第24話

「わしはまだ名乗ってもおらんかったな。改めて、わしの名は幻海げんかい。先ほども申したが、人にあらず。驚かせてすまなかったな。お前もちと悪ふざけが過ぎる。やはり親子よのう」

 幻海は声を立てて笑った。

「お前を見ておると、若き頃の鬼世士郎きよしろうを思い出す」

「そんなつまらぬ話を聞きに来たのではない。蒼子そうしの死期が迫っているのだろう? それまであとどのくらなのだ?」

 りんは、はっとした。幻海の不死身を目の当たりにして、今の状況を考える暇もなかった。

「そうさな?」

 幻海は豊かな顎髭を撫で、考え込んでいる。

「分からないのか?」

「いや。死は見えておる。だが、このむすめがおるからな。接触すればもう少し生きながらえる。今から人の心の臓を食うても変わらぬが……」

 鈴には嫌な話しだった。

「爺さん、我は鈴を奴には渡さぬ」

 銀はそう言って、自分にも言い聞かせているようだった。


 鈴の助かる方法は二つ。一つは蒼子に死が訪れるまで逃げ続ける。そしてもう一つは、蒼子と一戦交える。どちらも確実に助かるという保証はなかった。

「銀、お前ならどうする? このまま逃げ続けるか、それとも迎え撃つか」

 その選択に銀は迷っているようだった。人なら前者を選ぶ。鬼ならば後者を選ぶ。彼にとっては難しい選択だった。

「わたくしは戦う。たとえ敵わなくとも、それも定め。銀、あなたと一緒に奴を討つ覚悟はあります」

 その言葉に二人が同時に鈴を見た。鈴の気迫と強い意志は、銀の身体に流れる鬼の血を呼び覚ました。

「鈴……」

 銀は熱い目で鈴を見つめた。幻海はおもむろに立ち上がり、

「わしはしばらくここを留守にする。悪いが蒼子はわしの手には負えん。だが、奴が来る頃、またここへ戻る。蒼子は必ずここへ来る。他へは行くでないぞ。人を巻き込むわけにはいかぬでな。ここで迎え撃つのだ」

 そういうと、煙となり格子窓からするりと空へ抜けていった。

「おかしな爺さんだ。鬼より奇怪な奴を、我は初めて見たぞ」

 鈴も同じ思いだった。あまりに不可思議なものを見てしまい、何が真実なのかさえ分からない。先ほどの銀の熱い眼差しもどこかへ消えていた。

「何やら気が抜けてしまった」

 そう言って、銀は座敷に寝転んだ。しばらくすると、微かな寝息を立てた。


 陽が傾き空をだいだいに染め始めた頃、鈴は自分が寝ていたことに気付き、身体を起こすと、はらりと薄絹が落ちる。白く柔らかなそれは、銀が掛けてくれたものだろう。しかし、銀の姿はここにはなく、ただ静けさだけがあった。


 しばらくして、銀が外から帰り、

「鈴。この山は豊かだ。水も清らかで果実もたくさん実っておる」

 そう言って、座敷へと上がって来た。手には色とりどりの果実が抱え込まれている。

「なんとよい匂いでしょう」

 それらは甘美な香りを放ち、質素な部屋を華やかにしてくれた。銀は果実をほおばり、甘い汁を口の端から滴らせている。

「鈴も食え。うまいぞ」

 鈴も赤々と色づいた果実をかじった。それは甘酸っぱいもので、口の中に爽やかなさざ波が押し寄せるようだった。

「このような果実……。食べるのは初めてです。この山は特別なのでしょう。なにしろ仙人が住むのだから」

 鈴の言葉は銀の耳に届いていたが、口いっぱいに果実を頬張り、返事のしようがないようで、首を縦に振って答えている。

「あなたはよく食べますね」

 このような光景は懐かしい。鬼討ちの屋敷でもよく見られた。正尚まさなおはどうしているのだろう? この時ふっと、そんなことを思った。鈴は己の正体を知った今、正尚を変えてしまったのはやはり自分だと確信していた。罪なことをしたと、幻海が金の鬼のことを言っていた。自分もこの世に生まれたことが罪だったのではないか? 鬼の血、自分の中に流れているそれは、どこから来たものだろう?

「鈴。どうしたのだ?」

 果実のほとんどを食べて満足したのか、鈴ににじり寄る。

「食べぬのか?」

 甘い香りのする銀は、みずみずしい白い果実のようだ。鈴は手を伸ばし、彼の頬に触れた。銀はその手に自分の手を重ねる。二人の瞳には互いが映り、身体を寄せ合う。触れた指を絡ませ、静かに横たわった。鈴の中で熱いものが込み上げてくる。身に着けていた物がゆっくりと身体から離れてゆき、鈴の肌が露わになる。銀の手が鈴の頬に触れて、下方へと身体を撫でてゆく。それに身体が敏感に反応して、思わず微かに声を漏らした。銀の唇が鈴の口を吸い、それは頬に触れて、そこから首筋へと移る。銀のしなやかな腕が鈴を包むと、熱いものが身体の中へ入ってくる。それはゆっくりと動き鈴の身体を痺れさせた。肌の擦れ合う感覚と、ほのかな甘い香りがとても心地よく、二人は間もなく昇りつめた。

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