第23話

「鬼、それと……お前も鬼じゃな? ここでは珍しい。どこから来なすったか」

 そこに立って二人を見つめているのは、白髪頭で白い髭を顎に蓄えた老人。

「爺さん。何者だ?」

「もしかしたら、おん婆の知り合いでは?」

「おん婆……。あの鬼女のことかね。まだ生きておるのか? そろそろ迎えが来る頃だが」

 迎えというのは死を意味しているのだろうと、りんは思った。

「我はあんたに会いに来たのだ。蒼子そうしに追われている」

「分かっておる。まあ、ここではなんだ。わしのあばら家で話そう。ついてきなされ」

 老人はやけにゆっくりと歩く。あまりに歳をとりすぎているからだろう。老人があばら家と呼ぶ家は、思ったより立派な造りの屋敷で、かなり古いものだ。中へ入るよう勧められ、座敷に上がると、そこには人の暮らしの匂いがした。くりやは使われていないようで、ひっそりと佇んでいる。茶箪笥があり、そこには焼き物の急須と茶碗が納められている。その引き出しが少し開いていて、おふだのような紙が覗いて見えた。

「わしは鬼ではない。かといって、人と呼べるものでもないが……。ここでは少しゆっくりするがいい。まだ蒼子は来ぬ。気を楽に」

 そう言って、老人は胡坐をかき、足をくずすように促した。

「鬼というのは困った生き物。我が強くて欲深い。わしからしたら人も同じ。だが、規律を守り、秩序ある行動をする人の方が平和を保てるのかもしれない。蒼子は鬼。規律も秩序もない。力の強い者がすることはすべて正しい。それが鬼の世界というものだ。今は奴の天下だが、それも長くは続かぬ。それを蒼子自身も分かっておる。死が来る前に何とかしたいと思うのは本能だ。時間を稼ぐことが吉となるか凶となるか。あ奴には時間がないでな、焦りもあろう。衰退していくのを待つか?」

 あの蒼子という鬼が年を取りすぎていると皆は言うが、鈴にはそうは見えなかった。肌の色も白く、陶器のように滑らかで、濡れた瞳は若々しさに満ちていた。

「鬼を人の尺で計ることはできない。蒼子はもう千年近く生きておる。故に化け物と言われるのだ。人の心の臓を食らうことにより、生きながらえておる。人の命を己の中に取り込むのだよ」

 この老人もまた、人の心を読むらしい。

「……」

 鈴は言葉を失った。千年という途方もない時間にではない。鬼が人の心臓を食らって生きている。それを今さらながら思い返した。おん婆の話しでは、銀もすでに百年以上生きていることになる。それでいて、歳を取ったふうには見えない。やはり、銀も人を食らうのか?

「こ奴は人を食わぬ。人の血が、人を食らうのを拒むのだ。鬼でありながら鬼になりきれず、人にもなれぬ。鬼世士郎きよしろうも罪なことした」

 意外にも、老人の口から金の鬼の名前が出た。

「爺さん、あいつを知っているのか?」

「父親をあいつと呼ぶか」

 老人は目を細めて笑った。

「鬼世士郎は、ちと悪戯が過ぎるところがあってな。よく、捕えては裏の岩戸に押し込めた」

 鈴には話が見えてこない。金の鬼のした悪戯とは? 鬼を捕らえて岩戸に押し込むなど、ただ者ではない。

「あなたは一体何者なのです?」

「仙人だろう。なあ、爺さん」

「そう呼ぶ者もおる」

「まさか……。仙人は霞を食べ、宙を舞うともいいます。ですが、そんなことが出来る者などいるとは思えません」

 馬鹿げた話だと鈴は思った。

「それを確かめてやろうか? 仙人は死なない」

 銀は何を思ったか、無防備な老人の首に爪を突き立てた。

「何をするのです!」

 鈴はあわてて止めに入ったが、銀の爪が老人の喉に深く食い込んでしまった。

「なんてことを……」

 目の前で罪のない者が命を落とす。鈴には耐えられなかった。

「馬鹿者! 馬鹿者!」

 泣きじゃくり銀を打ち据える鈴の拳に、老人の手が優しく触れた。

「泣くでない。わしはこのとおり生きておる」

 信じられない事だった。銀が爪を引き抜くと、老人の喉には傷一つなく、血は一滴も流れてはいなかった。

「わたくしは夢を見ているのですか?」

 何か不思議な術にでもかけられたのだろうか? それともこの老人が本物の仙人なのかもしれないと、鈴は思った。

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