさばらせるわけにはいかなかった。鈴は刀を抜き、そのまま黒い物体に斬り込んだ。嫌な感触が伝わる。ぬるりと刀が食い込み、不気味な物の身体を抜けた。

「こやつは何なのです?」

「刀ではそれは殺れぬ。人の怨念があのようなものを生み出したのだろう」

 怨念という言葉で、あの御札おふだを思い出した。

「では、他の方法で試してみましょう」

 鈴は駆け出し、屋敷へ向かった。座敷へ上がり込むと御札を二、三枚掴み、銀の元へ走る。のろまなそれはまだそこにいた。銀は間合いを取りながら後ずさりをしている。

「ふん!」

 鈴は張り合いのないそれに向かって御札を手に持ち、跳んだ。黒い身体に御札を張り付けるだけ、そう考えていた。しかしそれに反応して、逆襲してくるとは予想外であった。そいつは黒い液体を吐きかけてきた。今まで攻撃してこなかったところを見ると、やはりこの御札を恐れているのだ。鈴は不意の攻撃を躱しきれず、足に黒いどろりとしたものがへばりついた。

「鈴!」

 銀がそう叫んで近寄ろうとするのを黒い物が遮る。足に痛みと焼けるような感覚があり、たまらず沢へと移動した。それを阻止するかのように、鈍い動きで黒い物がついて来る。またあの液体を吹きかけられたら避けきれない。銀は高く飛び、沢の中へ降りると、鈴を抱えてその先の小さな滝の上へと移動した。そうして銀は沢の水で、鈴の足に着いた黒いものを落とした。足は赤く爛れている。

「なんて奴だ。毒を吐きやがった。お前はここにいろ。あれは我が殺る」

 そう言って御札を持って下流へ戻っていった。ここからでは下の様子が見えない。ほどなくして銀が戻って来た。

「あれはどうなったのです?」

「やはり御札が効いた。人の骨だけが残り、今それを土に返したところだ。この世を儚んで命を落とした者の成れの果てであったのだろう」

「人があのような化け物になったというのですか? 恐ろしいことです」

 銀は足を負傷した鈴を抱きかかえ、青い鼻緒の草履と刀を持ち、屋敷へ向かった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る